消えた優等生
「じゃあね、美咲!」
放課後の帰り道、私はいつものように手を振りながら美咲と別れたのだけれど、その時はまさか数分後に自分の人生が大きく変わるなんて思ってもいなかったし、明日もまた同じように学校へ行って、美咲とくだらない話をして、お母さんの作る晩ご飯を食べて、一日が終わるのだと当たり前のように信じていた。
「また明日ー!」
美咲はそう言いながら大きく手を振り返してくる。
私は笑いながらその姿を見送り、それから家へ向かって歩き出した。
夕暮れの街は柔らかなオレンジ色に染まっていて、部活帰りの生徒たちの笑い声や、遠くを走る車の音が聞こえてくる。
いつもと変わらない景色だった。
どこにでもある平和な日常。
私はそんな景色を眺めながら、「今日の晩ご飯なんだろうな」なんて考えていた。
お母さん、昨日はハンバーグだったし、今日はカレーかな。
いや、カレーなら朝から匂いがしているはずだよね。
そんなことを考えながら歩いていると、ふと今朝見た夢のことを思い出してしまった。
あの花畑。
顔の見えない男の人。
何度も見ているはずなのに、どうしてあんなに胸が苦しくなるんだろう。
私は空を見上げる。
夕焼けの向こうには、少しだけ白い月が見えていた。
その時だった。
突然、周囲の音が消えた。
私は思わず立ち止まる。
さっきまで聞こえていた車の音も。
鳥の鳴き声も。
風の音さえも。
何も聞こえない。
まるで世界から音だけが消えてしまったみたいだった。
「……え?」
私は不安になって辺りを見回した。
誰もいない。
さっきまで人がいたはずなのに。
歩いていたはずなのに。
気付けば私一人だけが取り残されていた。
背筋がぞくりとする。
怖い。
なんなのこれ。
帰りたい。
そう思った瞬間だった。
足元に光が現れた。
最初は小さな光だった。
けれど、それはみるみる大きくなり、やがて巨大な円を描く。
見たことのない模様。
見たことのない文字。
それなのに。
なぜか懐かしい。
私はその光景から目を離せなかった。
頭の中では危険だと警告しているのに、心のどこかがその光を知っていると言っているような気がした。
そして次の瞬間。
光が一気に溢れ出した。
「きゃっ……!」
私は目を閉じる。
眩しい。
何も見えない。
体がふわりと浮き上がる感覚がする。
地面が消えた。
怖い。
助けて。
お母さん。
お父さん。
美咲。
みんなの顔が頭に浮かぶ。
嫌だ。
また明日って約束したのに。
私は必死に手を伸ばした。
だけど掴めるものは何もない。
そして、意識は光の中へ沈んでいった。
「ひかり?」
夕食の時間になっても帰ってこない娘に、お母さんは首を傾げていた。
普段のひかりなら、遅くなる時は必ず連絡を入れる。
友達の家へ行く時も。
部活が長引く時も。
必ず。
だからこそ違和感があった。
「まだ帰ってないのか?」
仕事から帰宅したお父さんも心配そうに尋ねる。
「うん……」
時計を見る。
午後七時。
さすがに遅い。
お母さんはスマホを取り出し、ひかりへ電話を掛けた。
だが。
『おかけになった電話は――』
繋がらない。
何度掛けても。
何度掛けても。
繋がらない。
胸の奥が嫌な予感でざわつき始める。
私、佐伯美咲はもう何度目か分からないくらいスマホを見つめていた。
おかしい。
絶対におかしい。
ひかりから返事が来ない。
私たちは毎日連絡を取る。
くだらないスタンプを送り合う。
面白い動画を共有する。
だから半日以上既読も付かないなんてことは今まで一度もなかった。
私は机に置いてあったスマホをもう一度手に取る。
画面には最後のメッセージが表示されている。
『また明日ね!』
その一言が妙に胸に刺さった。
嫌な予感がする。
理由は分からない。
だけど胸が苦しい。
まるで何か大切なものを失ったような感覚が消えない。
その時だった。
スマホが鳴る。
画面にはひかりのお母さんの名前が表示されていた。
私は慌てて電話に出る。
「もしもし!」
『美咲ちゃん!?』
その声を聞いた瞬間、胸が冷たくなる。
何かあった。
直感で分かった。
『ひかり、そっちにいる!?』
「え……?」
私は立ち上がった。
嫌な予感が現実へ変わっていく。
「いません……」
『まだ学校から帰ってないの……!』
その言葉を聞いた瞬間、頭が真っ白になった。
帰ってない?
どういうこと?
だって。
つい数時間前まで一緒にいたのに。
笑っていたのに。
明日ねって言ったのに。
どうして。
その夜。
警察への連絡。
家族の捜索。
学校への確認。
友人への聞き込み。
できることは全て行われた。
けれど、結城ひかりは見つからなかった。
まるで最初から存在しなかったかのように。
何一つ痕跡を残さず。
消えてしまったのだった。
そしてその頃。
異世界のどこかで。
ひとりの少女が静かに目を覚まそうとしていた。
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