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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜【書籍化進行中】  作者: しいたけ
第14章 学び舎と王冠

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第201話 学び舎と留守番

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

仮学舎の壁に掛けた問い札の板は、作ってからまだ数日しか経っていない。


それなのに、朝の時点ですでに白い木札がいくつも増えていた。


『どうしてパンはふくらむの』


『井戸の水はなぜ冷たいの』


『なぜ濡れた布は風に当てると早く乾くの』


どれも、子供の字らしく歪んでいる。字の大きさも揃っていないし、途中で線が曲がっている札もある。だが、書いた本人なりに、気になったことを残そうとした跡だけは分かった。


「……増えるの早すぎだろ」


問い札係を任されたキドが、板の前で腕を組んで唸っていた。


「いいことだろ」


俺が横から覗き込むと、キドは不満そうに振り返った。


「よくねえよ。どこに置けばいいか分かんねえ札があるんだよ」


「例えば?」


キドは一枚の札を外し、俺に突き出してきた。


『キドはどうして怒ると声が大きいのか』


「これを書いた奴、出てこい」


キドが教室の方へ振り返ると、何人かの子供が一斉に視線をそらした。誰が書いたかは、だいたいそれで分かった。


俺は木札を受け取り、板の三つの区画を見た。


すぐ聞く札。あとで考える札。誰かと調べる札。


「これは、すぐ聞く札だな」


「誰にだよ」


「本人が一番詳しいだろ」


「俺に聞くのかよ」


キドが本気で嫌そうな顔をしたので、近くにいた子供たちがくすくすと笑った。


「いいか、キド。問い札は、答えを知ってそうな奴のところへ持って行けば終わりじゃない。まず、誰に聞けばよさそうか考えるんだ」


「じゃあ、俺に聞くのも間違いじゃねえのか」


「そうだ。ただし、怒らないで答えろよ。声が大きい理由を聞かれて怒鳴ったら、札を書いた奴の勝ちだ」


「勝ち負けなのかよ」


キドはぶつぶつ言いながらも、その札をすぐ聞く札の枠に掛けた。


それを見ていたカインが、少しだけ眉を寄せる。


「分類基準としては曖昧です。このままでは後で整理に支障が出る可能性があります」


「最初から細かく分けすぎるな。子供が考える前に、やることだけが増えて追いつかなくなるぞ」


「ですが、自然現象と人物に関する疑問を同じ板で扱うのは……」


「今はそれでいい。まず札を書かせる。次に、置き場所で迷わせる。迷ったら誰かに聞く。そこまでできれば上出来だ」


カインはまだ何か言いたそうだったが、板の前で真剣に札を睨んでいるキドを見て、ひとまず口を閉じた。



その日の最初の時間は、問い札の扱いから始まった。


俺は黒板代わりの板の前に立ち、子供たちが持ってきた札をいくつか机の上へ並べる。


「今日は、この中から一つ選ぶ」


「答えを教えてくれるの?」


年少の子が目を輝かせて聞いてきた。


「教えん」


「なんで?」


「答えを聞いて終わるなら、問い札じゃない」


子供たちが、よく分からないという顔でこちらを見る。キドまで似たような顔をしていた。


俺は『どうしてパンはふくらむの』と書かれた札を持ち上げる。


「これは、俺は答えを知ってる。だが今は教えん。先にどう調べるかを考えろ」


「パン屋に聞く!」


王都から来た商家の子がすぐに手を上げた。


「いいな。ほかには」


「食べる!」


「それは調べる前に減るだけだ」


教室に小さな笑いが起きる。


「割って見る」


今度はウルムの子が言った。


「焼く前と、焼いた後を比べる」


「それだ」


俺は、その子を指差した。


「まず見る。次に聞く。できるなら少し試す。分かったことと、まだ分からないことを分ける。最後に、みんなへ話す。難しい言葉はいらん。自分で見たことを言え」


カインが横から何かを言いかけた。


「それは体系化すれば——」


「体系化は後でいい。先に子供を動かせ」


俺が遮ると、カインは眼鏡の奥で少し悔しそうに目を細めた。


「……承知しました」


「悔しそうだな」


「体系化は重要です」


「重要だ。だが、先に棚だけ作っても中身がなければ意味がない」


