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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜【書籍化進行中】  作者: しいたけ
第15章 世界の基準点と木陰のまどろみ

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第206話 視察と価値

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

翌朝。

俺は、皇帝には迎賓館で大人しく茶でも飲んでいてほしかった。


王国女王の一行は、明日の昼前には着くらしい。聖教国の立会人も、こちらへ向かっている。

今日はいつも通り村を回す。必要な準備をして、余計なことはしない。

それで終わるはずだった。


だが、朝食を終えた皇帝ヴァレリアンは、器を置くなり言った。


「今日は村を見たい」


俺は湯気の残る椀を見た。


「皇帝の散歩は散歩じゃない。護衛、記録係、案内役、人を引き連れて大行列になるだろう」


「余が見ずに、明日の会談でこの村の価値を語れと?」


嫌な言い方をする。

筋が通っている分だけ、余計にたちが悪い。


ギードが髭を撫でながら言った。


「見せるなら、いつも通りの村を見せればよい。飾る必要もないじゃろう」


「まあ、飾るほど暇でもないしな」


俺がため息をつくと、皇帝は少し笑った。


「それでよい。飾った村など、見る価値が半減する」


結局、面倒な視察を受け入れるしかなかった。



まずは水場へ連れて行くことになった。


川沿いでは、ノーリアがいつもの鈍い音を立てて回っていた。

外側の桶が水をすくって、上の水路へ落とす。あとは傾斜任せだ。途中で一部だけサイフォンを通す。

低い場所を越えた水は、洗い場と畑へ分かれていく。そうして、洗い場と畑へ水を分けていた。


皇帝は水車をしばらく眺め、それから水路へ目を移した。


「これだけで足りるのか」


俺は横にいたハンスを見た。


ハンスが答える。


「普段なら足ります。飲み水と洗い場、薬草園の分くらいは。乾く時期は、畑の方を少し絞ります」


「飲み水を先にするのか」


「はい。畑は枯れても植え直せますが、人はそうはいきませんので」


皇帝の視線が、少しだけ細くなった。


俺は水路の分岐を指した。


「水は、汲み上げたあとが面倒なんだ。飲む水と汚す水を一緒にすると、だいたい腹を壊す」


「腹を壊すだけでは済みませんわ」


白湯の壺を抱えたエレノアが、当然の顔で横から入ってきた。


「子供と老人から先に倒れますもの。洗い場と飲み水を分けるだけでも、ずいぶん違いますわ」


皇帝は、少し遅れてエレノアを見た。


「聖女が水路を見ておるのは、帝都では見られぬ光景だな」


エレノアは胸を張る。


「命に関わる場所ですもの。水を軽く見ると、あとで大変なことになりますわ」


「白湯の壺を抱えて言う台詞でもないな」


俺が小さく呟くと、エレノアが振り返った。


「師匠?」


「いや、何でもない」


皇帝は、沈殿槽と浄化槽の方へ歩いた。護衛がついて行こうとしたが、ロイルが手で止める。足元の石には、入ってよい線と、踏んではいけない線が刻んである。


皇帝はそれを見て、少しだけ笑った。


「ここでも境界線か」


「安全のためだ。落ちたら濡れる」


「なるほど」


濡れるだけで済めばいい方だ。



次は鍛冶場だ。

炉の前にドルガンがいた。腕を組んで、見るからに機嫌が悪い。

だが、顎の下の髭が、少しだけ落ち着かない。


「珍しいな」


俺が言うと、ドルガンがぎろりと睨む。


「何がだ」


「お前が緊張してる」


「してねぇ」


「してるだろ」


「してねぇと言っとるだろうが」


皇帝が面白そうに見ている。


俺は肩をすくめた。


「まあ、皇帝が鍛冶場に来るなんて、普通はないからな」


「うるさいわ」


ドルガンは吐き捨てるように言い、炉へ向き直った。


その瞬間、ドルガンの顔つきが変わった。

火口の色を見る。送風の音を聞く。

鉄棒で炉の縁を軽く叩いたころには、もういつものドルガンだった。


「そこから先へは近づくな」


ドルガンが低く言った。


帝国の護衛が動きかける。


ドルガンは皇帝を見たまま、床の線を顎で示した。


「火は皇帝だろうと容赦しねぇぞ。火傷したくなければ、下がって見るんだな」


鍛冶場の空気が、ひやりとした。


皇帝は一瞬だけ黙り、それから短く笑った。


「火の前では、そなたが主というわけか」


「主じゃねぇ。火の番だ」


ドルガンは送風口へ手を戻す。


俺は横から言った。


「炉は偉い奴を区別しない。近づきすぎれば焼ける」


皇帝は炉を見たまま、少し黙った。


ドルガンが炉の奥を指す。


「こいつは、火をただ強くする炉じゃねぇ。熱を逃がさず、流して、当てる。そのための炉だ。煉瓦が悪けりゃ割れる。継ぎ目が甘けりゃ、そこから漏れる。欲をかいて火力を上げりゃ、炉が悲鳴を上げる」


