フィオラの名前
私はルナリア王国へ来てからというもの、夢を見る回数が前よりも増えてしまったような気がしていて、しかもその夢は日に日に鮮明になっていくばかりだったから、目を覚ますたびに胸の奥へ何か大切なものを置き忘れてきたような不思議な気持ちが残り続けていた。
白い花畑。青空。優しい風。
そして。
誰かの笑い声。
その景色は何度も見ている。
だけど、まだ顔だけが見えない。
届きそうで届かない。
そんな夢。
その夜も、私は同じ夢を見ていた。
花びらが舞う。
白い花々が風に揺れる。
どこまでも続く花畑。
その中心に。
一人の少女が立っていた。
長い髪。
白と金の衣装。
花冠。
私は思わず足を止める。
まただ。最近よく見る人。
「待って!」
私は叫ぶ。
すると、少女がゆっくり振り返った。
だけど、顔は見えない。
光に包まれている。
「あなたは誰なの?」
私が尋ねる。
少女は少しだけ笑った気がした。
『もうすぐ』
風が吹く。
花びらが舞う。
『思い出す』
「何を?」
『約束を』
私は息を呑んだ。
約束。
その言葉を聞いた瞬間。
胸の奥が熱くなる。
どうしてだろう。
涙が出そうだった。
『だから』
少女がこちらへ手を伸ばす。
『ひかり』
優しい声。
どこか懐かしい声。
『どうか諦めないで』
その瞬間。
世界が光に包まれた。
私は飛び起きた。
「はぁ……っ」
息が荒い。
朝日が差し込んでいる。
夢だった。
でも、あまりにもリアルだった。
私は胸を押さえる。
まだ心臓が速い。
「約束……」
思わず呟く。
次の瞬間だった。
「フィオラ……」
私は固まった。
え、今私。
何て言った?
フィオラ。
どうして。
その名前を。
私は知っているの?
その日の朝。
私は朝食会場へ向かっていたのだけれど、夢のことが頭から離れなくなってしまっていて、歩いている途中も何度もフィオラという名前を繰り返してしまい、そのたびに胸の奥がざわついてしまうのだった。
会場へ入る。
そこには。
レオン王子。
シリウス王子。
アリア。
みんな揃っていた。
「おはよう」
私が挨拶する。
「おはようございますわ」
アリアが微笑む。
「顔色悪いな」
シリウス王子が言う。
「眠れなかったのか?」
レオン王子も心配そうだった。
「うーん……」
私は少し迷う。
だけど、隠す必要もない気がした。
「夢を見たの」
三人の表情が変わる。
「またか」
シリウス王子が呟く。
「どんな夢だった?」
レオン王子が尋ねる。
私は昨夜の夢を話した。
花畑。少女。約束。全部。
そして最後に。
「目が覚めた時」
私は続ける。
「フィオラって名前が口から出たの」
静寂。
カチャリ。
誰かの食器が音を立てた。
アリアが目を見開く。
シリウス王子も固まる。
そして。
レオン王子だけが静かに俯いていた。
俺、レオン・ソレイユは、ついにその時が来てしまったのかもしれないと思っていたのだけれど、それと同時にひかりにはまだ何も背負わせたくないという気持ちも強くなっていて、自分でもどうすれば良いのか分からなくなっていた。
フィオラ。
伝説の聖女。
千年前の英雄。
そして、ネヴァが執着する存在。
だが、まだ早い。
まだ。
ひかりはひかりのままでいてほしい。
その時だった。
突然。
王宮中へ鐘の音が響いた。
ゴォォォォン―――
重い音。
警鐘。
会場の空気が一変する。
「何事だ!?」
シリウス王子が立ち上がる。
騎士が飛び込んできた。
「ご報告します!」
息を切らしている。
顔色も悪い。
「王都郊外にて大量のシャドウを確認!」
全員が立ち上がる。
「数は!?」
「推定三百以上!」
会場が凍り付く。
三百。
今までで最大規模だ。
俺、シリウス・ルナリアは嫌な予感を覚えていた。
これはただの襲撃じゃない。
何かを探している。
あるいは。
誘い出そうとしている。
その時。
窓の外から黒い羽が舞い込んできた。
一枚。また一枚。
机の上へ落ちる。
そこには、紫色の文字が浮かび上がった。
『見つけたぞ』
私、結城ひかりは息を呑む。
『フィオラ』
その文字を見た瞬間。
胸が大きく痛んだ。
そして遠く離れた闇の国で。
わらわ、ネヴァは満足そうに微笑んでいた。
「ようやくじゃ」
紫の瞳が細められる。
「千年待ったのじゃ」
闇が揺れる。
「今度こそ、お主を逃がしはせぬ」
その声は。
憎しみと。悲しみと。
そして誰よりも深い執着を宿していた。




