表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜【書籍化進行中】  作者: しいたけ
第15章 世界の基準点と木陰のまどろみ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
251/255

第222話 祈りと帳面

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

翌朝、迎賓館の大会議室。

机は、前回と同じ形に並べられている。持ち込んだ長机をいくつか繋ぎ合わせ、八角形に近い輪のように置いただけだ。


互いの顔が見えるように組んだだけで、真ん中にはぽっかりと空間が空いていた。


分厚い記録帳は、俺の隣に座るロイルの手元にあった。


「机の真ん中なんぞに置けば、今度はそれが何かの象徴みたいに見えてしまう。交渉の窓口であるこいつが抱えているのが、一番面倒が少ないからな」


「私が面倒を預かるということですね」

ロイルが抑揚のない声でぼやいた。


「窓口だからな」


「便利な言葉です」


「そうか?」


ギードが、机の向こうで白い髭を撫でた。

王国側にはシャルロッテとオリヴィエ。帝国側には皇帝ヴァレリアンとカイン。聖教国側には大司教セヴランとバルデルが座っている。


「では、始めるかの」

ギードの声が、八角形の机を囲む全員に届いた。

ロイルが記録帳の真新しいページを開いた。


「まず、ウルム側の確認事項を読み上げます」

右手に座るシャルロッテが姿勢を正し、左手の皇帝ヴァレリアンが面白そうに目を細めるのが見えた。


「ウルムは住民の意思として、中立自治都市化を進めることを確認しました。ただし、満場一致ではありません。保留および反対の意見もありました。その理由は、村内記録として保管しております」


