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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜【書籍化進行中】  作者: しいたけ
第15章 世界の基準点と木陰のまどろみ

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第208話 外の線と色札

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

「王国は、ウルムを王国領として扱いません。失地とも、逃散民の集まりとも呼びません。ここにいる方々の選択を、王国の都合で塗りつぶすこともしません」


シャルロッテの声は、思いのほか落ち着いていた。

声を張らなくても、会議室の端まで届いていた。


ロイルの筆が動いた。


「王国は、ウルムを王国領として扱わない。失地、または逃散民の集まりとも呼ばない……」


「そこに一つ足せ」


俺は記録帳を指で示した。


「王国は、ウルムへ行政権を及ぼさない。徴税権も、軍事権もだ」


ロイルが顔を上げる。


「扱わないだけでは足りませんか」


「足りない。扱わない、では逃げ道が残る。権限を及ぼさない、と書け」


シャルロッテが静かに頷いた。


「その通りです。そう記録してください」


ロイルは頷き、今度はその通りに書いた。


手元を見る横顔は落ち着いている。


今ここにいるのは、ロッテとロイルではない。

王国の女王と、ウルム村の記録係だ。


シャルロッテは続けた。


「ウルムに残る方、王国へ戻る方、行き来を望む方。そのいずれについても、本人の意思とウルムの手順を尊重します」


「近隣領主がまた余計なことを言い出したらどうする」


俺がそう言うと、シャルロッテの目が少し細くなった。


「王国側で処理します。ウルムへご迷惑はお掛けいたしません」


「言質は取ったぞ」


「記録して頂いて、構いません」


ロイルの筆が、また走った。


オリヴィエが静かに頭を下げる。

グレインベルク領の名は、誰も出さなかった。

だが、あの男爵家のことを忘れている者もいない。


次に、皇帝ヴァレリアンが口を開いた。


「では、帝国側も線を引こう」


ベアトリクスは黙ったまま、皇帝の後ろに控えている。カインは記録帳と黒皇石の配置図を交互に見ていた。


「黒皇石は撤去せぬ」


皇帝はそう言った。


「ただし、帝国はウルムを保護領とするつもりはない。あれは占有の印ではないからな。そもそもは、不可侵を確認するための印だ。学術交流も、ウルムの手順に従おう」


「技術の独占は」


「しない」


皇帝は即答した。


「昨日、村を見た。あれは一つ二つ持ち帰れば済むものではない。帝国だけで囲ったところで、次に生まれるものまでは手に入らぬ。むしろ、帝国も失うことになる」


珍しく、まともなことを言う。


俺は黒皇石の配置図を指で叩いた。


「石一つに全部背負わせるから重くなる。王国の線、帝国の線、ウルムの線を分ける」


「そのための白石板か」


「まだ何も刻んでないがな」


皇帝は笑った。


カインが記録帳から目を上げた。


「黒皇石は、これまで盾でした。ただ、この先は帝国の影が強く見えすぎます。不可侵の印として残すなら、ウルム自身の定めは別に示した方がいいでしょう」


その言い方は、帝国の臣としても、ウルムの技術顧問としても、ぎりぎりの線を踏んでいた。


皇帝がカインを見た。

咎められてもおかしくはない。

だが、皇帝は何も言わなかった。


皇帝が黙っているなら、今はそれでいい。


ロイルが次の欄へ筆を移したところで、バルデル司祭が背筋を正した。


「聖教国は、ウルムの礼拝堂の管理権には一切触れません」


バルデルは続ける。


「救護や慰撫の実情を確認することはあるでしょう。ですが、それを統治権限には致しません。巡回司祭も、ここではウルムの入村手順に従います。寄進や助言は、ウルム側が受けると決めた範囲でのみ扱うべきと考えています」


「礼拝堂の運営に今後、口を挟まないと」


俺が聞くと、バルデルはまっすぐこちらを見た。


「はい。ウルムがすべきです」


誰もすぐには口を開かなかった。


バルデルは淡々と続ける。


「今回、私はこの会議に参加するだけでなく、祈りや救護の場が政治の道具に変わっていないかを見届けるために来ました。ですが、それは聖教国が主導権を握る理由にはなりません」


