表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜【書籍化進行中】  作者: しいたけ
第15章 世界の基準点と木陰のまどろみ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
253/257

第224話 礼拝堂と文案

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

会議室を出ると、廊下で待っていた文官たちが一斉に動いた。


ロイルは分厚い記録帳を抱えたまま、王国と帝国の文官たちが待つ小ホールへ向かう。カインも帝国側の書類をまとめ、あとに続いた。


バルデルは一度、セヴランへ顔を向けた。


「大司教、わたくしもご一緒した方がよろしいでしょうか」


「いえ。あなたには文案の確認をお願いします」


セヴランは笑みを浮かべたまま答えた。


「一か月前の報告を書いたのは、あなたですから」


「承知いたしました」


バルデルは頭を下げ、ロイルたちを追った。


俺はその背を見送ってから、玄関へ向かうセヴランの後ろを歩いた。


迎賓館を出ると、昼を少し過ぎた広場には、いつもの人通りがあった。


工房へ向かう途中らしい男が、二階の窓を見上げてから先を急ぐ。水桶を抱えた女たちは、声を抑えて話していた。


変わらないように見えるだけで、皆、迎賓館を気にしていた。


「今日は文面を作るんだろ?」


「署名は明日になりそうだってさ」


「また何か言い出さなきゃいいけどねえ」


俺とセヴランに気づくと、女たちは話を止めた。会釈だけして、水場の方へ歩いていく。


少し離れたところでは、子供が二人、迎賓館の玄関を覗こうとしていた。


「こら。邪魔になるから、向こうで遊んでな」


近くにいた大人に追い払われ、二人は走っていく。


そのうちの一人が、振り返りながら言った。


「ねぇ、明日から町になるの?」


「明日になったら分かる。ほら、早く行け」


大人も、答えを知らないらしい。


セヴランは、声を止めた女たちと、走っていく子供の背を順に見ていた。


「皆さん、随分と気にしておられるようですね」


「そりゃ、自分たちの話だからな」


それ以上は話さず、東へ向かう。


礼拝堂の扉は開け放たれ、村人たちが出入りしている。


畑から来たらしい老人が、入口で靴の土を落として中へ入っていく。俺たちとすれ違った女は、手にしていた小さな花を祭壇の脇へ置き、そのまま帰っていった。


奥の長椅子には、杖を横に置いた男が一人で座っている。


祈っているのか、休んでいるのかは分からない。

本人にとっても、どちらでもいいのかもしれない。


セヴランは礼拝堂の中へ入り、ゆっくりと辺りを見渡した。


壁。祭壇。並べられた長椅子。

その辺りを確かめたあとは、人の出入りの方をじっと見つめていた。

誰が案内するのか。誰が声をかけるのか。何かを記す者がいるのか。


だが、しばらく待っても、何も起きなかった。


子供が入口から顔を出した。


「ばあちゃん、いない?」


奥に座っていた男が、首を横に振る。


「さっき帰ったぞ」


「そっか」


子供はそれだけ聞くと、また外へ走っていった。


セヴランの視線が、その背を追った。


「司祭が常にいるわけではないのですね」


「ああ、そうだな」


「祈り方を尋ねたい者もいるでしょう」


「そういう奴は、エレノアに聞くこともある。何も聞かずに座って帰る奴もいる」


俺は奥の男を見た。


「用がなければ、それで終わりだ」


セヴランは祭壇の方へ目を戻した。


何か言いかけたように見えたが、結局、口にはしなかった。


その時、先ほど入っていった老人がこちらへ歩いてきた。


セヴランの白い法衣を見て軽く頭を下げたあと、俺に尋ねる。


「明日で決まるんじゃよな?」


「文案に変なものが残ってなければな」


老人は、少しだけ眉を下げる。


「王国も、本当に手を出さんのかの」


老人の声に、奥で座っていた男も顔を上げた。


「そのために書かせてる」


「書いたものを、王様が守るかのう」


「守らせるための条約だ」


老人は「そうか」と小さく頷いて、村の奥へ歩いていった。


セヴランが俺を見た。


「信頼されているのですね」


「俺じゃない。あの爺さんは、書いたものをまだ信用してない」


「だからこそ、あなたに尋ねたのでしょう」


面倒な解釈をする男だ。


俺は答えず、礼拝堂の外へ出た。



迎賓館へ戻ると、小ホールの扉が半分ほど開いていた。


長机の上には、何枚もの草案と記録帳が並んでいる。王国、帝国、聖教国の文官たちが席を詰め、ロイル、カイン、バルデルがその間に座っていた。


セヴランは聖教国側の控室へ戻り、俺はそのまま小ホールの前を通り過ぎようとした。


中から王国文官の声が聞こえる。


「では、『王国は、中立自治都市ウルムの自治を承認し』――」


「そこは変えてください」


ロイルが止めた。


「どの部分でしょうか」


「承認、です」


ロイルは草案の一行を指で示した。


「ウルムの自治は、王国が認めて与えるものではありません。王国は、ウルムに行政権、徴税権、軍事権を及ぼさない。そう書いてください」


王国文官は一瞬黙り、手元の別紙を確認した。


隣にいた王国側の責任者が頷く。


「女王陛下からも、その表現で整えるよう命を受けています」


