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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜【書籍化進行中】  作者: しいたけ
第15章 世界の基準点と木陰のまどろみ

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第213話 女王陛下とウルムの使者

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

門前の空気は、ひどく張り詰めていた。


文官は引きつった顔で黙り込み、私兵たちは槍を向けたまま互いの顔を見合わせていた。「使者」という言葉と、微動だにしないロイルの佇まいが、彼らの動きを縛っていた。


文官が何か言いかけたとき、館の奥から足音が近づいてきた。胸元の徽章を見て、ロイルは目を細めた。領主家のものではない。王国の近衛だ。


「こちらが、ウルムからの使者か」


「はい」


ロイルが礼を取ると、近衛は文官を見た。


「女王陛下がお会いになる。通せ」


文官が慌てて口を開く。

「しかし、近衛様。領主様のお耳にも入れず――」


「陛下への急使だと言っている。邪魔立てするなら、反逆と見なすが?」


文官は唇を結んだまま、私兵に目で合図した。


門が開く。


ロイルは一礼して、館の敷地へ足を踏み入れた。



館の中は、やけに飾りが多かった。


廊下の壁には、グレインベルク家の紋章がいくつも掛けられていた。

古い戦の絵、馬上の領主、鹿を仕留めた先代の肖像。どれも立派ではあるが、少し多すぎる。


王国女王の旗は、奥の客間の前に一枚だけ、小さく掛けられていた。

ロイルはそれを見ても、何も言わなかった。


廊下の角に、太った男が待っていた。年は五十を少し越えたくらいか。髭は丁寧に整えられ、指には指輪が重なり、腹のあたりにゆとりを持たせた上着を着ていた。


グレインベルク領主だ。


「ウルムからとは、遠路ご苦労なことですな」


どこか媚びるような声だった。だが、ロイルは礼を返し、筒を持つ手を強く握った。


「女王陛下への書状をお持ちしました」


「それなら、私が預かりましょう。この館では、まず私を通していただくのが筋ですからな」


領主が手を出す。


しかし、ロイルは筒を握りしめた。


「女王陛下へ直接お渡しします」


「失礼ながら、ここは私の館ですぞ」


「えぇ」


「ならば――」


「その館に、王国女王陛下が滞在されています」


領主の笑みが、ほんの少し薄くなった。


その時、奥の扉が開き、オリヴィエが姿を見せた。


「ロイル殿」


「オリヴィエ卿」


「こちらへ。女王陛下がお待ちです」


領主は小さく咳払いした。


「オリヴィエ殿。急な使者です。安全確認を――」


「近衛が確認しました」


オリヴィエは、それだけ言った。


領主の指輪が小さく鳴り、握られた拳が上着の袖に隠れるのをロイルは見た。


ロイルは、軽く会釈してそのまま横を通り過ぎた。



部屋の中は、思ったより静かだった。

ただ、部屋の端には多くの近衛が立っていた。


シャルロッテは窓際の机の前にいた。旅装を脱ぎ、王国女王としての衣装を纏っている。

薄い色の上着に、王家の紋章の意匠をしたブローチを控えめに留めていた。


顔色は悪くないようだ。


ロイルは膝をつき、正式に礼を取った。


「ウルムより参りました。ロイルです」


短い間があった。


「ご苦労さまです」


シャルロッテの声は落ち着いていた。


ロイルは顔を上げ、封書の筒を差し出す。


「ギード村長の判断により、再会談は一月後を希望いたします」


シャルロッテは筒を受け取った。


「理由は」


「村内の配置見直しと、住民代表との協議です」


「木陰のことですね」


「はい」


ほんの少し、シャルロッテの目が和らぐ。


「アシュラン様らしい判断です」


ロイルは、すぐには頷かなかった。


「アシュラン様だけの判断ではありません。ギード村長の判断です」


シャルロッテは、そこで表情を改めた。


「そうですね。失礼しました」


シャルロッテが封を開け、文面に目を通す。

その間、ロイルは黙っていた。


