第214話 急報と閉じない門
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夕暮れ前、西の空が赤く染まり始める頃。ウルムの西門では、いつものように入村の手続きが進められていた。
荷置き場の動線を見直している最中のため、門前には真新しい仮の木札がいくつも立てられ、夕風に微かな音を立てて揺れている。
そこへ、一台の小型荷馬車が土煙を上げて駆け込んできた。
御者台で手綱を握っているのは、西街道で顔馴染みの行商人、パウルだ。
馬の鼻息は荒く、首筋には白い汗が泡立っていた。
パウルは手綱を引いたまま、馬の首を二度、慌てたように撫でる。
「ロイルさんからだ! 急ぎの知らせで……」
荷馬車を止めるなり、パウルは乾いた声で叫んだ。
門番の若者は一瞬だけ目を丸くしたが、すぐさま手元の記録板に視線を落とす。
「分かった。名前と、積み荷の確認をする。武器は持っているか」
「だから、急ぎなんだって!」
パウルが身を乗り出して焦りを露わにする。だが、門番は困ったような顔をしながらも、決して首を縦には振らなかった。
「分かってる。でも、ここで手順を飛ばすと、後でもっと面倒になるんだ」
渋々パウルが答える。
「塩と釘、それと乾燥豆です。武器は……、護身用の短剣が一本。これです」
パウルが、腰から1本の短剣を外した。
「短剣は預かる」
「分かりました。それで、これがロイルさんから預かった伝言です」
門番はパウルが差し出した紙片を受け取ると、すぐに窓口の者へ走らせた。
「馬はそこで待機させておけ。水を出しといてやる」
「ありがたい」
パウルが御者台から降り、馬の首筋を撫でた。
◇
急報が届いた時、俺は広場脇の仮作業所にいた。
長机の上には、木陰、荷置き場、井戸端、学び舎への道の配置変更を記した図面が広げられたままになっている。
血相を変えて駆け込んできた窓口係から紙片を受け取り、俺は無言で視線を落とした。
そばには村長のギードと、大工のヘイム。ちょうど井戸端の確認を終えたエレノアも戻ってきたところだ。そして、大人たちに混じって、札の整理を手伝っていたキドが顔を覗き込んでくる。
俺は紙片を開き、黙って文字を追った。
敵数、およそ四十。森内に馬車と馬。干し肉と薪で補給中。会談延期により、待機の目的を失う恐れあり。一週間以内に暴発の可能性。
最後の一行を読み終えたところで、キドが身を乗り出した。
「なにか来るのか?」
キドが背伸びをしながら尋ねる。
「来るかもしれん」
「危ないのが来るのなら、門を閉めた方が良いんじゃない?」
「閉め切ると、かえって面倒になる」
キドの目が見開いた。
「面倒って、傭兵なんだろ。入ってきたらどうすんだよ」
「入れない」
「じゃあ閉めりゃいいじゃねえか」
アシュランは配置図の西門を指で押さえた。
「閉めた門の前で、腹を空かせた男が六人だの十人だの騒いで、こっちから出て止めに入る。そこで誰かが怪我をする。すると、後から来た連中がウルムの前で野盗騒ぎが起きたと言い出す。そういう筋書きだろう」
ギードが低く唸った。
「門の外で騒がれても、面倒は面倒じゃの」
「だから、騒ぎにならない形にする」
「じゃあ、どうすんだよ」
キドが聞く。
「水と粥を出す」
「は?」
キドが素っ頓狂な声を上げた。
「敵かもしれない奴らにか?」
俺は図面から目を離さずに答えた。
「敵だと決まった奴なら、中には入れない」
「だったら、何で食わせるんだよ。追い返せばいいだろ」
「腹を空かせた男に剣を握らせて門の前に立たせるより、薄い粥を食わせて地べたに座らせた方が、結果的に安くつくんだ」
キドは納得いかない様子で唇を尖らせる。
「そこまでしてやる相手かよ……」
「相手がどんな奴かは関係ない。ウルムに敵意を持って入ってこないなら、それでいい」
「もし、敵意を持ってたら?」
「水を見ても武器を握ったままなら、そいつは飯が欲しいんじゃない。騒ぎが欲しい奴だ。そいつは分けて対応する」
キドはまだ不満げだったが、アシュランの言葉が面倒ごとを避けるための計算だと察したのか、小さくため息をついた。
