第216話 窓口と古い傷
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「……なぜ、私を見るのですか」
ロイルがそう言うと、長机の周りが少し静かになった。
沈黙を破ったのは、キドだった。
「いや、だって、どう考えてもお前だろ」
キドが首を傾げながら言う。
ロイルは表情を少しだけ硬くした。
「説明になっていません」
「だから、そういうとこだよ」
「なお分かりません」
俺は配置図から顔を上げた。
「俺は嫌だぞ」
「まだ何も言っていません」
「お前の頭の中で俺の顔が浮かぶ前に、先に言っておく」
俺の即答に、ギードが軽く咳払いをした。
それ以上、俺に逃げ道を与える気はなさそうだった。
「一月後に再会談がある。外へ向ける名の話もある。まずは、その前じゃな」
ギードは配置図の西門を指で叩いた。
「王国、帝国、聖教国。それから商人や使者。外から来た者を、最初に受ける者が要る」
「それは、ギード村長が適任です」
ロイルが間髪入れずに返したが、ギードはゆっくりと首を横に振った。
「わしは村の内側を見る。畑の様子、荷置き場の割り振り、年寄りや子供たちじゃ。そっちを放って外向きの面倒な文まで抱え込んだら、どちらも半端になってしまう。そもそも、わしはもう年じゃ。王家の文を読むだけで肩が凝る」
「では、アシュラン様が……」
「嫌だ」
「早いですね」
「俺が前に出ると、話が理屈と技術に寄りすぎる。あと、面倒だ」
「最後が本音では」
「最後だけじゃない」
横でキドが肩を揺らした。
ロイルはため息をつき、なおも視線を巡らせた。
「カイン殿は」
「あいつは帝国の人間だ。魔導工学の専門家としてはうちの戦力だが、外向きの交渉窓口としては候補にもならん」
「と言うことは、エレノア様も……」
「あいつ自身は帝国から離れたつもりでいるが、あの皇帝がどこまでそれを認めているかは怪しい。帝国の元聖女をウルムの顔にしたら、それだけで余計な話を呼ぶ。除外だな」
ロイルの視線が、残った一人へと向く。
ヘイムは太い腕を組み、最初から降参するように肩をすくめた。
「俺は柱と梁の強度なら見るが、王国の小難しい文書なんぞ見たくもない。字が読めないわけじゃねえが、言葉の裏を読むような真似はできねえよ」
「……キドは」
ロイルが半ばヤケクソのように名前を出すと、キドが得意げに胸を張りかけた。
「だめだ」
俺が即座に切り捨てる。
「まだ何も言ってねえだろ!」
「今のお前の顔を見れば分かる」
キドがむっと口を尖らせる。
「俺だって、門番の受付くらいはできるぜ」
「門番と外向きの窓口は違う。お前だとその日のうちに相手と喧嘩になる」
俺がそう言うと、ヘイムが「違いねえ」と笑った。
ロイルはなおも食い下がる。
「……では、複数人で対応すればよいのでは?」
「それはする」
ギードは頷いた。
「だが、外から来た者が最初に見る顔は、一つでええ。名前が五つも六つも並ぶと、向こうは与しやすそうなところを探すじゃろうな」
ロイルは黙り込んだ。
言われている意味は分かる。分かるからこそ、すぐには頷けなかった。
「私は、適任ではありません」
キドが不思議そうに目を丸くする。
「なんでだよ。字も読めて書けるし、王国の偉い連中とも普通に話せるだろ」
「だからです」
ロイルの声が少し低くなり、場が少しだけ止まった。
俺は配置図の上に置いていた手を下ろし、ロイルの顔を見た。
「私は王国側の人間として見られがちです。女王陛下と直接言葉を交わしたこともありますし、何より……」
そこでロイルは言葉を区切り、自分の両手を見た。
そして、少しだけ言いにくそうに口を開いた。
「私は、きれいな人間ではありません」
こいつは元傭兵だ。
国境をうろつき、金で動き、必要なら人も斬ってきた。
今は誰より生真面目に門の記録を取っているが、昔の仕事が消えるわけではない。
俺は頭を掻いた。
「きれいな人間が欲しいなら、うちは最初から詰んでるぞ」
ロイルが顔を上げる。
俺は構わず続けた。
「俺は追放された物理学者だ。エレノアは帝国を飛び出した元聖女。まぁ、カインは帝国の賢者だから比較的まともだが……きれいかって言われると怪しい。そもそもこの村は、追い出された奴や行き場のない奴らで形になった場所だ。お前の言うきれいな奴なんて、どこを探したっているもんか」
キドが、俺の服の裾を引っ張って小さく言う。
「俺は?」
「お前はうるさい」
「雑だな!」
キドの文句で、ピンと張り詰めていた空気が少しだけ緩む。
ギードが、柔らかな声でロイルに語りかけた。
「ロイル。おぬしは、門で止めることができる」
ロイルが眉間を寄せる。
「王国の使者が来ても、帝国の者が来ても、聖教国の偉い司祭が来ても、おぬしはまず名を書かせる。相手がどれほど強かろうが偉かろうが、決して手順を変えん」