「炉が悲鳴を上げるのか」


「割れるって意味だ」


俺が補足すると、ドルガンが舌打ちした。


「いちいち訳すな」


「詩的すぎるんだよ」


「うるさいわ」


皇帝は笑っていたが、目は炉から離れていなかった。


カインが小さく言う。


「……完成品より、こういう失敗の記録を集めた方がよさそうですね。特に、技術検証院では」


皇帝は短く答えた。


「悔しいが、見えた」



そこから建築現場と倉庫へ回った。

ヘイムは梁を見上げたまま、短く頭を下げただけだった。

それ以上は、作業の邪魔になるとでも言いたげだった。


簡易クレーンの横で、男が二人、滑車を引いていた。梁が少しずつ上がっていく。

少し離れた場所では、女たちがネコ車で石材を運んでいる。


皇帝が言う。


「魔法で持ち上げぬのか」


ヘイムは梁を見上げたまま答えた。


「毎回、魔法使いを呼ぶ方が時間がかかります」


俺も続ける。


「それに、この村にそんな都合のいい魔法使いはいない。人を増やすより、持ち上げる回数を減らした方が早いこともある」


俺が言うと、皇帝はネコ車の方を見た。


「これは、力の弱い者でも扱えるのか」


「道が悪ければ無理だ」


ヘイムが即答する。


「だから先に道です。道具だけ渡しても、足場が悪ければ転びますから」


皇帝は足元の石畳と、排水の溝を見た。


「道具だけ渡して終わり、とはいかぬか」


「大抵のものはそうだ」


ローマン・コンクリートの試験片を見せると、皇帝は指で叩いた。硬い音が返る。


「これも、炉と同じか」


「配合を間違えると割れるな。急ぎすぎても割れる」


「割れてばかりだな」


「建てるのは時間がかかるが、崩れる時は一瞬だ。もし、下に人がいれば、それで終わるからな」


皇帝は、それ以上笑わなかった。



市場と倉庫では、ロイルが案内した。


荷には荷札が付いている。行き先札と受領札もある。

どこから来た荷なのか。誰が受け取ったのか。今どこで止まっているのか。

札を追えば、だいたい見当はつく。


皇帝は、ここでの視察が一番静かだった。


「荷の迷子が減るな」


「迷子にすると、誰かが探す羽目になりますから」


ロイルは淡々と答える。


俺も言った。


「探す時間が一番無駄だ。あと、責任を押し付けやすくなる」


皇帝は札の束を見た。


「戦場で使えそうだ」


「最初に軍へ持っていくのはお薦めしないな。たぶん現場が壊れる。まず倉庫で試せ」


「余の考えを先に読むな」


「皇帝が物流を見て軍を考えない方が怖いけどな」


ベアトリクスが、少しだけ口元を緩めた。


ロイルは帳面から目を上げない。


「軍でも商人でも、荷が迷子になる理由はあまり変わりません。名がない。行き先がない。受け取った者が記録しない。だいたい、そのあたりです」


皇帝はロイルを見た。


「そなたは、よく見ている」


「見ないと詰まりますので」


ロイルはそれだけ言って、次の札を確認した。



魔法応用の工房に入ると、机の上に記録板が並んでいた。

荷運び用、危険区域用、見回り用。

その中で、一番奥の板だけが裏返しにされていた。


カインはその上に手を置いた。


「まずは荷運び用からご覧ください」


指先だけ、少し白い。

俺はそれを見て、あえて何も言わなかった。


荷運び用のスマートゴーレムが、木箱を抱えてゆっくり歩いていた。別の一体は、炉の近くで腕を広げている。

あれは、人が入りすぎないようにするためのものだ。


皇帝が足を止める。


「これを戦場に並べれば、かなり変わるな」


「武器は議題にするなよ。今日見せるのは制御の仕組みだけだ」


「議題にしないとは言っておらぬ」


「じゃぁ、帰れ」


カインが慌てて手を上げる。


「マスター、せめて明日までお待ちください」


皇帝は笑った。


訓練場の奥には、自動迎撃型連射式バリスタが停止状態で置かれている。布をかけてあるが、存在感は隠せない。


「見せるだけだ。動かさない」


「動かぬ兵器ほど、つまらぬものはないな」


「面白がるな。兵器だぞ」


そこから冷蔵庫とフリーザーへ回る。


エレノアが薬草の箱を開けた。


「薬草と肉を長く保てますの。夏場は特に助かりますわ」


皇帝の顔が少し変わった。


「食料が腐らないというのは、都市の生活を変えるぞ」


「変える前に、過信しすぎると腹を壊す。冷えていることと安全なことは同じじゃない」


