表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜【書籍化進行中】  作者: しいたけ
第15章 世界の基準点と木陰のまどろみ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
249/252

第220話 黒札と大司教

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

朝の光が、迎賓館の小会議室に差し込んでいた。

長机の上には、三つの麻袋が並んでいる。白札、灰札、黒札。昨晩、ロイルが几帳面に口を縛ったものだ。

その横には、分厚い記録帳と数枚の羊皮紙が置かれていた。


俺は、ロイルが清書した会談用の資料に目を通す。


『ウルムは住民の意思として、中立自治都市化を進めることを確認した』

『満場一致ではない。保留および反対の意見あり』

『保留および反対の理由は、村内記録として別途保管する』


そこまで読んで、俺は紙の端を指で押さえた。


「文はこれでいい」


ロイルが小さく頷く。


「再会談の日程は、前回の会談で確認済みです。今回は、到着時の手順と、当日提示する資料の確認になります」


キドが横から資料を覗き込み、露骨に嫌な顔をした。


「なあ、投票が終わったら終わりじゃなかったのか?」


「終わるわけがないだろ。何かを決めるってのは、決めた後の方がずっと面倒なんだ」

俺が羊皮紙から目を離さずに返すと、向かいの席で筆を動かしていたロイルが真面目な顔で口を挟んだ。


「外の方々が、こちらの言葉を意図通りに読んでくださるとは限りませんからね」


「どういうことだよ」


「相手にとって都合のいい部分だけを切り取って解釈される危険がある、ということです」


「……うげえ」

キドはますます嫌そうな顔をして、窓枠にもたれかかった。


俺は机の上の麻袋を見た。

黒と灰の袋に入っているのは、ただの反対票じゃない。

あれを入れた奴らには、あれを選ぶだけの理由がある。


「もちろん結果は伝える。だが、黒札や灰札の中身まで教える必要はない」


ギードが、白い髭の奥で小さく笑った。


「うむ。その声は、ウルムが預かるものじゃな」


ロイルは黙って筆を動かし、記録帳の端に小さく何かを書き留めた。

そこへ、西門の詰所にいるはずの若者が顔を出した。


「アシュラン様。ロイルさん。王都方面と、東の帝国側の見張りから連絡が来ました。王国と帝国の一行は、予定通り今日の夕刻には到着する見込みです」


若者は少し言いにくそうに、もう一枚の羊皮紙を差し出した。


「それと、聖教国からも先触れが来ています」


「聖教国? バルデルは既にウルム村にいるだろう?」


伝令の若者が、一枚の羊皮紙を机に置いた。


そこには、見慣れない名が記されていた。


聖教国大司教、セヴラン・ヴァレンティス。


「大司教か」


俺が言うと、ギードが眉を寄せた。


「バルデル殿より上かの」


「そうだな」


俺はその名を見下ろした。


「これは、本人に聞いた方が早そうだ」



昼前。俺は広場へ出て、木陰周辺を歩いていた。


再会談の前に、村の中で詰まりそうな場所を一通り見ておきたかった。こういう時に限って、あとでここが足りないとか言ってくる。言われてから直すのは面倒だ。


ヘイムが手を入れた荷置き場は西に広がり、木陰の中には新しい石台とベンチがいくつか据えられている。西門から市場へ抜ける人の流れも、以前よりずいぶん歩きやすくなった。


