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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜【書籍化進行中】  作者: しいたけ
第14章 学び舎と王冠

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幕間14-2 賢者と報告書

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

帝都の技術工房で、七つ目の小型炉が割れた。


乾いた音が響いた瞬間、炉の周りに集まっていた技術官たちが一斉に顔をしかめる。炉壁の内側に入った細い亀裂は、赤く熱を帯びたまま、ゆっくりと外側へ伸びていた。


「また失敗です」


若い技術官が、いかにも言いにくそうに呟いた。


帝都の工房は、ウルムの鍛冶場とは比べものにならない広さだった。

高い天井には排煙用の大きな穴があり、壁際には金属工具、測定器、魔導式の温度計が整然と並んでいる。人員も多く、材料も揃っている。少なくとも、ウルム村の鍛冶場よりはるかに恵まれていた。


それでも、炉は割れた。


カインは、割れた炉壁をしばらく見つめてから言った。


「では、記録してください」


「失敗を、ですか」


「失敗を記録せずに、何を次に試すのですか」


若い技術官は口を閉じた。


以前のカインなら、自分で式を直し、角度を示し、次の寸法まで一息に決めていたかもしれない。

だが、今はしなかった。


彼は炉の前へしゃがみ込み、割れ目を覗く。そこに見える色の違い、内側だけが脆く崩れた跡、熱の返り方。そういうものを、自分だけで見終えてしまわないよう、横に立っていた職人長を手招きした。


「グラーツ。ここを見てください」


帝国職人長のグラーツは、腕を組んだまま、不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「見えてる。割れてるな」


「どこから割れましたか」


「内側だ。熱を返す前に壁が負けてる」


「なら、それが最初の記録です」


「賢者様は、失敗を持って帰ってきただけじゃなく、失敗を増やす気か」


「はい」


カインが即答すると、工房の何人かが微妙な顔をした。


グラーツは呆れたように眉を上げる。


「堂々と言うことじゃないだろ」


「隠すより有益です」


「……腹立つ返しだな」


そう言いながらも、グラーツは割れた炉壁の断面に顔を近づけた。


カインが帝国へ戻ってから、このやり取りは珍しいものではなくなっていた。


帝国の技術官たちは、最初から反射炉の完成図を求めた。帝国の工房で技術を広げるなら、寸法、手順、材料、必要な魔力量を揃えなければならない。


帝国は大きい。人も多い。ひとつの技術を広げるには、寸法、手順、材料、必要な魔力量を揃えなければならない。完成した図面があれば、各地の工房へ命じて同じものを作らせることができる。


だから、彼らはカインに聞いた。


「賢者殿。そもそも、ウルムで稼働している炉の寸法図はないのですか」


「あります」


「では、それを」


「出しません」


それまで炉壁を覗いていた職人まで、顔を上げた。若い技術官だけでなく、年配の技官までもがカインを見た。グラーツだけは、何となく予想していたのか、嫌そうに肩を回している。


「ウルムの炉は、ウルムの材料、燃料、魔導補助、職人の癖に合わせたものです。帝国で同じ形を作っても、おそらく同じようには動きません」


「では、何を持ち帰られたのですか」


年配の技官が、抑えた声で尋ねた。


カインは机の上に、厚く綴じた記録束を置いた。


「熱がどこから逃げたかの記録です」


誰もすぐには答えなかった。


「それと、失敗した順番を」


グラーツが喉の奥で笑った。


「賢者様は、失敗を土産に戻ってきたのか」


「ええ」


「二度も堂々と言うな」


「大事なことですので」


「ちっ、敵わねえな」


そう言いながらも、グラーツは記録束を手に取った。


そこには、完成図など載っていない。炉材が割れた時の温度、燃料を変えた時の燃え方、魔導補助を強めすぎた時に炉壁がもたなかった記録、煙の抜けが悪くなった時の煤の付き方。


失敗の跡ばかりだった。


しばらく黙って読んでいたグラーツが、やがて低く唸る。


「こいつは、嫌な記録だな」


「嫌、とは」


「逃げ道がない。どこで手を抜いたら割れるか、それがここに書かれてる」


カインは少しだけ目を細めた。


「それは、よい記録です」


グラーツは舌打ちしたが、記録束を閉じることはなかった。


「次は炉材を厚くする」


別の職人が横から言った。


「厚くすれば温まるまでが遅い。内側だけ替えた方がいい」


「なら、二つに分けましょう」


カインが言うと、技術官が筆を取った。


「厚みを変える炉と、内側の材だけを変える炉、ですか」


「はい。同時に変えれば、何が効いたのか分からなくなります」


その言葉に、グラーツがまた嫌そうな顔をする。


「面倒なやり方だな」


「マスターなら、もっと雑に言います」


「誰だ、それは」


若い技術官が顔を上げた。


カインは、一拍置いてから咳払いをした。


「……失礼。ウルムでの呼び方が残っていました」


工房の奥で、誰かが小さく笑った。



研究室の壁には、いつの間にか紙片が増えていた。


最初は、カインが持ち込んだものではない。ウルムの木札をそのまま帝国で使うつもりはなかった。帝都の研究室には研究室のやり方がある。木札より紙片の方が合うし、試験ごとの記録を整理するにも都合がよかった。