「……粥はうんと薄くしろよな」
「そこは任せる。お前、厨房に伝えてこい」
「へーへー。粥は薄くするぞ」
「そこは任せる」
「任せんなよ」
悪態をつきながらも、キドは炊き出しの準備を伝えるため厨房へと走っていった。
ヘイムが配置図を覗き込んだ。
「門の前に荷馬車を置くか?」
「完全には塞がない方が良いな。逃げ道は残すようにしろ。追い込むと暴れるかもしれん」
「道を細くするだけか」
「一人ずつ通れる幅でいい。門の少し手前に水桶を置いて、粥はその横。武器置き場は別に設ける。一応、名前を書く板も出しておけ」
ギードが頷いた。
「年寄りと子供は、学び舎側へ回すようにしよう。井戸端には寄せんことじゃな」
「市場へ続く道も、木札で分けてくれるか」
「大丈夫だ。できる」
ヘイムがすぐに返した。
エレノアが静かにアシュランの隣に立つ。
「師匠、結界はいかがいたしますか? いつでも展開できますわ」
「まだいい。最初から見せると、向こうも無駄に構える」
「では、門前だけ薄く備えます。必要になれば、すぐに厚くしますわ」
「頼む」
◇
日が傾き始める頃、西門の前はいつもと少し違う形になっていた。
門は閉じていないが、そのまま、まっすぐには入れないようになっていた。
古い荷馬車を少し斜めに置き、立て札と縄で道を細くしてある。横には水桶が二つ。そして、粥の入った鍋からは、湯気が上がっていた。
立て札には、太い字で次のことが書かれていた。
一、武器を置いた者には、水と粥を与える。
一、村に入る者は、記帳をすること。
一、武器を持ったまま、村に入ることは認めない。
「なんか、炊き出しみたいだな」
キドがぼそりと言う。
「みたいじゃなくて、炊き出しだ」
「敵かもしれないんだろ」
「だから門の外だ」
俺は、西の街道の先を見た。
すると、遠くから、いくつかの影がこちらへ近づいてくるのが見えた。
不揃いの鎧に、槍を持つ者や剣を腰に下げる者、そして、革鎧だけの者たち。
「六人か」
それは、まとまった隊というより、森から勝手に抜けてきた連中に見えた。
どうも、その足取りには勢いがない。空腹と不機嫌がないまぜになったような、そんな歩き方だった。
やがて門の前に辿り着くと、先頭の男が見上げて薄笑いを浮かべた。
「村にしちゃ、ずいぶん立派な門だな」
キドが一歩出かけたのを俺は手で止めた。
「通行か」
「そうだ。東へ抜ける」
「なら、そっちの道を行け。村の中は通せない」
男たちが顔を見合わせる。
一人が水桶に目をやった。別の男は粥の鍋を見て、喉を鳴らす。
先頭の男が鼻で笑った。
「俺たちを乞食扱いか」
「乞食は武器を持って来ない」
短い沈黙が落ちた。
キドが横で吹き出しかけ、ギードに肘で小突かれる。
先頭の男は笑おうとして、うまく笑えなかった。
「俺たちは傭兵だ」
「知ってる」
「なら、話が早い。仕事がなくなって困ってる。村で少し休ませろ」
「武器を預けて、名を書けば水と粥は出そう。だが、村には入れない」
「金なら払うぞ」
「村には入れない」
俺が同じ調子で返すと、男の目が細くなった。
「ずいぶん偉そうだな」
「門番がいる村で、門の前に立ったらこうなる」
後ろの男がぼそりと言った。
「粥……、食えるのか」
「武器を置けばな」
「名前は本名じゃなきゃ駄目か」
「本名かどうかは、俺たちには分からんがな」
「じゃあ書く」
その男が真っ先に剣を外すと、用意して置いた木箱の中に入れる。
みると、男の手が小刻みに震えていた。それほど疲れているのだろう。
一人が置くと、二人目も迷い始めた。
だが、まだ全員ではない。
不意に、後ろにいた痩せぎすの男が、水桶へ向かって足を出した。蹴り倒して水をぶちまけ、騒ぎの口火を切るつもりだったのだろう。
だが、桶の前にはわざと濡らして滑りやすくした土がある。木板の端も、踏み込みにくいように少し浮かせてあった。
男の足が滑る。
派手に転びはしなかったが、踏ん張りが利かず、体が横へ無様に流れた。
すかさずキドが無言で水桶を押さえる。
同時に、門の上で弓が一つ、ギシッと音を立てて構えられた。
エレノアの結界が、門前には薄くだが張られている。
