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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜【書籍化進行中】  作者: しいたけ
第14章 学び舎と王冠

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第190話 王都と静かな門

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

ウルム村を発ってから、幾日かが過ぎていた。


冬の乾いた風が吹き抜ける街道を、馬車と徒歩の列がゆっくりと西へ進んでいく。


オリヴィエの護衛たち、クラウス、そして王都への帰還を望んだ避難民の第一陣。


その一行の前に、やがて巨大な石造りの城壁が見えてきた。


王都ルミナリア。


かつてエルディナ王国の中心として栄華を誇った場所。

しかし、遠目に見てもその姿は、以前の華やかさとは程遠いものだった。


石造りの防壁にはあちこちに黒ずんだ焼け跡が残り、崩落した箇所には応急の木組みが不格好に当てられている。街道を行き交う人々の数もまばらで、みな肩をすくめ、足元を見ながら黙々と歩いていた。


帰還者たちの話し声が、いつの間にか途切れていた。


王都に妹を探しに戻ると言っていた中年の男は、歩みを進めながら、荷袋の紐を握る手にぐっと力を込めた。列のどこからか、「……戻ってきた」という震えるような呟きが聞こえた。別の者は、その城壁を直視できずに顔を伏せている。


王都は、まだそこにあった。けれど、戻れば安心できる場所には見えなかった。



馬車の窓からその城壁を見つめながら、シャルロッテの脳裏に、数ヶ月前のあの夜の記憶が断片的に蘇っていた。


王城の奥深くで炎が上がり、怒号と悲鳴が夜空を焦がしたあの夜。


衣装を脱ぎ捨て、泥にまみれた裾を引きずり、クラウスに手を引かれてただひたすらに暗い獣道を走った。

あの時は、背後にある王都を一度も振り返らなかった。振り返れば、恐ろしさに足がすくんでしまうと分かっていたからだ。


『私は戻らない。私は、生きる』


凍てつく土の上でそう誓った。あの時は、それ以上のことを考える余裕などなかった。

だが今、彼女は顔を上げ、正面からその王都の城壁を見据えている。


シャルロッテは、外套の内側へそっと右手を差し入れた。

胸元には、小さな木札が隠されている。キドが歪な字で書いてくれた、ロッテという名前札。


指先がその木札の縁に触れると、朝の冷たい水、配給の列、子供たちの声、そして管理窓口で向き合った無数の顔が次々と蘇り、胸の奥に静かな力が戻ってきた。


王女という立場へ戻るだけではない。あの夜、生き延びるために背を向けた国へ、今度は自分で選び、ロッテとして生きた時間を抱えたまま戻ってきたのだ。



王都が近づくにつれ、馬に跨るオリヴィエの表情は険しさを増していた。

故郷へ戻った安堵より、王城へどう報を通すかの方が先に立っている。


王女をどう安全に王城へ入れるか。王位の空白をいいことに権力闘争に明け暮れる貴族たちが、この帰還の報にどのような反応を示すか。その報せが、誰の耳に真っ先に届くか。


「……お疲れではございませんか」


馬車の中で静かに控えていたクラウスが、シャルロッテに声をかけた。


「大丈夫です」


シャルロッテは窓から視線を戻し、小さく息を吐いた。


「……いえ、少し緊張はしています」


「それでよろしいかと存じます」


クラウスの静かな言葉に、シャルロッテは少しだけ目を丸くした。


「よろしいのですか」


「はい。何も感じずに戻るより、ずっと」


クラウスは、それ以上多くを語らなかった。


その短い言葉に、シャルロッテの肩からほんの少し力が抜けた。



やがて、一行は王都の正門前へと到着した。

だが、そこには彼らの帰還を祝うようなものは何一つなかった。


王城からの迎えの使者も、平伏する貴族たちの姿も、王家の旗もない。人々の歓声も、どこにもなかった。


門前には、検問を待つ少数の商人や旅人が、寒さに肩をすくめて列を作っているだけだった。


事前の先触れを出していないのだから、迎えがいないのは当然だ。だが、王国の正統な後継者である王女の帰還としては、あまりにも寂しく、冷え切った光景だった。


「……歓迎されている、とは言い難いですね」


馬車に並走していたオリヴィエが、周囲を警戒しながら言った。


シャルロッテは、人の少ない門前を見つめながら、静かに首を振った。


「まだ始まってもいませんから、これからです」


その声は、自分でも意外なほど落ち着いていた。


自分は、誰かに温かく迎え入れられるために戻ってきたのではない。誰も自分を待っていなくても、何も整っていなくても、この場所で、自分から始めるために戻ってきたのだから。


その言葉に、オリヴィエは一瞬だけ目を見張り、すぐに表情を引き締めた。



「止まれ。身分証と通行の目的を」


門を守る兵士が、槍を交差させて一行の行く手を遮った。


兵士たちの目には疲労が滲んでおり、帰還してきた避難民とその護衛にしか見えていないようだった。


オリヴィエが馬を進め、兵士たちを見下ろす。


「オリヴィエ・ド・ラ・ヴァレットだ」


その名と、彼が懐から取り出した印章を見た瞬間、奥から出てきた門衛長の表情が強張った。


「ヴァレット卿! こ、これは失礼いたしました。しかし、これほどの人数を一度にお通しするわけには……」


「全員を速やかに通していただきたい。王城へは、ただちに使いを走らせろ」


オリヴィエの静かだが威圧的な声に、門衛長はたじろいだ。


「はっ。ですが、急に使いと言われましても、何をどのように報せれば……」


「シャルロッテ王女殿下をお連れしている」


槍を構えていた兵士の腕が、ぴたりと止まった。

列を作っていた商人や旅人たちの視線が、一斉に馬車へと注がれる。


「……王女殿下?」


門衛長が、信じられないものを見るような声で聞き返した。


背後に控えていた門衛たちも、ざわめき始める。


「生きておられたのか」


「今、シャルロッテ殿下と……」


驚きを押し殺したような声が、門前のあちこちで重なった。


門衛長はなお戸惑いを残しながらも、オリヴィエの名と印章、そして、その背後に控えるクラウスの隙のない佇まいに押され、慌てて門を開けるよう指示を飛ばした。同時に、青ざめた顔の兵士が一人、王城へ向けて走り出す。


重々しい音を立てて、王都の城門がゆっくりと開かれ始めた。


クラウスが馬車から降り、扉を開ける。


シャルロッテは、促される前に自らの足で馬車の外へ出ようとした。


「姫様、馬車のままでも――」


「歩きます」


クラウスの言葉を短く制し、彼女は冷たい石畳の上に降り立った。


近くにいた者たちが、息を潜めた。


王都の門は、あの日逃げ出した時の記憶より、少しだけ小さく見えた。

あるいは、自分があの日より少しだけ変わったのかもしれない。


かつて背を向けたその門を、シャルロッテは真っ直ぐに見据え、自分の足で一歩を踏み出した。


どこかで、誰かが息を呑んだ。


「……王女殿下」


その声が広がるより先に、シャルロッテは前を見た。


逃げてきたのではない。

今度は、戻ってきたのだ。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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