壁には、四つの見出しが並んでいる。


すぐ確認。試験待ち。誰かに聞く。保留。


ウルムの問い札とは、形も分け方も違う。けれど、役目は近い。


若い研究官が、貼られた紙片を見て首を傾げた。


「賢者殿。答えの欄がありません」


「答えは最後でよいのです」


「では、ここに何を書くのですか」


「問いと、次に見るものを」


「それだけですか」


「それだけです」


若い研究官は不安そうに壁を見た。


そこには、すでにいくつもの未解決の紙片が貼られている。


『炉材を厚くすると燃料消費はどれだけ増えるか』


『魔導補助を弱めた場合、温度の上がり方はどこで止まるか』


『職人ごとの火加減の違いをどう記録するか』


「未解決の紙が増えすぎませんか」


「増えます」


「よろしいのですか」


「増えて困るなら、なぜ増えたのかを調べます」


研究官は困惑した顔をしたが、やがて紙片の一枚に小さく試験番号を書き足した。


その紙片を見ていると、ウルムの仮学舎に残されていた札が頭に浮かんだ。


帝国にも、問い札はあるのか。


かつてウルムの仮学舎に残されていたあの問いに、今なら少しだけ答えられる。


同じものではない。

けれど、問いを消さずに残す場所なら、ここにもでき始めている。


今は、それでよかった。



その日の夕刻、カインは帝城へ呼ばれた。


皇帝ヴァレリアンの執務室には、相変わらず無駄な飾りが少ない。豪華ではないが重厚な作りの机の上には、多くの報告書が積まれていた。


その一番上に、カインが提出した報告書が載っている。


皇帝はすでに半分ほど読み終えていた。


「カインよ」


「はい」


「これは技術報告か」


「そのつもりで書きました」


「嘘を申せ。半分は村の観察記録ではないか」


カインはすぐには答えられなかった。


皇帝は報告書の頁を指で軽く叩く。


「炉の話をしていたかと思えば、学び舎の記録が出てくる。燃料消費の表の次に、問いを残す板の運用が書かれておる。さらに、王国の新女王が記録室で政務を動かしているという報告まで入っている」


「不要でしたでしょうか」


「そうは言っておらん」


皇帝は楽しげに笑った。


「まぁ、むしろ、そこが面白い」


カインは、報告書へ目を落とした。


反射炉は炉だけで成立していなかった。炉材を作る職人、失敗を隠さない記録、燃料を運ぶ仕組み、使う者が理解できる手順。そういうものが絡んで、ようやく動く。


そしてそれは、ウルムの他の仕組みともよく似ていた。


「技術だけを抜き出すことが、難しくなりました」


カインがそう言うと、皇帝は目を細めた。


「つまり、炉だけ見ても足りぬと」


「はい。炉を作った場所を見なければ、同じものは得られないかと」


「では、見るしかあるまい」


嫌な予感がした。


カインが顔を上げるより早く、皇帝は報告書を閉じた。


「行くぞ、ウルムへ」


「陛下」


カインは思わず一歩前へ出た。


「ウルムは帝国の属領ではありません」


「分かっておる」


「王国領でもありません」


「それも知っておる」


「ならば、皇帝陛下が直接赴けば、周辺が騒ぎます」


「騒ぐであろうな」


「でしたら」


「だからこそ、先に行く」


皇帝の声は軽い。だが、目は笑っていなかった。


「王国は、あの若き女王のもとでウルムに手を伸ばさぬ線を考え始めておる。帝国も同じものを考えねばならぬ」


「同じもの、ですか」


「奪うためではない。奪わぬために、先に見るのだ。帝国が手を伸ばさぬと決めるにも、何に手を伸ばさぬのかを知らねばならん」


カインは言葉を失った。


統治者としては、間違っていない。


間違っていないからこそ困る。


「随行は最小限にする。軍勢を連れて行くつもりはない」


「それでも、皇帝陛下です」


「儂がただの老人に見えるよう、地味な外套でも羽織るか」


「無理がございます」


「では、諦めよ」


皇帝は満足そうに言った。


「それに、お主も久しぶりに帰りたかろう」


「帰る、という表現が適切かは分かりません」


「まだそんなことを言っておるのか。報告書の端々に未練が滲んでおるぞ」


「滲ませたつもりはございません」


「ならば、滲むほど染みておるのだろう」


カインは、今度こそ反論できなかった。


皇帝は椅子にもたれ、ふと思い出したように笑う。


「そういえば、お主はまだアシュランをマスターと呼んでおるのか」


「必要な場では控えております」


「必要でない場では?」


「……出ます」


「ならば、今も出すな」


「陛下」


「冗談だ。半分はな」


半分は本気なのだろう。


カインは、深く息を吐きたくなるのをこらえた。

その時、頭の中に、一年前の村の門前で聞いた声が蘇る。


皇帝によろしく言うなよ。

言ったら来るだろうが。


まったくその通りになった。

あの人の嫌な予測は、こういう時に限ってよく当たる。


カインは、皇帝の前で深く頭を下げた。


「……面目ありません、マスター」


その謝罪が届く相手は、まだ遠く離れたウルム村にいた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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