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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜【書籍化進行中】  作者: 椎井 たける
第15章 世界の基準点と木陰のまどろみ

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第228話 古いノートと白紙の冊子

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

朝。


迎賓館の俺の作業部屋に、頑丈な木箱が一つ運び込まれた。


昨日、西門で確認した王国からの荷に含まれていたものだ。箱の側面には王国の印。その隣に、見覚えのある紋章が焼きつけられていた。


王立魔術院。


ロイルが荷運びの男たちを下がらせ、木箱の横に立った。エレノアも部屋の隅で、その物々しい箱を見つめている。


「こちらも、箱に添えられていました」


ロイルから封書を受け取る。


表には俺の名前が書かれ、王国の封蝋が押されていた。

だが、その名前を見てあまりいい予感はしなかった。


アシュラン・ド・ランテーム


ウルムに来る前、王国に奪われた名だ。


俺は一度裏返してから、そのまま上着のポケットへ入れた。


「あら、師匠。読まないんですの?」


窓際にいたエレノアが声を掛けてきた。


「後で読む」


「ここで読まれればよろしいではありませんか」


「特に急ぎの内容でもないだろう」


「中を読まなければ、急ぎかどうかも分かりませんわ」


面倒なところを突いてくる。


ロイルは、何も言わずに立っていた。どうやら、二人とも俺が封を開けるまで帰るつもりはないらしい。


仕方なくポケットから封書を取り出し、封蝋を割った。


中の羊皮紙を広げ、上から順に目を通していく。


「何と書かれていますの?」


エレノアが尋ねた。


「追放処分と、魔術院の職を奪った記録を取り消すという話らしい」


「それだけですの?」


「研究記録を返し、俺の研究を別の奴の名前にした件も訂正するそうだ。あとは、魔術院へ戻るか、王国の技術顧問にならないかと書いてある」


ロイルが遠慮がちに口を開いた。


「拝見してもよろしいでしょうか」


「ほらよ」


羊皮紙を渡す。


エレノアがロイルへ目を向けた。


「読んでみてくださいな」


「はい」


ロイルは文面を確かめてから、冒頭を読み上げた。


「旧政権下において、アシュラン・ド・ランテームに下された追放処分、ならびに王立魔術院における職位剥奪を撤回する。処分記録には、当時の判断を取り消す旨を追記するものとする」


以前にも、王国は追放を撤回すると言ってきたことがある。


その代わりにウルムを王国領へ編入し、俺を辺境伯や魔術院の副院長に据えるという、随分と虫のいい話だった。


今回は、少なくとも表向きには条件が付いていない。


ロイルが続ける。


「王立魔術院に保管されていた研究記録を本人へ返還し、他者名義に変更されていた研究成果についても、アシュラン・ド・ランテームの名へ戻す。また、本人が希望する場合は、王立魔術院への復帰、もしくは王国技術顧問への就任を――」