最初に口を開いたのは、セヴランだった。

「反対や保留の理由は、この場には示されないのですかな」


白い法衣の初老の男は、ロイルの返事を待っていた。口元だけが、薄く笑っている。


「村内記録です」

ロイルは顔を上げずに答えた。


「外へは出さない、と」


「はい」


セヴランは、感心したように目を細める。


「不安の扱いに、ずいぶん慎重でいらっしゃる」


「外の交渉材料にしないだけだ」

俺が口を挟むと、セヴランはゆっくりと俺に視線を移して頷いた。


右手に座るシャルロッテは、そのやり取りを聞いて黙っていた。

左手に座る皇帝ヴァレリアンは、顎に手を当てて興味深そうにロイルの記録帳を眺めている。


「昨日、門から礼拝堂を拝見しました」

セヴランが、話題を変えるように柔らかく言葉を継いだ。


「思っていたより、村の中心に近い場所にあるのですな」


「村の皆が使う場所だからな」

俺が短く返すと、セヴランは嬉しそうに目を細めた。


「祈る場が、人の暮らしに近いのはよいことです」


セヴランの声は穏やかだった。


「ウルムには救護所もあると聞いております。傷を負った者、病に伏せる者、身寄りを失った者。そうした方々の中には、身体だけでなく、心の支えを求める者もおりましょう」


ギードが黙って聞いている。


「礼拝堂の状態を拝見し、必要であればさらに整えるお手伝いをしたいと思っています。聖教国から、実務に慣れた者を数名置くこともできます」


「置く、か」


俺が言うと、セヴランは静かに頷く。


「もちろん、ウルムの方々の心を乱さぬ範囲で」


その言い方が、昨日と同じだった。


ギードがゆっくり口を開いた。


「祈ることは止めん。弔いも、必要ならすればよい」


「では」


「じゃが、礼拝堂はウルムの場所じゃ。聖教国の出先にはせん」


ギードの真っ直ぐな拒絶にも、セヴランはすぐには反論しなかった。

ただ、少しだけ残念そうな表情を作ってみせる。


「出先という言い方は、少し寂しく聞こえますな。我々は、ただ支えたいだけです」


「支える手が、場所の鍵まで持つ必要はない」


俺が言うと、セヴランの視線がこちらへ戻った。


「鍵まで求めた覚えはありませんが」


「今はな」

短く返す。


ギードが髭を撫でた。


「掃除を手伝う者がいるなら助かる。祈りたい者が来るなら止めん。じゃが、管理権と決まりはウルムが持つ」


「承りました」


セヴランは今度は、エレノアへ視線を向けた。


「エレノア殿の救護の働きは、すでに多くの者を救っていると聞きます。聖教国としても、力になれることがあるでしょう」


エレノアは姿勢を崩さず、丁寧に返す。


「助けが必要な時は、お願いすることもあると思います」


「ええ、ぜひ頼ってください」


「ですが、救護所の手順はウルムのものです」


「もちろん、医術の手順を乱すつもりはありません」


「医術だけではありませんわ」

エレノアは、きっぱりと言い切った。


「水を沸かすこと。布を替えること。手を洗うこと。熱のある方を分けること。記録を村の中で預かること。全部を含めて、救護です」


セヴランの柔らかな笑みが、ほんのわずかに止まった。


「さすが、帝国の聖女であられた方は――」


「今は、ウルムの救護を預かる者ですわ」

エレノアが間髪入れずに遮る。


またそこか。

セヴランの目には、今のエレノアより、元聖女という肩書きの方がよく見えているらしい。


「では、身寄りのない者、病に伏せる者、迷いを抱える者に、聖教国の保護を案内することは認めていただけますかな」


言葉だけなら、まだ善意で通る。


ロイルが筆を置いて答えた。


「案内を置くことは、内容を確認した上でなら検討します」


「検討、ですか」


「はい。村の者に配るものは、村が確認します」


「それはもっともです」


セヴランは頷く。

そして、少し身を乗り出した。


「では、誰が支えを必要としているか、村側から知らせていただくことは」


「ありません」

ロイルが短く切る。


「救いを求める者を見落とさぬためでも?」


「村の帳面は、外へ出しません」


ロイルの背後から、ギードが重い声を重ねた。


「王国にも、帝国にも、聖教国にも渡さん」


「閉ざす、ということですかな」

セヴランは穏やかな顔で言った。


ギードは首を横に振る。


「守る、ということじゃ」


俺はセヴランを見た。


「助けたいなら、本人の前に立て。帳面を取りに来るな」


ここまで黙って成り行きを見ていた皇帝ヴァレリアンが、不意に喉の奥で笑い声を漏らした。


「祈りの話にしては、触れようとしている場所が多いな」


セヴランは皇帝へ向き直り、笑みを保ったまま頭を下げる。


「陛下。困っている者を支えるには、いくつもの手が必要になります」


「手が多いのはよい。だが、鍵と帳面まで欲しがれば、話は変わる」

皇帝は椅子の背もたれに寄りかかり、淡々と言った。


「帝国は、ウルムを丸ごと抱える気はない。抱えればそれはそれで重くのし掛かるだろう。仕組みに乗る方が得策だな」


「正直で助かる」

俺が言うと、皇帝は口角を上げた。


「貴公には、これくらいが通じるだろう」

皇帝は再びセヴランを見る。


「聖教国も、役に立てばよい。救護に人を出す。衛生を学ぶ。必要な薬草や布を運ぶ。そういう関わりなら、誰も困らん」


「救護と信仰を切り離せと?」


「切り離せとは言っていない。順番を間違えるなと言っている」


「王国も、外側の手順を整えます」

シャルロッテが、静かな声で皇帝の発言に乗った。


「外側、ですか?」


「はい。ウルムへ向かう者が、勝手に荷を置き、勝手に人を集め、勝手に場所を使わぬように。王国側の道と商人の扱いを整えます」


昨日、木陰にいた女の顔が頭をよぎった。


「荒らされると、こっちの仕事が増える」


俺が言うと、シャルロッテは少しだけ頭を下げた。


「増やさないようにします」

シャルロッテは俺を見て、はっきりと頷いた。


セヴランはそこで、ゆっくりとバルデルへ視線を移した。


「バルデル。あなたは一か月、この地にいました。礼拝堂も見たのでしょう」


バルデルはすぐには答えなかった。


「はい。見ました」


「ならば、祈りを求める者がいることも分かるはずです」


「もちろん、おります」


セヴランは少し安堵したように目を細めた。

だが、バルデルの言葉はそこで終わらなかった。


「ですが、あの礼拝堂は、聖教国の出先ではありません」


バルデルはただ、事実を口にしただけだった。


「私はこの一か月、掃除をし、弔いに立ち会い、救護所の手順を見ました。ですが、礼拝堂を預かっていたわけではありません」


「では、何をしていたのです」

セヴランの声から、初めてわずかな棘が漏れた。


「滞在を許された者として、できることを手伝っておりました」


バルデルは、セヴランの目を真っ直ぐに見返した。


「ここでは、祈る前に湯を沸かすことがあります。手を洗い、布を替え、寝床を整える。それを祈りの外のことだと、私は最初、思っておりました」


セヴランが困惑した表情でバルデルに言った。


「今は違うと?」


「はい。ここでは、それも人を救う手順です」


エレノアは口を挟まなかった。俺も黙っていた。


これは、バルデル自身の言葉であるべきだ。


「聖教国がここで信頼を得たいなら、まず役に立つことかと存じます。管理ではなく」


セヴランは、しばらく動かなかった。


ここで声を荒らげれば、聖教国だけがこの部屋で浮くことになる。王国も帝国も、すでにウルムのやり方を中心に話を回している。何より、身内であるはずのバルデルから、現地の視点で蓋をされたのだ。


セヴランは、ゆっくり息を吐いて、再び柔らかな表情を作った。


「……現地に身を置いた者の言葉は、尊重すべきでしょう。聖教国としても、ウルムの秩序を軽んじるつもりはありません。まずは救護と衛生の実務協力から始める。それでいかがでしょう」


「礼拝堂の鍵を渡すつもりはないからな」

俺が念を押す。


「求めません」


「村の帳面も外へは出しません」

ロイルが続ける。


「承知しました」


「救護所では、ウルムの手順に従っていただきます」

エレノアが締める。


「それも、承知しました」


セヴランの返事は、どれも早かった。少し、早すぎるくらいだ。


ロイルが記録帳に筆を走らせる。

聖教国は、礼拝堂および救護所に管理権を及ぼさない。実務協力について、ウルムの手順に従う。村内記録は外部に出さない。


その時、セヴランが穏やかに言った。


「では、後ほど礼拝堂を拝見しても?」


まただ。

「会議の後ならな」

俺は少し呆れたように言った。


「もちろんです。手順は守りますよ」


こちらの意思は見せた。だが、セヴランは退いたわけではない。

どこまでなら触れられるか。どこからなら、まだ祈りと言えるか。

あの目は、それを測っていた。


セヴランの口元だけは、まだ柔らかく笑っていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

「☆☆☆☆☆」からの評価やブックマークをしていただけると、今後の創作の大きな励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

新連載のお知らせ
『星降りの欠片と瀬戸内の巫女
〜役立たずと言われた研究者が、世界の理を繋ぎ直すまで〜』を投稿開始しました。

岡山の研究者と瀬戸内の巫女が、星降りの夜から始まる怪異に触れていく現代ローファンタジーです。
瀬戸内、神社、巫女、怪異、研究者主人公がお好きな方は、よければ覗いてみてください。

『星降りの欠片と瀬戸内の巫女』はこちら

+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