表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜【書籍化進行中】  作者: しいたけ
第14章 学び舎と王冠

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
223/239

第196話 記録室と詰まり

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

翌朝。

シャルロッテは、自室を出る前に中庭へと足を向けた。


冬枯れの木の枝先に、昨夜見た一枚の若葉が、まだ落ちずに残っていた。

昨夜のことは、夢ではなかった。

それだけを確かめると、シャルロッテは踵を返した。


回廊に出ると、すでに準備を整えたクラウスが静かに控えていた。


「記録室の者には、殿下が閲覧を望まれているとだけ伝えてあります」


クラウスが、周囲を確認してから声を落とした。


「分かりました。まずは、見に行きます」


シャルロッテは短く答えた。


昨日は、言葉を求めて失敗した。

今日は、書類を見る。

誰が何を止めているのか。

そこに、言葉にならなかった理由が残っているはずだった。



記録室は、王城の奥まった一角にあった。


天井は低く、小さな窓から入る光だけでは、部屋の奥まで届かない。部屋の中には、古い紙と乾いたインクの匂いがこもっていた。


壁際に並ぶ巨大な棚には、紐で縛られた羊皮紙の束が隙間なく詰め込まれており、入りきらなかった木箱が廊下にまではみ出していた。


机に向かっていた書記官たちは、シャルロッテの姿に気づくと、慌てて手を止めた。

立ち上がる動きは揃っていたが、皆、目の下に濃い隈を浮かべている。

紙をめくる音と羽ペンの乾いた音が、そこで一斉に途切れた。


「どうか、そのまま作業を続けてください」


シャルロッテがそう告げると、書記官たちは戸惑いながらも、再び机へ向かった。

止まっていた羽ペンの音が、少しずつ戻ってくる。


部屋を見渡すと、思っていたよりもはるかに多くの書類が残っていた。

問題は、それだけの書類が作られながら、王都の現状が何も改善されていないことだった。


「王女殿下を、このような埃っぽい場所へお通しすることになるとは……」


記録室長のマルセルが、深く頭を下げながら恐縮したように言った。


初老の男で、上着の袖口まできちんと整えている。

彼は書類の山を一度だけ見て、すぐに目を伏せた。


「取り繕われた場所を見に来たのではありません」


シャルロッテは、積まれた木箱の一つを見つめながら言った。


「どの記録をお求めでしょうか。税の徴収記録、あるいは軍の配置図でしょうか」


「止まっているものを見せてください」


その一言に、マルセルは一瞬、言葉を失った。

それから、机の奥に積まれた書類の束へ目を向ける。


「……承知いたしました。こちらへ」



マルセルに案内された奥の机には、処理されないまま積み上げられた未決の書類が山になっていた。


シャルロッテは、その中から具体的な案件を三つ、抜き出して説明を求めた。


一つ目は、王都東区にある共同倉庫の開放申請だった。


「この倉庫には、まだ麦が残っているのですね」


書類の日付と備蓄量を確認しながら、シャルロッテが問う。


「はい。十分な量とは言えませんが、数日分はしのげるはずです」


マルセルが答える。


「倉庫の鍵も、あるのですね」


「はい」


「では、なぜ出ないのですか」


マルセルは、気まずそうに目を伏せた。


「倉庫の名義は、旧王家の財務官のままとなっております。あの地区の治安管理は現在、軍の残党が担っておりまして、配給の実務は市中の組合が……。それだけでも既に複雑なのですが、最近になりまして、ある貴族家の監査印が途中から必要とされるようになりまして。結果といたしましては……誰の許可で鍵を開けるのか、誰が責任を持つのかが、その、定まっておらず——誰も、手が出せない状況でございます」


開けた者が、後で責任を問われる。

だから、誰も開けない。


二つ目は、北門付近での治安隊の出動命令書だった。


「略奪騒ぎの報告に対し、出動要請は出ています。ですが、命令書が二種類あるのです」

マルセルの横で、若い書記官のニコラが、二枚の羊皮紙を並べて説明した。


「一つは文官側からの治安維持命令。もう一つは、軍の残党側からの巡回命令です。どちらも正式な書式と印が使われています。ですが、それぞれで向かうべき場所の優先順位が違うのです」


