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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜【書籍化進行中】  作者: しいたけ
第15章 世界の基準点と木陰のまどろみ

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第223話 文言と境界線

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

セヴランの話は、救護や物資の協力だけに絞らせた。

礼拝堂を預ける話も、村の記録に触れる話も、ここでは通さない。

だが、大司教は薄く笑っていた。


ギードが白い髭を撫でた。


「では、本題に戻すかの」


これ以上、祈りだの救いだのと言いながら、礼拝堂と村の記録に触ろうとされても困る。ここからは、中立自治都市としての具体的な実務の取り決めだ。


「まず、一か月前の会談で確認された事項を確認いたします」


ロイルは、手元の分厚い記録帳を数頁戻した。

一か月前、王国、帝国、聖教国の三つの勢力が初めて同じ机についた時のものだ。


「一つ、ウルムは王国、帝国、聖教国のいずれにも属さない共同体として扱う方向で協議を継続する」


シャルロッテは静かに聞いている。

皇帝ヴァレリアンは肘をつき、目だけをロイルへ向けていた。

セヴランは、笑みを浮かべたままだ。


「一つ、王国はウルムを王国領として扱わない。帝国はウルムを帝国領として扱わない。聖教国はウルムを宗教的管理下に置かない」


ロイルはそこで一度、聖教国側へ目を向けた。


「この時、聖教国側からはバルデル司祭が出席し、確認事項を本国へ報告する形となっています」


バルデルが小さく頭を下げる。


「はい。報告しております」


ロイルは次にセヴランを見た。


「セヴラン大司教。本国への報告内容について、相違はありますか」


セヴランはすぐには答えなかった。

ほんの一呼吸。


「報告は受けております」


そう、答えた。

俺は、思わず顔を上げる。


「なるほどな」

俺の呟きは、たぶん誰にも拾われなかった。


「そして、最終的な締結には、ウルム住民の意思確認を必要とする」

ロイルが、記録帳から顔を上げ、皆を見渡す。


「相違ないでしょうか」


異論は出なかった。


ロイルが次のページを繰る。


「続いて、ウルム村がこの一か月で行った住民意思確認の結果です。ウルムは住民の意思として、中立自治都市化を進めることを確認しました。ただし、満場一致ではありません。保留および反対の意見もあり、その理由は村内記録として保管しております」


「住民の意思確認が済んだ以上、王国としても締結文の確認に進めます」

右手に座るシャルロッテが、落ち着いた声で応じた。


「帝国も同じだ。問題は、どこまでを文言にするかだな」

左手の皇帝ヴァレリアンが、面白そうに口角を上げる。


「文言を曖昧にすると、後で面倒が増えるからな」

俺が言うと、皇帝は楽しそうに目を細めた。


「貴公は実に分かりやすい」


俺は皇帝の声を無視して、聖教国側を見た。


バルデルは小さく頭を下げた。

セヴランは、相変わらず黙っている。


「では、王国側の条項から確認します」

ロイルが文案を読み上げる。


『王国はウルムを王国領として扱わない。ウルム住民を逃散民として扱わず、王国民として身柄の引き渡しも求めない。王国軍はウルム領域へ無断進入しない』


ロイルはそこで一度息を置いた。


『王国側街道を通ってウルムへ向かう商人・旅人には、ウルムの門前手順を事前に知らせる。王国貴族および商人が、ウルム内で勝手に荷置き場、市場、拠点を作ることを認めない』