文官は「承認」の文字に線を引いた。


「帝国側も同様です」


カインが続ける。


「帝国が自治を与えるのではありません。帝国がウルムへ権限を及ぼさないと約する文面にしてください」


バルデルも、自分の手元にある報告書を開いた。


「聖教国についても、宗教的管理権を行使しない、という文言でお願いします。『信仰の自由を認める』では意味が変わります」


「分かりました。書き直します」


筆が紙を擦る音が聞こえ始めた。


俺は扉の外で、少しだけ足を止めていた。


ロイルは俺に気づいていない。

カインも、バルデルも文面から顔を上げない。


俺は小ホールには入らず、階段を上がった。

セヴランの白い法衣は、もう廊下にはなかった。

聖教国側の控え室に戻ったらしい。


バルコニーに出ると、エレノアが二人分の茶を用意していた。


「お戻りでしたのね」


「ああ」


俺はいつもの椅子に腰を下ろす。


眼下の広場では、村人が行き交っていた。

ただ、迎賓館の前を通る時だけ、少し歩みが遅くなる。


「師匠は、文案の作成に行かなくてよいのですか?」


「決めることは決めた。あとは書ける奴に任せる」


「ロイルさんたちに?」


「ああ」


エレノアはコトリとテーブルに茶を置いた。


「先ほどから、何度もあちらを気にされているようですけれど」


「間違えてないか気になるだけだ」


「でしたら、見に行かれては?」


「行かない」

俺は即答した。


「意地っ張りですのね」


俺は茶を一口飲んだ。


窓を一枚隔てた向こうで、筆が動いている。


昔、人に渡したものが、言った覚えのない形になって戻ってきたことがある。

都合のいいところだけ使われ、残りは捨てられた。


だから、人に任せるのは好きじゃない。


文面を見れば、細かいところまで直したくなるだろう。

俺が部屋へ入れば、最後は全員がこちらを見る。


それでは、いつまで経っても変わらない。


「俺が顔を出すと、結局、最後に俺へ聞く」


エレノアは何も言わず、茶を飲んだ。


広場の端に、子供の手を握った女がいた。


黒札を入れた女だ。


木陰の周囲には、ヘイムが作らせた低い柵と腰掛けがある。荷物は置かれていない。女はそこを一度確かめてから、迎賓館の窓を見上げた。


少し離れた場所では、自治都市化に反対していた男が腕を組んでいる。


「皆さん、気になっているのでしょうね」


「当然だろ。自分たちが住む場所の話だ」


賛成でも、反対でも同じだ。

決まったあとでも、ここで暮らしていく。


しばらくして、小ホールの扉が開いた。


ロイルが文書を抱え、バルコニーへ出てくる。目元は疲労の色が濃いが、その目には力があった。

手には、清書前の最終文案の束が握られている。


「最終文案がまとまりました」


そう言って、俺の前へ差し出す。


「俺には見せなくていい」


ロイルの手が止まった。


「確認されないのですか」


「お前が確認したんだろ」


「はい。カイン様……カイン殿とバルデル司祭にも、各国の文官にも確認していただきました」


「なら、それでいい」


ロイルは文案を見下ろした。

それから、両手で抱え直す。


「明朝、各国代表による最終確認を行います。異論がなければ、その場で署名となります」


「分かった」


ロイルは一礼し、また小ホールへ戻っていった。


エレノアが俺を見る。


「本当に、ご覧になりませんでしたのね」


「見れば直したくなる」


「間違っていなくても?」


「間違ってなくてもだ」


エレノアが小さく笑った。


日が傾き始めても、迎賓館の周囲を通る者は減らなかった。


広場を横切っていた職人が、こちらに気づいて声を張る。


「アシュラン様。明日、迎賓館の前に来てもいいか?」


「仕事はどうした」


「朝のうちに片づけるさ」


「なら好きにしろ。だが、入口は塞ぐなよ」


「分かった!」


男は工房の仲間へ何かを伝えに走っていった。


それを聞いていた水場の女たちも、顔を見合わせている。


誰かが呼び集めたわけではない。

それでも明日になれば、皆ここへ来るのだろう。


夜が近づいても、小ホールの窓には明かりが残っていた。


「そろそろ戻りますか?」


エレノアが空になった茶器を重ねる。


「ああ」


俺は椅子から立った。


階段へ向かう前に、一度だけ窓を振り返る。


明日、あの文書に四人の名が並ぶ。

その時、ウルムが何になるのか。


俺一人で決める話では、もうなかった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

「☆☆☆☆☆」からの評価やブックマークをしていただけると、今後の創作の大きな励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

新連載のお知らせ
『星降りの欠片と瀬戸内の巫女
〜役立たずと言われた研究者が、世界の理を繋ぎ直すまで〜』を投稿開始しました。

岡山の研究者と瀬戸内の巫女が、星降りの夜から始まる怪異に触れていく現代ローファンタジーです。
瀬戸内、神社、巫女、怪異、研究者主人公がお好きな方は、よければ覗いてみてください。

『星降りの欠片と瀬戸内の巫女』はこちら

+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