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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜【書籍化進行中】  作者: しいたけ
第15章 世界の基準点と木陰のまどろみ

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第207話 円卓と境界線

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

朝から迎賓館が騒がしかった。


机を運ぶ音。椅子を数える声。茶器を並べる音。

どれも必要な音だ。だが、聞いているだけで気が重くなる。


俺は大会議室の入口で足を止めた。


「……もう帰っていいか」


「まだ入ってもおらんじゃろうが」


ギードに背中を押され、仕方なく部屋へ入る。


職員たちは、長机を奥へ据えようとしていた。上座に皇帝。その向かいに王国女王。横にウルム側。少し離れた場所に聖教国の立会人席。


見た瞬間、頭が痛くなった。


「やり直し」


職員の手が止まる。


「ですが、皇帝陛下と女王陛下の席を……」


「だから駄目だ。上座を二つも作るな。揉める種にしかならん」


カインが、隣で眼鏡を直した。


「帝国を上座に置けば、王国側が黙っていません。逆も同じでしょう。ウルムを上座にすれば……まあ、マスターが逃げますね」


「そうだ。逃げるぞ」


「威張って言うことじゃないじゃろう」


ギードが呆れた声を出す。


都合よく円卓などあるわけがない。

同じ大きさの机をいくつか寄せて、無理やり円に近づける。角は厚い布でごまかした。

完璧ではない。だが、誰か一人が上に見える形よりはましだ。


中央に置いたのは、白紙の記録帳と、ウルム周辺の地図。

それから、黒皇石と白石板の配置図。


職員が、遠慮がちに花瓶を持ってきた。


「飾りは……」


「いらない」


「少し寂しく見えませんか」


「花を置くと、誰が用意した花かで意味を読まれる」


「では、燭台は」


「火種を真ん中に置くな。縁起でもない」


職員は、諦めたように記録帳を置いた。


「では、記録帳と地図で」


「それでいい。真ん中に置くなら、後で揉めた時に確認できるものがいい。見栄えは、今はどうでもいい」


机を押していたキドが、横から覗き込む。


「丸くしたら、偉い人はいなくなるのか?」


「偉い人は消えない。ただ、偉そうに見える場所は消せる」


「便利だな、丸」


「角が少ないと、角も立ちにくい」


キドが少し黙ったあと、じっと俺を見た。


「今の、ちょっと言いたかっただけだろ」


「椅子を並べろ」


「やっぱり」



会議室を抜けると、そのまま門前へ向かった。


黒皇石の位置を見るためだ。


あの石は、これまでウルムを守ってきた。

帝国皇帝の不可侵の証。王国の兵も、そこに刻まれた双頭鷲を見れば、簡単には足を踏み込めない。


だが、今は別の意味を持ち始めている。


守ってくれた石が、今度は帝国の影を濃くする。

石そのものは変わっていない。ただ、置く場所が変わるだけで、見る側が勝手に理由を足す。

石のくせに、本当に面倒くさい。


「重い」


いつの間にか、リナが隣にいた。


裸足のまま黒皇石へ近づき、指先で軽く触れる。


「こっちは、重い。ずっと誰かが見てるみたい」


「昨日の皇帝も重いって言ってたな」


「皇帝とは違う。これは動かないのに重い」


よく分からないが、言いたいことは少し分かる気がした。


門の脇には、白い石板を仮置きしてある。学校用に磨かせていたものだ。まだ何も刻んでいない。


リナはそちらにも触れた。


「こっちは、息がしやすい」


「そうか」


「ここに置くなら、子供が通る時に見える」


「子供基準か」


「大人は見えてても見ない」


返す言葉がなかった。


エレノアが後ろから歩いてきた。白湯の壺は持っていない。珍しい。


「黒皇石を動かしますの?」


「隠す気はない。ただ、門の真正面に置き続けると、帝国の門みたいに見える」


「歴史のある石ほど、置き方を間違えると厄介ですわ。見る人が、余計なものまで背負わせますもの」


「そういうことだ」


黒皇石は門の脇へ移動させる。

見えなくするつもりはないが、門をくぐる前にまず石が目に入るような置き方はやめる。


白石板は、来訪者にも子供たちにも見える場所へ置く。

何を書くかは、今日決まる。

……決まれば、だが。


「一つの石で全部を背負わせるから重くなる」


リナは白石板の横へしゃがみ込み、小石を一つ置いた。


「ここ、木があってもいい」


「今それを増やすな」


「あとで」


「……あとでな」


あとで植える木が、また一つ増えた。


最近はそんな話ばかりだ。

誰かが思いつく。俺が「あとでな」と返す。

そのたびに、予定表だけが厚くなる。



聖教国の馬車は、王国の一行より少し早く着いた。


飾り気は少ないが、聖教国の印は見える。

門前では、ロイルがいつも通り記録板を持って立っていた。


「お名前と滞在目的をお願いします」


馬車から降りた男を見て、エレノアが小さく息を呑んだ。


「バルデル司祭……」


俺も思い出す。


「ああ。話の通じる巡回司祭か」


バルデルは、こちらへ深く礼をした。気取った様子はないが、その所作は実に端正だった。


「聖教国巡回司祭、バルデルです。滞在目的は、会談の立会い。それから、礼拝堂と救護の現況を確認することです」


ロイルは記録する。


「武器はお持ちですか」


「杖のみです。中に仕込みはありません」


「そこは聞かれる前に言うのか」