「もういい」


ロイルが読むのを止めた。


羊皮紙の末尾には、シャルロッテの署名と王国印がある。その下には、王立魔術院の新しい責任者らしい人物の名も記されていた。


処分を撤回する理由は、


『当時の判断を再検討した結果』


となっている。


「再検討、か」


「そのように記されています」


「調べ直して間違いに気づいた、みたいな書き方だな。最初から、まともに調べてなかっただろうに」


ロイルは肯定も反論もしなかった。


「返書を用意いたしましょうか」


ロイルが羊皮紙を畳みながら尋ねた。


「それは、箱の中を確認してからだ」


「復帰の返答もですか?」


「今は箱の中が先だ。返事は、それを見てからでいい」


ロイルから封書を受け取り、机の上へ置いた。


それから、ようやく木箱の前へ移動する。


蓋を持ち上げると、古い紙と革の匂いが広がった。


研究帳、計算用の羊皮紙、実験記録。途中まで引かれた設計図や、魔術式と物理現象を比較した表もある。


一つ一つの束に、王立魔術院が付けた整理札が結ばれていた。


『実用性なし』


『用途不明』


『魔術式との関連不明』


『雑記』


俺は最後の束を取り上げた。


数枚めくっただけで、これが何だったのか思い出した。


滑車の組み合わせによる荷重の変化。水を高い場所へ運ぶための車輪と羽根の形。管の途中に空気が入った時、水の流れがどう変わるか。


どれも、後にウルムで使ったものの原型だった。


「これを雑記に入れた奴は、頁を開いてすらいないな」


「王国では、使い道が分からなかったのではありませんか?」


エレノアが整理札を覗き込む。


「分からないからって、雑記に放り込むか? そんな扱いをするから、いつまで経っても分からないままなんだ」


「師匠は、分からないものほど棚へ積み上げますものね」


「後で使うんだよ」


「そう仰って、ずっと動かしていない箱が工房に三つありますわ」


今は、そんな話をしていない。


ロイルは王立魔術院が作った目録と、箱の中身を照らし合わせていた。


「目録上は、すべて揃っています」


「目録を作った奴が抜いていたら分からないぞ」


「一冊ずつ確認なさいますか」


「当然だろ」


ロイルは俺を見たあと、木箱の中身へ目を戻した。


「では、私は市場の荷置き場を確認してまいります」


手伝うとは言わなかった。


最近は、俺の扱いが分かってきたらしい。



確認し始めて何冊目かで、手が止まった。


擦り切れた黒い革表紙。背表紙には、自分で付けた番号が残っている。


王立魔術院にいた頃の研究ノートだった。


『マナ粒子のエントロピー増大則に基づく魔法効率の考察』


俺が追放される原因となった論文。その前段階の計算や実験が記されている。


記録そのものは、今見ても悪くない。


測定条件も、使った器具も、失敗した回数も残してある。


ただ、余白に書かれた言葉が気になった。


次の審議で提出する。


この数値なら反論できない。


魔術式だけでは説明できないと認めさせる。


条件を揃えれば、否定はできないはずだ。


どの頁にも、似たような書き込みがあった。


次に何を試すかより、どうすれば否定されないか。


自分で書いたはずなのに、余白の言葉ばかり目について、肝心の計算が頭に入ってこなかった。


「随分と、誰かに見せることを気にしておられたのですね」


エレノアが隣からノートを見ていた。


「王立魔術院へ出すための記録だったからな」


「研究の記録というより、反論の準備に見えますわ」


「当時は、こうでもしないと話を聞かなかったからな」


「そうでしたのね」


エレノアは、それ以上何も言わなかった。


何か言い返してくれた方が、まだましだった。


俺はノートを閉じ、王国への返書に使う紙を引き寄せた。


追放処分の撤回については受領する。


研究記録の返還については――。


そこまで書いて、止まる。


『当時の判断を再検討した結果』


やはり、この書き方が気に入らない。


別の紙に書き直す。


当時の調査が不十分であり――。


違う。


事実確認を怠った結果――。


これも弱い。


「王立魔術院へお戻りになるのですか?」


エレノアが尋ねた。


「戻るつもりはない」


「王国技術顧問は?」


「そんなのは、もっと面倒だろ」


「では、もうお決まりですのね」


「当然だ。最初から決まってる」


「それでしたら、どうして先ほどから、その返事ばかり直しておられますの?」


俺は紙から顔を上げた。


「向こうの書き方が気に入らないだけだ」


「それだけですの?」


「他に何がある」


エレノアは、机の上の古いノートへ目を向けた。


「師匠は、王立魔術院へ戻りたいのではありませんわね」


「当たり前だ」


「ただ、向こうに間違っていたと書かせたいのではありませんか?」


「違う」


反射的に答えた。


エレノアは続きを待っている。


何が違うのか。


それが出てこない。


「埃を払う布を持ってまいりますわ」


エレノアは返事を求めず、部屋を出ていった。


図星かもしれない。

そう思ったことが、一番気に入らなかった。



扉が勢いよく開いた。


「アシュラン様!」


入ってきたキドは、昨日と同じ木板を抱えていた。


「二段にした網、ちゃんと水が通ったぞ。掃除する前と後で測ったんだけど――」


「扉は静かに開けろ」


「壊れてないんだから、別にいいだろ」


「壊れてからでは遅い」


キドは聞き流し、机へ木板を置いた。


新しい網へ交換した後の水量と、細かい網を掃除した後の水量が並んでいる。


「測る間隔が揃ってない」


