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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜【書籍化進行中】  作者: しいたけ
第15章 世界の基準点と木陰のまどろみ

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第209話 色札と不安

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

朝から、リュックが板の前で唸っていた。


市場の横に立てた掲示板には、リュックの字が細かく並んでいた。

真面目なのは分かる。

分かるが、読む側の気力までは考えていない。


俺は最後まで読む前に、板を指で叩いた。


「長い」


リュックが不満そうに振り返る。


「でも、説明しないと分かりません」


「板で全部説明しようとするな。読めない者もいる。読めても途中で飽きる」


「それは……そうですが」


「掲示は案内だけにして、説明は口頭でやろう」


俺がそう言うと、板を眺めていたロイルが口を挟んできた。


「短くするのは賛成ですが、削りすぎると問い合わせが増えます」


「誰に」


「主に、私にです」


それは否定しにくい。


一悶着あったが、結局、掲示板は短く書き直した。


――――――――――――――

 自治都市ウルムについて話します

【とき】鐘二つ

【場所】広場

【話すこと】

 ・ウルムは、どこの国にも属さないこと

 ・ウルムの決まりは、ウルムで決めること

 ・これから変わること、変わらないこと

 ・色札で、みんなの考えを聞くこと


 分からない人は、説明係に聞いてください。

――――――――――――――


キドが色札の束を抱えて、横から覗き込む。


「これだけ?」


「これだけだ」


「短すぎねえ?」


「長いと読まれないからな」



広場には、気づけば人が増えていた。


市場の方からは商人たちが集まり、長屋の者たちは仕事の手を止めてこちらを見ている。水場の当番は桶を置き、子供を抱いた母親が掲示板の前で足を止めた。


王国から来て、そのまま残った者もいる。昔からウルムにいる者もいる。


掲示板の前では、誰かが隣の者に板の内容を読み聞かせている。

その横で、別の者が色札の束をちらちら見ていた。


ギードが前に出ると、井戸端の話し声が小さくなった。

桶を持ったままの女も、荷車の横にいた商人も、自然とそちらを見る。


ギードは、集まった者たちをゆっくり見回した。


「皆、よう集まってくれた。今日は、ウルムに関わる大事な話がある」


広場の後ろで、誰かが子供を抱き直した。


「昨日、迎賓館で外の者たちと話し合いをした。王国と帝国、それに聖教国からも人が来ておった」


広場の後ろで、「皇帝もか」と小さな声がした。


ギードは頷く。


「驚くのは分かる。じゃが、まずは最後まで聞いてくれ」


そこで、ギードは一度だけ間を置いた。


「今後、王国も帝国も聖教国も、ウルムに勝手な命令は出さん。税をよこせだの、兵を置くだの、役人を入れろだの、そういう話は通さん。そう約束した」


ざわめきが広がった。


「王国へ戻されるってことは、ないんですか」


人垣の奥から、細い声がした。


ギードはそちらを見る。


「戻りたい者は戻ればよいし、残りたい者は残ればよい。行き来したい者もおるじゃろう。それを外の国が勝手に決めることはない。決めるのはお主らじゃ」


「帝国の黒い石は?」


別の男が聞いた。


俺が答える。


「黒皇石は残す。ただし、あれがウルムの全てではない。白石板をつくり、そこにウルム自身の定めを書く」


「白石板?」


「まだ何も書いてない。だから今日、ここで聞く」


「聞くって、何を」


ギードがそこで頷いた。


「昨日の話し合いでは、外向きの文書に自治都市ウルムと書く案が出た」


ギードは、集まった者たちを見回す。


「じゃが、まだ村として決めたわけではない。決める前に、皆の声を聞きたい」


俺も横から口を挟んだ。


「名前だけで暮らしが急に変わるわけじゃない。ただ、外にどう名乗るかは、今後の手順に関わってくる」


商人の一人が腕を組む。


「良いことはあるんですか」


「ある」


ギードは短く答えた。