カインは反論しかけたが、子供たちがパンの中身を想像して口々に話し始めているのを見て、今度は何も言わなかった。


窓の外では、聖樹の葉が一枚揺れている。

そこから、リナがひょいと顔を覗かせた。


「木のことなら、私に聞いてもいいよ」


「お前は勝手に授業に混ざるな」


「木の札、ある?」


「ある。だが今日はパンだ」


「パンも木からできる?」


「できない」


「じゃあ、つまんない」


リナはそう言って葉の陰へ引っ込んだ。子供たちはまた笑ったが、すぐに机の上のパン札へ視線を戻した。


笑って終わらず、また札へ戻る。


悪くない。



休憩の時間になると、エレノアが白湯の壺を持ってきた。


「冷えた手で石筆を握る子が、やはり多いですわ。白湯の壺は、こちらへ置いておきます」


「置き場所は決めておけ。毎日違う場所にあると、次は白湯はどこだという札が増える」


「それはそれで、すぐ聞く札ですわね」


エレノアが少し笑う。


彼女は白湯を配りながら、子供たちの手や顔色を自然に見ていた。誰が緊張しているか、誰が眠そうか、誰が朝から何も食べていなさそうか。俺が板を見ている間に、彼女はそういうところを拾っている。


仮学舎の外へ出ると、エレノアは少し離れた結界柱の方へも目を向けた。


「結界柱の周りも、後ほど見ておきますわ。子供たちが走り回るようになってから、近くに物を置きっぱなしにすることが増えましたもの」


「壊すなとは言ってあるが、子供は言っただけでは止まらんからな」


「ええ。ですから、先に見ておきます」


予防という言葉を、エレノアはもう自然に使わずとも分かっている。怪我人が出てから治すより、怪我をしそうな場所を先に見る。その感覚が、彼女の中では当たり前になっていた。


そこへ、カインが分厚い紙束を抱えてやってきた。


嫌な予感がした。


「……それは何だ」


「学び舎運用に関する引き継ぎ要項です」


「一枚にしろと言ったはずだ」


「これでも、重要事項を削ったつもりです」


カインは真顔だった。


俺は紙束を受け取り、ぱらぱらとめくる。問い札の分類基準、記録様式、欠席者への対応、実習時の安全確認、例外処理。必要なことは確かに書いてある。問題は、これを読まされる側が途中で気絶しそうなことだ。


「これは読ませるための紙束じゃなくて、相手を黙らせる紙束だ」


「そこまででしょうか」


「そこまでだ」


カインは納得しきれない顔をしたが、エレノアが紙束を覗き込んで、にこりと微笑んだ。


「カイン。これは、たしかに少し重いですわ」


「エレノアまで……」


「子供たちを見る係がこれを読んでいたら、その間に子供が机から落ちます」


カインは黙った。


俺は紙束を机に置き、必要なところだけ指で叩いていく。


「問い札の分類はキド。読めない札はリュックが読む。記録の清書もリュック。子供の体調、白湯、休憩はエレノア。机、椅子、踏み台はヘイムと木工職人。全体の判断はギード」


「危険な実験はどうしますか」


「火、炉、薬、結界に関わるものは止めろ。俺かお前が見るまでやらせるな」


「それ以外は?」


「止めなくていい。だが、全部任せる必要もない。危ないものは止めろ。止めなくていいものまで止めなければそれでいい」


カインは、その言葉を手元の小さな紙に書きつけた。


「……危ないものは止める。止めなくていいものは動かす」


「そうだ。管理ってのは、全部を縛ることじゃない」


カインはしばらく紙面を見つめていたが、やがて大きく息を吐いた。


「分かりました。もう一度、作り直します」


「一枚だぞ」


「一枚にします」


「裏までびっしり書くなよ」


「……努力します」


そこは即答しろ。



午後になると、キドがリュックを連れて問い札の板の前に戻ってきた。


「俺、まだ読めねえ札があるぞ」


キドは不機嫌そうに言ったが、逃げる気はなさそうだった。


「読めない札は、僕が読みます。キドは、どこに掛けるかを決めてください」


リュックが、短く区切った羊皮紙を見せる。


そこには、問い、分類、聞いた相手、試したこと、まだ分からないこと、という欄だけがあった。カインの紙束とは違い、余白もある。


「短いな」


俺が言うと、リュックは少し得意そうに頷いた。


「長いと読まれませんから」


「よし。分かってきたな」


キドはリュックに読んでもらいながら、一枚ずつ札を掛けていく。パンの札は、あとで考える札。井戸の水は、誰かと調べる札。濡れた布は、あとで考える札と迷った末に、まず外で試すことになった。


