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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜【書籍化進行中】  作者: しいたけ
第15章 世界の基準点と木陰のまどろみ

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第226話 帰る者と残る者

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

翌朝。中立自治都市となったウルムで、最初に待っていたのは宴の片づけだった。


広場には、昨夜のどんちゃん騒ぎで使われた長机が散乱し、空の酒樽が転がり、木杯があちこちに散らばっている。

俺は朝日を浴びながら、手近な長机の上の木杯を拾い集めていた。


キドが木杯を拾いながら、指を折っている。


「二十七、二十八……」


「キド、そっちの籠も頼む!」


「分かった! ……あれ、いくつだっけ? ……もう! 話しかけんなよ! また数が分かんなくなっただろ!」


キドは頭を掻きむしりながら、また一から数え直していた。


ドルガンは酒樽の脇に座り、片手で頭を押さえている。


「誰だ、樽に酒を残したままにした馬鹿は……もったいねえ」


「親方が一番こぼしてましたよ」


弟子に言われ、ドルガンは顔をしかめた。


「覚えてねえことは、やってねえのと同じだ」


「そんなわけあるか」


俺が横から言うと、ドルガンは聞こえないふりをした。


ヘイムが長机の端を持ち上げる。


「都市になった次の日の仕事が、宴の片づけかよ」


「昨日まで村だった連中が、一晩で立派になるわけないだろ」


俺が杯の束を木箱に放り込みながら返す。


「アシュラン、お前も持て」


「分かったよ」


俺は反対側を持ち、二人で机を運んだ。


宴をやったこと自体は後悔していないし、片づけが面倒なのも承知の上だ。昨日くらいは羽目を外してもいい。

ただ、飲みすぎた馬鹿どもが誰一人起きてこないのだけは問題だった。


長机を倉庫の脇へ置いたところで、広場の向こうからロイルが歩いてきた。

こいつも昨日遅くまで飲んでいたはずだが、呆れるほど平然としている。脇には見慣れた分厚い記録帳を抱えていた。


「三国の一行が、間もなく出立します」


「そうか」


「西門で出村記録を取りますので、アシュラン様もお越しください」


「俺が行く必要はあるのか」


「皆様から、出立前に挨拶をしたいとのことです」


「面倒だな」


「それは、先方へ直接お伝えください」


ロイルは返事を待たず、西門の方へ歩き出した。


ずいぶん遠慮がなくなったものだ。


「アシュラン様、机は?」


キドが尋ねる。


「ヘイムに任せる」


「おい」


背後から声が飛んできたが、聞かなかったことにした。



西門へ向かう途中、礼拝堂の前を通りかかると、バルデルとエレノアの姿があった。


バルデルは、この一か月使っていた箒や水桶を、元の場所へ丁寧に戻していた。


礼拝堂の扉は開いていた。中では、いつものように村人が思い思いに過ごしていた。


長椅子で静かに休んでいる老人。祭壇の隅に野花を一輪置いて、すぐに戻っていく女。何もせず、ただ薄暗い堂内を眺めているだけの男。


大司教が見に来ようが、バルデルが旅支度をしていようが、ここを使う連中には関係ない。


籠へ外套を収めるバルデルの背中へ、エレノアが声をかけた。


「本当に、あなたも戻りますの?」


「はい」


バルデルは外套を籠へ収めた。


「一か月で、ようやくこちらの手順にも慣れてきたところなのですけれど」


「急いで帰らなくてもいいんだぞ」


俺が言うと、バルデルは困ったように笑った。


「聖教国にも、ここを実際に見た者が必要ですから」


「戻れば、面倒が増えるぞ」


「ええ。おそらく、かなり」


バルデルは礼拝堂の中へ目を向ける。


長椅子の老人は祈るでもなく、ただ座っている。しばらくすると、目を閉じた。眠いだけかもしれない。


「司祭がいなくても、人はここへ来ます。誰の名も尋ねず、記録も取らず、それでも礼拝堂は礼拝堂のままでした」


「それが普通なんだろ」


「ここでは、そうなのでしょう」


