第218話 木陰と一か月
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迎賓館の壁に、一枚の羊皮紙が貼られていた。
一月後の再会談までにやること。
そう書かれた下に、ロイルの字で項目が並んでいる。
西門前の動線整理。
荷置き場の屋根延長。
木陰周りの整備。
礼拝堂と救護所の連携。
市場区画の仮割り。
住民説明会。
意思確認の方法。
その一覧を眺めていたキドが、げんなりした顔で振り返った。
「なぁ、アシュラン様。これだけのことをするのに、一か月って短くねえか?」
「短いな」
「じゃあ、やること、もっと減らせばいいじゃないか」
「減らすと後で詰まる」
「詰まるって、何が」
「荷と人と文句だ」
キドは嫌そうに口を曲げた。
ギードは板の下に立ち、項目を一つずつ目で追っている。
「詰まる前に直す。今まで、お前さんが散々やってきたことじゃ」
「俺一人でやるとは言ってない」
そう言うと、何人かがこちらを見た。
既にそれぞれの仕事の割り振りは決まっている。
木陰と荷置き場はヘイム。金具や台車の補強はドルガン。救護と衛生の動線はエレノア。西門の窓口と記録はロイル。そして、礼拝堂はあのバルデルだ。キドは説明板の書き換えと、子供たちへの伝達係として走り回ることになる。
俺は全体を見る。詰まりそうなところにだけ口を出す。
そういう役割だ。
◇
朝から、中央広場のあちこちで槌の音がしていた。
木陰の外側に低い縄が張られ、荷置き場の線は西へ移されている。そして、そこかしこに屋根を延長するための深い柱穴が掘られていた。
ガンッ、と音がした。
ヘイムが地面に打ち込んだ杭を太い足で蹴りつけ、ぐらつきがないかを確かめていた。
「よし。こっちは予定通りだ。屋根は今日中に骨組みだけ組んじまうぞ」
若い大工たちが威勢よく返事をし、太い梁を肩に担いで運んでいく。
縄の束を抱えたキドが、新しく確保された木陰の内側を見回して目を瞬かせた。
「木の下、思ったより広く残ったな」
「まぁな。憩いの場って言うらしいぞ」
ヘイムがニヤリと笑う。
「こんなに広く取ったら、商人たちから文句が出ないか?」
「ここは住人に必要な空間だ。文句なんか言わせないさ」
俺が言うと、キドが振り返った。
「なんか強気だな」
「木の下を空けないとうるさい奴もいるしな」
頭上から、枝葉が揺れる音がした。
見上げると、いつの間にかリナが太い枝の上に座り、足をぶらぶらと揺らしている。
「ここは良いね。精霊たちも喜んでる」
「計画通りだ」
俺が胸を張ると、リナはジト目でこちらを見た。
「うそ。気づいてなかった」
「気づいていたことにしておけ」
「完全に言い訳だな」
キドが横から鼻で笑った。
リナは気にした風もなく木から下りると、木漏れ日の落ちる低い石台に腰を下ろした。
「ここ、人も休めるね」
その一言で、ヘイムが顔を上げる。
「ベンチ、あと二組追加だ。子供と年寄りが座る分も要る」
「まだ増やすのか?」
キドが呆れたように言うが、ヘイムは図面の板を小脇に抱え直して笑った。
「言われる前に作る。後で足りねえって言われる方が面倒だからな」
荷置き場では梁が上がり、木陰では石台の位置が直されていく。
以前なら、空いている場所はすぐ何かに使われた。
荷を置く。道を広げる。小屋を建てる。
だが、もう違う。
空けておくための場所にも、杭が打たれていた。
◇
救護所の裏手では、薬草を煮出す独特の青臭い匂いが漂っていた。
エレノアが、新しく入った若い手伝いたちに、手洗い、布の煮沸、寝台の間隔、汚れた布の隔離手順を一つひとつ実地で教えている。
その輪の中に、袖をまくり上げて大きな湯桶を運ぶ男の姿があった。
巡回司祭のバルデルだ。
「バルデル様。その桶は、清潔な布用ですわ」
「ああ、こちらですね。失礼しました」
「はい。村の衛生規則を覚えられるまで、大変かも知れませんが……」
「大丈夫です。体で覚えますよ」
バルデルは額に浮かんだ汗を腕で拭い、再び重い桶を持ち上げた。
若い手伝いの一人が、戸惑ったように小声でエレノアに囁く。
