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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜【書籍化進行中】  作者: しいたけ
第15章 世界の基準点と木陰のまどろみ

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第210話 木陰と配置図

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

翌朝、迎賓館の一階に長机が出されていた。

机の上には、昨日の色札と理由を書いた板、それからヘイムが持ってきた村の配置図が広げられている。


名前を決める前に、まず村の中を見る。

そう言い出したのは俺だ。

配置図から目を逸らすわけにはいかない。


門に市場、井戸端、学び舎、そして、荷置き場。

線と印が増えすぎて、ぱっと見ただけでは何が何だか分かりにくい。


「もっと単純な図でいい」


俺が言うと、ヘイムが眉を寄せた。


「単純にしたら見落とすぞ」


「細かくしすぎても見落とすぞ。読む気が失せるからな」


ロイルが横で記録板を開いた。


「必要な場所だけ、色を分けますか」


「それがいい。あと、荷の流れと人の流れを同じ線で描くな。ごちゃごちゃになる」


ヘイムは無言で赤い紐と白い紐を取り出した。

赤が荷車。白が人の通る道。

そして、黄色の小さな木片が荷置き場らしい。


その黄色い木片が、市場裏の木陰に置かれていた。


俺は眉間を押さえる。


「また、とりあえず置ける場所から潰したな」


ヘイムには悪びれた様子もない。


「近いんだよ、そこは。荷を下ろして、そのまま市場へ回せる。雨も少しは避けられるしな」


「だから休む場所を潰したのか」


「潰すつもりでそうしたわけじゃない。使っているうちに、そうなった……駄目か?」


「駄目というより、休む場所がなくなる」


ヘイムの手が止まった。


その隙に、ギードが部屋の入口へ目を向ける。


「入ってもらえ」


ロイルが頷き、外に声を掛ける。


入ってきたのは、いつもの面子だけではなかった。

市場の商人をまとめている男が先に入り、長屋の世話役がその後に続く。井戸端を使う女たちの代表もいた。昨日、反対札を出した古参の男まで来ている。

学び舎からは、なぜかキドとリュックまで顔を出していた。


俺はギードを見た。


「人数が増えると話が長くなる」


「使う者を入れずに決めたら、昨日の札が無駄になるじゃろう」


そう言われると、返す言葉がない。

俺は配置図へ目を戻した。


「……分かった。俺たちだけで決めていい話じゃなかったな」


キドがなぜか得意そうな顔をした。


「俺も使う側だからな」


「お前はまず椅子に座れ。机の上に登るな」


「見えねえんだよ」


「背が足りないからだな」


「うるさい」


少しだけ空気が緩んだ。

その間に、ロイルが全員の名前と役割を書き留めていく。


最初に口を開いたのは、市場の商人だった。


「荷置き場を門の近くに移すと、市場まで運ぶ手間が増えます。小口の荷まで毎回運べと言われたら、商売になりません」


「全部移すとは言ってない」


俺は黄色い木片を二つに分けた。

一つは市場裏。もう一つは門の近く。


「市場裏は短い時間の積み替えだけにする。夜を越す荷、大荷物、行き先が決まってない荷は門近くへ逃がす」


ロイルが筆を走らせる。


「市場裏は一時荷置き。長時間の保管は禁止、でよいですか」


「長時間の保管禁止だと曖昧だな」


ロイルの筆が止まる。


「時間を書いとけ。そこが曖昧だと、また少しだけとか言って置かれるぞ」


「少しだけ、は長くなることが多いですからね」


「お前が言うと実感があるな」


ロイルは顔を上げなかった。


商人はまだ渋い顔をしている。


「雨の日はどうするんです。門の近くに置いて、荷が濡れたら困ります」


ヘイムが配置図の端を叩いた。


「仮の屋根なら三日で立てられる。まともに作るなら十日は見てくれ。取りあえず、柱を立てて、雨の流れも逃がすようにはする。急いで布だけ張っても、風でめくれるからな。やるならちゃんとやった方が良いだろ」


