第1話
「好きです!俺と付き合ってください!」
昼休みの校舎に、よく通る声が響いた。
俺は、「またか」とため息をつきながら、読んでいたライトノベルから顔を上げた。
どうやら、誰かが青春の一ページを刻もうとしているようだ。
告白したのは、五十嵐桐也。明るくて顔がよく、常に周りに人がいる。そんなクラスの中心にいるのが似合う男だ。要は、スクールカースト上位の陽キャ様というやつである。
そして、その相手は百瀬真白だった。
眉目秀麗、博学多才、定期テストや実力テストでは常に学年一位が当たり前。
俺たちの通う総浦高校には、特進コースという、入学前のクラス分けテストでいい成績を残せたものが入れるコースが二クラスある。入ると、なんと学費免除。俺も、頑張ったつもりだが、どうやら上には上がいるらしい。だからこそ、常に学年一位の、百瀬には問いたい。
何で俺たちと同じコースにいるの?
さらに、男女問わず人気があり、彼女の周りにも常に人がいる。まだ、高校一年生だというのに生徒会にも書記として参加しており、なんだか、住む世界が違うんだと思い知らされる。
教室の中心にいることが、まるで、生まれつき決められていたかのような女子だ。
対する俺は、教室の隅で本を読んでいるのがお似合いの人間である。
つまり、これは俺とは一生縁が無さそうな青春群像劇のワンシーンというわけだ。
せっかくだし、最後まで見届けるか。
俺がいるのは、校舎の最上階にある踊り場だ。屋上へ続く扉には鍵がかかっているため、外へ出ることはできない。教室から離れていて人目につきにくいこの場所は、静かに本を読むには都合がよかった。
だが、欠点もある。
この俺のいる場所から一個下の踊り場は告白スポットとしてよく利用されているのだ。
夏休みが始まる前までは、百瀬に告白して撃沈する男子生徒の姿をよく見た。
俺は屋上の扉の前に腰を下ろし、階段の下からは死角になる位置で本を開いていた。静かに読書できる場所を探していたら、たまたま青春の現場に居合わせただけだ。
普段なら、誰がどこで何をしようと気にしない。
他人の恋愛事情なんて、俺の人生には一ミリも関係がないからな。
だが、今回は事情が違った。
告白したのも告白されたのもクラスメイト。しかも、告白したのは俺の隣の席の五十嵐だ。
これはさすがに結果が気になる。
五十嵐と百瀬は、普段からよく一緒にいた。周囲から見ても仲のいい二人だったし、もう九月だ。夏休みの間に夏祭りや海なんかに行って距離を縮めたうえでの告白なのかもしれない。
夏祭りに、海か。
俺のようなぼっちには到底縁のない話だ。
夏休み? ずっと家でゲームしてたが何か?
ちなみに、告白成功すると思うか? じゃあ、俺は成功するに三千円。流石に五十嵐の告白を断る女子はいないだろ。
そんなことを考えながら、階段の下に耳を澄ませる。
「ごめんなさい。五十嵐君。私、他に好きな人がいるの」
おい。五十嵐、振られたぞ。どうすんだよ。明日から隣の席で顔を合わせるたび、落ち込んだ五十嵐を見て笑顔がこぼれてしまうじゃないか。
人の不幸は蜜の味だからな。
もちろん、本人にしてみれば笑い事ではないだろう。普段から女子に人気のある五十嵐が、わざわざ勇気を出して告白したのだ。振られたときのダメージなんて、俺には想像もつかない。
けど、だめだ。口元の歪みが抑えられない。
ところで、さっき賭けた三千円なかったことにならない?