「あの……司祭様に、あんな水汲みみたいな真似をさせていいんですか?」
「ご本人が運ぶとおっしゃっていますもの。遠慮はいりませんわ」
エレノアは平然と返し、バルデルも人の良さそうな笑顔で頷いた。
「運べる者が運べばよろしいかと。重いものを運ぶのに、教義は必要ありませんから」
たまたま通りかかった俺は、その様子を遠巻きに眺めて声をかけた。
「思ったより馴染んでるな」
エレノアがこちらに気づき、ふうと短く息を吐く。
「馴染むというより、現場の邪魔をしないのがお上手ですわ」
バルデルが苦笑する。
「それは、褒め言葉として受け取ってよろしいのでしょうか」
「この村では、かなり上等な評価だ」
俺が答えると、エレノアは少しだけ口元を綻ばせた。
司祭が、桶を運ぶ。
聖女が、手洗いと煮沸を教える。
聖教国の連中が見たら、眉をひそめるかもしれない。
だが、病人の熱は祈りだけでは下がらない。
それはエレノアが一番知っている。
「師匠」
「何だ」
「手伝わないなら、そこに立たないでくださいませ。邪魔ですわ」
「……俺の評価は上等じゃなかったのか」
「それは、邪魔をしない方です」
俺は黙って一歩下がった。
◇
西門の管理窓口では、ロイルがひっきりなしに訪れる外来者の応対に追われていた。
ウルム村と三国の会談。
その噂がどこからか漏れ伝わったのか、最近は商人に混じって見慣れない職人や、得体の知れない滞在希望者が増えている。
だが、ロイルの対応は相手が誰であろうと変わらない。
「滞在をご希望なら、目的と日数をこちらに書いてください」
「おいおい、前はもう少し気楽に入れたぞ? 随分と堅苦しくなったもんじゃないか」
商人の一人が、渋い顔で不満を漏らす。
「ウルムの仕組みも、少しずつ変わっていっておりますので」
「にしてもなぁ。ちょっと厳重すぎないか?」
「そうしておりますので。ご署名を」
ロイルの抑揚のない声に、商人は諦めてペンを取った。
ギードが俺の横で小さく頷く。
「無理はしておらんか」
ロイルは顔を上げた。
「……していない、と言えば嘘になります」
「そうじゃろうな」
ロイルは、窓口の外に並ぶ人の列を見た。
「以前のただの受付なら、多少のことは現場の裁量で流せました。ですが、今は……私の応対一つが、ウルムの返事として見られそうで」
「重い役を持たせたかの」
「軽いとは言えませんね」
ロイルは記録帳を閉じた。
「ですが、私一人で決めないと決めてあるので、まだ耐えられます」
ギードは少しだけ笑った。
「なら、それを忘れんことじゃ」
ロイルは頷き、次の者を呼んだ。
「次の方。お名前を」
◇
広場から通りへ出ても、どこかしらで誰かが何かを直していた。
荷置き場の屋根の下では、ヘイムが若い大工の頭を小突いていた。
「馬鹿野郎、柱の太さをケチるな。人が増えるってことはな、荷も増えるし、それ以上に文句も増えるんだよ!」
「文句まで計算するんですかい?」
「そうだ。人が使うんだ。そういうのも考えとかなきゃならんだろ」
鍛冶場では、ドルガンが台車の車輪に金具を合わせていた。隣では弟子が、ベンチ用の留め具を冷ましている。
「武器ばかり作ってるより、こっちの方が村の暮らしは良くなるな」
「金具でですか」
「金具が外れりゃ、荷車もベンチも使えねえだろうが。人が運んで、休んで、また働ける。そういう当たり前が増えると、村は豊かになるんだよ」
弟子は、作りかけの留め具を見下ろした。
「なんだか、地味ですね」
「地味でいいんだよ。毎日使うもんってのは、だいたい地味にできてるもんだ」
市場の入り口付近では、野菜を選びながら立ち話をする女と老人の声が聞こえた。
「王国へ戻るかどうか、前はそればかり考えてたの」
老人が杖をつく。
「今は?」
「ここで、うちの子が大きくなるところを見たいと思うようになりましたよ」
老人は少し目を細めた。
「……なら、あんたももう立派なウルムの人間じゃな」
女は驚いたように老人を見る。
それから、籠を抱え直した。
「……そうですね」
そう言って、嬉しそうに頷いた。
◇
夕方。
