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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜【書籍化進行中】  作者: しいたけ
第14章 学び舎と王冠

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第203話 賢者と帰路

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

王都からの伝令がウルム村へ着いたのは、シャルロッテの戴冠から数日が過ぎた朝だった。

仮学舎では、子供たちが問い札の板の前に集まり、昨夕から増えた木札を見て騒いでいた。


『なぜ煙は上に行くの』


『どうして濡れた布は風で早く乾くの』


『帝国にも、問い札はあるのか』


最後の札だけは、誰が書いたのか分からないまま、板の端に残されている。

俺がそれを眺めていると、外から自警団員の声がした。


「アシュラン様。村長のところへ、王都からの使者が来ています」


「……王都から?」


キドが先に反応した。


俺は窓の外へ目を向ける。迎賓館の前で、泥の跳ねた外套を着た男が馬から降りていた。ただ、急ぎの伝令らしく、馬も人も道中の疲れを隠せない有様だった。


「ロッテからか?」


キドが聞く。


「さあな。見れば分かる」


俺が仮学舎を出ると、カインも迎賓館の方から歩いてきた。手には革の鞄を持っている。帝国へ持ち帰る資料の最終確認をしていたのだろう。


「王都からですか」


「ああ。ちょうどお前の荷造りが終わる頃に来るとは、間がいいのか悪いのか分からんな」


「王都の事情がこちらの都合に合わせることはないでしょう」


「正論で返すな。面倒くさい」


カインは小さく笑った。



封書は、ギード宛てだった。

正確には、「ウルム村 ギード殿、ならびにアシュラン殿」とある。


報せとして届いたものだと、宛名だけで分かった。


ギードは封を切り、まず正式な文書に目を通した。周囲には、エレノア、キド、カイン、リュック、それに近くにいた何人かの村人が集まっている。


「……シャルロッテ王女殿下は、王位継承の儀を終え、女王として即位した、とのことじゃ」


しばらく、誰も声を出さなかった。


一番先に口を開いたのは、キドだった。


「女王って……ロッテが?」


「シャルロッテ女王陛下だな」


俺が言うと、キドは心底困ったような顔をした。


「……呼びにくいな」


「本人もたぶんそう思ってる」


「だよな」


そのやり取りで、張り詰めかけた空気が少しだけほどけた。


エレノアは胸の前で手を重ね、ほっと息をついた。


「無事に終えられたのですね」


「らしいな」


「無理をなさらず、少しでも休めているとよいのですけれど」


「戴冠してすぐ書類漬けだろうから、期待はするな」


「師匠」


「事実だ」


ギードが、もう一枚の小さな紙片を取り出した。


正式な文書とは違う。こちらは短い私信だった。字は丁寧だが、かしこまった文の端に、少しだけロッテらしさが残っていた。


ギードはそれを俺へ渡した。


「これは、アシュランが読んだ方がよかろう」


俺は受け取り、視線を落とした。


文は短かった。


王位継承の儀を終えたこと。


王都で止まっていた政務を動かし始めたこと。


そして、最後に一行だけ。


『木札は、今も手元にあります』


俺は、その一文を声に出して読んだ。


キドが、黙った。


キドが作った、少し歪んだ字の木札だ。


「……持ってったんだな」


「ああ」


「王城まで?」


「そう書いてある」


キドは鼻の頭をこすり、少しだけそっぽを向いた。


「捨てるような奴じゃないとは思ってたけどさ」


「なら、心配するな」


「別に心配してねえよ」


そう言いながら、キドは問い札の板の方をちらりと見た。


白い木札が並んでいる。


ロッテの名前は、そこにはない。


それでも、木札というだけで何かを思い出すのだろう。



ギードは、その日のうちに村の掲示板へ報せを出した。