「そっか……ごめんな。迷惑かけて」
「いえ、別に」
「じゃ」
その言葉を最後に、五十嵐はそれ以上食い下がることなく、階段の下から去っていった。
意外とあっさりしてるな。これがモテる男の余裕ってやつか。
幸か不幸か、五十嵐の心情を考えると不幸なんだろうが、これでようやくラノベに戻れる。
本へ視線を落とした、そのときだった。
階段を上ってくる足音が聞こえた。
顔を上げて階段の方を覗き込むと、百瀬がこちらへ向かってきていた。彼女は俺のいる踊り場の一つ手前で足を止め、階段に腰を下ろす。
そして、誰に聞かせるでもなく百瀬は呟いた。
「何でずっと嫌だって言ってたのに、分からないのかなぁ。いや、五十嵐君には、はっきりと言ったことはなかったか……」
穏やかな声だった。
けれど、そこには先ほどまでの柔らかさとは違う、苛立ちが滲んでいた。
普段の百瀬を知っている人間が聞いたら、少し意外に思うかもしれない。
「つか、告白してくる奴ら全員何なんだよ。勝算がないのに告白してくんなよ。告白は勘違い男のための一発逆転のチャンスじゃなくて、それまでの積み重ねを確認し合う儀式だろうが。本当気持ち悪い」
小声ではあるが、普段の百瀬からは想像もつかない、ドスの効いた声だった。しかも、言っていることが容赦ない。言葉の刃は、心当たりのある人間の心に容赦なく突き刺さるだろう。
ちなみに、俺には刺さった。
中学時代、好きな子に告白して、『友達でいようよ』と言われたきり、友達にすら戻れなくなった経験がある俺には。
あのときの自分に聞かせてやりたいものだ。
いや、聞かせたところで、きっと何も変わらなかっただろうけど。
そんなことより、これは聞いててもいいやつなのだろうか。
このまま放っておけば、百瀬はさらにえげつない発言を繰り出しかねない。ここは声をかけるべきだろうか。
いや、やめておこう。見なかったことにしよう。聞かなかったことにしよう。できることなら、記憶ごと消してしまおう。単純に声かけるの怖いし。
記憶消去に関しては、その辺の石にでも頭をぶつければ、何とかなるだろ。
自分にそう言い聞かせ、俺は再び本へ視線を落とした。文字はまったく頭に入ってこなかったが、少なくとも聞こえていないふりくらいはできる。
そんな俺の気遣いも虚しく、百瀬は俺の気配に気づいた。
何事もなかったかのように階段を上がり、俺の隣までやってくる。そして、彼女はすぐそばに腰を下ろすと、にこりと笑顔を向けてきた。
艶のある黒髪が肩からさらりと流れる。すっと通った鼻筋に、切れ長の目。整った顔立ちは、可愛いというより綺麗という言葉がよく似合う。そんな顔に微笑まれれば、普通は喜ぶところなのだろう。ただし、目が笑っていなければ話は別だ。
怖い。美人の無言笑顔、普通に怖い。誰か助けて。
「見た?」
「……何を?」
「見てたよね?」
「だから何をだ? あー、五十嵐の告白をか? かなり思いのこもった告白だったんじゃないか。うん、素敵だったじゃないか。そうだな……」
「…………」
「はい。見てました」
無理だ。百瀬の無言の圧には耐えられない。この圧だけで、たぶん五人くらいは殺ってる。
「さっき見たことは忘れなさい。もし口外したら、貴方が私に痴漢したってありもしない噂を吹聴して回るから」
「やめろ。ただでさえボッチなのに。ボッチな上に、後ろ指を指されて生きていくなんて耐えられない」
ただでさえ人間関係に恵まれていないのに、痴漢の噂まで加わったら終わりだ。誰も信じてくれない未来が、あまりにも鮮明に想像できてしまう。
百瀬なら、本当にやりかねない。そう思わせるだけの迫力があった。
「というか、貴方はこんな所で何をしてるの? えっと、確か、同じクラスの……」
「千景です。千景悠楓」
「ああ、そうだ。千景君だ」
「あれ? 百瀬って、そんな感じだったっけ? クラスで」
「今の素の私を見せたら、どうやったってクラスで不和が生まれるでしょ」
それって、俺とは別に不和が生まれてもいいって言ってることになるんだけどな。こいつは、俺に対しては遠慮というものがないらしい。いや、そもそも遠慮する必要がないと思われているのか。なんか腹立ってきたな。
「というか、貴方も全然喋れる方じゃない? クラスではずっと一人でいて、先生に当てられた時以外喋らないから、そういう呪いにでもかかってるのかと思ってた。それとも死んだ目をしているし、ゾンビにでもなる呪いかしら?」