「なら、そうするべきだな」


商人が少し目を丸くした。


「待っていただけるんですか」


「別に荷物を濡らしたくて動かすわけじゃないからな。今日から全部移せとは言わない。まず置いていい荷と、置きっぱなしにしてはいけない荷を分けるのが先だ」


ロイルが筆を持ち直す。


「市場裏の荷置きは段階的に縮小。門近くの屋根付き荷置き場ができ次第、大荷物と長期保管の荷を移す、ですね」


「そうだ。で、七日後に一度見直そう。屋根ができる前でも、どの荷が邪魔かくらいかは分かるだろ」


ヘイムが頷いた。


「その間は、濡らしちゃいけない荷だけ今ある倉庫に回そう。全部は無理だが、薬草や紙よりは後回しにできる荷もあるだろ」


商人は渋い顔のまま、少しだけ頷いた。


「それなら、こちらでも仕分けます」


次に、古参の男が口を開いた。


昨日、反対札を出した男だ。

何度も配置図の市場裏を見ていた。


「木陰は戻るのか」


「戻す」


俺は即答した。


「本当にか」


「あぁ、荷置き場にはしない。リナもうるさいしな」


男はすぐには頷かなかった。


「あとでまた荷が増えたら?」


「その時は荷置き場を増やす。木陰を潰す理由にはしない」


「約束できるか」


「記録にも残しておくよ」


俺がロイルを見ると、ロイルはすでに書いていた。


その時、窓の外から声がした。


「木があるのに座れないのは、変」


リナだった。

窓枠に両手をかけ、当然のように顔だけ入れている。


「ほらな。っていうか、窓から入ってくるな」


「入ってないよ」


「顔が入ってる」


「顔だけじゃない。アシュランのケチ」


キドが噴き出した。


リナは気にせず続ける。


「木陰は、人が座るところ。荷物は座らせない」


「大丈夫だ。今、その話をしている」


古参の男は、リナを見て、それから配置図へ目を戻した。


「木陰が戻るなら、俺はそれでいい」


「全部よくなるとは言ってないぞ」


「分かってる。だが、始めることが大事だ。だろ?」


男はそう言って黙った。


井戸端の女代表が、今度は細い道を指した。


「朝と夕方、この道に荷車が来ると困ります。水を持たせた子が避ける場所がなくて、危ないんです」


市場の商人が言い返しかけた。


「しかし、荷車にも都合が――」


ギードが片手を上げる。


「まず最後まで聞く」


女代表は少しだけ息を整えた。


「全部止めてほしいと言っているわけではありません。ただ、水を汲む時間だけでも外してほしいんです。子供が桶を持っている時に、後ろから荷車が来ると怖いんです」


エレノアが頷く。


「水場が混雑すると、具合を悪くする者が出るかもしれませんわ。特に、暑い日は」


「熱中して作業して倒れる奴もいるしな」


「師匠のことですの?」


「一般論だ」


「とても具体的な一般論ですわね」


この頃のエレノアは一言多い。


ロイルが記録板を少し傾けた。


「通路の入口に、荷車が通れる時間と、通れない時間を書きましょう。口頭だけでは、外から来た者は忘れます」


「いいな」


俺は頷いた。


「そうだな。標識で見せよう。読めない奴にも分かるように絵にすると良いな。時間が守れない荷は、門近くで待機だ」


商人は腕を組んだ。


「待たされる側から文句が出ますよ」


「出るだろうな」


「それでもやるんですか」


「子供が轢かれるよりましだ」


そこで、商人は黙った。


キドが板を三枚出した。

見覚えのある字と、少し下手な絵が混じっている。


『荷車が増えると、学び舎へ行く道が危ない』

『小さい子が、井戸端の近くで荷車を避けられない』

『市場裏の木陰が荷置き場になっている』


「これ、昨日のあとに書いたのか」


「小さいやつらが言ってた。俺がまとめた」


「偉いな」


「だろ?」


「あんまり調子に乗るなよ」


「褒めたあとで落とすなよ」


リュックが控えめに手を上げた。


「道の入口に、目印の石を置くのはどうでしょう」


リュックが、配置図の細い道を指す。


「荷車が入っていい道と、入らない道が分かるようにするんです。柵を置くと、人も通りにくくなりますから」


ヘイムが配置図を覗き込む。


「石なら邪魔になりにくいな。動かすのも難しくない」


「文字は?」


ロイルが聞く。


リュックは少し考えた。


「文字だけだと読めない人もいます。荷車が入らない道には、色を付けた石を置く。人が通る細道には、白い平石を置く。荷車が通る道には木札を立てる、というのはどうでしょう」


