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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜【書籍化進行中】  作者: 椎井 たける
第15章 世界の基準点と木陰のまどろみ

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第227話 日常と手順

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

三国との条約を結んでから、三か月が過ぎた。


中立自治都市だなんだと立派な肩書きがついても、朝になれば腹は減るし、水路には泥が溜まる。西門に立つ門番の仕事も、ほとんど変わっていなかった。


「これは王国女王陛下の印だぞ」


工房へ向かう途中、西門の前を通りかかると、荷車を引いた商人が通行証を掲げていた。


相手をしているのは、最近門番を任されるようになった若い男だ。


「はい。送り主は確認できました」


「なら、通してもらえるな」


「次は荷物を確認します。積み荷を開けてください」


商人の笑顔が引きつった。


「だから、これは王都からの公式な荷だ。封も見ただろう」


「見ました」


「では、なぜ開ける」


「通行証に書かれた荷物と、実際の荷物が同じか確かめるためです」


門番は木札の項目を指差して、淡々と手順を繰り返す。


商人が舌打ちをしたところで、奥の詰所からロイルが出てきた。商人はロイルを見つけるなり、声を張り上げた。


「ロイル殿! こちらは女王陛下からの――」


「印があるから、誰から届いたかは分かります」


ロイルは商人の言葉を遮り、いつも通りの声で返した。


「ただし、それは、確認を省いてよいという意味ではありません」


商人はしばらく黙っていたが、やがて御者へ荷台の覆いを外すよう命じた。


中には、王国から届いた書状の束、学校で使う大量の紙、薬草、それに樽に詰められた保存食などが積まれていた。申告にない物は見当たらない。


門番は紙に書かれた数と荷物を一つずつ照らし合わせ、ようやく頷いた。


「確認しました。お通りください」


商人は納得していない顔をしていたが、それ以上は何も言わず、荷車を進めた。


その後ろ姿を見送っていると、俺の視線に気づいたロイルが、こちらへ歩み寄ってきた。


「何か問題がございましたか」


「いや。特に聞かれなかったからな」


「手順通りに進めましたので、問題がありませんでした」


「……まあ、それで良い」


俺はそれだけ言うと西門を離れ、市場の荷置き場へ向かった。


市場へ入ったところで、共同水場の方から声が上がった。


「水が出ないぞ!」


俺が足を向けると、すでに数人の商人と村人が水場の周りに集まっていた。


四か所ある吐水口から流れ出る水が、どれも糸のように細くなり、やがてポタポタと落ちるだけになっていた。


水を待っていた者たちが、一斉に吐水口へ集まる。


「押すな!」


「先に並んでいたのはこっちだ!」


「荷車に水を掛けたいんだ。少しくらい――」


「飲み水を優先します!」


人混みの後ろから、ロイルの声が飛んだ。


西門を離れたばかりだというのに、もう追いついてきたらしい。


市場の共用蛇口だけではなかった。近くの家からも、蛇口の勢いが急に弱くなったと住民が出てきている。


「洗い物と荷車への水掛けは止めてください。各家では、今出ている分を汲み置いてください。家畜用の水は、南側の水槽に残っている分を使います」


「うちの蛇口は、もうほとんど出ないよ」


「貯水槽に残っている分は、飲み水と救護所へ回します。洗い物や水撒きは止めてください。水の止まった家を確認しますので、ここへ集まらず、家で待っていてください」


例の黒札を入れた女が、近くにいた者へ声をかけた。


「東側の家は、私が見てくるよ。子供と年寄りのいる家からでいいんだね?」


「お願いします。水が完全に止まっている家があれば、こちらへ知らせてください」


女は頷き、数人の住民と一緒に住宅の並ぶ方へ走った。


救護所からエレノアも出てくる。


「救護所には、まだ水がありますわ。熱のある方や、小さな子供のいる家で水が足りない場合は、こちらへ知らせてくださいませ」


ギードが遅れて市場へやってきた。