「途中でヘイムさんが昼飯に行ったから」


「水路は昼飯に合わせて流れ方を変えない。次は同じ間隔で測れ」


「分かった」


木板を返そうとすると、キドが木箱の中を覗いた。


「これ、全部アシュラン様の?」


「昔のだ」


「見てもいい?」


「丁寧に扱えよ」


キドは一番上に置いていた黒いノートを手に取った。


机の端に腰を掛け、頁をめくり始める。


「字、今より汚いな」


「返せ」


「まだ見ただけだろ」


キドは笑いながら次の頁を開いた。


水槽から管へ流れる水量について計算した箇所だった。管の太さと長さ、曲がる回数。いくつかの条件を変えた数値が並んでいる。


キドは自分の木板を横へ置いた。


しばらく、二つを見比べている。


「ここ、今と違う」


「何がだ」


「水槽の水の高さが入ってない」


俺はノートを引き寄せた。


「管の太さと長さは入ってる」


「でも昨日、貯水槽の水が減ったら、同じ蛇口でも水の出方が弱くなっただろ」


キドは古い計算の一か所を指で押さえた。


「水面と蛇口の高さが違ったら、押す力も変わるんじゃないの?」


計算を追う。


途中まで進めたところで、手が止まった。


キドの言う通りだった。


水面と吐水口の高さの差を、条件へ入れていない。


「間違ってるな」


「アシュラン様が?」


「俺の字だろ」


キドは少し驚いた顔をしたが、すぐにノートへ目を戻した。


「じゃあ、消す?」


「消さない」


「何で?」


「どこで間違えたか分からなくなるだろ」


「昨日、俺に言ったのと同じか」


「そうだ」


キドは余白の書き込みを読んだ。


「これ、王立魔術院の人に見せるために書いたの?」


「ああ」


「アシュラン様が正しいって、認めさせるため?」


「当時はな」


キドは、先ほど見つけた計算へ指を戻した。


「でも、ここは間違ってたんだろ」


「そうだ」


「じゃあ、まずこっちを直さないと駄目じゃん」


「……そうだな」


キドは自分の測定板を引き寄せた。


「俺たちも、昨日までは細かい網だけで大丈夫だと思ってたからな」


俺は、机の端に置かれた返書へ目を向けた。


向こうに何と書かせるか。

さっきまで、そればかり考えていた。


キドは古いノートをもう一度開いた。


「この間違いを直したら、今の水路にも使える?」


「条件を足して計算し直せばな」


「じゃあ、これ借りてもいい?」


「持ち出すな」


「ここで見る」


キドは椅子を引き寄せ、その場で計算を始めた。


窓の外から、工房の槌の音が聞こえてきた。


広場ではロイルが、荷車を囲んだ商人たちと話している。水路の方へは、ヘイムが新しい枠を担いで歩いていた。


キドの手元にある黒いノートへ目をやる。


王都にいた頃も、物理を考えるのは好きだった。むしろ、そればかり考えていた。

それなのに、余白に残っているのは審議の日付と、どう反論を封じるかという言葉ばかりだった。


キドの板にあるのは、測った数字と、失敗した場所と、次に試すことだけだ。


水が止まれば原因を探す。


間違っていれば直す。


その方が、話が早い。



ロイルが戻ってきた時、俺は書き損じた返書を丸めていた。


「返事を頼む」


「内容を伺っても?」


「追放処分の撤回と、資料の返還は受ける」


「王立魔術院への復帰は?」


「断る」


「王国技術顧問への就任もですか?」


「当然だ」


ロイルは記録帳へ書き留めた。


「理由は、どのようにいたしましょう」


「王国へ戻るつもりはない。今はウルムの住民だ。それだけでいい」


「王立魔術院との技術交流については?」


「必要なら受ける。向こうが手順を守るならな」


ロイルが、書き損じた紙も一緒に持っていこうとした。


「それは置いていけ」


「書き損じですが」


「だからだ」


丸めた紙を広げ、木箱の中に重ねた古いノートの間へ挟んだ。



夕方。


俺は黒い研究ノートを一冊持ち、キドと学校へ向かった。


教室には、昨日の金網について話していた子供たちがまだ残っていた。机の上には、粗い網と細かい網の見本が置かれている。


俺は教室の棚を一段空け、古いノートを置いた。


「これは、ここに置く」


キドが振り返る。


「読んでいいの?」


「持ち出すなよ。それと、元の字を消すな。直したいなら別のに書け」


「分かった」


キドはノートを取り出し、最後の頁までめくった。


途中から白紙になっている。


「この続きは?」


「ない」


「分からなかったの?」


「その頃はな」


キドは棚の別の段から、新しい冊子を一冊持ってきた。


まだ何も書かれていない。


古いノートの隣へ置くと、最初の頁を開き、今日の日付を書いた。


「じゃあ、続きはこっちに書く」


「勝手にしろ」


「最初は何を調べる?」


「それを俺に聞くな」


キドは少し考え、近くにいた子供たちへ顔を向けた。


「じゃあ、俺たちで決める」


キドは周りの子供たちへ声をかけた。


「水槽の高さを変えたら、蛇口の水はどれくらい変わると思う?」


「高くすればいっぱい出るんじゃない?」


「管を太くした方が早いよ」


「曲がるところを減らしたら?」


すぐに何人もの声が重なった。


キドは白紙の冊子へ、出てきた意見を順番に書き始める。


俺は教室の後ろから椅子を一つ引き、勝手に始まった相談の輪へ持っていった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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