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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜【書籍化進行中】  作者: しいたけ
第15章 世界の基準点と木陰のまどろみ

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第217話 司祭と灯り

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

夕暮れの冷たい風が吹き込む中、西門のすぐ内側に建てられた管理窓口の小屋で、ペン先が紙を擦る硬い音が響いていた。


まっさらな記録帳の第一ページ。

ロイルはインクを吸わせたペンを手に、窓口の前に立つ見慣れない旅装の男と向き合っている。


「お名前を」


ロイルの問いに、門の外の男がわずかに姿勢を正した。


「聖教国巡回司祭バルデル様の使いで参りました。名はユリアンと申します」


「所属と用件を記録します。同行者は」


「おりません」


「武器の有無は」


「武器はありません。書状のみです」


ユリアンは懐から封蝋のされた小さな筒を取り出し、両手で差し出した。


封蝋を確認し、筒に傷がないかを見て、それから門番へ視線を向ける。


門番が頷く。


「腰にも荷にも刃物はありません」


「分かりました」


ロイルは筒を受け取り、記録帳へ短く書き足した。


俺は小屋の入り口に寄りかかりながら、そのやり取りを黙って眺めていた。


「窓口先生、ちゃんとやってるな」

俺の横で、キドがぼそりと小声で呟いた。


ロイルのペン先がピタリと止まる。視線は記録帳に落としたまま、低い声が漏れた。


「キド」


「なんだよ。先生って言っただけだろ」


「それをやめてください」


キドが口を尖らせる。

使者のユリアンは、困ったように視線を伏せていた。


俺はため息をついた。


「アシュラン様。ギード村長へ上げます」


「ああ、それでいい」


ロイルは書状を持ち、俺たちと一緒に迎賓館へ向かった。



迎賓館の小会議室では、ギードが白眉を寄せながら書状の文字を追っていた。


「……バルデル殿からか」


ギードから書状を受け取ったロイルが、要点を読み上げた。


バルデルは、一月後の再会談への参加を希望している。

ただし、その前に一月ほどウルムに滞在したい。

礼拝堂の管理権を求めるものではない。当然、信徒名簿も献金管理も求めない。

教会の手入れ、弔い、救護の補助、迷いを抱える者の話し相手をしたい。


読み終えたロイルが、静かに紙から視線を上げた。

誰もすぐには口を開かなかった。


「……王国と帝国が、ウルムから手を引く方向へ動いているこの時期にな」

俺は腕を組み、テーブルの上の書状を見下ろした。


ギードは書状を読み終えると、机の上に置いた。


「ふむ」


俺は書状に指を添える。

「王国と帝国が手を引く方向へ動いている時に、聖教国だけが残りたいと言う。普通に考えれば怪しい」


「以前の感じなら、礼拝堂から入り込むつもりはなさそうですわ」

エレノアはそう言った。


ギードが腕を組み、ゆっくりと息を吐く。

「バルデル殿は、追悼の儀の折に一度この村のやり方を見ておる。あの時も、ただ静かに祈って帰っていっただけじゃったが……。話だけは聞くべきじゃろうな」


バルデル本人は多分問題ない。問題があるとすれば聖教国本国だ。

個人の善意は、組織の都合に使われることがある。

それは、王国でも帝国でも、たぶん聖教国でも同じだろう。


「招き入れますか」


ロイルが確認を求めるように、俺とギードを見る。


俺は短く頷いた。


「門の手順を通した上でな」


俺がそう言うと、ロイルは頷いた。


「では、滞在希望者として扱います」


「女王でも司祭でも、同じだ」


「承知しています」


ロイルの返事は早かった。

窓口になって半日も経っていないのに、ずいぶんそれらしくなっている。


本人に言うと嫌がるだろうから、黙っておいた。



バルデル本人がウルムの西門に姿を現したのは、その翌日の昼前だった。


聖教国の巡回司祭という立場でありながら、彼が連れていたのは護衛と従者が数名のみ。

簡素な旅装に身を包んだバルデルは、門前でゴザの上に荷を下ろし、ロイルの前に立っていた。


「お名前を」


「聖教国巡回司祭、バルデルです」


バルデルは何のためらいもなく名を書いた。


「一月の滞在と、村長殿との面会を願い出に参りました。武器は持っておりません」


「ありがとうございます」


ロイルが応じる。


少し離れた場所から見ていたキドが、不思議そうに首を傾げた。


「変な司祭だな。もっと偉そうに入ってくるもんかと思ってたぜ」


「見てくれだけで判断するなよ」


「見てくれじゃねえよ。偉そうじゃないから変なんだ」


それは少し分かる。


偉そうな司祭は、見たことがある。

偉そうな貴族も、偉そうな学者も、偉そうな軍人も、嫌というほど見てきた。


偉そうな奴なら、こちらも構えればいい。

だが、こういう手合いは、少し困る。


バルデルは手順を終えると、ギードのいる小会議室へ通された。



「私がここに残れば、疑われることは承知しております」


椅子に腰を下ろす前に、バルデルはそう言った。


ギードが手で座るよう促す。


「まずは座りなされ。立ったままでは、話も進みにくい」


「ありがとうございます」


礼を言うと、バルデルが座った。

俺は円卓の端に肘をつく。


「分かっているなら話が早い。何が目的だ」


「礼拝堂を、誰かを縛る場所にしないためです」


「そのために、残るのですか?」

エレノアが怪訝そうに眉をひそめる。


「はい」


バルデルは静かに頷いた。


「聖教国の者が誰もいなければ、いずれ別の者が来て、ここを管理させろと言うかもしれません。礼拝堂があり、祈る人がいて、病人や迷う者が来る。ならば聖教国が見るべきだ、と」


