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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜【書籍化進行中】  作者: しいたけ
第13章 王女と覚悟

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第184話 名簿と選択

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

迎賓館の一室。

ロッテの返答を受けると、カインはすぐ実務の準備に取りかかった。


長机の上に、新しい羊皮紙の束とインク壺が並べられる。

その脇で、手伝いとして呼ばれたキドが、回収された木材から切り出した三つの板札に、木炭で文字を書き込もうとしていた。


「アシュラン様。これ、何て書けばいい?」

キドが木炭を構えて首を傾げる。


「王国帰還希望、ウルム滞在継続希望、判断保留、ですね」

カインが、眼鏡の位置を直しながら答えた。


「長い」

キドが即座に顔をしかめる。


「長いな」

俺も同意した。


「後の集計を考えれば、必要な分類です」

カインが反論する。


「分類は必要でも、字を読むのが苦手な奴らに読めなきゃ意味がない。ここは……戻る、残る、未定。それでいい」


「それなら読めるし、すぐ書けるね」


俺が言うと、キドは納得したように三つの木札に大きく文字を書き込み始めた。


「……その方が、きっと答えやすいですね」

ロッテは、短く書かれた三つの札を見て、小さく頷いた。


だが、その準備の様子を見ていたオリヴィエが、戸惑ったように声をかけてきた。


「アシュラン殿。一人ずつ確認するのですか?」


「そうだ」


「彼らは王国の民です。シャルロッテ王女殿下が戻られるのであれば、共に王国へ戻るのが自然ではありませんか」


「自然かどうかは、本人に聞け」


俺は、キドが書き上げた札を机に並べながら言った。


「しかし……」


「選べぬ苦しさは、わしらも知っておる」


ギードが、深く腕を組んだまま、オリヴィエを真っ直ぐに見据えて言った。


「じゃからこそ、次はあいつら自身に選ばせてやらねばならんのじゃ」


オリヴィエが言葉に詰まる。


俺は続けた。

「人を動かすなら、まず本人がどっちを向いているか見ろ。水の流れと同じだ。向きを無視して無理に押すだけでは、どこかで必ず詰まる」



聞き取りの窓口は、迎賓館の前の広場に設けられた。


「次、三人世帯。代表者だけじゃなく、家族の人数も言ってくれ」


ロイルが、集まってきた避難民の列に声を飛ばす。


「名前、ゆっくりでいいぞ。聞き間違えたら困るから」


キドが窓口の前に立ち、一人ずつの名前や事情を聞き取る。


「キド、似た名前が多いですから、聞いた名前は必ず復唱してください」


カインが、その後ろで素早く羊皮紙に記録をつけていく。


「分かった。名前、家族、仕事、病気の人がいるか。あと、戻る、残る、未定だな」


キドが指折り数えて確認する。


その窓口の中央に、ロッテが立っていた。


ロッテは昨日までと変わらない村の服で、一人一人の顔を見て話を聞いていた。


オリヴィエは、少し離れた横の席からその様子を静かに見守っている。


「余計な質問はするなよ。一人一人の事情を深く聞きすぎると、列が止まる」


俺が横から釘を刺す。


「でも、必要なことは聞かないといけません」

ロッテが少しだけ反論する。


「だから、必要なことだけ聞けと言ってるんだ。優しさで質問を増やすな。窓口が詰まれば、後ろで待っている全員が困る」


俺の言葉に、ロッテは小さく頷き、最初の避難民と向き合った。



「俺は、戻りたい」

最初に進み出てきたのは、疲れ切った顔の中年の男だった。


「王都に、妹が残ってるんだ。軍の徴用を逃れてはぐれたきり、生きているかどうかも分からない」


「戻れば、まだ危険かもしれませんよ」

ロッテが、静かな声で問いかける。


「それでも、探しに行かないと一生悔いが残る。俺は王国へ戻る」


「……分かりました」


ロッテは、彼を引き留めなかった。