すらすらと俺の悪口を並べる百瀬を見て、俺は確信した。
こいつはたぶん、こういうことを考えるのに一切の躊躇がないタイプだ。普通、初対面に近い相手なら、多少は言葉を選ぶものじゃないだろうか。
「それで、こんなところで、何してるの?」
「少し読書を」
「ふーん」
興味があるのかないのか分からない返事をしながら、百瀬の視線が俺の手元へ落ちた。
さっきまでの百瀬の貴重な毒舌シーンを覗き見ていた話は、ひとまず終わったらしい。助かった。できれば、このまま何事もなく解散してほしい。
「気になるのか?」
「いえ。その本は何?」
「これは……『陰キャの俺がクラスのギャルを助けたら妙に懐かれた件について』だが」
「……エロ本?」
「違うわ」
タイトルだけで判断するな。いや、タイトルに問題があるのは認めるけども。
「ラノベってやつね。面白いの、それ?」
「おお、面白いぞ。モテない陰キャの痛々しい妄想って感じで、かなり冷笑できる」
「するな、そんなこと。ラノベ書いてる人からしたら、かなり最低な読み方じゃないの?」
……あれ? もしかして俺は、ラノベの楽しみ方を間違えているのだろうか。
でも、あり得ない展開は多いぞ。
陰キャって言ってるくせに普通に女子と話せたり、思いのほかコミュ力が高かったり、気づけばハーレムになったり。
あり得ねぇだろ。どこだよ、その世界線。俺も連れてけ。
現実の俺は、女子と普通に話すどころか、必要最低限の会話をするだけでも一苦労だ。ましてや、複数の女子から好意を寄せられるなんて、もはやファンタジーの領域だろうが。
いや、そういえば、ラブコメはファンタジーだったな。高校生活において、屋上には例外を除いて入れないし、謎の部活なんてないし、昔からの幼馴染が好意を抱いていたりしないし、クラスの可愛い子とひょんなことから秘密を共有して恋愛に発展したりしないんだよ。
だから、俺がクラスの美少女が実は毒舌だと知っても恋愛に発展したりはしないんだろうな。ていうか、そこまでのコミュニケーション能力があれば、クラスでぼっちにはなってねぇんだよ。そもそも、人なんて信用できねぇから。
ラブコメに対して、いや、どちらかというと現実に対して文句を募らせていると、普段は鍵のかかっている屋上の扉が開いた。生ぬるい風が頬を撫でる。九月になったというのに、まだ夏は居座るつもりらしい。とっとと秋様に場所を変わりやがれ。
屋上から出てきたのは、灰谷海斗。
俺たちのクラスの担任教師だ。
喫煙所が遠くて面倒だという理由で、屋上の扉を勝手に開放してタバコを吸う職権乱用ヘビースモーカー。俺と同じく、常に目が死んでいる。昼休みに先生が屋上へ入っていくのを見かけると、俺も便乗して、タバコを吸う灰谷先生とよく話している。生徒から舐められることも多いが、不思議と慕われているタイプの教師だ。担当科目は物理。教師としての威厳がどこにあるのかは、俺にもよく分からない。
灰谷先生が出てくると、百瀬は立ち上がった。俺も乗じて本を閉じ、腰を上げる。
「ん? 千景に百瀬。珍しい組み合わせだな」
「灰谷先生。また、屋上を勝手に喫煙所にしてたんですか? 反面教師にも程があると思いますけど?」
百瀬は呆れ気味に呟いた。整った顔立ちに、教師相手でも物怖じしない毒舌。普通なら、その二つはもう少し相性が悪くてもよさそうなものだが、百瀬の場合、不思議と様になっている。
美人は得だ。多少口が悪くても、相手が勝手に気が強いところも魅力的などと解釈してくれたり、多少性格悪いところも可愛ければ小悪魔って解釈されたり、俺が同じことを言えば、ただの性格の悪いブスで終わるだろう。いや、実際に性格が悪いブスなので、何も間違っていないな。
「おう。みんなには黙ってろよ」
「ええ、特に学年主任には……ですよね」
「ああ。頼む」
「先生が職権乱用怠惰ヤニカス野郎なのは今に始まったことではないので、問題ないです」
「あれ? 百瀬。人前で猫かぶるのはやめたのか?」
「いえ、彼には見られたので」
「そうか。千景と一緒にいるし、お前の毒舌も性格の悪さも知ってるってことは、例の件、考えてくれたのか?」
「いえ、千景君とここで出会ったのも、見られたのも偶然です。それと私はそこまで千景君に魅力を感じてません」
