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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜【書籍化進行中】  作者: しいたけ
第13章 王女と覚悟

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第187話 王女と返答

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

翌朝。村が本格的に動き出す前の、まだ薄暗い時間だった。

シャルロッテは一人で早く目を覚まし、迎賓館の外へと足を踏み出した。


吐く息は白く、冬の冷気が肺の奥まで入り込んでくる。

東の空の境界線がわずかに白み始めている。


その冷たい空気に肌を刺された瞬間、シャルロッテの脳裏に、王都を脱出したあの夜の記憶が鮮明に蘇った。


王城の一部が炎に包まれ、怒号と悲鳴が飛び交う中、彼女は王女としてのきらびやかな衣装を脱ぎ捨てた。

重い髪飾りも、母の形見の指輪も、王女だと知られる手がかりになりそうな装飾品も、衣装と一緒にその場へ残した。


『今日から、あなたはただのロッテです』


クラウスが、彼女にそう告げた。


炎に追われ、息を切らして暗い獣道を走りながら、彼女は心の中で何度も自分に言い聞かせていた。


――私は戻らない。私は、生きる。


あの夜の「戻らない」は、生き延びるための言葉だった。


それ以上の意味を考える余裕など、あの時の自分にはなかった。


けれど、今は違う。

生きて、この村に辿り着き、自分の手で働き、人々の名前と顔を知った。


ならば、今ここで口にする戻るという言葉は、誰かに決められるものであってはならない。


誰かに言われたからではなく、自分自身の足で立ち、自分自身の意思で選び取る言葉でなければならない。


シャルロッテは、白みゆく空を見上げながら、深く、静かに息を吸い込んだ。



「……お早いお目覚めですね」


背後から、足音もなく静かな声がかけられた。


振り返ると、少し離れた所にクラウスが立っていた。彼もまた、主の気配を感じ取って外へ出てきたのだろう。


「ええ。少し、冷たい空気に触れたくて」


シャルロッテはクラウスに向き直ると、姿勢を正した。


正式な返答は、オリヴィエやギードたちが揃う場でしなければならない。

だが、その前にどうしても、この人には最初に伝えておきたかった。


王都からここまで、ずっと傍にいてくれた人に。


「クラウス」


シャルロッテは、真っ直ぐに彼を見て言った。


「私は、王都へ戻ります」


朝の冷たい空気の中に、その言葉が落ちる。


クラウスは、すぐには答えなかった。


「……承知いたしました」


一拍だけ遅れて返ってきた声は、いつもよりほんの少しだけ低かった。


彼はわずかに目を伏せ、その表情の奥にある感情を押し隠した。


安堵なのか、寂しさなのか。

シャルロッテには、うまく読み取れなかった。


「止めないのですね」


「お止めする理由が、もうございません」


クラウスは静かに顔を上げ、シャルロッテを見つめた。


感情を大きく表に出すことのない彼の瞳が、この時ばかりはかすかに揺らいで見えた。


「王都を出たあの日、私は姫様に、何としても生き延びてくださいと申し上げました」


シャルロッテは黙って聞く。


「今は……生きて戻られるのですね、と申し上げます」


シャルロッテは、何も言わずに頷いた。



日が昇る頃、迎賓館の一室には主要な顔ぶれが揃っていた。


正面に座る村長のギード。その斜め後ろにアシュランとエレノア、記録板を持ったカインが控えている。

対面には、姿勢を正したオリヴィエが座り、その後ろに護衛と従者が待機している。

そして、その中央に立つシャルロッテと、一歩下がって控えるクラウス。


「答えは、決まったかね」


ギードが、落ち着いた声で場を開いた。


「はい」


シャルロッテが短く応じると、オリヴィエがわずかに身を乗り出し、背筋をさらにピンと伸ばした。


誰も、言葉を挟まなかった。


シャルロッテは、オリヴィエを、そしてギードやアシュランたちを真っ直ぐに見据えた。


「私は、王国へ戻ります」


短く、迷いのない声だった。


誰かに請われたからではない。自分で選び取った答えだった。


「戻りたいと願う方が、帰れる国にするために」


彼女は、前日の窓口での光景を思い浮かべながら、一つ一つの言葉を確かめるように紡いでいく。


「残ると選んだ方々が、その選択を責められずに済む国にするために」


言葉を重ねるごとに、彼女の声は確かな熱を帯びていった。


「そして、私がこのウルム村で見てきたものを、学んだことを、王国へ持ち帰るために。……私は、王国へ戻ります」


オリヴィエが、深く安堵の息を吐き出し、口を開こうとした。

だが、シャルロッテはそれを手で制した。


「ですが、一つ、先に確かめておきたいことがあります」


「何なりと」


オリヴィエが真剣な眼差しで答える。


「ウルムに残ると決めた方々を、王国が責めることは許しません」


その言葉に、オリヴィエの表情がわずかに強張った。

王都へ戻れば、必ず揉める話だ。


「……もちろんです」


オリヴィエは、慎重に言葉を選んで答えた。


「もちろん、では足りません」


その声には、退く気配がなかった。


「私が戻るなら、それは最初に確かめるべきことです。戻らないと決めた方々を、国難から逃げた者、国を捨てた裏切り者として扱わせるつもりはありません。彼らが安心してこの村で生きていける確約がなければ、私はここを動きません」


オリヴィエは、彼女の言葉の重さを正面から受け止めた。


「私の一存で、王国すべての貴族の口を封じられるわけではありません」


オリヴィエは、言葉を濁さずに答えた。


「ですが、王都へ戻り次第、帰還を強制しない方針を明文化できるよう、私が責任を持って動きます。少なくとも、残る者を罰し、帰還を迫るために殿下をお迎えしたのではないことは、この場で明確に宣言いたします」


シャルロッテは、しばらくオリヴィエを見つめ、それから静かに頷いた。


「ひとつだけ聞く」


不意に、それまで黙ってやり取りを聞いていたアシュランが口を開いた。


「はい」


シャルロッテが向き直る。


アシュランは、いつもと変わらない静かな目で彼女を見ていた。


「旗になるために戻るのか」


シャルロッテは、迷うことなく答えた。


「いいえ」


「なら?」


「声を聞くために戻ります」


シャルロッテは、そこで一度言葉を切った。


「そして、聞いた声を、王宮の都合で無かったことにされないようにするために。……それが、私の役割です」


民の声を聞く。そして、聞いただけで終わらせない。

それは、この村で何度も目にしてきたことだった。


アシュランは、彼女の答えを聞いて、短く息を吐いた。


「……なら、好きにしろ」


それ以上、彼は何も言わなかった。


エレノアが、少し寂しそうに、けれど誇らしげに微笑む。


カインが、静かに記録板を閉じた。


ギードは、長い白髭を撫でながら、ゆっくりと頷いた。


そしてクラウスは、表情を崩さないまま、わずかに肩の力を抜いた。


「では、出立の支度を整えます。シャルロッテ王女殿下」


オリヴィエが、片膝をついて深く頭を下げた。


シャルロッテ王女殿下。


その呼び名に、彼女は一瞬だけ目を伏せた。


けれど、もう背を向けるつもりはなかった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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