「……現場の兵士は、どちらかを選べば、もう一方の命令違反として責められるわけですね」


シャルロッテが呟くと、ニコラは無念そうに頷いた。


「はい。ですから、兵士は動けません。結局、周辺の貴族が雇った私兵だけが勝手に動き、かえって混乱を招いています」


三つ目は、下町の排水路の修繕申請だった。


「下町の水路が詰まっているという申請は、八日前から出ています」


シャルロッテは、ウルム村でのエレノアの言葉を思い出しながら、その書類に目を落とした。


「職人はいる。材料も最低限はある。では、なぜ止まっているのですか」


「同じ工事班に、貴族街の噴水修繕が割り込んでいるからです」


ニコラが、別の書類を重ねて示した。


「貴族街の申請には、有力な貴族家の確認印があります。下町の申請は『治安上の優先確認中』という理由で、ずっと保留にされたままです」


「八日も水が淀んでいれば、病人が出ます」


シャルロッテの鋭い指摘に、ニコラは小さく頷いた。


「はい。確かに病人は増えています。ですが……医師を回すための申請も、別の棚で止まっています」


一つ止まると、別の棚の書類まで止まる。

その間にも、下町の水は淀んだままだ。



シャルロッテは、山積みの書類からゆっくりと顔を上げた。


何がないのではない。ありすぎるのだ。

各部署からの印も、様々な立場の者からの命令も、それぞれの言い分も。

けれど、最後に引き受ける者の名だけがない。


「あなたは、この状況をどう見ていますか」


シャルロッテは、記録室の隅で、ニコラに向かって静かに尋ねた。


大勢の貴族がいる会議室ではない。ここにいるのは、実務官と、シャルロッテ、クラウス、オリヴィエだけだった。

ニコラはすぐには答えず、おずおずと室長のマルセルを見た。

マルセルは止めなかった。クラウスも急かすことなく、ただ静かに立っている。


「……誰も、間違えた人間になりたくないのです」


ニコラは、絞り出すように本音をこぼした。


「倉庫を開けて配給が足りなくなれば、開けた者の責任になります。兵を出して死人が出れば、出動させた者の責任です。下町の水路を直して、貴族街の工事が遅れれば、判断した者の責任です」


「だから、止まる」


「はい。……止めている方が、誰からも責められにくいのです」


シャルロッテは、昨日の会議室を思い出した。

立派な言葉は、いくつもあった。

だが、誰も自分の名で何かを動かそうとはしなかった。



シャルロッテは、小さく息を吐いた。

今すぐすべての倉庫を開けろと命令することは簡単だ。だが、それではただ別の混乱を生むだけだ。


「マルセル室長」


シャルロッテは、記録室長に向き直った。


「未決の書類を、種類ごとに分けてください」


「種類ごと、でございますか」


マルセルが目を瞬かせる。


「食糧、治安、衛生、修繕。まずはその四つに」


昨夜のリナの言葉が、ふと頭をよぎった。


「そして、それぞれに、止まっている理由を一行で添えてください。誰が悪いか、誰の責任かではなく、ただ、どこで、何が足りなくて止まっているかだけを書いてください」


誰かを責めるためではない。

どこで止まっているのかを、見えるようにするためだ。


その指示を聞いて、ニコラが初めて顔を上げた。


「……それなら、書けます」


ニコラは、初めて書類の山をまっすぐ見た。

書ける形があれば、手は動く。


「では、さっそく取り掛かります」


ニコラが書類の山に手を伸ばし、古い木箱の底から、紐でくくられた薄い束を引き出した時だった。


「あれ……? これは、ここに入れた覚えがありません」


彼が首を傾げて取り出したのは、薄い皮装丁の帳簿だった。

他の書類より、埃が少ない。つい最近、誰かが触れたように見えた。


シャルロッテがその帳簿を受け取り、ページを開く。


そこには、食糧倉庫の管理や修繕の優先順位に関する、様々な部署間の照会記録が記されていた。

そして、その端には、ある一つの印がいくつも押されている。


「これは、正式な命令書ではないのですね」


シャルロッテは、横に立つオリヴィエに帳簿を示した。


「はい。形式上は、ただの照会や確認の記録です。命令ではありません」


オリヴィエが答える。


「ですが、この印がある書類だけ、他のものより早く動いている」


シャルロッテは、帳簿の端に押された小さな印を見つめた。


王命ではない。正式な命令でもない。それでも、その印があるだけで、誰もがその意向をくみ、物事を動かしている。


あるいは、この印がないから、他のすべてが止まっている。


「……この印は」


オリヴィエが、わずかに声を落とした。


「リヒテンブール公爵家の名代印です」

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

「☆☆☆☆☆」からの評価やブックマークをしていただけると、今後の創作の大きな励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

新連載のお知らせ
『星降りの欠片と瀬戸内の巫女
〜役立たずと言われた研究者が、世界の理を繋ぎ直すまで〜』を投稿開始しました。

岡山の研究者と瀬戸内の巫女が、星降りの夜から始まる怪異に触れていく現代ローファンタジーです。
瀬戸内、神社、巫女、怪異、研究者主人公がお好きな方は、よければ覗いてみてください。

『星降りの欠片と瀬戸内の巫女』はこちら

+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