「外の者が、急に税をよこせと言ってきたり、兵を置くと言い出したりしても、簡単には通せなくなる。村の掟も、これまで通りこちらで決められる」


ロイルが続けた。


「外から来る方にも、名前、目的、荷、武器預かりの手順は守っていただきます。商人であっても、貴族であっても同じです」


「じゃあ、困ることは?」


今度は古参の女が聞いた。


「ある」


広場のあちこちで顔を見合わせる者が出た。


「人が増えるかもしれん。荷も増えるじゃろう。道や市場、荷置き場に井戸端、そして、学び舎。今まで曖昧にしていた場所を、もっとはっきり決めねばならんじゃろうな」


俺も言った。


「外に口を出させないということは、ウルムの面倒はウルムでみるということだ」


誰かが、小さく息を吐いた。


良い話だけを聞きに来た者もいただろう。

だが、それだけなら色札など要らない。


ギードは札箱を指した。


「今日は、賛成、反対、保留の札を出してもらう」


市場の男が、首を傾げた。


「多い方に決めるのか?」


「数を見るためだけじゃない」


「じゃあ、何のために札を出すんだ?」


俺は色札の横に置いた小さな板を指した。


「もちろん、数も見る。だが、それだけじゃない」


俺は声のした方へ顔を向けた。


「なぜその札を出したのか、そこを聞きたい」


「字が書けない者は?」


「説明係が聞く。書ける者は自分で書いてくれ」


男は、しばらく札箱を見ていた。


「つまり、数えるだけじゃねえんだな」


「そうだ。色だけ見て終わるなら、やる意味は薄い」


「反対に入れたら、あとで呼ばれたりしますか」


今度は別の声だった。小さな子供と手を繋いだ若い女だ。


ギードがすぐ答えた。


「反対札を出した者を責めることはない。そんなやり方は、ウルムではせん」


女は、子供の手を握り直した。


エレノアがその横へ歩いていく。


「分からなければ、保留でよいのですわ」


「でも、決めないといけないんでしょう?」


「分からないまま賛成する必要はありません。反対と書くほどでもないなら、保留でよいのです」


女は、少しだけ顔を上げた。


「保留でも、いいんですか」


「もちろんですわ」


エレノアがそう言うと、後ろにいた者たちの肩から、少し力が抜けたように見えた。


俺が同じことを言えば、たぶん理屈になる。

エレノアが言うと、心に届きやすい。


説明係は三か所に分けた。


市場前では、さっそくロイルが商人に捕まっていた。門の手順や荷の記録を聞かれても、あいつなら俺より丁寧に答える。


エレノアは井戸端へ向かった。水を汲みに来た者の話を聞きながら、ついでに顔色まで見ている。本人は聞き取りのつもりだろうが、ほとんど診察になっていた。


残りは学び舎前だ。リュックが板を持ち、キドが色札を配る。字が怪しい者と子供たちの相手には、ちょうどいい組み合わせだった。


「師匠は説明しませんの?」


エレノアが聞いた。


「俺はやめとく」


「なぜですの」


「俺がいると、正解を聞きに来るだろ?」


キドが札束を抱えたまま笑った。


「ありそう」


「笑い事じゃないぞ。そうなったら色札の意味がなくなる」


「じゃあ、何か聞かれたら?」


「まず自分で考えろと言え」


「いつものやつじゃん」


「効果があるからな」


キドは不満そうな顔をしたが、否定はしなかった。



昼前には、色札が少しずつ箱に入っていった。


賛成札を迷わず入れる者もいる。


「外の役人が来て税を取るとか言わねえなら、そっちの方がいい」


「門で整理してくれるなら、商人が増えてもまだ安心だろ」


「子供がここで学べるなら、王国だろうが帝国だろうが関係ねえよ」


その一方で、反対札も入る。


古参の男が、札を入れたあと俺の前に来た。


「俺は反対だ」


「そうか」


「理由は聞かねえのか」


「聞くぞ。なんだ?」


男は市場の方を見た。


「人が増えすぎるのが怖い。知らねえ顔が増えて、道が騒がしくなって、気づいたらここが俺たちの村じゃなくなってる。そういうのが嫌だ」


「なるほどな。分かった」


「説得しねえのか」


「今は聞く日だからな。説得は必要ないよ」


男は、妙な顔をした。

怒られると思っていたのかもしれない。


別の女は、保留札を握ったままエレノアの前で困っていた。


「反対ではないんです。でも、商人が増えたら家の近くまで荷車が来そうで」


エレノアは頷き、リュックへ目を向ける。