「どうなっとる?」


「取水側の問題だと思われます。飲料水を優先し、家畜分は南へ回しました」


ロイルが答える。


ギードは細くなった蛇口と、集まった者たちを見た。


「その順でよい。水路の方は誰が見に行った?」


「キドとヘイムです」


ちょうどその時、水路の上流からキドの声が響いた。


「ここだ! 詰まってる!」


俺たちは水路沿いを上った。


取水口では、ヘイムが水へ膝まで入り、キドが石の縁に腹ばいになっている。


水面の下に据えられた金網には、枯れ草や木の葉がびっしりと張りついていた。水が通る隙間がほとんどない。


俺が作らせたものより、網目が細かい。


「網を変えたのか」


キドが頷いた。


「うん。前のだと、細かい泥が水路に入ってただろ。もっと細かくすれば減ると思ったんだ」


「で、減ったのか?」


「泥は減った」


水の中にいたヘイムが、網に絡んだ草をつまみ上げた。


「その代わり、こいつが詰まった。細かくしすぎたな」


キドは一度走り去り、木の板を抱えて戻ってきた。


板には、元の網と新しい網の寸法が並べて描かれている。交換した日、水の量、水路に溜まった泥の厚さ。最後の三日は、水量が少しずつ落ちていた。


「昨日の夕方から減り始めてた。今朝もう一度測ってから、アシュラン様に言おうと思ってたんだけど……その前に止まった」


「言うのが遅かったな」


「うん。それは失敗した」


キドは言い訳をしなかった。


「水が減り始めた時に、詰まりを見に来ればよかった。網を変えた後、泥の量ばっかり見てたから」


ヘイムも水の中から続ける。


「掃除の回数も決めてなかった。目が細かくなれば、詰まりやすくなるのは当たり前だったな」


板の裏には変更前の図もそのまま残されており、古い網も捨てずに工房の倉庫へ保管してあるという。


「なら、戻そうと思えば戻せるな」


「でも、そのまま戻したら、また泥が入る」


キドは板の余白へ線を引いた。


「だから、次は網を二つにする。最初の粗い網で葉っぱを止めて、その後ろに細かい網を置く」


「細かい方だけ外せる枠にすれば、掃除も楽になる」


ヘイムが付け加える。


二人とも、もう次に試すものを考えていた。


「悪くない」


キドが目を丸くした。


「怒らないの?」


「何で怒る。泥を減らそうとしたんだろ」


「でも、水を止めた」


「だから、次は止めない方法を試す。それでいい」


俺は記録板の水量を指した。


「ただし、次からは数字が落ち始めた時点で調べろ。完全に止まるまで待つな」


「分かった」


「それと、変える前のものは残しておけ。図も、失敗した数字も消すなよ」


キドは板を抱え直した。


「消さないよ。失敗したところが分からなくなったら、また同じことするだろ」


ヘイムが金網を見ながら鼻を鳴らす。


「それに、うまくいったところまで分からなくなる。泥が減ったのは本当だからな」


そこまで分かっているなら、俺が言うことはあまりなかった。


「それで、今度はどうする?」


俺が尋ねると、キドは詰まった網へ目を向けた。


「端から少しずつ草を取る。一気に流したら、下の水路に泥まで流れるから」


「継ぎ目にも圧がかかる」


「じゃあ、ヘイムさんが網を押さえて、俺が少しずつ取る」


ヘイムが水の中で顔をしかめた。


「結局、俺はここから出られないのかよ」


「今上がったら、網を押さえる人がいなくなるだろ」


「誰のせいで入ったと思ってる」


「二人で変えたんだから、二人で直すんだよ」


キドはそう言って、網の端へ手を伸ばした。


俺は少し離れた石の上へ腰を下ろした。


「急ぐなよ。水の量を見ながらやれ」


「分かってる」


二人は網に絡んだ草を、端から少しずつ外し始めた。


水路を走る水の音が徐々に大きくなる。


市場へ戻ると、吐水口から濁った水が勢いよく飛び出した。


待っていた者が桶を差し出そうとしたが、ロイルが止める。


「まだ使わないでください。水が澄むまで流します」


「もったいないだろ」


「泥の混じった水の方が問題です」


エレノアも水を掬い、光に透かして見た。


「もう少し待ってくださいませ。まだ細かな泥が残っています」


しばらく流すと、水は元の透明さに戻った。


エレノアが頷き、ロイルが水場の使用を再開させる。