シャルロッテ王女殿下、王位継承の儀を終え、女王として即位。


文面はそれだけだ。


それでも、村人たちは足を止めた。


王国へ戻ると決めていた者は、安堵した顔をした。帰った先で、誰に願い出ればよいのかが、ようやく見えたからだ。


一方で、ウルムに残ると決めた者たちは、少し複雑そうだった。自分たちはもう王都へ戻らない。それでも、王都との縁まで切れたわけではない。


未定の札を掛けたままの者たちは、掲示板の前で長く立ち止まっていた。


「どうするんですか、これ」


若い避難民の一人が、遠慮がちに聞いてきた。


「どうするも何も、報せは報せだ」


俺は掲示板の横に掛けられた、戻る、残る、未定の札を見た。


「女王が生まれたからといって、ここで決めた札が勝手に動くわけじゃない。戻る、残る、未定。決めるのは本人だ」


ギードが頷く。


「そうじゃな。報せは報せ、選択は選択じゃ」


「王国へ戻りたい奴は、戻ればいい。残りたい奴は残ればいい。迷ってる奴は、もう少し迷え。迷う時間くらいは、ここにある」


「……迷ってても、いいんですか」


「迷ってる間に飯を食って寝て働けるならな」


その若者は少し笑い、頭を下げた。


大きな報せが届いても、ウルム村の朝は急には変わらない。


炊き出しの煙は上がるし、鍛冶場からは槌の音が聞こえる。仮学舎では子供たちが問い札を増やしている。


王都では女王が動き始めた。


こちらでは、いつも通り面倒が増えている。



カインの荷物は、迎賓館の一室にまとめられていた。


革の鞄が一つ。木箱が二つ。

机の上には、最後に確認するための書類が並んでいる。


小型炉の試験手順書。

炉材が割れた時の記録。

燃料の減り方を比べた表。

問い札の運用様式。

欠席した子供向けの記録様式。

そして、学び舎の引き継ぎ表。


俺はそれらを見て、まず言った。


「まだ多いな」


「これでも三分の一に減らしましたよ」


カインは真面目な顔で答える。


「帝国の奴らに全部読ませるつもりなら、戻る前に老けるぞ」


「……要約を先頭につけます」


「そうしろ。読ませたいなら短くしろ」


「マスターの言う短いは、時々短すぎます」


「長すぎるよりはましだ」


カインは反論しなかった。代わりに、机の端に置いていた一枚の図面へ目を向ける。


それは、反射炉の簡単な模式図だ。熱がどこから逃げるのか、どこへ集めるのか、それだけが分かるように描かれている。


「反射炉は、完成図を見せびらかすなよ」


「はい。概念、試験手順、失敗記録を中心に伝えます」


「炉の形を持っていくな。熱の逃げ方を見る目を持っていけ」


カインは、小さく頷いた。


「帝国の職人たちが、自分たちの材料で試せるようにします」


「そうだ。最初から完成品を置くと、職人は考える前に真似る。真似たものは、壊れた時に直せん」


「試して、壊して、直す。そこまで含めて渡します」


「ならいい」


その時、扉の向こうからキドが顔を出した。


「カイン様、問い札、持ってくのか?」


聞いていたらしい。


カインは少しだけ表情を柔らかくした。


「いいえ。子供たちの札は置いていきます。あれは、この村のものですから」


「じゃあ、帝国で同じのを作るのか」


「同じものになるかは分かりません。帝国には帝国のやり方があるでしょうから」


キドはしばらく考え、それから言った。


「じゃあ、向こうでも色々試してきてくれよ」


カインは一瞬、言葉に詰まった。


そして、少し笑う。


「……ええ。色々試してきます」


「そうか」


キドは頷いた。


「帝国にも、面白い問いがあるといいな」


「あると思います」


「見つけたら、今度聞かせてくれ」


「はい」


キドは少し照れくさそうに鼻の頭をこすった。



出立は、その日の午後になった。

村の門前には、思ったより多くの人が集まっていた。


仮学舎の子供たちだけでなく、開拓民や避難民、自警団、職人や農民たちまで、仕事の合間に顔を出している。


リュック、ヘイム、ギード、エレノア、キドはもちろん、顔見知りの村人たちが次々と声を掛けた。学び舎で文字を覚えた子供たちの中には、自分で書いた手紙を握りしめている者もいた。