シャルロッテは紙から目を離し、改めてロイルを見た。

その目は、王国女王のものだった。


「もう一つ、口頭でお伝えすることがあります」


オリヴィエの目が動いた。


シャルロッテは封書を机に置く。


「聞きましょう」


「その前に、こちらにいる方々は……」


「大丈夫です。この部屋にいる者は皆、私が信頼を置く者たちです」


「失礼致しました。では……」


ロイルは、森で見たものだけを話した。


関所近くの脇道に残る深い轍。馬糞の数、干し肉と薪を積んだ荷車、そして、森へ向かう荷の向きのこと。


「三十から四十入ると思われます。王国正規兵の動きには見えませんでした。ただ、野盗にしては、補給が整いすぎています」


オリヴィエの顔が硬くなった。


「確認した者は」


「私です」


「他には」


ロイルは少しだけ迷い、懐から小さな羊皮紙を出した。


黒い羽の印が見える部分を、オリヴィエに向ける。


オリヴィエは、それを見て黙った。


シャルロッテも見た。


「黒鴉ですか」


「はい。ただし、私が見たものと矛盾はありません」


「分かりました」


シャルロッテは、静かに言った。


「……領主殿を」


近衛が動き、領主を呼びに出た。


それから、暫くすると扉が開く。


グレインベルク領主が入ってくる。さきほどの柔らかい笑みを、もう一度顔に貼り付けて。


「陛下、お呼びでございますか」


「関所近くの森に、武装した集団がいるようです」


シャルロッテの問いかけに、領主はわざとらしく眉をひそめてみせた。


「国境近くですからな。質の悪い野盗の類でしょう。物騒なことです。会談を控えたウルムの治安を守るためにも、近隣領主である我らが兵を出して、速やかに……」


ロイルが何も言わず、ただ氷のような目で彼を見つめる。その視線に気づいた領主が言い淀んだ。


「……え? いや、ですから、その……」


領主の目が泳ぎ、額にじわりと脂汗が浮かぶ。


「森の連中の行き先がウルムだとは、一言も申し上げておりませんが」


ロイルの低く抑えた声が、とどめを刺した。


オリヴィエが一歩前へ出る。剣の柄に手が添えられていた。


「森の確認は、王国近衛が行う。領主家の兵は、一切動かさないように」


「なっ……! しかし、領内の治安を守るのは私の……」


「これは、女王である私の命です」


シャルロッテの声は、決して大きくはなかった。

だが、その一言を聞いて領主は膝をついた。その顔からは、血の気が引いていた。


「……承知、いたしました」


「領主殿。あなたは、この館に留まりなさい。森にも、関所にも、一切の使いは出さないように」


「陛下、それはあまりにも――」


「確認が済むまでです」


シャルロッテは繰り返した。


領主はそれ以上、言えなかった。


領主は顔を伏せたまま、近衛に促されて部屋を出ていった。


シャルロッテはオリヴィエへ顔を向ける。


「関所を押さえてください。森へ向かう道もです。領主家の兵には、一歩も動かせないように」


「承知しました」


「それから、領主館から外へ出る者を確認してください。伝令が出ているはずです」


オリヴィエの目が細くなる。


「すでに出ている可能性があります」


「分かってるなら、急いでください」


「はっ」


オリヴィエは短く返事をし、近衛を数名連れて部屋を出ていった。


残ったのは、シャルロッテとロイル、それから壁際に立つ二人の近衛兵だけだった。


ロイルにとっては、その方がよかった。


二人きりなら、たぶん何を言えばいいか分からなかった。


シャルロッテは机の上の封書へ視線を落とした。


「助かりました」


「ウルムの使者として、見たものをお伝えしただけです」


「それだけで、十分です」


窓の外から、風が木々を揺らす音が聞こえた。


シャルロッテが、静かに名を呼ぶ。


「……ロイル」


不意に呼ばれた名前に、ロイルは顔を上げる。


「はい、女王陛下」


一瞬だけ、シャルロッテの目が伏せられた。


けれど、次に顔を上げた時には、女王の顔に戻っていた。


「……無事でよかった」


ロイルは返事に迷った。


たった一言でよかった。

たぶん、ロッテと呼べた頃なら。


だが今は、そうではない。


「女王陛下こそ、ご無事で何よりです」


シャルロッテは、少しだけ苦笑した。