「各家の蛇口を確認してください。まだ水の弱い場所があれば知らせてください」


住民たちが住宅区画へ散っていく。


しばらくすると、通りの向こうから声が返ってきた。


「東側は出たぞ!」


「救護所も問題ありませんわ!」


「家畜はまだ南へ回せ!」


すぐに、いつもの言い合いが始まった。


自治都市化に反対していた男が、水の入った桶を持ち上げる。


「都市になっても、水は止まるんだな」


隣にいた男が笑った。


「そりゃ止まるだろ。都市になったら葉っぱが水路を避けるのかよ」


「それもそうか」


男は順番札をロイルへ返し、桶を担いで帰っていった。



午後、学校へ行くと、取り外した金網が机の上に置かれていた。


キドは白石板の前に立ち、年下の子供たちへ説明している。


「こっちが前の網。こっちが俺たちで変えた網だ」


細かい網には、まだ千切れた草が絡んでいた。


「泥は減った。でも、葉っぱが詰まって水が止まった」


前の席にいた子供が手を上げる。


「失敗したの?」


「した」


キドはあっさり答えた。


白石板には、交換前と交換後の水量が書かれている。測った日の天気や、水路の泥の量まで並んでいた。


「じゃあ、前のに戻すの?」


「戻さない。今度は網を二つにする」


キドは、白石板に新しい図を描いた。


「最初の網で葉っぱを止めて、次の網で細かい泥を止める。細かい方だけ、上から外せるようにするんだ」


「それでも水が止まったら?」


キドの手が止まった。


少し考えてから答える。


「また記録する。それから別のを試す」


俺は教室の後ろで腕を組んだまま聞いていた。


キドが白石板へ水量を書き足す。


「こっちは、一日で流れた水が――」


「違う」


つい口が出た。


「それは半刻で測った量だ。一日分ではない」


「あ……」


キドが慌てて布で文字を消す。


「見てるだけじゃなかったのかよ」


「間違いをそのまま教えろとは言ってない」


子供たちが笑った。



夕方、迎賓館の作業部屋へ戻ると、机の上に一枚の報告書が置かれていた。


王国からの書状と物資を受領。

市場の水場を一時停止。飲料水を優先して配分。

取水口の詰まりを除去。明日、金網を改修する。

負傷者、病人なし。


廊下を歩いていたロイルを呼び止めた。


「王国からの書状は?」


「ギード村長と確認しました。急ぎの内容ではありません」


「水場は?」


「今夜の使用に問題はありません。明日の改修後、アシュラン様にも水量を確認していただく予定です」


「他は?」


「処理済みです」


ロイルは一礼し、そのまま階段を下りていった。


俺は、机の上の報告書にもう一度視線を落とす。

報告書を二つに折りたたみ、机の端へ置いた。


外へ出ると、学校の方からキドが走ってきた。


手には、新しい網の図を描いた木板と測定棒を持っている。


「アシュラン様。明日、二段にした網で水の量を測るから」


「そうか」


「それで、一つ聞きたい」


修理の方法かと思ったが、違った。


「どこまでなら、俺たちで変えていい?」


すぐには答えられなかった。


好きにさせれば、また水が止まるかもしれない。

だからといって、毎回俺の返事を待たせるのも違う。


「変える前のものを残せ」


「うん」


「どこを変えたか書け。失敗した時に戻せるようにしておけ」


「それでも駄目だったら?」


「その時は呼べ」


キドは頷いた。


「分かった。じゃあ、明日は呼ばなくて済むようにやってみる」


丘へ続く道から、エレノアがこちらを見ている。


「帰りませんの?」


「今帰る」


「今日は、ずいぶんお暇そうでしたわね」


エレノアが笑った。


「水場が止まっただろ」


「直したのは、キドとヘイムですわ」


「俺も見ていた」


「そうでしたわね」


学校へ駆けていくキドの背中を見る。


「あれ、工房のものなんだがな」


「明日には返してくださいますわ」


キドはもう学校の戸口へ消えていた。


「返ってこなかったら、取りに行く」


そう言って、俺はエレノアと坂道を上った。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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