「その通りになれば、こちらも言うことはないな」


「そうでなければ、祈りも救護も、別の名を借りた支配になりかねませんから」


俺はバルデルを見る。


「祈りの話だけしてきた人間の言い方じゃないな」


「巡回しているからこそ、見えるものもありますので」


バルデル相手に、曖昧なまま記録するのはまずい。

それは分かった。


ロイルの筆が一度止まった。


「……記録上の表記は、ウルム村のままでよろしいですか」


「いつも通りでいいだろ」


俺がそう言うと、カインが記録帳へ目を落とした。


「日頃の呼び名としては、それで問題ありません」


「含みのある言い方だな」


「ええ、各国の台帳や地図に載せる場合、“村”のままですと、また別の誤解を生む可能性があります」


ギードが眉を寄せる。

「誤解とは何じゃ」


「村と書くと、読む側は勝手に続きを探します。王国なら、まず領主名です。帝国や聖教国でも、どこの下にあるのかを見られるでしょう」


カインはそこで一度、言葉を切った。

「今のウルムは、そのどれにも当てはまりません」


皇帝が静かに頷く。

「村と書けば、次に見る者は上を探す」


「はい」


シャルロッテも記録帳を見た。

「王国の文書でも、村名には領名を添えるのが通例です。ウルム村、とだけ書けば、どこの管轄かを問う者は出るでしょう」


「面倒だな」


「面倒です」


バルデルも続ける。

「聖教国の記録でも、礼拝堂の所在地には管轄を添えます。そこを空ければ、後で別の者が書き足す余地が残ります」


俺は地図の上のウルムを見た。


「つまり、ウルム村のままだと、勝手に名前を足されると」


「そういうことです」

カインが頷く。


「村という呼び方を捨てる必要はありません。住む者がウルム村と呼ぶ分には、そのままでよいでしょう。ただ、外へ出す文書では話が変わります。どこの下にも置かれない名が要ります」


