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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜【書籍化進行中】  作者: しいたけ
第14章 学び舎と王冠

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第198話 問い札と記録

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

「アシュラン様。これ、誰に聞けばいいんだ?」


片付けの終わった教室で、キドが白い木札を差し出してきた。


『どうして、木は水を飲むのか』


歪な字で書かれたその一文を見て、俺は小さく息を吐いた。


「……面倒なものを拾ったな」


「面倒なのに、なんでちょっと嬉しそうなんだよ」


キドが、不思議そうに俺を見上げる。


「こういう面倒は、悪くない」


俺は白い札を机の上に置いた。


文字を覚え、数を覚え、言われたことをそのままなぞるだけの場所なら、この札はただの落書きだ。

だが、何でもないものを見て、ふと足を止める。

当たり前だと思っていたものに、「なぜ」と引っかかる。

それができるなら、字を覚える前でも、学びはもう始まっている。


学問の入口は、正しい答えではない。問いだ。


なぜ。どうして。何が違うのか。どこから来たのか。

目の前のものに疑問を持てるかどうかで、世界の見え方は変わる。

それを、俺は前世で嫌というほど知っていた。


「じゃあ、どうすんだ? 俺じゃ答えられないぞ」


キドが、机の上の木札を見下ろして困ったように言う。


「答えだけなら、すぐに言える。だが、この問いをただ答えを聞いて終わらせるのは惜しい」


俺は黒板代わりの大きな板の前に立った。


「残す。分ける。調べる。そして、あとで話す。そういう仕組みにする」


俺の言葉に、残って片付けを手伝っていたカインやエレノア、リュックたちも集まってきた。


「まずは、問いを分ける」


俺は石筆を取り、板に大きく三つの枠を書いた。


「一つ目は『すぐ聞く札』。石筆はどこへ戻すのか、この字は何と読むのか、水汲みはどこでするのか。その場で聞けば済むようなものはここだ」


「二つ目は『あとで考える札』。木はどうして水を飲むのか、水車はどうして回るのか。すぐ答えるともったいないものはこれだ」


「三つ目は『誰かと調べる札』。薬草はなぜ苦いのか、なぜ冬は水が冷たいのか。自分一人では分からない、専門の知識がいるものはここだ」


「すぐ聞く札。あとで考える札。誰かと調べる札。まずはこの三つでいい」


「分類としては少なすぎます」


すかさずカインが異論を挟む。


「自然現象、村の規則、生活の知恵など、せめて項目別に十は分けるべきでは」


「札の分類を育てる前に、まずは子供を育てろ」


俺が言うと、カインは口をつぐんだ。


「で、調べ方はどうするんですか?」


書記見習いのリュックが、手元の羊皮紙にメモを取りながら尋ねる。


「基本は四つだ。実物を『見る』。知っている人に『聞く』。小さく『試す』。そして、書物を『読む』」


俺はそこまで言って、少し眉間を揉んだ。


「……とはいえ、子供はまだ難しい字が読めんし、そもそもこの村には自由に読める本がほぼない。……いずれ、図書館も要るな」


「図書館、ですか」


カインが、眼鏡の奥で目を丸くした。


「ああ。本を集めて、誰でも見られる場所だ。読める奴だけの倉庫にしておくには、もったいなさすぎるからな」


書類も本も、積んだだけでは役に立たない。

誰かが読めて、使えて、次に渡せて、ようやく意味がある。


だが、それは今すぐの話ではない。


「本がないなら、今は人に聞くしかない。木のことなら木を扱うヘイム。薬草ならエレノア。村の歴史ならギード。……変な精霊のことなら、リナだ」


「変じゃないよ」


窓の外で、葉が一枚揺れた。

いつの間にか、リナが窓枠に座っている。


「じゃあ、便利な精霊だな」


「それはどうかと思う」


リナの返しに、教室に残っていた何人かの子供たちがくすくすと笑った。


「人に聞きに行く時は、必ずルールを一つ守らせろ」


俺は、リュックに向かって言った。


「聞いた相手の名前も、必ず札に残すこと。誰から聞いたかが分からない話は、あとで真偽の確認ができなくて面倒になる」


「分かりました。問い札に『聞いた相手』を記す欄を作ります」


「長くするなよ」


「はい、短くします」


リュックはすぐに羊皮紙の端へ短い欄を付け足した。


「難しい言葉はいらん。まずは『問い』『調べる』『分ける』『話す』。この四つでいい」


俺は板を軽く叩いた。


「分かったこと、まだ分からないこと、思っていたのと違ったことを分けろ。最後は、自分だけで持って帰るな。みんなに話して、板に残す」


「まとめる、ではなく『話す』、ですか」


カインが、手元の記録板を見つめながら感心したように言った。


「まとめただけで誰にも届かないなら、ただの紙の山だからな」


「……なるほど。記録が、そこで次の問いにつながるのですね」


「よし。じゃあ、最初の題材はこれだ」


俺は、机の上の白い札を取り上げた。


「木は、どうして水を飲むのか」


「木は飲むよ。根っこで、ちゅーって」


窓枠のリナが、両手をストローのようにして吸う真似をした。子供たちがまた笑う。


「感覚としてはだいたい合ってる。だが、説明としては足りないな」


「根の吸水メカニズムと葉からの水分の蒸散、さらに毛細管現象による——」


カインが流暢に解説を始めようとしたが、俺は手でそれを制した。


「今日はそこまで行くな。まずは、根を観察し、土を比べることからだ。……キド」


「お、おう」


「お前、明日からこの『問い札』の管理を見ろ」


「俺が? 答えなんて知らねえぞ」


キドが慌てて首を振る。


「答えなくていい。どの札を、どの分類の場所に置くかを考えろ」


「置く場所を間違えたらどうすんだよ」


「間違えたら、貼り替えればいい。それができるのが木札のいいところだ」


俺が言うと、キドの肩から少し力が抜けた。


そして、彼の手で、最初の白い札が『あとで考える札』の枠に掛けられた。



夕方。


誰もいなくなった教室の隅で、問い札の板には最初の白い札が掛けられていた。


『どうして、木は水を飲むのか』


歪な字で書かれたその問いは、正解を与えられて終わることなく、明日の調査へつなぐために残された。

それだけで、この仮学舎は、昨日とは少しだけ違う場所になっていた。


だが、その穏やかな余韻は、長くは続かなかった。


その日の暮れ。


迎賓館の執務室に戻ると、ギードが一通の書状を差し出した。


送り主の名は書かれていない。だが、重厚な羊皮紙の封を閉じる赤い封蝋には、見間違うはずのない紋章が、深く刻み込まれていた。


双頭の鷲。

帝国の紋章だった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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