俺がつい口を挟むと、バルデルは少しだけ笑った。


「以前、ここでは手順を飛ばす方が面倒になると学びましたので」


「聖教国も、人選は案外まともだったな」


「現地を見た者を送るのが、一番無難だと判断されたのでしょう」


「無難で来た割には、面倒な席だぞ」


「承知しております」


バルデルは、門の内側へ入る前に一度だけ礼拝堂の方を見た。


「先に申し上げておきます。私は、ウルムを聖教国の管理下に置くために来たのではありません。祈りと救護が、政治の道具になっていないか。見たいのは、そこです」


エレノアは静かに頷いた。


「それなら、見ていただきたいものは多くありますわ」


敵ではない。

だが、言葉の端を取りこぼしていい相手でもない。


たぶん、悪くない人選だ。



昼前。


王国の旗が、街道の向こうに見えた。


ウルム側は特別な飾りを出していない。いつもの門。いつもの記録板。いつもの武器預かり札。


ただ、門の前に立つ人数だけは多かった。


王国の馬車が止まり、最初にオリヴィエが降りた。続いて護衛が並ぶ。王国側の一人が門をくぐろうとしたところで、ロイルが一歩前に出た。


「お名前と滞在目的をお願いします」


護衛が一瞬、眉を動かす。


オリヴィエが何か言いかけた時、馬車の中から声がした。


「ウルムの門では、そうするのです」


シャルロッテが降りてきた。


纏っているものは、以前のロッテとは違う。

それでも、馬車を降りる時の足の運びだけは、少し見覚えがあった。


ロイルは表情を崩さない。


「お名前を」


ほんの短い沈黙があった。


シャルロッテは、まっすぐロイルを見る。


「シャルロッテ・エルディナ。滞在目的は、ウルムに関する会談への出席です」


ロイルの筆が、わずかに止まった。

ほんの一瞬だ。

だが、次にはもう動いていた。


「同行者の確認をお願いします」


「はい」


それだけだった。


ロイルは、女王としてのシャルロッテを通した。

ロッテとは呼ばなかった。


ここで名前を間違えれば、ロイルも、シャルロッテも、今の立場を保てない。


シャルロッテは門をくぐる前に、黒皇石と白石板へ目を向けた。


「あの白い石は?」


リナが横から出てきて答える。


「息がしやすい石」


王国の護衛が少し戸惑った顔をした。


シャルロッテは、ほんの少しだけ笑う。


「ウルムらしいですね」


今ここで説明すると、門前で会議が始まる。

そんなものは、あとでいい。


俺はロイルの横へ寄り、小声で確認した。


「全員、同じ手順で通ったか」


「はい。例外はありません」


「なら、出だしは上々だな」


「中身はこれからですが」


「言うな。知ってる」



迎賓館の大会議室へ入ると、朝より少しだけ部屋が落ち着いて見えた。


机は円に近い形。

中央には白紙の記録帳、ウルム周辺の地図、黒皇石と白石板の配置図。


席には個人名を書いていない。

置いたのは色札だけだ。

王国、帝国、聖教国、ウルム。

人の名前は、どこにもない。


シャルロッテが部屋を見渡した。


「上座がないのですね」


「作ると揉めるからな」


皇帝が笑う。


「余も同じ扱いか」


「来たときから同じ扱いだろ」


バルデルが、自分の席の色札を見た。


「聖教国の席も、端ではないのですね」


「端に置けば外したように見える。近づけすぎれば、管理しているように見える。だから同じ距離だ」


カインが小さく言う。


「上座を作らないだけでも、余計な読み方は減るでしょうね」


「減るかどうかは知らん。少なくとも、増やすよりはましだ」


ギードが席に着く前に、全員を見回した。


「ここはウルムの迎賓館じゃ。ゆえに、この場の進め方はウルムで決める。異論があるなら、座る前に言うてくだされ」


誰も言わなかった。


沈黙は長くなかった。

それでも、椅子を引く音が少しだけ小さくなった。


王国も、帝国も、聖教国も、まずは門で名乗った。

それから、この席に着く。

十分とは言わない。

だが、入口は間違えていない。


全員が席につく。


王国側には、シャルロッテとオリヴィエ。

帝国側には、皇帝とカイン。ベアトリクスは席には着かず、皇帝の後ろに立っている。

バルデルは聖教国側の席へ。

ギードと俺とエレノアは、ウルム側に座った。


窓の外には、リナの姿が見えた。白石板のそばにしゃがんでいる。キドも近くにいて、何か記録板を持っている。


会議に子供は入れない。

だが、気にして外から眺めている者はいる。


俺は中央の白紙の記録帳を見る。


まだ何も書かれていない。だが、今日の終わりには何かが載る。

外の連中が、ウルムをどう呼ぶか。

その下書きみたいなものが。

……あまり考えたくはないが。


ギードへ視線を送った。


この場は、俺が始めるものではない。

村長が始めるべきだ。


ギードがゆっくり口を開く。


「では、始めるとしようかの」


その時、シャルロッテが静かに手を上げた。


「その前に、一つだけお話しさせてください」


全員の視線が、彼女へ向く。


シャルロッテは、まっすぐ前を見た。


「王国は、ウルムを王国領として扱いません。失地とも呼びません。逃散民の集まりとも呼びません。そして、ここにいる方々の選択を、王国の都合で塗りつぶすつもりもありません」


静かな声だった。


だが、その一言で、会議室の空気が変わった。


俺は中央の白紙の記録帳を見た。


ようやく、一本目の線くらいは引けそうだった。

まだ、一本目だが。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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