「間違えたらどうすんだよ」


キドが、札を持ったままこちらを見る。


「やり直せばいい」


「そんな雑でいいのかよ」


「最初から正しい場所に置けるなら、そもそも問いにならん」


キドは少し考えたあと、濡れた布の札をあとで考える札へ掛けた。


「じゃあ、明日、濡らして干せばいいんだな」


「そうだ。ただし、服を勝手に濡らすなよ」


「やらねえよ」


言いながら、キドは少しだけ笑っていた。


その顔を見て、カインが手元の引き継ぎ紙に何かを書き足す。


俺は横から覗き込んだ。


『答えを急がせないこと』


「いいじゃないか」


「帝国へ持っていく記録にも、加えます」


「完成品じゃなくて、そういう方を持っていけ」


「はい」


カインの返事は、前より少しだけ軽かった。



夕方。


子供たちが帰り始める頃、仮学舎の中は朝とは別の散らかり方をしていた。


石筆は箱に戻っているが、なぜか一つだけ窓際に転がっている。白湯の壺のそばには、誰かが置き忘れた小さな布がある。問い札の板には、朝よりも二枚ほど札が増えていた。


キドが板の前で片付けをしていると、ふと手を止めた。


「ロッテ、今ごろ何してんだろうな」


その名前が出た瞬間、教室の空気が少しだけ変わった。


俺は白い木札を一枚手に取りながら答える。


「王都で面倒な顔をしてるんじゃないか」


「面倒な顔ってなんだよ」


「逃げたいけど逃げない顔だ」


キドは少し黙った。


その顔は、納得したような、したくないような顔だった。


「……あいつ、逃げなさそうだもんな」


「逃げるのは下手そうだな」


エレノアが白湯の壺を片付けながら、少しだけ笑った。けれど、すぐに目元が曇った。


「ちゃんと食べて、眠れているとよいのですけれど」


「そこは俺も心配だ」


「師匠がそう言うと、本当に心配になりますわ」


「食って寝ないと、人間はだいたい面倒を起こす」


ギードが入り口の方からこちらへ歩いてきた。手には村の連絡板があるが、王都からの封書はない。


「王都から正式な知らせが届くには、まだかかるじゃろう。今は、こちらはこちらのことを進めるしかあるまい」


「そういうことだ」


俺は問い札の板を見た。


「向こうは向こうの仕事。こっちはこっちで、木札が増えてる」


「軽く言うのう」


「重く言ったら片付くのか?」


ギードは白髭を撫で、困ったように笑った。


「片付かんな」


「なら、それでいいだろ」


キドは、ロッテという名の残った木札を見つめるように、しばらく問い札の板を見ていた。


王都で何が決まったのか、俺たちはまだ知らない。


ただ、あいつが面倒なものを背負いに行ったことだけは分かっている。



子供たちが帰った後、仮学舎の中はようやく静かになった。


俺は戸締まりを確認しようとして、問い札の板の前で足を止めた。


朝にはなかった札が、一枚増えている。


『帝国にも、問い札はあるのか』


字は歪んでいた。書いたのが誰かは分からない。年少の子供にしては言葉が整っているが、キドにしては少し丁寧すぎる。


カインもその札に気づき、しばらく黙って見つめていた。


「答えは?」


俺が尋ねる。


カインは、ゆっくりと首を横に振った。


「分かりません」


「賢者なのにか」


「賢者でも、見ていないものは分かりません」


今度は、迷わずにそう言った。


俺は少し笑って、問い札の板に掛かったその一枚を指で軽く揺らした。


「なら、見てこい」


カインは小さく頷いた。


その札は、外さなかった。


答えがないからこそ、残しておく。


問い札の板には、ウルムに残る問いと、外へ向かう問いが並んでいた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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