オリヴィエが書類を開いた。

「王国側の街道沿いに、入村手順の掲示と商人向けの説明所を設けます」


荷置き場。

その言葉で、昨日見た女の顔が浮かんだ。


「こちらで全部説明するのは面倒だ。できれば、王国側で先に説明しておいてくれ」


俺がそう言うと、シャルロッテがこちらを見て真っ直ぐに頷いた。

「承知いたしました。王国側でも、しっかりと説明させていただきます」


俺は、ギードを見て頷いた。


「続いて、帝国側の条項です」

ロイルが筆を走らせてから、次の項目へ移る。


『帝国技術者、学者を派遣する場合は、目的、人数、滞在期間を事前に示す。技術、工房、規格、教育の交流は、双方の合意に基づく』


帝国側の席にいたカインが、そこで口を開いた。


「技術者については、門前記録とは別に、目的書を出す形がよいかと。曖昧なまま入れると、後で揉めます」


カインは言った後で、少しだけ皇帝の方を見た。


皇帝は面白がっているようだった。


「よい。続けよ」


カインは小さく息を吐く。


「帝国は、ウルムの職人や学徒を勝手に引き抜かない。ウルムの技術や道具を無断で複製、独占しない。このあたりも必要です」


「無断で、か。よい言葉だな」

皇帝が笑う。


「許可を求めれば通る、と思うなよ」


俺が言うと、皇帝は口角を上げた。


「当然だ。許可が出る形にするのが交渉だ」


皇帝は椅子の背もたれに寄りかかり、両手を組んだ。

「帝国としては、ウルムを丸ごと抱えるより、ウルムの仕組みが生きている方がよい。だから壊さぬ形にする」


「それぐらいの方が、信用できるな」


俺がそう返すと、ロイルが小さく頷いて帝国側の条項を確定させた。


「次に、聖教国側の条項です」

ロイルのトーンが変わらないまま、最も厄介な箇所へと踏み込む。

確認の相手は、セヴランではなく実務担当としてのバルデルだ。


『聖教国は、ウルムを宗教的管理下に置かない。聖教国は、礼拝堂の管理権を主張しない。救護所の管理権を主張しない。村内記録を求めない』


そこで、セヴランの目元がわずかに動いた。


しかし、ロイルは続ける。

『聖教国からの協力は、布、薬草、清潔な器具、救護補助、衛生実務など、ウルムが認めた範囲に限る。聖教国の人員が滞在する場合、活動範囲、期間、人数をウルムが確認する』


ロイルはセヴランに目をやった後、次の文を確認する。


『礼拝堂に、聖教国の印、相談箱、名簿、常駐席などを勝手に置かない。礼拝堂を訪れた者を記録、名簿化しない』


セヴランが、そこで口を開いた。


「ただ、祈りを求める者が、聖教国の支えを受ける道は閉ざさぬようにしていただきたい」


声は穏やかだ。だが、またそこか、と思った。


しかし、ロイルは慌てなかった。


「礼拝堂へ行くことも、そこで祈ることも、村の者の自由です。そこに聖教国の許可は必要ありません」


「もちろん、許可などと申し上げているわけではありません」


「では、確認します」


ロイルは筆を持ったまま、セヴランを見る。


「聖教国は、礼拝堂を訪れた者を記録しない。信徒名簿を作らない。礼拝堂の管理権を主張しない。これでよろしいですか?」


「……祈りを求める者が、自ら望む場合は?」


「本人が誰かに話すことは止めません」


ロイルの返事は早かった。


「ですが、ウルムが村内記録を渡すことはありません。礼拝堂へ来たことを理由に、聖教国が住民を管理することも認めません」


俺は机の上に肘をついた。

「祈るなとは言っていない。それを管理する権利は、おたくの国にはないと言っているだけだ」


ギードが横から太い声を足す。

「祈りたい者は、これまでも祈ってきた。これからもそうじゃ。そこに聖教国の許しはいらんじゃろ」


バルデルが、セヴランの隣で口を開いた。

「聖教国から救護補助を出す場合も、まずウルムの手順を学ぶ者であるべきかと存じます」


セヴランの視線が、一瞬だけバルデルへ向いた。


「……それも、報告にありましたな」


「はい。救護所では、手順を乱す者が一人いるだけで全体の負担が増えますので」

バルデルはセヴランの視線を受け止めながら、言い切った。


「その通りですわ」

エレノアが同意する。


セヴランは、それ以上口を挟まなかった。


「聖教国側の条項は、以上です」

ロイルがバルデルを見た。


「一か月前の報告内容、および先ほど確認された内容と相違ありません」

バルデルが頷く。


ロイルは筆を持ち直し、セヴランへ視線を据えた。

「セヴラン大司教。聖教国として、この内容を明日の締結文案に含めることに異存はありませんか」


セヴランはすぐには答えなかった。

何かを思案している。そんな表情に見えた。そして。


「バルデルの報告は受けております。現地に身を置いた者の言葉を、私が軽んじることはありません」


セヴランはゆっくりと言葉を紡ぐ。

「聖教国としても、救いを求める者を支える道は残しておきたい。その一点だけ、文言にご配慮いただければ」


ロイルは少し考え、筆を動かした。

「『礼拝堂へ行くこと、そこで祈ることは、村の者の自由である。聖教国はその自由を理由に、礼拝堂の管理、信徒名簿の作成、村内記録への接触を行わない。』この文言を、明日の締結文案に含めます。よろしいですか」


ロイルが確認すると、バルデルは頷いた。


「聖教国側の実務としては、その文言でよいかと」


セヴランは、少しの間、沈黙した。

そして、ゆっくりと頷く。


「……その文言で、明日の確認に進めましょう」


同意した、というより、明日へ送った。

俺には、そう聞こえた。


「では、明日、これを締結文として整える。それでよいかの」

ギードの問いかけに、シャルロッテが頷く。


「王国として、異存ありません」


「帝国もだ」

皇帝が応じる。


バルデルがセヴランの顔色をうかがい、セヴランがわずかに顎を引いたのを見てから答えた。


「聖教国も、その形で進めます」


答えたのはバルデルだった。


会議が終わり、机を囲んでいた者たちが次々と椅子を引いて立ち上がる。

その時、セヴランが穏やかな声で口を開いた。


「では、昨日のお約束通り、礼拝堂を拝見してもよろしいでしょうか」


俺はセヴランを見た。

「手順は守るんだな」


「もちろんです」

セヴランは、笑みを崩さなかった。

「ええ。まずは、見るだけで」


俺は無言で立ち上がった。


セヴラン大司教は、白い法衣の裾を揺らし、静かに会議室を出ていった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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