「荷車が家の近くまで来るのが不安、と書いてくださいな」


リュックが板に書く。


「そのままでいいんですか」


「そのままでいい」


俺が横から言うと、リュックは少し驚いた顔をした。


「もっと整えなくていいんですか」


「整えたら別の言葉になる」


「でも、記録としては」


「あとで分類する。今は削るな」


リュックは頷き、少しだけ字を小さくした。

それはそれで読みにくい。



夕方近くになって、大方の村人が色札を入れ終えた。

ロイルが札箱を開ける。


箱の中を分けていくと、賛成札が多かった。

反対は少ない。だが、保留だけが思ったより目についた。


ロイルは板を見て眉を寄せる。


「保留が結構あります」


「悪いことじゃないさ」


「そうですか」


「分からないものを、分からないまま出しただけだ。分かったふりよりましだ」


反対と保留の理由は、分けて整理した。


『人が増えるのが不安』

『知らない商人が家の近くまで来そう』

『荷車が増えると子供が危ない』

『市場が広がりすぎるのは嫌だ』

『王国と完全に縁が切れるようで怖い』

『よく分からない』


ロイルが最後の一つを見た。


「“よく分からない”は、このまま残しますか」


「あぁ。そうだな」


「理由になっていませんが」


「よく分からないから保留。立派な理由だよ」


ギードが腕を組んで、板を眺めていた。


「賛成が多いからといって、すぐ決まりとはいかんの」


(はな)からそういう札じゃないからな」


「分かっておる。じゃが、見るほど面倒が増える」


「見なかったら、後でもっと増える」


「それも分かっておる」


面倒だ。だが、嫌な面倒ではない。

たぶん。


その時、キドが年少組を連れてきた。


「俺たちの分」


ロイルが顔を上げる。


「今回、子供たちは世帯札には入れていませんが」


「分かってる。だから札じゃねえ。見つけたやつだ」


キドは薄い板を三枚出した。


『荷車が増えると、学び舎へ行く道が危ない』


『井戸端に知らない人が多いと、小さい子が水を汲みにくい』


三枚目で、俺の目が止まった。


『市場裏の木陰が、荷置き場になっているのが嫌』


「市場裏の木陰?」


キドが頷く。


「最近、荷物が置かれてる。座れないって、リナが怒ってた」


「リナが?」


「昨日も枝を投げてた」


何をやっているんだ、あいつは。


そう思ったところで、本人が木の根元から現れた。相変わらず神出鬼没だ。


リナは俺の前まで来て、三枚目の板を指した。


「木があるのに、息がしづらい」


「荷物で塞がってるだけだろ」


「人も同じ。座れないところは、疲れる」


言い返そうとして、やめた。


市場裏の木陰は、元々、荷置き場ではない。昼に年寄りが腰を下ろし、子供が走り疲れて座る場所だった。最近、外からの荷が増えて、空いている場所にとりあえず積むようになった。


とりあえず。


俺の嫌いな言葉だ。


「ヘイムはどこだ」


「工房です」


ロイルが答える。


「ヘイムに村の配置図を持ってこさせろ。市場と荷置き場、それに学び舎へ行く道と井戸端の周りだ」


「今からですか」


「今からだ。まずは、見るだけだ。直すのは明日以降だな」


キドが俺を見上げる。


「直すのか?」


「直す。座る場所まで荷物に取られる村は、たぶん長持ちしない」


リナは、それで少しだけ満足したようだった。



日が傾き、色札の箱は片づけられた。

けれど、理由を書いた板だけは広場に残した。


賛成も、反対も、保留も、今日ここで出た声には違いない。すぐに消していいものではなかった。


俺は、もう一度その板を見た。


『市場裏の木陰が、荷置き場になっているのが嫌』


自治都市ウルム。


外へ向ける名としては、悪くないのかもしれない。

だが、その名を白石板に刻む前に、まず市場裏の木陰を見に行くべきだった。


昼になれば年寄りが腰を下ろし、走り疲れた子供が座る場所だ。

今はそこに、行き場のない荷が積まれている。


そこをそのままにして、自治都市などと名乗るのは、さすがに気分が悪い。

木陰でこれなら、井戸端も、学び舎へ続く道も、見ないわけにはいかない。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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