灰谷先生と百瀬が、俺には分からない話をしている。これがいじめか。だが、これくらいでは傷つかない。傷つくのは人に期待するからだ。最初から期待しなければ傷つかない。期待値をゼロに設定しておけば、裏切られることもない。人間関係における、もっとも簡単なリスク管理である。
灰谷先生は百瀬の返答に困ったように頭を掻き、俺の方へ目を向けた。
「そうか。けど、ちょうどいいや。千景。お前、部活入ってないよな?」
「ええ。入ってないですけど」
「それなら、ちょうどよかった」
「何の話ですか」
「千景。お前、部活入れ」
「嫌です」
無論、即答した。人間、決断力があることは美徳らしい。ならば俺は、部活に入らないという決断において、なかなかの美徳を発揮していることになる。
部活なんて、嫌に決まっているだろ。家でゲームをしたり、映画鑑賞したり、本を読んだりする時間が減る。運動部は疲れるし、文化部で仲良しこよしが俺にできるわけがない。どこへ行こうと、結局は人間関係という名の面倒事が待ち構えているのだ。だったら、最初から参加しない方が合理的である。
特に運動部は嫌だ。サッカー部や野球部が「部活やめてぇ」と言っているのをよく聞く。それに対し、俺は「じゃあ、辞めろよ」と内心で冷笑しまくっているわけだし。
自分で選んだ道に文句を言うくらいなら、最初から選ばなければいい。少なくとも、俺はそう思う。
俺の拒否を気にせず、灰谷先生は俺の方に指を向けながら続けた。
「百瀬。こいつは見ての通り、性格がひん曲がっている」
「ええ、それは下卑た目に、下賎な顔を見れば、彼の低俗さくらいはある程度推測できます」
「できねぇだろ」
顔面から性格を読み取れるなら、心理学者も探偵も商売あがったりだろう。いや、百瀬の場合は、顔を見て判断しているというより、俺のことが気に入らないから何を言っても悪く解釈しているだけなのかもしれない。
それはそれで、ずいぶんと理不尽な話である。
あと、百瀬は決めつけがすごいな。
「俺からの依頼だ。こいつをお前の部活に入れてくれ」
「それは構いませんが」
「待て待て。俺は構わなくない。そもそも、何の部活だよ」
俺が聞くと、灰谷先生は説明し忘れていたことを思い出したように答えた。
「あ、JRC部だ」
「……ジュラシックパークの略ですか?」
そうか、この学校は恐竜を飼っていたのか。ティラノは怖いし、ラプトルとかも怖いよな。さすがに肉食恐竜は怖いし、草食の恐竜かな。
だが、草食だって体が大きければ十分に危険だ。そもそも、学校で恐竜を飼育するメリットが分からない。教育効果はあるのかもしれないが、飼育費や餌代を考えれば、普通に動物園へ行った方が安上がりだろう。
そんなくだらない考えを見透かしたような目を、百瀬が向けてきた。
「はぁ。違うわ。Junior Red Cross部。青少年赤十字部よ。いわゆる、ボランティアをする部活よ」
JRC部ね。何だったかな。地域社会や世界のために奉仕する活動だったか。高校のパンフレットの部活動紹介欄に、そんなことが書いてあった気がする。
それに、うちの高校のJRC部は、個人的な悩みや相談事まで請け負っているんだとか。まあ、要は推薦入試の面接でアピールするための実績作りってことか。
「……あの推薦の実績作りに便利な部活でしょ。正式名称、そんな感じなんだ」
「推薦の実績作りに便利な部活ってところは否定しないわ。そのおかげで、幽霊部員しかいなくて、こっちは迷惑を被ってるんだから」
「名前だけ置いてるやつしかいないのかよ。ま、要は日本赤十字社のおままごとをしてる部活ってことね」
「それについても、否定はしないわ」
こいつ、プライドないのか。そう思っていると、灰谷先生が口を開いた。
「ま、部活の紹介が終わったところで、改めて依頼だ。千景を部活に入れてくれ」
「先生。俺がその部活に入る理由は?」
「私もそれは気になります」
「理由はそうだな。お前らは二人とも性格が歪んでる。お互い違う形でな。人は人と関わることで、成長できるんだ。同じくらいの性格度合いなら仲良くなれるだろ?」
「だから、千景君と関われと? 彼は知りませんけど、私は友達がたくさんいますよ。人とはそれなりに関わってます」
「猫を被ったときのお前だけな。それじゃあ、ダメだ」
「どこがですか?」
「人は思った以上に弱いんだよ。ありのままの自分でいられる場所ってのが必要なんだよ」
