闇の女王ネヴァ
私は昨夜の出来事を思い返しながら、ルナリア王国の客室の窓辺に座って月を見上げていたのだけれど、舞踏会を襲った黒い霧やシャドウたちの姿、そして最後に聞こえたあの女性の声が頭から離れなくなっていて、眠ろうとしても何度もその光景が浮かんできてしまうのだった。
『フィオラ』
また。
その名前。
最近何度も聞く。
だけど私は知らない。
知らないはずなのに。
胸が苦しくなる。
懐かしい気持ちになる。
涙が出そうになる。
どうしてなんだろう。
その時だった。
コンコン。
扉が叩かれる。
「ひかり、起きてる?」
アリアだ。
「うん!」
私が返事をすると、アリアが部屋へ入ってきた。
だけど。
少し顔色が悪い。
「アリア?」
「実は……」
アリアは少し迷うように目を伏せた。
「お兄様たちがお呼びですわ」
しばらくして。
私は王宮の会議室へ案内された。
そこには。
レオン王子。
シリウス王子。
アリア。
そしてルナリア国王がいた。
空気は重い。
誰も笑っていない。
その理由は分かっていた。
昨夜の事件だ。
俺、レオン・ソレイユは、会議室へ入ってきたひかりを見た瞬間に少しだけ安心していたのだけれど、それと同時に昨夜聞いたあの声のことを思い出してしまい、胸の奥に嫌な予感が広がっていくのを止めることができなかった。
ネヴァ。
その名前を聞いたのは幼い頃だ。
王族だけに伝わる話。
伝説。
いや、警告と言うべきかもしれない。
「ひかり」
俺は口を開く。
「昨日の女について話す」
ひかりが緊張した顔で頷く。
「女?」
私、結城ひかりは思わず聞き返した。
するとシリウス王子が腕を組む。
表情は真剣だった。
「ネヴァ」
その名前が告げられる。
会議室の空気がさらに重くなった。
俺、シリウス・ルナリアは、その名前を口にするだけで周囲の空気が変わることに改めて苦々しい気持ちになっていたのだけれど、それでも今は全てを話さなければならないと分かっていた。
「千年前」
俺は続ける。
「この世界には三つの王国が存在していた」
ひかりが目を見開く。
「三つ?」
「ああ」
レオンが頷く。
太陽の国 ソレイユ王国。
月の国 ルナリア王国。
そして、闇の国 ノクティス王国。
「闇の国……」
私は呟いた。
そんな国聞いたことがない。
それもそのはずだ。
シリウス王子は静かに言った。
「歴史から消されたからな」
わたくし、アリア・ルナリアは、その話を聞くたびに胸が苦しくなってしまうのだけれど、それは千年前の悲劇が今もなお世界へ影を落とし続けているからであり、わたくしたちが生まれるよりずっと前の出来事なのに、まるで昨日のことのように語り継がれているからだった。
「ネヴァは、闇の国の女王です」
私、結城ひかりは息を呑む。
女王。
あの声の主。
「彼女は千年前から世界を闇に包もうとしている」
レオン王子の声が低くなる。
「そして」
そこで言葉が止まる。
なぜだろう。
嫌な予感がした。
「フィオラを憎んでいた」
その瞬間。
胸が大きく脈打った。
ドクン。
心臓が痛い。
息が苦しい。
『フィオラ』
また。
頭の中で名前が響く。
「ひかり?」
アリアの声が聞こえる。
だけど。
私は別の光景を見ていた。
白い花畑。
風。
誰かの笑い声。
青空。
そして。
花冠を被った女の人。
『ネヴァ……』
その女性が悲しそうに呟いた。
私はハッとする。
景色が消えた。
会議室へ戻る。
息が荒い。
手が震えている。
「今の……何……」
誰も答えられない。
ただ、レオンとシリウスだけは顔を見合わせていた。
俺、レオン・ソレイユは確信し始めていた。
ひかりはまだ気付いていない。
だが。
夢。光。そして今の反応。
全てが一つの答えを示している。
フィオラ。
伝説の聖女。
千年前に世界を救った少女。
その名が再び動き始めている。
その頃。
闇の国ノクティス王国。
わらわ、ネヴァは玉座へ腰掛けながら水晶に映るひかりの姿を見つめていたのだけれど、その瞳に映る少女があまりにもあの頃と変わらない笑顔を見せるものだから、心の奥に押し込めていた感情がわずかに揺らいでしまい、自分でも気付かぬうちに拳を握り締めていた。
「フィオラ……」
低く呟く。
懐かしい。
憎らしい。
会いたかった。
許せない。
相反する感情が渦巻く。
そして、ネヴァは妖しく微笑んだ。
「今度こそ」
紫の瞳が闇に染まる。
「お主を手に入れてみせるぞ」




