プロローグ
人とは悪意を持つ生き物である。
それは、議論するまでもないことだろう。世論を見ていれば、そんなことは嫌でも分かる。
それでも、人は悪意なんて持たないなどという性善説めいた綺麗ごとを、議論として持ち出したい方がいるなら、お手持ちの四角い箱、ひいてはスマートフォンで、各種SNSを今一度覗いていただきたい。
自分たちには関係ないはずなのに、問題を起こした人を必要以上に叩く奴ら。何でもかんでも話を極論化する奴ら。主語がでかい奴ら。被害者ぶる奴ら。過去の発言の発掘と蒸し返し。言葉狩り。ダブルスタンダード。偽善者。冷笑。etc……。そんなものがいくらでも見つかるだろう。
挙げだしたらきりがないな、これ。
だが、それらをおかしいとは思わない。冒頭でも言った通り、人は悪意を持つ生き物だからである。
どんな代物も、人間が扱う以上、うまくはいかない。ダイナマイトや核がいい例だ。そして、それはインターネットも同じなのだろう。
それらすべてに文句を言うのは、時間の無駄でしかない。それでも、人の悪意とやらに立ち向かい、世直しをしたいのであれば、ぜひともそうしてくれ。
人が悪意を持っているのなんて自明なんだから、うまいこと人の悪意と付き合えよ、とは思うが。
ちなみに、悪意とうまく付き合う最も有効な手段は二つある。一つ目は完全な無視。二つ目は、毒を以て毒を制す。つまり、悪意には悪意で対抗することだ。
さて、長話になってしまったが、言いたいことは至って単純だ。世の中に悪意が溢れているのなら、こちらがいちいち善人でいる必要もない。そもそも、他人にばかり善意を求めるのもおかしな話だろうということだ。
もっとも、これは単なる自己正当化にすぎないのかもしれない。だが、それでもいいだろう。自分のことを棚に上げ、自己を正当化して自己保身に走る輩は、この世に蔓延っているではないか。
よって、俺がする冷笑や嘲笑も、正当防衛として認められるべきである。
異論は認めない。