「そうですか………そういうもんですか?」
「そういうもんだ。あと、自分には関係ないって顔してる千景もだ。お前は単純に友達作れ」
「何故です?」
「お前、文理選択の紙、まだ出してなかったよな?」
灰谷先生は、期限を過ぎた提出物の話を唐突に持ち出した。
「ええ。出してはないですけど。だって意味分かんないですし」
「何がだ?」
「何で一年の九月で文系か理系かを選ばなきゃいけないんですかね。この選択って、ある意味、俺の人生のターニングポイントの一つじゃないですか。いや、高一ですよ? まだどっちがいいとか分かるわけないじゃないですか」
口にしてみると、改めて理不尽に思えてきた。
人生の方向を決める大事な選択だというのに、判断材料も経験も十分にない。そもそも、十六歳そこらで自分の将来を明確に思い描ける人間が、どれほどいるというのだろう。
多分、俺は大学に入っても、就職活動の早期化だとか、そういう流れに対して同じような愚痴をこぼしている気がする。
というか、何なんだろうな、早期化って。
就活も受験も、とにかく何でも早くすればいいみたいな風潮がある。そのうち終活まで早期化されるんじゃないか。高校生のうちから老後の計画でも立てさせるつもりなのだろうか。
そもそも、就職活動の早期化って本当にそんなに良いことなんだろうか。
大学に入った瞬間から就活を意識して、インターンに参加して、資格を取って、企業研究をして。
それって、四年間かけて学ぶための場所なのか。それとも就活予備校なのか。分からなくならないか。建前と本音がずれているようにしか思えない。
……などと、まだ高校一年生の俺が考えても仕方のないことを、頭の中で延々とこねくり回していると、灰谷先生の声で意識が現実へ引き戻された。
「……お前、やりたいこととかねぇのか?」
「いえ、特には」
「ないのか?」
「強いて言うなら、俺のことを好いてくれる超大金持ちの美少女のヒモになりたいです」
「大分、難しいこと言うな」
灰谷先生が困ったような顔をする。その隣では、百瀬が蔑むような目を向けてきた。
なんだよ。夢を語るくらい自由だろ。
「……じゃあ、先生は高校の頃、将来の夢とかありました?」
「いや、なかったな」
灰谷先生は、特に迷う様子もなく答えた。
「そうですか……」
意外ではあった。教師になるような人間なら、「子供が好きだった」とか「教育に携わりたかった」とか、そういう教師らしい綺麗事を、生徒の前でくらいは語ると思っていたからだ。
少なくとも、俺ならそういう答えを期待してしまう。教師という仕事を選んだ理由くらい、立派なものがあってほしい。そんな勝手なイメージを抱いていた。
「けど、それは今も同じだ。大人になっても大層な夢なんてできねぇぞ」
「え?」
「いいか? 世の中の大人の八割は、夢とかなく、みんななぁなぁで、なんとなく生きてんの。だから、夢なんてなくたっていいんだよ」
灰谷先生は、まるで当たり前の事実を語るように言った。
説教臭さもなければ、励まそうという気配もない。ただ、自分が見てきた現実を、そのまま口にしているような声音だった。
夢がないことを責めるでもなく、無理に夢を見つけろと迫るでもない。そのあっさりした言い方が、かえって意外だった。
「じゃあ、どうやって進路選べばいいんですか?」
「もっと気楽に考えろ。やりたいことってのは、将来の夢とか、何者かになりたいなんて大層なもんじゃなくていいんだよ。酒飲みたいとか、焼肉行きたいとか、タバコ吸いたいとか。そういう小さいやりたいことをできる進路を選べばいいの」
「は、はぁ。さいですか」
人生の進路を、焼肉を食べに行く店でも選ぶような気軽さで決めろと言われても困る。いや、焼肉屋なら失敗しても次の店に行けばいいが、進路はそう簡単にいかないだろう。
……いや、案外、人生もそんなものなのかもしれない。選んだ道が気に入らなければ、別の道を探せばいい。そう考えれば少しは気が楽になる。
もっとも、それを実行するには相応の勇気と行動力が必要になる。俺に一番足りないものを二つも要求してくるあたり、人生というやつもなかなかに性格が悪い。
「お前の悩んでる文理選択も同じ。もっと気楽に考えて、さっさと文理選択の紙出してくれ。面倒い事務処理を早く終わらせたいんだ」