「石と札を混ぜるのか」


俺が言うと、リュックは慌てて頷いた。


「全部石だと、たぶん分からなくなります。荷車の人は木札を見慣れていますから」


悪くない。


荷を運ぶ者には木札を、歩く者には足元の石を、見る相手によって使い分けるわけだ。


長屋の世話役が口を開いた。


「外から来る人が増えるなら、長屋の前も心配です。荷を置かれたり、勝手に腰を下ろされたりすると、住んでいる者が落ち着きません」


「門で滞在目的と行き先を書く。今もやってる」


「書いても、迷う人はいます」


ロイルが頷いた。


「外から来た人が迷いやすい角に、案内札を出します。市場や迎賓館へ行く者が、長屋の方へ入り込まないように」


「それなら、井戸と学び舎の近くにも欲しいですわね」


エレノアが口を挟む。


「子供がいる場所ですもの。外から来た人が悪い方ばかりとは思いませんけれど、うろうろされるだけでも落ち着きませんわ」


「字だけだと読めない者もいるな」


俺が言うと、リュックが少し考えた。


「井戸は桶、市場は荷籠、迎賓館は屋根のある建物。学び舎は……、小さな鐘はどうでしょう」


「鐘?」


「朝と昼に鳴らしている鐘です。子供たちも、あれで集まりますから」


「それなら分かるな。それで良いか? キド」


「あぁ、いいよ。でも、長屋は?」


「入るな、でいい」


俺が言うと、長屋の世話役が少し笑った。


「それは分かりやすい」


話は、なかなか終わらなかった。


商人が言えば、井戸端の女たちが首を振る。ヘイムが線を引けば、キドが「そこは小さいやつが走る」と口を挟む。


面倒ではある。


だが、これを飛ばしていたら、昨日の色札を集めた意味がなかった。

どの意見も、配置図には最初から描かれていない。


ギードが最後に配置図を見下ろした。


「では、決めるぞ」


ロイルが筆を持ち直す。


「では、記録には“仮”と付けておきます」


「そうじゃな」


俺は顔を上げた。


「一度で決めないのか」


ギードの口元が、ほんの少し動いた。


「お主がいつも言うておるじゃろう。後で直せるようにしておけ、と」


自分の言葉で返されるのは、あまり気分が良くない。


「……覚えてなくていいことは覚えてるな」


「言われた方は覚えとる」


どこかで聞いたような返しだった。


ロイルの筆は、しばらく止まらなかった。


記録帳には、まず市場裏の木陰から荷をどかすことが書かれた。

続いて、門近くに屋根付きの荷置き場を作ること。井戸端と学び舎へ続く道には、荷車を入れない時間と目印を置くこと。


書かれていく文字を、古参の男も、市場の商人も、黙って見ていた。


「七日じゃ」


ギードが言った。


「まず七日、これで動かしてみる。足りぬところが出たら、その時に直す」


「決めるんじゃなくて、試すのか」

古参の男が聞く。


「そうじゃ。決め切るには、まだ早い」


商人は渋い顔をしていたが、口を挟まなかった。


ロイルが記録帳を見ながら、少しだけ眉を寄せた。


「これだと、思ったより時間がかかるのではありませんか」


「だな」


俺は椅子の背にもたれた。


「白石板に名前だけ刻むなら、明日でもできる。だが、木陰ひとつ戻せないまま自治都市を名乗るのは、さすがに気持ちが悪い」


ギードが頷く。


「王国、帝国、聖教国へ伝えねばならんの」


「伝えるしかないな」


誰に、どう伝えるか。

それを考えた途端、胃のあたりが少し重くなった。



夕方になる前に、市場裏の荷は動き始めた。


商人たちは不満そうだったが、門近くに仮の屋根が作られると聞いて、しぶしぶ荷札を付け替えている。ヘイムの部下たちは、杭と縄を運び出していた。


木陰の根元には、縄の跡が残っていた。

土は踏み固められ、葉の下にも細かい埃が積もっている。


それでも、荷がなくなると、そこはいつもの木陰に戻った。


古参の男が、ためしに腰を下ろす。

少し落ち着かない顔をしていたが、やがて杖を横へ置いた。


「座れるな」


「木陰だからな」


「そうだった」


リナが木の横に立って、じっと見ている。


「息、少し戻った」


「まだ仮だ」


「仮でも、ずっと良くなったよ」


俺は何も言い返さなかった。


少し離れたところで、ギードが配置図を丸めている。


「一月は要るの」


「そうだな」


「三者へ伝えるか」


「まず、近くにいる奴からだな」


俺は門の外へ向かった。


街道脇の木陰。

昼間から気になっていた場所だ。


風はある。

鳥も鳴いている。


だが、そこだけ虫の音が薄い。


俺は木陰へ向かって言った。


「ベアトリクス。いるんだろ」


葉が、ほんの少しだけ揺れた。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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