「言いそうだな」


俺が言うと、バルデルは否定しなかった。


「そうなる前に、私が現場を知る者としてここに留まりたいのです」


「ずいぶん都合のいい話だな」


「そう、聞こえるかもしれませんね」


バルデルは膝の上で指を組んだ。


「私は、聖教国に命じられてここへ来たのではありません」


ギードが目を細める。


「ご自分の意思で来られたと?」


「ええ」


「それでも、本国に報告はする必要があるだろう」


俺が言うと、バルデルは顔をこちらへ向けた。


「はい。もちろん報告はします」


「どう報告するつもりだ」


「祈りはすでにある。救いを求める者もいる。しかし、この地にはこの地の祈りもある。聖教国が無理強いをすべきではない。そう報告します」


嘘をついているようには見えない。少なくとも、逃げるための言い訳には聞こえなかった。


ギードが、コトリと木杯を机に置いて口を開いた。


「バルデル殿。お気持ちは分かった。だが、ただ滞在すると言っても、日々の役目を決めねばならん。村の者は皆、何かしらの役割を持って動いとる」


「はい」


「祈るだけなら、別に人手は要らない。あんたはここで何をする」


俺の問いに、バルデルは少しだけ伏し目がちに考え、やがて顔を上げた。


「礼拝堂の掃除と手入れ。亡くなった方の弔い。身寄りのない方の相談。あとは……救護所で人手が足りない時の手伝いをさせていただければと」


「お待ちになって」

エレノアが口を挟んだ。


「救護所で手伝うと仰るなら、わたくしの定めた手順に絶対に従っていただきますわ。祈りより先に、手洗いと煮沸です。聖教国の教義より、村の衛生規則を優先できますの?」


バルデルは、ただ静かに頭を下げた。


「もちろんです。薬草の煎じ方から教わるつもりで参りました」


俺は呆れてため息をついた。


「祈りに来た司祭が、薬草の煎じ方からか」


「苦しい方に、まず教義を差し出す司祭は、順番を間違えていますから」


バルデルのその言葉に、エレノアは少しだけ目を細めた。


「……その順番が守れるなら、救護所の手伝いは問題ありませんわ」


エレノアが小さく頷く。実際、エレノアはすでに救護と衛生組合の仕事で手一杯だった。


ギードが頷いた。

「なら、次は条件じゃな」


「伺いましょう」


「まず、礼拝堂を聖教国のものにはせんこと。信徒の名を集めんこと。献金を求めんこと。そして最後に、ウルムの定めを、聖教国の教えより先に守ることじゃ」


「承知しました。すべてお約束いたします」


「それから、掃除もすることじゃな」


バルデルは迷わず頷いた。

「もちろんです」


キドが首を傾げる。

「そこ大事なのか?」


ギードは真顔で言った。

「大事じゃ。口だけの者は、だいたい掃除をせん」


「それは分かる」


俺が言うと、キドが変な顔をした。


「アシュラン様も分かるのかよ」


「研究室にもいた。理想だけ語って、自分の机も片づけない奴がな」


「それ、アシュラン様じゃないのか?」


「俺は、意外ときれい好きだ」


バルデルは少しだけ可笑しそうに目尻を下げた。


「もちろんです。隅々まで、磨かせていただきます」



その日の夕方。

バルデルの滞在が正式に認められ、彼はさっそく礼拝堂へと向かった。


エレノアが礼拝堂へ行くというので、俺も少し遅れて様子を見に行った。


バルデルは祭壇の前にはいなかった。

隅にしゃがみ込み、古い木椀と椅子を布で拭いていた。


司祭というより、ただの掃除係だ。


「司祭様、本当に掃除をなさいますのね」


エレノアが声をかけると、バルデルは手を止めて振り返った。


「祈りの場は、まず埃を払うところからです。場が荒れていれば、心も荒れますから」


「……変わった……律儀な方ですわね」


「変わった奴で宜しいですよ」


エレノアが小さく笑った。


俺は扉の外からそれを見て、肩をすくめる。


「裏がなさすぎる奴も、それはそれで面倒だな」


「師匠」


エレノアがこちらを見る。


「そういう方だからこそ、残っていただく意味があるのではありませんか?」


「分かってる。だから面倒なんだ」


礼拝堂の中には、まだ西日の色が残っていた。

木椀の縁に光が当たり、濡れた布がゆっくりと動く。



夜。

西門の管理小屋で、ランタンの灯りを頼りにロイルが記録帳へ文字を書き込んでいた。


聖教国巡回司祭バルデル。

滞在目的:礼拝堂補助、弔い、救護補助

管理権の主張なし。信徒名簿の作成なし。

ウルムの定めに従うことを誓約。


そこまで書いて、ロイルは少しだけ手を止めた。


それから、備考欄へ一文を足す。


掃除から始める。


記録を閉じる前に、ロイルはギードへ顔を向けた。


「この一文は、残してよろしいですか」


ギードは少し目を細める。


「それは必要なのか?」


「はい」


ロイルは記録帳の端を指で押さえた。


「バルデル殿が何を言ったかだけでなく、何から始めたかも残しておきたいのです」


ギードは短く笑った。


「なら、残せばええ」


俺は横から言った。


「信用ってのは、立派な宣言より行動に出るからな」


ロイルは頷き、記録帳を閉じた。


外へ出ると、礼拝堂の灯りが夜の広場に残っていた。


「聖教国が残ったか」


俺がぼそりと呟くと、ギードは首を横に振った。


「いや。聖教国ではない。バルデル殿が残ったんじゃ」


その違いは大きい。


俺は礼拝堂の灯りを見た。


「その違いが、面倒なんだよ」


夜風に、礼拝堂の灯りが少し揺れた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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