「どちらかと言うと、後者が本音ですよね?」
「そ、そんなことないぞ。とにかく、人と関わることで、自分の進路が見えてくることだってあるからさ。それに、お前は友達がいなさすぎる」
「仕方ないじゃないですか。それに関しては」
俺はこの学校の入学式にまともに出られていない。入学式前日に風邪をこじらせ、気づけば二週間が過ぎていた。その間に、クラスは勝手に出来上がっていた。
さらに言えば、俺はこの学校の中等部出身ではない。完全な外部組だ。
俺が登校した頃には、クラスの人間関係は大体完成していた。内部進学組は内部進学組で固まり、残りの生徒も小さなグループを作っていた。そこへ二週間遅れで入っていけるほど、俺には社交性がなかった。
今さら無理に輪へ入ろうとして気まずい思いをするくらいなら、一人でいる方がよほど楽だ。そうやって自分を納得させているうちに、気づけば今の状態が定着していた。
「じゃあ、百瀬。後は頼んだ」
灰谷先生が面倒事を押しつけて逃げようとしたところで、百瀬は、言っても無駄だと分かっているような顔で文句を吐いた。
「千景君の面倒を見るのは別に構いませんが、私に利害がないんですけど」
「百瀬の利害は、お前がありのままの姿でいられる友達ができることだ。要は、千景をサンドバッグにできることかな」
「え?」
何を言っているんだ、この教師は。
「千景。俺の代わりに百瀬のサンドバッグに成り下がってくれ。これ以上、百瀬の毒舌におじさんは耐えられない」
「押し付けてくるな。 ぶち殺しますよ?」
「ま、とにかく仲良くしろよ」
そう言い残し、灰谷先生は屋上の扉を閉めた。鍵をかけたあと、ちゃんと施錠できているか確かめるようにドアノブをガチャガチャと動かし、それから階段を下りていった。
ぽつんと残された俺。
内心では、灰谷先生に行かないでほしいという気持ちでいっぱいだった。だが、ここで「百瀬が怖いから行かないでください」なんて言うのは、情けなさすぎる。
俺が何を話そうかとこまねいていると、百瀬がこちらを一瞥し、冷ややかなため息を吐いて、口を開いた。
「貴方は部活に入る気はある?」
「いや、ない」
「そう。なら、それでいいわ」
「灰谷先生からの依頼なのに、そんな適当な感じでいいのか?」
「助かる気がない人を助ける気なんてないわ。変わる気がない人を変えるほど面倒なものはないもの」
「さいですか」
「それに、あんな適当教師の依頼を聞くほど暇じゃないわ。さ、話がまとまったところで、元の話に戻しましょう」
「元の話に戻す? 何の話してたっけ? ジュラシックパークの話か? 俺はディロフォサウルスが好きだよ。あのエリマキトカゲみたいなやつ」
「違うわ。私の毒舌や性格の悪さを皆には黙っていなさいって話よ」
「ですよね。違いますよね。優等生の百瀬は映画なんか見てる時間ないですよね」
「システムエンジニアがディロフォサウルスに襲われて死亡したシーンは滑稽で面白かったわ」
おいおい、見たことはあるのか。意外と仲良くなれるんじゃないか、これ。いきなりラブコメに発展はしなくとも、仲良くなることくらいならできるんじゃないか。そして、そんな友達関係から始まるラブコメがあってもよくないか。
俺が現実にはありもしないラブコメ展開に思いを馳せていると、百瀬が小声で呟いた。
「でも、かなり癪だけど、灰谷先生の言うことにも一理あるかもな」
そう言って、百瀬はこちらを向いた。じっと見つめてくるその目は、何かを探るようだったが、やがて諦めたように息を吐いた。
「まぁ、貴方でもいいか。少し話を聞いてくれるかしら?」
「あ?」
『貴方でも』という言い方は少し余計じゃなかろうか。どうせなら、『貴方にだけ話したいの』くらい言ってくれれば、少しは可愛げがあるというものだ。さらに、そこに上目遣いがあれば上出来である。
そんなことを考えていたのが顔に出ていたらしい。百瀬は、申し訳なさそうに見えなくもない表情を浮かべた。もっとも、悪びれているようには見えなかったが。
「言い方が悪かったわ。私のお願いを聞いてほしいのだけれど」
お願いね。嫌な予感しかしない。
俺の経験上、美人からのお願いというのは、ろくな結果にならないことが多い。もちろん、俺が美人と関わる機会なんてほとんどないので、経験則というより偏見に近いのだが。
それでも、今の百瀬を見ていると、面倒ごとの気配しかしなかった。