踏み込もうとした男の肩が、そこで止まる。
俺は男を見た。
「そういうつもりなら、粥はなしだ」
「てめえ……」
男の手が剣に伸びる。
だが、先頭の傭兵がその腕をガシッと掴んだ。
「やめろ」
「でもよ」
「やめろって言ってんだ」
その声には、仲間を諫めるというより、自分たちの残された逃げ場を守ろうとする必死さがあった。
俺は畳み掛けるように続けた。
「ここで飯を食うか、それとも、王国近衛のところへ行くか。自分で選べ」
先頭の男の顔が変わった。
「近衛だと?」
「関所へ行けば会える。たぶん、お前たちの雇い主の事情も聞けるぞ」
男たちの間に、嫌なざわめきが走った。
「おい、どういうことだ」
「待てって話じゃなかったのか」
「金は?」
「だから言っただろ、あの領主、怪しいって」
先頭の男はしばらく黙っていた。
やがて、自分の剣を外した。
「粥をくれ」
「名前は?」
「……ハンス」
「字は書けるか」
「名前くらいはな」
男は台帳に乱暴な字で名前を書いた。たぶん本名ではないだろう。だが、今はそれはどうでもいい。
俺はキドへ顎をしゃくった。
「薄い方を出せ」
「ほんとに薄いぞ」
「文句を言える立場じゃないからな」
キドが椀を渡すと、男たちは立ったまま無心で粥をすすった。
礼を言った者は1人もいなかった。だが、剣に手を戻そうとする者もいなかった。
門番の若者が、西の街道へ目を細めた。俺もそちらを見る。
土埃が上がっていた。王国近衛だ。
彼らは門前の光景を見るなり、一瞬だけ呆気に取られたように足を止める。
武器はまとめて木箱の中に入れられており、傭兵崩れどもは大人しく粥を食っている。もちろん、血は一滴も流れていない。
近衛の隊長が、何とも言えない表情で俺を見た。
「これは……」
「お宅の国の問題らしいので、持っていってくれ」
「ウルムの自警団が制圧したのか?」
「ただ粥を食わせただけだ。……尻拭いも大変だな」
近衛は苦い顔で頷き、部下に指示を出した。
傭兵たちは近衛に囲まれ、街道へと戻されていく。先頭の男が、最後に門を見上げて忌々しそうに言った。
「村だって聞いてたんだがな」
空になった椀を片づけながら、キドが返す。
「村だよ」
男は鼻で笑った。
「嘘つけ」
それだけ言って、連れて行かれた。
◇
夜の帳が降りる頃、西門前の水桶は片づけられた。
粥の鍋はすっかり空になっている。キドが底を覗き込んで、あからさまに嫌そうな顔をした。
「何で俺が、敵の食った鍋を洗ってんだよ」
「敵にならずに済んだ連中の鍋だ」
「言い方変えただけだろ」
「大事だぞ、言い方は」
俺は立て札を外し、西の街道へ目を向けた。
ロイルはまだ戻って来る気配はない。
パウルの急報は届き、傭兵崩れも門前で無力化できた。王国近衛も引き取りに来た。
それでも、腹の底にどうにも落ち着かないものが残っている。
ギードが歩み寄ってきた。
「ようやった」
「粥を出しただけだ」
「それが難しいんじゃ」
ギードはそれだけ言って、空の鍋を抱えて村の方へ戻っていった。
門番の若者が、重い扉を閉じる準備を始める。
その時、西街道の暗がりから蹄の音が近づいてきた。
王国近衛の早馬だった。
馬を止めた近衛兵は、息を整える間も惜しむように、手短に報告を告げた。
「グレインベルク領主は、王国近衛の監視下に置かれました。森の主力も、こちらで押さえに向かっています」
俺は頷いた。
「ロイルはどうした」
近衛が居住まいを正す。
「使者殿は、返書を受け取り次第こちらへ戻られるとのことです。女王陛下が、ウルムへの正式な返書を直筆で用意されておりますので」
「直筆か」
俺は、少しだけ黙った。
女王の直筆か。
それなら、ただの返事では済まない。
門番が、閉じかけていた門の扉を見てから、俺に視線を向けた。
「閉めますか」
俺は再び、西の街道へ目をやった。
すっかり暗くなった道の先に、ロイルの乗る馬の影はまだない。
「まだ、完全には閉めるな」
「はい」
夜の冷たい風が、わずかに残された門の隙間をすり抜けていった。
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