一見すると、村はうまく回っているように見える。


そう思ったところで、荷を背負った商人が一人、木陰のそばへ箱を下ろした。


「すぐ動かしますんで」


悪気のない声だった。


荷置き場が混んでいる。日差しを避けたい。少しだけ置きたい。

理由としては、まあ、分かる。


だが、その近くにいた女が足を止めた。


昨日の広場で、黒い木箱に札を入れた元避難民の母親だ。

彼女は商人を怒鳴りつけるわけでもなく、責めもせず、ただ子供の手を強く引き、逃げるように木陰から離れようとした。


「どうしたんだよ。まだ何も起きてねえぞ」

俺の後ろを歩いていたキドが、不思議そうに声をかけた。


女性はビクッと肩を揺らし、困ったように眉を下げる。


「……分かってます。でも、前もこういうところからだったので」


「前にも?」


「王都の広場も、最初は誰かが少し荷を置いただけでした。それがいつの間にか市場から荷物があふれて、休む場所がなくなって……」


俺の頭の中に、昨夜ロイルが整理した黒札の理由が蘇る。

人が増えるのが怖い。商人が増えれば静けさがなくなるのではないか。子供の遊び場や木陰が、また削られるのではないか。


なるほど。エレノアの言う通りだ。

黒札ってのはただの感情論じゃない。

村の仕組みのどこに摩擦が起きそうか、俺たちに教えてくれる目印だった。


俺は商人の方を見た。


「荷置き場が混んでいたのか」


「ええ。少しだけと思いまして」


「分かった。悪いが、いったん西門側へ戻してくれ。こっちは荷置き場にはしないと決めてるんだ」


商人は一瞬だけ困った顔をしたが、箱を持ち上げ直して、頭を下げた。


「分かりました」


俺は、近くにいた若い大工に言って、ヘイムを呼んでもらった。


「ヘイム。縄を張るだけじゃ駄目だ。ここは荷を置かない場所だと、見ただけで分かるようにしてくれ」


「おう。なら低い柵にするか。腰かけられる高さにすりゃあ、邪魔にもならねえしベンチの代わりにもなる」


キドが、まだ木陰の方を見ていた。


「黒札って、ただ反対してるってだけじゃないんだな」


「面倒の起きる場所を、事前に教えてくれる札でもあるってことだな」


足を止めていた女性はしばらく迷っていたようだが、再び子供の手を引いて木陰へ戻ってきた。

子供が、新しい低い石台にちょこんと腰を下ろす。

女性はその横に立ったまま、しばらく荷置き場の方を見ていた。


俺は小さく息を吐いた。

「会議室でこねくり回すより、よほど分かりやすいな」


キドが首を傾げた。

「何が?」


「黒札の使い道だ」


キドは分かったような、分からないような顔をした。まあ、今はそれでいい。



午後、俺は礼拝堂へ向かった。


礼拝堂の入口脇では、バルデルが古い木椅子を拭いていた。

奥の小部屋では、エレノアが救護所の記録を束ねている。


この二人が同じ建物の中にいる光景にも、少し慣れてきた。


「少し聞きたいことがある」


俺が声をかけると、バルデルは布を畳んでこちらを向いた。


「聖教国から、大司教が来るそうだ」


バルデルの手が、ほんの少しだけ止まった。


「セヴラン・ヴァレンティス大司教ですね」


「知っているのか」


「はい。大司教は数名おりますが、そのうちのお一人です」


「お前より偉いのか」


「かなり」


正直でよろしい。


「……信仰に篤い方です」


バルデルが選んだ言葉に、俺は顔をしかめた。


「そういう言い方をする時は、だいたいひどく面倒な人間なんだが」


バルデルは否定しなかった。


「人を救うことと、教会の秩序を広げることを、ほとんど同じものとして考えておられます」


「最悪じゃないか」


「最悪、ではありません。善意もあります」


「善意がある分、余計に面倒だ」


エレノアが、救護所の記録を束ねながら顔を上げた。


「ウルムの礼拝堂を、聖教国のものにしたい方ですの?」


「直接そうは言わないでしょう」


バルデルは少し考えてから続けた。


「ただ、礼拝堂があり、弔いがあり、迷う者がいるなら、教会が支えるべきだとは考えるはずです」


「支える、ね」


俺は昼の木陰を思い出した。


荷を置いただけの商人。

何も起きていないのに、子供を引いて離れようとした女。


あれを見たばかりだ。


不安を抱える者がいるなら、教会が話を聞く。

迷う者のために祈りの場を設ける。

救いのために記録を残す。


言葉だけなら、どれも柔らかい。だが、それを許せば、村の内側に外の手が入る。


そうさせないために、わざわざ三国を同じ席につかせるのだ。


「住民の不安を拾うのは、ウルムの仕事だ。教会の仕事じゃない」


俺が言うと、バルデルは真面目な顔で頭を下げた。


「今なら、私もそう思います」


「変わるもんだな」


「ですが、私の言葉だけで、大司教が退くとは限りません」


「だろうな」


現場を知らない善意ほど、面倒なものはない。

バルデルは、もうウルムのやり方を分かっている。

だが、それは聖教国の普通ではないらしい。



夕刻、空が赤くなり始めた頃。

西門から連絡が入り、俺たちは門前へと足を運んだ。


ロイルが管理窓口の小屋で記録帳を開き、ギードがその横に立つ。

近くにはエレノアとバルデルも控えていた。


王国、帝国、そして聖教国。

前回の会談で決めた日取り通り、それぞれの馬車が西門の前に並んだ。


王国の馬車からは、シャルロッテとオリヴィエが降りた。

シャルロッテは裾を整え、すぐに西門の方へ目を向ける。


帝国側からは、必要最小限の護衛だけを連れた皇帝本人が降りた。

その目は、西門の窓口と、そこに立つロイルをすぐに捉えていた。


そして、聖教国側の馬車から、白い法衣を纏った初老の男が優雅に降りてきた。


大司教セヴラン。

派手な衣を着ているわけではなかった。むしろ、色味だけならバルデルよりも控えめかもしれない。

ただ、バルデルとは違う。手を汚して椅子を拭く人間には見えなかった。


ロイルが、いつも通り前に出た。


「お名前を」


男は穏やかに微笑んだ。


「聖教国大司教、セヴラン・ヴァレンティスです」


ロイルは記録帳へ書く。


「滞在目的を」


「再会談への同席。それから、礼拝堂の現状確認を」

ここまでは問題ない。ロイルは顔を上げずに最後の問いを投げた。


「武器の有無は」


セヴランは少しだけ笑みを深めた。


「持っておりません。私どもの武器は、祈りですから」


横でキドが、何とも言えない顔をして鼻をすすった。

俺も内心で盛大にため息をついた。

こういう言い方をする相手は、だいたい後で面倒になる。


シャルロッテと皇帝が、それぞれ少し離れた場所からセヴランの様子を静かに観察しているのが見えた。二人とも、あれをただの聖職者とは見ていないのだろう。


俺は、隣に立つバルデルの表情が、ほんの少しだけ硬く引き締まっているのを見逃さなかった。


「バルデル」

小声で呼ぶ。


「はい」


「お前より、ずっと教会らしいな」


バルデルは西門の向こうを見たまま、苦笑いを浮かべた。


「ええ。困ったことに」


俺は、セヴランの柔らかな笑みを見た。


祈り、と本人は言った。

その言葉で、どこまでこちらへ踏み込んでくるつもりなのか。


明日の会談で、嫌でも分かる。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

「☆☆☆☆☆」からの評価やブックマークをしていただけると、今後の創作の大きな励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

新連載のお知らせ
『星降りの欠片と瀬戸内の巫女
〜役立たずと言われた研究者が、世界の理を繋ぎ直すまで〜』を投稿開始しました。

岡山の研究者と瀬戸内の巫女が、星降りの夜から始まる怪異に触れていく現代ローファンタジーです。
瀬戸内、神社、巫女、怪異、研究者主人公がお好きな方は、よければ覗いてみてください。

『星降りの欠片と瀬戸内の巫女』はこちら

+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