皇帝は黙った。


カインが頷く。


「完成品だけ持ち帰ると、たぶん事故が増えます。帝国で先に作るべきなのは、技術そのものより、記録と検証の仕組みなのかもしれませんね」


「また技術検証院の仕事が増えるな」


「仕事があるうちは、失敗が表に出る。悪いことではありません」


カインはそう言ったが、最後だけ少し声が小さくなった。


「自分に返ってくると気づいたか」


「……少しだけ」



学び舎に入ると、子供たちは案の定そわそわしていた。

そして、その真ん中でキドの声が飛んだ。


「気にするなとは言わねえ。でも手を止めるな」


年少の子が、問い札を胸の前に抱えていた。


『水車はなぜ止まらないの』


『冷たい箱の中で、なぜ肉が長くもつの』


『濡れた布はどうして風で早く乾くの』


リュックが横で、短い記録板を書いていた。

誰が見たか。何を試したか。まだ分からないこと。

それだけを、短く残している。


皇帝はしばらく黙っていた。


「技術の展示場じゃないぞ」


俺が言うと、皇帝は首を振った。


「分かっている。だから驚いている」


「何にだ」


「子供まで、次の不具合を探すのか。ここでは」


その時、キドの声が飛んだ。


「答えだけ聞くな。先に見ろ。水車なら水の流れを見てこい。箱なら、冷たいところとそうじゃないところで何が違うか書いとけ」


年少組が文句を言いながらも走っていく。


皇帝はその背中を見送った。


「技術は奪える。職人も、金で動くことはある。だが……これは違うな。簡単には持ち出せぬ」


「すぐに持ち出すことを考えるな。学びに来い」


言った直後、俺は嫌な顔をした。

自分で面倒を増やした気がした。


皇帝はそこを逃さない。


「ならば、学びに来る道を作れぬか」


「俺が決める話じゃない」


「そなたが決めぬのか」


「決めない。村のことだ。まずギードとギルドの長に話す。工房も学校も関わるなら、ヘイムとドルガンとロイルとエレノア……あと、カインもだな」


皇帝はしばらく俺を見た。


「それも、ウルムの手順か」


「そうだ。面倒だろ」


「面倒だな」


「だが、あとで揉めるよりいい」


ギードが頷いた。


「学びに来るなら悪い話ではないじゃろう。盗みに来るなら、門前で帰すがな」


ドルガンが腕を組んだまま言う。


「炉だけ持って帰る馬鹿には教えんぞ」


カインが眼鏡を押し上げる。


「交流するなら、完成品からではない方がいいでしょう。記録と失敗例、そのあたりから始めるべきです」


俺は皇帝を見た。


「どうせ話すなら、面子が揃ってからだな。明日の議題に入れる」


皇帝は静かに頷いた。



夕方、迎賓館へ戻る道で、皇帝はもう一度村を見た。


水場では、桶を抱えた住民たちが行き交っていた。

炉から立つ煙が、ゆるく空へ流れ、市場には新しい札が並んでいる。

学び舎から帰る子供たちの声が通りに響き、門ではロイルが台帳を見ていた。

エレノアは、白湯の壺を片づけているところだった。


皇帝は、しばらく何も言わなかった。


炉の煙を見て、水場へ目を移し、最後に学び舎の方を見る。

どこか一つを見ているというより、村のつながりを測っているようだった。


皇帝が低く言った。


「この村は、帝国が囲うには狭すぎる。だが、放っておくには……大きすぎる」


「変な言い方をするな。面倒が増えるじゃないか」


「増えるな。だからこそ、増やし方を間違えぬようにせねばならん」


「それを明日やるのか」


「そうだ」


「嫌な日になりそうだ」


皇帝は少し笑った。


「歴史が動く日は、たいてい誰かにとって嫌な日だ」


「俺にばかり押しつけるな」



夜。


ロイルが迎賓館へ報告に来た。


「王国女王一行、明日昼前には到着予定です」


「聖教国は」


「ベアトリクスさんによると、別路から立会人が向かっているとのことです」


俺は窓の外を見る。


誰かに勝手な名を貼られる前に、こちらから境目を引く。

なかなか面倒な作業になりそうだ。ただ、あとで剥がす方が、もっと面倒だ。


……面倒だが、逃げるわけにはいかない。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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