だから俺は、間髪入れずに「だが断る」と、どこかのスタンド使いが言っていたセリフを吐いた。
普通の男なら、百瀬真白みたいな美少女の頼みを簡単には断れないんだろう。
しかし、俺は違う。
自慢じゃないが、性格が悪いのでな。可愛い女の子の頼みなど簡単に断れるのだよ。
何より、面倒くさいことはしたくない。事なかれ主義なんでな。
すると百瀬は、まるでこれから人を殺すのかというような目で睨んできた。
こいつ、本当はもう十人くらい手にかけてる殺人鬼なんじゃないだろうか。
「あ、あにょ……百瀬しゃん……そんな睨んでるとシワが増えましゅよ」
あまりの怖さに、セリフを噛みまくってしまった。いや、噛みすぎだろ。
自分でも情けなくなるくらい、まともに喋れていない。さっきまで散々偉そうなことを考えていたくせに、いざ本人を前にするとこれだ。
人間、余裕がなくなると本性が出るというが、俺の場合は単純に情けない部分が露呈するだけらしい。
「私はまだ用件を言っていないのだけれど。せめて話を聞いてから答えを出してくれないかしら?」
「はい……すみません」
声が自然と小さくなる。
「貴方に頼みたいことは、いざっていう時に私を助けること。それだけ」
「いざっていう時に?」
「ええ。貴方、確か図書委員だったわよね?」
「ああ、まぁ、そうだが……」
「私が『助けてほしい』って雰囲気を出してる時は、本をまだ返し終えてないことにして、私を連れ出してほしいの」
「随分と抽象的なお願いだな。お前の言う『助けてほしい』って、何の話? 授業を受けてる時にスナイパーに狙われることでもあるのか?」
「そうね、どこから説明しようかしら……まず、私と五十嵐君がよく一緒にいたのは不本意なの」
「不本意?」
「ええ。クラスメイトの前でいい顔ばかりしているとね、勘違いされるのよ。特にこの年頃は、男子と女子が二人で仲良くしているだけで恋愛関係にあるんじゃないかと勘ぐってくるほど、発情期の人間しかいないから」
「発情期て……」
「それで、私と五十嵐君がただならぬ関係なんじゃないかと勘違いされたの。最初は面倒な男除けに便利だと思ったんだけれど、五十嵐君も結局は周りの空気に流されてしまったってわけ」
「五十嵐が本気だった可能性は?」
「あると思うわ。むしろ、そっちの方があり得そうね。今思えば、夏祭りや映画に誘われて行った時も、そんな感じの雰囲気になってたわね。気持ち悪かったのを覚えてるわ」
「ちょっと待ってくれ。夏祭りや映画には誘われて行ったのか?」
「え、ええ」
「いや、断れよ」
ここまで蔑ろにされる五十嵐には涙を禁じ得ない。そもそも、こいつもこいつじゃないだろうか。
そういう思わせぶりな態度を取ったから勘違いされて、告白されたんじゃないのか?
本人にそのつもりがなくても、相手に期待させるような行動をしていた可能性はある。少なくとも、一緒に出かけておいて、相手の好意をまったく察していなかったというのなら、それはそれでどうなんだ。
「仕方ないじゃない。クラスぐるみで私と五十嵐君をくっつけようとしてるみたいだったし、みんなが協力して二人きりにしようとしてくるんだもの。ここで私が合わせなかったら、空気の読めない人みたいになるじゃない?」
「そうか。優等生も大変だな」
俺は、どこか小馬鹿にするように笑った。それに対して、百瀬は少し睨むような目を向けながら説明を続けた。
「それで、五十嵐君の告白を断った今、私はクラスメイトから確実に質問責めに遭うわ」
「ああ、そういうことね。その質問責めが面倒だから助けてくれと?」
「そういうこと」
「俺である理由は?」
「万が一ってことがあっても、貴方みたいな根暗で人望も人脈もないぼっちなら、私一人で抑え込めるから、利用しやすいからよ」
「言いすぎじゃない?」
「事実でしょ」
知ってますか、百瀬さんや。事実を言いすぎると、事実陳列罪で捕まるんですよ。
だが、周囲の人間が自分と五十嵐をくっつけようとしているのなら、その輪の外にいて、事情を知っているうえに余計な詮索をしてこない相手は、確かに利用しやすい。そう考えれば、俺に白羽の矢が立った理由も分からなくはない。
だが、俺は今でこそ平然と百瀬と話しているが、これは一対一だからだ。
俺は、大勢の中の一人に話しかけるのが非常に苦手なタイプの陰キャである。