「大司教も、ここを見たはずだ」

俺が横から口を挟むと、バルデルは少しだけ間を置いた。


「大司教が見たものと、私が見たものは、同じではないでしょう」


バルデルは静かに続けた。


「管理されていないから不十分なのだと、聖教国では判断されるかもしれません。それは違うと、私から伝えなくてはなりません」


エレノアが礼拝堂の中を見た。


老人の隣へ、今度は若い男が座る。二人は言葉も交わさなかった。


「でしたら、戻らなくてはなりませんわね」


「そう思っております」


「救護所のことも報告なさるのですか?」


「もちろんです。救護所で教わったことも、すべて。祈ることと、病人のために手を動かすことは、別ではありませんから」


エレノアの顔が少し緩んだ。


「忘れないでくださいませ」


「忘れようがありません」


バルデルは籠を持ち上げた。


俺は礼拝堂から出てきた老人を避けながら、道を開ける。


「次に来る時も、勝手に入るなよ」


「もちろんです」


バルデルは穏やかに答えた。


「西門で名乗り、滞在の目的も伝えます」


「ああ、そうしてくれ」


エレノアも俺たちと一緒に西門へ向かった。



西門の前には、三国の馬車と護衛たちが整然と並んでいた。


ロイルは窓口の前に立ち、入村時とまったく同じように、出村者を一人ずつ確認している。

女王も皇帝も大司教も、他の者と同じように順番に名を確かめていた。


皇帝ヴァレリアンは、帝国保管用の条約文をベアトリクスへ預けたところだった。


ロイルが記録帳を閉じかけると、皇帝が声をかける。


「一つ確認しておこう。今後、帝国からウルムへ正式な書状を送る場合も、貴公宛てでよいのか」


ロイルはすぐには答えず、ギードを見た。


ギードが白い髭を撫でる。


「外から来る話は、まずロイルへ送ってくれ。こちらで決める必要があれば、こやつが回す」


皇帝は改めてロイルを見た。


「では、貴公がウルムの窓口ということだな」


「実務上は、そうなります」


わざわざ実務上と付けるあたり、役目が増えたとは認めたくないらしい。


セヴランも、少し離れたところから口を挟んだ。


「聖教国からの正式な書状も、ロイル殿宛てでよろしいのですね」


「はい。受領した上で、必要な者へ回します」


ロイルは何事もなかったように、二つの確認事項を記録帳へ書き足した。


その隣で、カインが薄い書類の束を抱えていた。


「こちらを、お渡ししておきます」


差し出された書類を受け取る。


帝国で使う技術記録の改訂案だった。


頁をめくると、失敗例を記す欄は、削られずに残っていた。


「失敗例を記入する欄は残せました。ただ、実際に書かせる方が難しいですね」


「何かあったのか」


「成功した結果だけを上へ出したがる者が多いのです。失敗を書けば、自分の評価が下がると考えている」


「まあ、簡単には変わらないだろうな」


「ええ。ですから、失敗を正しく残した者を評価するところから始めます」


近くで聞いていた皇帝が眉を上げた。


「余の国で、また面倒な制度を増やす相談をしているな」


「陛下がお認めになった制度ですが」


「そうであったか?」


「署名もいただきました」


カインが真顔で答える。


皇帝は少し考えるふりをした。


「ならば仕方がない。励め」


「許可したのなら、最後まで面倒を見ろよ」


俺が言うと、皇帝が笑う。


「貴公の弟子は、師に似て遠慮がない」


「俺は思慮深いだろ」


カインが小さく首を振る。


「それは違うと思います」


俺が睨むと、カインは少し笑った。


皇帝が馬車へ向かい、カインも書類を抱えて帝国側の列へ戻る。


聖教国の馬車の前では、セヴランがこちらを待っていた。


「では、また伺うこともあるでしょう」


変わらない笑みだった。


「来るなら、次も手順通りだ」


「もちろんです」


バルデルはエレノアと俺に頭を下げ、聖教国の列へ入った。


馬車へ乗り込む前に、礼拝堂の方を一度だけ振り返った。



王国の馬車の周りには、見送りに来た村人が集まっていた。


村の女たちが焼いた固いパン、日持ちのする干し肉、布に包んだ焼き菓子を持ち寄ってきていた。


「旅の途中で食べてください」


差し出された包みを、シャルロッテは護衛へ回さず、一つずつ自分の手で受け取った。


