第221話 門前と不協和音
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西門前での確認は、もう終わっていた。
王国、帝国、聖教国。
それぞれ名を記され、同行者を確かめられ、武器を預けた。
ロイルは最後の一行を書き終えると、記録帳を閉じる。
門前には、まだ馬車の熱と馬の吐く息が白く残っていた。護衛たちはそれぞれの列に戻り、御者たちは手綱を整えている。
後はこのまま、すぐ先の迎賓館へ向かえば済む話だ。
俺は少し離れた場所から、三者三様の視線の先を観察していた。
シャルロッテは、ロイルの抱えた記録帳から目を離さなかった。
皇帝ヴァレリアンは、門の造りと人の流れを眺めていた。
そして、聖教国の大司教セヴランは、門そのものより、村の内側へ目を向けていた。
ロイルは記録帳を抱え直し、一歩下がった。
ギードはその横に立ち、一行を迎賓館へ案内する頃合いを見計らっている。
「ロイル殿」
迎賓館へ歩き出す直前、シャルロッテが足を止めた。
オリヴィエが半歩後ろで控える。
ロイルは記録帳を抱えたまま、真っ直ぐに姿勢を正した。
「はい」
「先ほどの応対、見事でした」
「ありがとうございます。ただ、手順通りの対応です」
「どの国にも、その手順を変えませんでしたね」
「変えれば、私がここに立つ意味がなくなりますので」
シャルロッテは、ほんの少しだけ目を伏せた。
「今のあなたは、ウルムの窓口なのですね」
「はい」
「この先、誰が来ても同じにしますか?」
「はい。そのための窓口ですので」
シャルロッテは小さく頷いた。
「頼もしいですね」
「褒め言葉として、受け取っておきます」
ロイルの声はいつも通りだった。
だが、記録帳を抱える腕に、わずかに力が入っているのが見えた。
「王国の女王も、聖教国の大司教も、同じ記録帳に並べたか」
低い声がして、俺はそちらを見た。
皇帝ヴァレリアンが、ロイルの記録帳を見ていた。
隣にはベアトリクス。少し後ろにカインがいる。
俺は短く返す。
「分けると面倒だ」
「序列を作らぬためではなく?」
「結果的にはそうなる」
皇帝は口元だけで笑った。
「なるほど。理由は雑だが、形は悪くない」
「褒めてないな……」
小さな呟きのつもりが、どうやら皇帝の耳に届いていたらしい。
「褒めているぞ、アシュラン」
そう言う皇帝の顔は、たぶん本当に面白がっている。
こういう人種は、できれば遠くにいてほしい。
皇帝がゆっくりと歩き出すと、その後ろから、カインが近づいてきた。
「マスター……と呼ぶべきか迷いました」
「マスターはやめろ。今日は帝国側だろう」
「では、アシュラン殿」
「気持ち悪いな」
俺の返しに、横にいたエレノアがくすりと笑う。
「結局、文句なんですのね」
カインも小さく笑った。
「帝国側として立つと、距離の取り方が難しいですね」
「俺に聞くな。そういうのは皇帝に聞け」
「陛下は、面白がるだけです」
「だろうな」
カインはちらりと皇帝を見た。
皇帝はロイルやギード、門の外に残した護衛の数まで見ている。まったく、よく目が動く男だ。
「で? 皇帝は何て言ってるんだ」
「仕組みとして関わる、と陛下はお考えです」
カインが声を落とした。
「その方が、奪うより長く得をするそうですよ」
「皇帝らしいな」
「ええ。かなり……」
エレノアが小首を傾げる。
「それは、安心してよい話ですの?」
「半分はな」
カインが聞く。
「もう半分は?」
「俺たちが、帝国にとって得になる、と判断されているうちは、だな」
カインは苦笑した。
「そこまで含めて、皇帝陛下らしいです」
「そして、師匠らしい見方ですわ」
「似てない」
「まだ何も言っていませんよ、マスター」
そう言って、カインは一歩下がった。
帝国側の人間としての距離だ。
妙に律儀なところがある。そこは、まあ、悪くない。
聖教国の馬車の近くでは、バルデルがセヴランの前に立っていた。
「セヴラン大司教。遠路、お疲れ様でございました」
「バルデル。元気そうで何よりです」
セヴランは穏やかに笑った。
「この地での務め、よく続けてくれました」
セヴランは村の方へ視線を向ける。
「礼拝堂の様子は、後ほど詳しく聞かせていただきましょう」