特に百瀬や五十嵐みたいな陽キャ集団に話しかけるなんて、絶対に無理だ。
一人なら何とかなる。相手が多少怖い人間でも、会話をするだけならどうにかなる。
けれど、周りに何人も人がいるとなると話は別だ。何を言えばいいのか分からなくなるし、視線を向けられるだけで頭が真っ白になる。そんな俺に、百瀬を連れ出す役目が務まるとは思えなかった。
よし、断ろう。
「なぁ、やっぱりその役目は俺には無――」
断ろうとしたところで、百瀬がこちらを睨んできた。
『は? 私の頼みを断る気? 断ったら東京湾に沈めてやろうか』と、ヤクザが放つようなセリフでも言いたげな目だった。
……拒否権、ないじゃねえか。
「ぜ、善処するよ」
結局、俺は渋々そう答えるしかなかった。
「ありがとう。協力してくれるなんて、千景君って優しいのね」
百瀬はクスッと笑った。さっきまで殺気を纏っていた人間と同一人物とは思えない。人はこんなにも簡単に表情を切り替えられるものなのか。
百瀬はスマホを取り出し、画面を一瞥した。どうやら、時間を確認したらしい。
「それにしても、貴方と話すのは気が楽でいいわね。昼休みはいつもここにいるの?」
「ああ、まぁな」
「そう」
それだけ言い残し、百瀬は階段を下りていった。彼女の足音が聞こえなくなってから、俺はようやく息を吐く。
どうやら、俺の人生にラブコメなんてないらしい。現実では、二人だけの秘密を共有したり、クラスの可愛い女子を危険から守ったりして恋愛が始まることはなく、クラスの可愛い女子に脅されて利用されるところから始まるようだ。
百瀬に告白して撃沈した男たちは、五十嵐を含めて全員気の毒だな。あんな性格の悪い女子だったのだから。
だが、不思議なものだ。高校生のうちに付き合ったところで、どうせ大学に進学すれば別れるのが目に見えている。それなのに、どうしてこうも恋愛だの青春だのと盛り上がれるのだろうか。
そもそも、青春という言葉に、なぜ「青」という字が使われているのか知っているだろうか。
これについては、俺なりの持論がある。
隣の芝は青く見える。青春とは、つまり隣の芝なのだ。
つまり、青春なんてものは、当事者ではない人間が勝手に美化しているだけの幻想に過ぎない。少なくとも、俺はそう思っている。
実際、友達や恋人ができたところで何が変わるというのだろう。朝起きて、学校に行き、授業を受け、昼飯を食い、帰宅する。その繰り返しの中に、わざわざ他人を一人加える必要があるのか。連絡を取り合う時間が増え、休日の予定を合わせる手間も増える。挙げ句の果てには、別れたときに面倒な思いをする。
どう考えても割に合わない。
それなのに、世の高校生たちは恋人ができた途端、人生の勝者にでもなったかのような顔をする。たかが同じ年頃の異性と手を繋いだだけで、何がそんなに嬉しいのだろう。人類が長い歴史の中で何度も繰り返してきた行為を、さも自分が初めて成し遂げたかのように喜ぶ。よく考えれば、なかなか滑稽な光景だ。
もちろん、本人たちが幸せならそれでいい。わざわざ水を差すつもりもない。
ただ、こちらにまでその価値観を押しつけないでほしいだけだ。
友達や恋人がいないのは寂しいことだとか、青春を無駄にしているだとか。余計なお世話にも程がある。俺は俺なりに満足しているし、少なくとも誰かに振り回されることもない。自由で、気楽で、無駄がない。
そう。無駄がないのだ。
……と、ここまで考えて、ふと思った。
では、無駄のない人生とは、果たして面白いのだろうか。
すぐには答えが出なかった。
答えが出ないこと自体は別に珍しくない。人間、考えたところで分からないことはいくらでもある。だが、こういう問いは厄介だ。答えが出ないくせに、一度頭に浮かぶと妙に居座る。
俺は階段下の廊下に目を向けた。
何人かの生徒が笑いながら走っていた。何がそんなに面白いのか知らないが、ずいぶん楽しそうだ。ああいう連中は、きっと今この瞬間を青春と呼ぶのだろう。
俺には理解できない。
理解できない、はずなのに。
ほんの少しだけ、羨ましいと思ってしまった。
……いや、違う。
あれはきっと、隣の芝が青く見えただけだ。そうに決まっている。
俺は自分にそう言い聞かせ、再び前を向いた。
少なくとも、あんな性格の悪い女子に惚れる物好きはいないだろう。
やっぱり、ラブコメなんてファンタジーだ。