ギードが腕を組んだ。


「呼び名を変えれば、村が変わるわけではないがの」


「ええ、その通りです」


「じゃが、余計な紐を付けられるのを防げるなら、決めておく意味はあるか」


カインは、ギードの言葉に頷いた。


ロイルが筆を持ち直した。

「では、外向きの文書では、どのように記しますか」


カインが、俺を見る。


「見るな」


「マスターなら、何かお考えがあるのではないですか」


俺は地図を見た。


村。集落。領地。

どれもしっくりこない。


少し考えて、結局ため息が出た。


「……自治都市ウルム」


口に出すと、やはり少し大げさに聞こえた。


「都市って柄じゃないな」


「そうでもないですよ。市場があります。学び舎も、迎賓館も。反射炉に、ノーリアまであります。……あげていくと切りがありません」


ロイルが言った。


「それに、村にしては、仕事が多すぎます」


「お前がそれを言うのか」


「はい。もちろんです」


ギードが小さく笑った。


「なら、外へ出す名は自治都市ウルム。村の者が普段どう呼ぶかは、好きにすればよい」


皇帝が頷く。

「よかろう。帝国の記録にも、その名で残そう」


シャルロッテも少し間を置いて続けた。

「王国も同じく、自治都市ウルムとして記録します」


バルデルは、記録帳を一度見てから言った。

「聖教国も、礼拝堂所在地を自治都市ウルム内と記します。教区の管理地とは書きません」


ロイルの筆が、ようやく動いた。


自治都市ウルム。

白紙だった記録帳に、その名が書かれた。


自分で言い出しておいて、胸の奥に少し引っかかるものがあった。


「名前だけ立派になっても、中身が追いつかないと恥をかくな」


ギードは笑わなかった。

「そこは心配せんでも良かろう。それよりも、村の者たちにも聞かねばならん」


その言葉で、皇帝がギードを見た。


「村人に聞くとはどういうことだ」


「今回のことを、村の者たちへ説明をいたします。自治都市ウルムとなれば、何が変わり、何が変わらぬのか。それを話した上で、色札を出してもらう」


「色札?」


皇帝が、聞き慣れない言葉を確かめるように言った。


俺は横から口を挟んだ。


「ウルムに住む連中の意見を見るんだよ。賛成、反対、保留。字を書くのが苦手な奴もいるから、色で出してもらう」


皇帝が、ギードから俺へ視線を移した。


「このような政を、民の意見で決めるというのか」


「決めさせるんじゃない。暮らしてる連中が、どう思っているか聞くだけだ」


「違うのか」


「違う。多数で押し切るための札じゃない。賛成も、反対も、まだ決められないのも、全部見る。最後に村として決めるのはギードだ」


バルデルも、わずかに目を伏せた。


「住民の声まで、この会談の後に聞くのですか」


「聞く。聞かないと、自分事にはならないからな」


俺は記録帳を指で叩いた。


「紙の上でうまくいっても、暮らしてる連中が嫌がるなら長続きしない。石に刻む前に、声くらいは聞く。少なくとも、ここではな」


皇帝は少し黙った。


「珍しいやり方だな」


「かもしれないな」


「危うくはないのか」


「危ういこともあるだろうな。だが、聞かずに決める方がもっと危うい」


ギードが頷く。


「最後に村として決めるのは、わしです。じゃが、聞かずに決めるつもりはありませぬ」


その言葉を静かに受け止めていたシャルロッテは、少しだけ目を伏せた。


「王国は、それを怠りました。……少なくとも、これまでの王国は」


誰も答えなかった。


やがて、皇帝が息を吐いた。


「ならば、その色札とやらの結果が出るまで、余は村の外で待つとしよう」


「どうした。急に」


「余が村に残れば、それだけで札の色が変わる。昨日、この村を見た。民が門や窓口で顔色を変えるのは、避けた方がよかろう」


「急に物分かりがよくなったな」


バルデルも頷いた。


「立会人が見ている場では、声も変わるかもしれません。私も村外へ下がりましょう」


シャルロッテは一瞬、迷った。


たぶん、ウルムに残りたかったのだろう。

けれど彼女が残れば、元王国民の札は揺れる。ロイルの筆も、きっと揺れる。


シャルロッテは顔を上げた。


「王国一行は、グレインベルク領へ下がります。ここから最も近い王国領ですから」


「あそこか」


「ええ。あの領地の扱いも、王国が整理しなければならない問題です」


オリヴィエの表情が少し硬くなった。

グレインベルク男爵家の過去の動きを、彼も知っている。


ロイルの筆が、淡々と動く。


王国一行は、ひとまずグレインベルク領へ下がる。

帝国側は街道宿。

バルデル司祭は、村外の小宿に入ることになった。


「戻る時も、また門で名を書けよ」


俺が言うと、皇帝は笑った。


「二度も書くのか」


「三度目もあるかもしれんぞ」


「はっ、覚えておこう」


三者が席を立った。


椅子の音が続き、部屋に残ったのはウルム側の者だけになる。



門の外では、王国の馬車が向きを変えていた。


ロイルは門前台帳を閉じ、王国側の受領札を一枚ずつ確認している。


「王国一行、退村時刻を記録しました」


「ご苦労さまです」


シャルロッテはそう答え、馬車に乗った。


ロイルは短く頭を下げ、台帳の紐を締める。


馬車の扉が閉まり、王国の旗が門を離れていく。


皇帝は黒皇石と白石板を一度だけ見比べ、何も言わずに自分の馬車へ向かった。


バルデルは礼拝堂の屋根へ目を向け、静かに杖を持ち直した。


やがて、三つの馬車列がウルムの門を離れた。


少し遅れて、市場の声が戻ってくる。

水場では桶の音がし、学び舎の方から子供たちの声が聞こえ始めた。


ギードが、長く息を吐いた。


「さて、ひとまず済んだの」


「済んだと言うよりは、散らかしすぎだろ」


「じゃから、次は内で片づけるんじゃろ」


ロイルが記録板を抱え直した。

「住民への説明は、いつ始めますか」


「今日は色札の準備だけだな。説明は明日の朝からにする。区画ごと、仕事場ごとに分けて話そう」


「色札は三種類でよいですか」


「ああ。賛成、反対、保留だな。理由を書ける奴には書いてもらおう」


ギードが頷く。


「ただし、札で決めるわけではない。それも最初に伝えねばならん」


「そうだな。色札は声を聞くためのものだ。最後に決めるのは、村長のお前だ」


「分かっておる」


その言葉を聞いて、ようやく少しだけ息が抜けた。


今日、外へ向けた線は引いた。

口でも言わせたし、記録にも残した。

だが、それで終わったわけではない。


その内側で暮らす者たちは、まだ何も聞いていない。

明日からは、机の上の言葉を井戸端と市場で話さなければならない。


たぶん、そちらの方が三国相手より面倒だ。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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