バルデルは、わずかに背筋を伸ばした。
「はい。ただ、礼拝堂はウルムの礼拝堂です。私の務めも、ウルムの定めの範囲で行っております」
セヴランは一瞬だけ間を置いた。
「もちろんです。まずは、この地の方々の心を乱さぬことが大切ですから」
まずは、か。
俺は口を挟まなかった。
だが、バルデルの口元が少しだけ硬くなったのは見えた。
セヴランは、今度はエレノアの前で足を止めた。
「あなたが、エレノア殿ですな」
「はい。エレノアと申します」
「帝国の聖女であられた方のお名前は、我々聖教国にも届いております。まさか、この地でお目にかかれるとは思いませんでした」
「恐れ入ります」
セヴランは穏やかに微笑む。
「今は、こちらで救護にあたっておられるとか。あなたほどの方が民のそばに立っておられるなら、ウルムの者たちも心強いことでしょう」
「今は、ウルムの救護を預かる者ですわ」
「ええ。ですが、聖女として培われた知見も、きっとこの地の支えになっているのでしょう」
エレノアは真っ直ぐにセヴランの目を見た。
「聖女だった頃に知らなかったことも、ここで学びました」
セヴランの返事が、ほんの少し遅れる。
「……それは、よき学びであったのでしょうな」
「はい」
セヴランは笑みを崩さなかった。
だが、その横にいたバルデルは、わずかに目を伏せた。
俺は黙って見ていた。
少し離れた場所で、シャルロッテと皇帝がそのやり取りを眺めていた。
「聖教国は、随分と熱心だな」
皇帝がぽつりと言う。
シャルロッテは、静かに返した。
「はい。ですが、熱心であることと、その土地を理解していることは、同じではないと思います」
「王国の若き女王も、言うようになったではないか」
「私どもも、ようやくそれを学んでいるところです」
皇帝は喉の奥で小さく笑った。
「学べる王なら、王国もまだ保つか」
「保たせなければなりません。ウルムに、余計な火の粉を飛ばさないためにも」
「よい心構えだ」
偉そうだな、と一瞬思ったが、皇帝なので偉いのだった。
面倒な事実だ。
ロイルが迎賓館へ向かう合図を出した。
迎賓館へ歩き出す直前、俺はバルデルの横に並び、小声で聞いた。
「あれは、止められそうか」
バルデルは前を向いたまま答える。
「止める、という言い方では難しいですね」
「じゃあ何ならできる」
「私が見たことを、そのまま申し上げることなら」
「……結局、そこからか」
「はい。そこからしか、始められません」
「面倒だな」
「ええ。私も、そう思います」
そう言って、バルデルはセヴランの後ろへ戻った。
聖教国側の人間として。
その背中を見て、俺は少しだけ息を吐く。
敵ではないが、完全に味方というわけでもない。
こういう立ち位置の奴が一番扱いに困る。
◇
ロイルが、一行を迎賓館へ案内する。
王国、帝国、聖教国。
三つの一行は、それぞれ必要最低限の護衛だけを伴い、迎賓館へと進んだ。
村の者たちは騒ぐこともなく、遠巻きに見ていた。
昨日、黒札を入れた女も木陰のそばにいた。子供の手を握ったまま、じっと一行を見ている。
俺はその視線も気になったが、もう一つ気になった。
セヴランだ。
キドが、俺の袖を引いた。
「あの白い服の人、さっきから東の方ばっかり見てるぞ」
「見てるな」
「会議って、あっちでやるのか?」
「いや。迎賓館だ」
「じゃあ、なんで見てるんだよ」
「気になるんだろ」
「礼拝堂が?」
「たぶんな」
キドは眉を寄せた。
「会議の前なのに?」
「会議の前だから、だろ」
「よく分かんねえ」
「分からないならいい。今はな」
ギードが隣で小さく息を吐いた。
「始まる前から、目の置き所が違うのう」
「だから面倒なんだ」
迎賓館の扉が開く。
中はいつもより静かだった。壁際には水差しと杯。廊下には案内役が立ち、各国の控え室へ案内する準備をしている。
今夜は、明日の会議に備えてそれぞれ別の部屋で休んでもらう手はずだ。
案内役の後を追ってすれ違いざま、セヴランがもう一度だけ東を見た。
ただ眺めたというより、正確な位置を測っているように見えた。
俺は、その横顔を覚えておくことにした。
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