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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜【書籍化進行中】  作者: しいたけ
第14章 学び舎と王冠

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第199話 封書と選択

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

その日の暮れ。

迎賓館の執務室に戻ると、ギードが一通の書状を差し出した。


送り主の名は書かれていない。だが、重厚な羊皮紙の封を閉じる赤い封蝋には、見間違うはずのない紋章が深く刻み込まれていた。


「……帝国の正式な封蝋ですね。宛名は、私のようです」


隣にいたカインが、すっと顔つきを改めた。


俺は椅子の背にもたれたまま、その封書をちらりと見た。


「なら、お前のものだ」


「ここで開けてもよろしいでしょうか」


「お前宛だ。好きにしろ」


カインは「では、失礼します」と一礼し、慎重に封を切った。


エレノアとギードも、少し離れた席でその様子を見ている。


カインは書面に目を通し、しばらく黙った。


「読み上げます」


そう断ってから、カインは静かに書状の文面を読み始めた。


「皇帝ヴァレリアン陛下の名において、賢者カイン・フォン・ローゼンベルクに一時帰還を命ずる。ウルム村における技術進展、王国情勢、並びに協定運用について、速やかに報告せよ……とのことです」


簡潔にして要を得た、いかにもあの皇帝らしい命令書だった。


「今回は、わたくしの名はありませんのね」


エレノアが少しだけほっとしたように確認する。


「はい。今回の報告対象は、制度と技術、そして王国の情勢に絞られているようです。聖女としてのあなたを呼び戻す意図はないかと」


「まあ、妥当だな。知識の匂いを嗅ぎに来る。いつものことだ」


俺は軽く肩をすくめた。


カインは、書状を丁寧に折りたたみ、静かに顔を上げた。


「帝国の賢者として、帰還命令に異存はありません」


その声は落ち着いていた。

彼はこの村の実務を支えている。

だが、帝国の賢者であることに変わりはない。


「ですが」


カインは、俺の目を見てまっすぐに続けた。


「すぐに支度を始める前に、考える時間をいただけますか」


「帰るかどうかをか?」


「いいえ。何を持って戻るべきか、です」


その言葉に、俺は小さく笑った。


「まぁ、帰るのは当然だ。お前は帝国の賢者だからな」


カインは一瞬だけ目を伏せ、「……はい」と小さく頷いた。


「俺が口を出せるのは、お前が何を持ち帰るかまでだ。だから、そこは口を出させてもらうぞ」


「お願いいたします」


「そうだな……、完成品は持って帰るな。考え方を持って帰れ」


「反射炉についても、ですか」


「特に反射炉だ」

俺はきっぱりと言い切った。


「完成図面や、うちの炉の寸法、魔導補助術式の組み方なんざ、そのまま持って行っても意味がない。形だけ真似させるな。帝国の職人が、自分たちの材料で小さく試せるようにしろ」


カインは、手帳へ一言だけ書きつけた。


「概念と試験手順、そして失敗記録」


「そうだ。炉は火を強くする道具じゃない。熱の逃げ方を減らし、集め方を考える道具だ」


「……承知いたしました」


「それから」


俺は、昼間キドが扱っていた木札のことを思い出しながら付け加えた。


「問い札そのものは持っていくなよ。あれは、ここの子供たちのものだ」


「もちろんです。持っていくなら、札ではなく仕組みの方です。問いを書き、分け、調べ、残す。その一連の流れを記録としてまとめます」


カインは、すぐに頷いた。

以前なら、完成品の写しを求めたかもしれない。だが今は、そこにこだわらなかった。



「しかし、カイン殿が抜けるとなると、村の記録や学び舎の運用に少し穴が空くのう」


ギードが、白髭を撫でながら現実的な問題を口にした。


「そうですね。問い札の分類も、学び舎の記録も、まだ始まったばかりです……」


「始まったばかりだからこそ、誰かに任せるってのも手だぞ」

俺は、そこで口を挟んだ。


「お前がいないと止まるような仕組みなら、それは最初から作り直しだ。問い札はキドに、記録様式はリュックに、衛生管理はエレノアに任せろ。全体はギードが判断する」


「ですが、まだ彼らには……」


「分厚い引き継ぎ書は読まれんぞ。残すなら、紙一枚にしろ」


俺の言葉に、カインは数秒だけ沈黙し、やがて小さく息を吐いた。


「……分かりました。一枚にまとめます」


「また、誰かが行ってしまうのですね」


エレノアが、少し寂しそうに呟いた。だが、すぐにいつもの悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「今度は、皇帝陛下を連れて帰ってこないでくださいましね」


「本当にやめろ。俺の昼寝の時間が消滅する」


俺が即座に返すと、部屋の中に小さな笑いが起きた。



翌日の午後。


出立の準備を進めるカインの元へ、キドが小走りでやってきた。


「カイン様、帝国へ戻るのか」


「一時的にです」


カインは、荷造りの手を止めずに答えた。


「じゃあ、問い札はどうすんだよ。俺、答えなんて知らねえぞ」


「答えなくてよいのです。なくさず、分けて、残してください」


カインは手を止め、キドの方へ向き直った。


キドは少しの間黙ってから、不思議そうに尋ねた。


「帝国でも、こういう札を作るのか」


その素朴な問いに、カインは一瞬だけ言葉に詰まった。


「……分かりません」


「賢者なのに?」


「賢者でも、見ていないものは分かりません」


口にしてから、カインは少しだけ目を伏せた。

以前なら、きっと別の言い方を探していた。


「ですから……見てきます。帝国にも、問いを残せる場所があるのかどうか」


帝国へ戻る。それは命令だ。


だが、彼が帝国で何を成すべきかは、彼自身がこの村で見つけたものだった。


「木札は置いてくんだな」


「もちろんです。これは、ここの子供たちのものですから」


カインがはっきりと答えると、キドはほっとしたように頷き、問い札の板の方へ戻っていった。



その夜。


カインは一人、自室の机に向かい、帝国へ持ち帰る資料を選んでいた。


彼は、精緻に描かれた反射炉の完成図面を一度広げ、すぐに丁寧に畳み直して引き出しの奥へしまった。


ウルム村の防衛結界の詳細と、リナに触れた記録は、最初から鞄に入れなかった。


代わりに机の上に残されたのは、小型炉の試験手順書、炉材が熱で割れた時の失敗記録、燃料消費の比較表。そして、学び舎で使い始めた『問い札』の運用様式と、欠席者向けの簡単な記録フォーマットを書き写した一枚の羊皮紙だった。


カインは、それらの書類をまとめ、革の鞄へと静かに収めた。


その夜、賢者の荷物は、いつもより少しだけ重くなった。


だが、その重さのほとんどは、貴重な魔導具でも完成された図面でもなく、失敗と試行錯誤の跡を記した紙の束だった。


その紙の束を、帝都がどう受け止めるのか。

それはまだ、カインにも分からなかった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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