「ありがとうございます。道中で、皆といただきます」


前にいた子供が、シャルロッテを見上げた。


「また来るの?」


周囲の大人が止めようとしたが、シャルロッテは先にしゃがみ、子供と目を合わせた。


「来られるように、王国で仕事をします」


「いつ?」


「約束できる日が決まったら、ロイルさんへお手紙を送ります」


子供は首を傾げたまま、それでも元気よく「分かった」と頷いた。


ロイルが記録帳を開く。


「王国女王、シャルロッテ・エルディナ殿。出村を記録します」


シャルロッテは、一瞬だけロイルを見た。


「やはり、そう呼ばれるのですね」


「記録には、正式名が必要ですので」


「そうでしたね」


シャルロッテは、それ以上言わなかった。


ロイルも記録帳へ視線を戻す。


シャルロッテはギードへ挨拶し、エレノアと言葉を交わしたあと、俺の前で足を止めた。


「アシュラン様」


「何だ」


「ウルムのことを、よろしくお願いいたします」


俺は広場から見送りに来た村人たちを見た。


その中には、ギードもロイルもいる。エレノアもいる。宴の片づけを途中で抜けてきたキドやヘイムまでいた。


「もう俺一人に言う話じゃないだろ」


シャルロッテも俺の視線を追った。


「そうですね」


少しだけ笑う。


「では、皆さんにお願いします」


「王国の方は、お前が何とかしろ」


「はい」


今度の返事には迷いがなかった。


「それが、私の仕事です」


王国へ戻っても、ここでロッテと呼ばれた時間まで消えたわけではない。


馬車の扉が閉じられる。


シャルロッテは窓を開けたまま、見送りの声が届かなくなるまで村の方を見ていた。


馬車が西の街道を進んでいく。


ロイルは記録帳を抱え、王国の馬車が見えなくなるまで立っていた。


俺は何も言わなかった。



馬車の音が遠ざかると、西門前には轍と踏み荒らされた跡だけが残った。


門番の横で背伸びをしていたキドが、俺を見上げて尋ねる。


「これで終わり?」


俺は広場の方へ顔を向けた。


宴で使った長机が、まだ何台か残っている。


「終わったように見えるか」


「全然」


「なら、そういうことだ」


ギードが、記録帳を閉じようとしていたロイルを呼び止めた。


「ロイル。午後の話し合いにも出てくれんかの」


「何についてでしょうか」


「市場の荷置き場と、水場の使い方じゃ」


ロイルが少し困った顔をする。


「それは、村の中の話では?」


「外から来る者が増えたせいで、水場が混んどる。外と中をきれいに分けられんようになった」


ロイルはギードを見てから、俺へ視線を向けた。


「俺を見るな」


「まだ何も申し上げていません」


「断りたい顔をしてる」


「アシュラン様ほどではありません」


ギードは、二人のやり取りを待たずに歩き出した。


「まずは、使う者の話を聞くところからじゃ。記録する者がおらんと始まらん」


ロイルは記録帳を抱え直し、あとを追おうとする。


その時、市場の方から声が飛んだ。


「ロイル! ちょっと来てくれ!」


呼んだ男の周りには、商人と村人が数人集まっていた。


ロイルはギードと市場を見比べる。


「先に、あちらを確認してきます」


短く告げると、返事を待たずに市場へ向かった。


人の輪へ入った途端、あちこちから声が上がる。


「水場の順番が――」


「荷車を置く場所が足りないんだ」


「井戸の前を塞いだ奴がいて――」


ロイルは片手を上げた。


「順に聞きます。まず、水場を使っていた方からお願いします」


重なっていた声が止まる。


ロイルは記録帳を開き、最初の一人へ顔を向けた。


「アシュラン様!」


今度は広場からキドが呼んでいる。


「こっちも手伝ってくれ!」


「ロイルに頼め」


「今、連れていかれた!」


市場の方を見ると、ロイルはもう何人もの住民に囲まれていた。


広場では、キドが長机の端を持ったまま待っている。


俺は返事の代わりに、反対側を持ち上げた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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