「そういう返し方を、するのですね」


「使者ですので」


「……えぇ。分かっています」


近づく言葉は、いくつかあった。

だが近づけば、ロイルは使者でいられなくなる。


シャルロッテは封書を指で撫でるように押さえた。


「ウルムは、木陰を直すのですね」


「はい」


「王国では、たぶん先に名前を決めてしまいます。国境の街、とか、要衝の街、とか」


「ウルムでは、名前を刻む前に座る場所を見ることになりました」


シャルロッテは小さく笑った。


「アシュラン様らしい……、あ、違いましたね」


「えぇ、ギード村長の判断です」


「はい。ウルムの判断ですね」


その言葉を聞いて、ロイルは少しだけ息を緩めた。


シャルロッテの目が、窓の外の遠い空を見つめる。


「一月後、改めて伺います。その時も、門で名を書きます」


「お待ちしております」


ロイルが深く頭を下げると、シャルロッテの小さな声が降ってきた。


「その時、あなたは門にいますか」


ロイルは、すぐには答えられなかった。


「……必要なら」


「そうですか」


シャルロッテはそれ以上聞かなかった。


その沈黙に助けられた気がした。


だが、廊下を走る足音が、部屋の静寂を打ち破った。

扉が開き、オリヴィエが戻ってきた。

その表情だけで、何かを掴んだのだと分かった。


「陛下。領主館から出た伝令を二名、街道で押さえました」


シャルロッテの表情が引き締まる。


「で、どうでしたか」


「森の者たちへ、待機を続けろという内容でした」


オリヴィエはそう言って、折りたたまれた紙片を差し出す。


その封蝋は、グレインベルク家のものだった。


シャルロッテは紙片を受け取る。さっと目を通した後、顔を上げる。


「森の方は」


「近衛が向かっています。領主家の兵は動かしていません」


「傭兵たちは」


「まだ森の中です。ただ、雇い主からの伝令が届かなければ、長くは保たないでしょう」


ロイルが顔を上げる。

すでに、行商人のパウルに託した急報はウルムへ向かっているはずだ。アシュランなら、間違いなく対応するだろう。


ロイルは、そこで口を開く。


「待たされる傭兵は荒れます。食料と金が止まれば、勝手に散る者も出るはずです」


オリヴィエが頷く。


「なら、関所を押さえたまま、森から出る道を絞ります。捕らえられる者は捕らえ、逃げる者は追跡を付けます」


ロイルは、握っていた筒から少しだけ力を抜いた。


まだ終わってはいない。

それでも、最悪の道筋は逸れた。


シャルロッテは、ゆっくりと椅子に座り直した。


「領主殿は、この館に留めます。関所と森の確認が終わるまで、誰とも会わせません」


「よろしいのですか」


ロイルが聞くと、シャルロッテは静かに頷いた。


「王国の貴族が、王国の名を使ってウルムを乱そうとしたのです。王国が処理します」


その声に、迷いはなかった。


ロイルは深く頭を下げる。


「承知しました」


「ロイル」


「はい」


「ウルムへは、私から正式な返書を出します。再会談を一月後とすること。村内の見直しを尊重すること。そして、今回の件は王国側の責任で調査すること」


「そのまま、お伝えします」


「いいえ」


シャルロッテは首を振った。


「書きます。言葉だけでは足りません」


そう言うと、シャルロッテは机の上の羊皮紙を引き寄せた。


女王自ら筆を取る。

近衛も、オリヴィエも、誰も口を挟まなかった。


ロイルはその様子を見ていた。


しばらくして、シャルロッテは筆を置いた。


「この書面は、あなたに託します」


「私が、ですか」


「ウルムから来た使者です。返書を持ち帰るのも、あなたが一番よいでしょう」


「……承知しました」


ロイルは礼を取った。


シャルロッテは、封をする前の羊皮紙にもう一度目を落とした。


「無事に戻ってください」


今度は、ロイルもすぐには返さなかった。


やがて、静かに頭を下げる。


「はい。女王陛下」


夜になっても、領主館の廊下には人の気配が残っていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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