カインに声を掛ける者は、思っていたより多かった。


「こんなに見送ってもらわなくてもよかったんですけどね」


「皆の気持ちだ。ありがたく受け取っておけ」


「……はい、マスター」


カインは革の鞄を馬車へ積ませ、最後にこちらへ向き直った。


「カイン、帝都で無理をなさらないように」


エレノアが言う。


「あなたに言われるとは」


「わたくしは師匠に鍛えられましたもの」


「俺は鍛えた覚えはない」


「鍛えられましたわ」


「聞き分けのない弟子だ」


「師匠ほどではありません」


周りから小さな笑いが漏れた。


ギードが白髭を撫でながら一歩前へ出る。


「道中、気をつけるのじゃ」


「はい。村長にも、随分お世話になりました」


「世話をしたというより、便利に使っただけじゃがな」


「それも含めて、世話です」


ギードは目を細め、何も言わずに頷いた。


キドは少し離れたところに立っていた。腕を組み、視線を逸らしている。


「キド」


カインが呼ぶと、キドは渋々こちらを見た。


「……戻ってくるのか」


その問いに、カインはすぐには答えなかった。


「分かりません」


「またそれかよ」


「ですが、戻れないと決まったわけでもありません」


キドは口をへの字に曲げた。


「そこは、戻るって言えばいいだろ」


「言えない約束は、しない方がよいと思います」


キドは何か言い返しかけ、結局やめた。


俺は、その横から口を挟む。


「戻るかどうかは、お前が決めろ。俺には命じる権利はない」


カインがこちらを見る。


少し驚いたような顔だった。


「ただ、こっちで使ってた席は、しばらく空くだけだ」


「……席、ですか」


「気に入らんなら机でもいい」


「いえ」


カインは、ほんの少し目を伏せた。


「ありがとうございます」


「礼を言うところか?」


「言うところです」


そういうものか。



馬車に乗る前に、カインは俺の前で足を止めた。


「マスター」


「なんだ」


「私は、ここで随分と壊されました」


「人聞きが悪い」


「褒めていますよ」


「なお悪い」


カインは真面目な顔のままだった。冗談なのか本気なのか、相変わらず分かりにくい。


「完成した理論より、失敗した記録の方が役に立つことがある。問いに答えるより、問いを残すことが大切な時もある。帝国で、どこまで通じるかは分かりません」


「分からんものを試しに行くんだろ。賢者らしくていいじゃないか」


「……はい」


カインは深く礼をした。


俺は、それを受けてから肩をすくめる。


「皇帝によろしく言うなよ」


「言わない方がよろしいのですか」


「言ったら来るだろうが」


「……否定はできません」


「するなよ」


カインはそこで、今日初めてはっきり笑った。


それから馬車へ乗り込む。

御者が手綱を握り、車輪がゆっくりと回り始めた。


カインは一度だけ振り返った。

その視線は、迎賓館ではなく、仮学舎の方を向いていた。

あの板の前に、まだ答えのない札が残っている。


やがて馬車は門を抜け、村の道の先へ小さくなっていった。



カインの姿が見えなくなったあと、キドがぽつりと言った。


「また席が、空いたな」


「空席は悪いことじゃない」


俺は仮学舎の方を見た。


「戻る場所にもなるし、次の奴が座る場所にもなる」


「……じゃあ、誰か座っていいのか」


「座って怒られるようなら、最初から札を掛けておけ」


「何て書くんだよ」


「賢者席。勝手に座るな」


キドが少し笑った。


それから、仮学舎へ戻る途中で問い札の板を見る。


『帝国にも、問い札はあるのか』


その札は、まだ外されていなかった。


答えはまだない。

だが、問いを持った賢者は、もう帰路についていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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