俺の執務室に一つの小包が届いた。
封には帝国の双頭鷲の紋章。
差出人はカインだ。
包みを開けると、中には帝国で新しく試用されている技術記録の様式や、失敗例の一覧表、そして魔導工学の細かな試作部品がぎっしりと詰まっていた。
木箱の底に、カインの几帳面な字で書かれた短い手紙が入っている。
『マスターへ。
こちらでも、まず失敗例から記録する仕組みを導入しました。帝国では成功例だけを上に出したがる者が多く、大変面倒です。ただ、その面倒を根本から減らすためにここへ戻ったのだと思えば、少しは納得できます』
俺は読み終えて、手紙を折った。
「教えた覚えのないところまで似てきたな、あいつ」
横にいたエレノアが覗き込む。
「よいお弟子さんではありませんの?」
「そうか? 頭が固いし、理屈っぽいし、小言は多いし」
「そこが師匠に似たのですわね」
「似てない」
「そういうところですわ」
エレノアは楽しそうに笑った。
俺は反論しようとして、やめた。
帝国に戻ったカインは、あちらであちらの面倒に巻き込まれているらしい。
いいことだ。たぶん。
俺に飛び火さえしてこなければ。
◇
そんな日が、しばらく続いた。
木陰は立派な憩いの場に変わり、荷置き場には屋根がつき、道も建物も整備された。
夜、俺は迎賓館の壁に貼られた予定表と、広場の配置図の前に立っていた。
最初の頃は、どこかが詰まるたびに俺のところへ人が来た。
荷車が通れない。水桶の置き場が邪魔だ。木陰にベンチを増やすかどうか。
それが、最近は少し減った。
ヘイムは自分で柱の位置を直すし、ドルガンは、頼まれる前に台車の金具を厚くしていた。ロイルは門で揉めそうな相手だけをこちらへ回す。
キドが書いた説明板を読んで、子供たちが木くずを拾いに来ることまである。
村は快適になっている。色々な軋轢は減り、人々も活気を帯びている。
良い方向へ進んでいる。それは、間違いなかった。
だが、張られた図面を見つめていると、胸の奥に少しだけ落ち着かないものが湧いてくる。
俺が引いた赤い動線の横に、ヘイムが書き足した黒い線がある。エレノアが貼った青い札がある。ロイルの記録印があり、キドの雑な矢印が増えている。
「……俺だけの図面じゃなくなってきたな」
ぽつりと漏らした独り言に、いつの間にか横にいたリナが答えた。
「うん。みんなのだね」
俺は何も言わなかった。
ふと、風が通る。
窓の外を見ると、木陰の下で、子供が二人、作りかけのベンチに腰掛けていた。その横では、老人がお茶を飲んでいた。
なるほど。悪くない。
だが、そう思うほど、妙に落ち着かなかった。
◇
そして、村民全体で意思を確認する、その前夜になった。
迎賓館の長机の上には、三色の小さな木札が山のように並べられていた。
白、灰、黒。
ギードがその束の一つひとつを、確認している。
ロイルは区画ごとの正確な人数表に目を落とし、エレノアは、体調を崩して広場に来られない者の分をどう回収するか、手順を詰めている。
キドは、明日の朝に張り出すための巨大な説明板を抱え込んでいた。
「なあ。本当に、反対も入れていいのか?」
「当たり前じゃ」
ギードが手を止めずに答える。
「じゃあさ、もし反対の黒い札が一番多かったらどうすんだ?」
「その時は、この話は一度止める」
俺がそう答えると、キドは目を丸くした。
「止めるのか?」
「止める。反対が多いのに進めたら、聞いた意味がない」
ギードが頷く。
「その時は、なぜ嫌なのかを聞いて、最初から考え直すだけじゃ」
「面倒だな」
「自分で選んだ面倒なら、まだ耐えられる」
ロイルが、区画ごとの人数表の端にその言葉を書き留めた。
ギードが白札を一枚、机の上に置く。
「だからこそ、明日、皆に聞くのじゃ」
窓の外では、広く整えられた木陰が夜風に揺れていた。
明日、あの場所に村民の想いを込めた札が集まる。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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