「そこが大事なんだ」
俺はギードの言葉を引き取った。
「外向きの窓口は、偉い奴に愛想よく頭を下げる役じゃない。どんな相手だろうと、ウルムの決まりに従って同じ入り口に立たせる役だ。お前はそれができる」
ロイルは黙った。
ヘイムが太い腕で自分の胸を叩く。
「それに、お前は荷の流れも見ることができる。昨日の傭兵の件もそうだ。言葉だけじゃなく、道と荷と人の動きを目で見て分かる奴が要るんだよ」
キドが腕を組んで、妙に偉そうに頷いた。
「あと、俺よりは字が読める」
「それは多くの者ができます」
「でも、俺よりはできるだろ」
「比較対象が低すぎます」
ロイルが真顔で即答し、ヘイムが噴き出した。
ギードが言う。
「一月後まででええ。仮の窓口じゃ。ひと月経ってどうしても嫌なら、その後でまた話し合えばええ。どうじゃな?」
『仮』という言葉が、ロイルの強張っていた肩の力を少しだけ抜いた。
ロイルはしばらく考え込み、やがて視線を上げて一つの条件を出した。
「……私一人では、受けられません」
「まあ、そうだろうな」
「外に出す名前は、ギード村長の名を一番上に置いてください。私はあくまでも実務の窓口です。判断は、村長と住民代表を通す形にしてください」
ギードが深く頷く。
「それでええじゃろう。最初からそのつもりじゃ」
ロイルは続ける。
「話し合った内容は、記録として残し、皆で共有します。私一人の判断で物事が動いたように見えないようにするためです」
俺は少し笑った。
「また板にでも書くか?」
キドが嫌そうな顔をする。
「また板かよ……」
ロイルは真面目な顔でキドを見た。
「必要です。私の判断だけに見えないようにするための、大切な手順です」
「いいんじゃないか。お前が信用できるからというだけで任せるんじゃない。仕組みで間違えにくくするために任せるんだ」
ロイルは少しだけ目を伏せ、小さく息を吐いた。
「……それなら、受けます」
キドがぽつりとこぼす。
「面倒くせえ受け方だな」
「面倒な仕事ですので」
ロイルの返答に、ギードが笑った。
◇
翌日、門前に新しい立て板が出された。
『外からウルムへ来る方へ』
・まず西門で名前を書いてください。
・武器はすべて預けてください。
・王国、帝国、聖教国からの書状は窓口で受け取ります。
・窓口の担当はロイルです。
・村の決まりは、ギード村長と住民代表で話し合って決めます。
村の者たちが、立ち止まってそれを眺めている。
市場へ向かう途中の商人が、板を見て軽く頷いた。
「ロイルさんが窓口か。まあ、前からそうだよな」
近くにいた年寄りが相槌を打つ。
「前から西門の詰所に座っとったしのう」
駆け抜けていった子供が、キドに向かって聞く。
「ねえ、ロイル先生になるの?」
「先生ではありません」
近くで作業の指示を出していたロイルが即答する。
すかさずキドが横から口を挟んだ。
「窓口先生だな」
「やめろ」
村人たちがどっと笑う。
◇
夕方。
西門のすぐ内側にある管理窓口の小屋で、ロイルが一人、机の上の備品を整えていた。
使い込まれた古い記録帳。その横に、真新しい白紙の帳面が置かれている。インク壺。外からの書状を一時的に保管するための木箱。番号の振られた武器預かり札の束。
「もう始めてるのか」
俺が入り口から声をかけると、ロイルは顔を上げた。
「今日できることは、今日から始めます」
「相変わらず真面目だな」
「不安なだけです」
ロイルはそう言ってから、少しだけ手を止めた。
「私が前に出ることで、ウルムに余計な色がつくのが怖いのです」
俺は机の上の木札を一枚つまみ、表裏を見た。
「色がつくなら、上から別の色を塗るしかないな」
「何色ですか」
「そうだな……木札と泥と、薄い粥の色だ」
ロイルは一瞬だけ返答に困り、やがて小さく息を吐いた。
「……きれいではありませんね」
「うちはだいたいそうだ。泥臭いし、面倒だ。だが、まあ、筋は通ってる」
それだけ言うと、俺は小屋から出た。
その日の終わり。陽が沈む前のことだった。
西門の前に、見慣れない旅装の男が一人現れた。
身なりは質素だが、妙に背筋が伸びている。男の手には、封蝋のされた小さな筒が握られていた。
門番が用件を聞くと、男は姿勢を正した。
「聖教国巡回司祭、バルデル様より書状を預かっております」
俺は小さく息を吐く。
「早いな」
「そうですね」
ロイルは机へ戻り、机の上にある新しい白紙の記録帳を開く。
まだ一行も書かれていない、まっさらなページ。
「お名前を」
門の外で、旅装の男がわずかに姿勢を正した。
夕暮れの冷たい風が吹き込む中、ペン先が紙を擦る音が響く。
ロイルは一行目に、聖教国、と書いた。
まっさらな紙にインクが染み込んでいく。
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