「戻る、でいいか?」


キドが木札を指差して確認する。


「ああ」


「では、戻る方の名簿に記載します。ですが……」


ロッテは、男の足に巻かれたままになっている汚れた包帯に視線を落とした。


「出発の日までは、こちらの村で食事と治療をしっかりと受けてください。怪我をしたままでは、探しに行くこともできませんから」


男は何度か深く頭を下げ、救護所のテントへ向かっていった。



「私は……残りたいです」


次に進み出てきたのは、小さな子供の手を引いた若い母親だった。

その言葉に、横で聞いていたオリヴィエが思わず口を挟む。


「王都に、戻る家はないのですか」


「ありました。でも、残っているかどうかも、もう分かりません」

母親は、怯えたように目を伏せた。


「王国のことが、嫌いなのですか」

ロッテは少し間を置いて尋ねた。


「嫌いじゃありません」


母親は首を振った。


「でも……今すぐ王都へ戻って、あの子を食べさせていけるのか分からないんです。ここなら、仕事も少しずつありますし、寝る場所もあります」


ロッテは、母親の手を強く握る子供に目を向けた。少しも離すまいとしているようだった。


「……残る、でいい?」


少し間が空いたのを見て、キドが困ったように確認する。


「はい。お願いします」


「……分かりました」


ロッテは小さく頷いた。カインが、その名を「残る」の欄へ記した。


オリヴィエは口を閉ざし、その親子の背中を見送った。



「俺は……まだ決められません」


腕に怪我を負った若い職人が、迷いながら口を開いた。


「王都へ戻れば、元の工房があるかもしれない。でも、この村に残った方が安全かもしれない。どちらも選べないんです」


「おい、どっちかにしないと、記録できないぞ」

近くで列を整理していた自警団員が急かす。


「できます。未定の欄がありますから」

カインが、すぐに口を挟んだ。


「まだ決めなくて、いいんですか?」

若者が、ほっとしたようにロッテを見る。


「いいです。今、無理に決める必要はありません」


「無理に決めさせると、あとでひっくり返るからな。名簿の書き直しは二度手間だ」


俺も横から言った。

「じゃあ、未定だな」


キドが手元の板に印をつける。


「……助かります」

若者は、肩の荷が下りたような顔で列を離れていった。



「名前、もう一回言って。似た名前がさっきもあったから」


キドが、次に進み出た避難民の顔を見て言った。


「なんだよ、そんな細かいことまでいるのか?」


避難民が少し面倒そうに返す。


「間違えると、飯も薬も違う人に行くかもしれないだろ。ちゃんと教えてくれ」

キドが、真っ直ぐに相手を見て言い返す。


「分かってきたじゃないか」


俺が感心して言うと、キドは木炭を握ったまま胸を張った。


「アシュラン様が、何回も仕事が増えるって言うからだぞ」


「実際、増えるんだよ。お前のその確認で、俺の昼寝の時間が五分守られた」


俺たちが軽口を叩き合っている間にも、聞き取りの列は続いていく。


ロッテは、一人一人の声を聞きながら、気づき始めていた。

王国を憎んでいる人ばかりではない。

それでも、王国へ戻ることを選べない人があまりにも多い。


「……王国へ戻るかどうかは、王国があるかどうかだけでは決まらないのですね」

ロッテが、ぽつりと呟いた。


「暮らせるかどうかだ」


俺は、広場に並ぶ人々の列を見ながら言った。


「立派な旗や紋章で、腹は膨れない。住む場所、仕事、飯、怪我の治療。そっちが先だ」


「王国は、それを用意しなければならない……」

オリヴィエが、自分に言い聞かせるように呟く。


「用意できないなら、連れて帰るな」


俺は振り返らずに言った。


「途中で必ず詰まるぞ」



「……戻る者が、もっと多いと思っていました」

聞き取りが半分ほど進んだ頃、オリヴィエが小さく呟いた。


「戻りたい者もおる。だが、戻れぬ者もおる」

ギードが、静かに答えた。


「戻れぬ、ですか」


「行き先があることと、帰れることは違う」


オリヴィエは、返す言葉を探すように口を閉ざした。


「行き先があっても、そこで暮らしていく術がなければ、人は帰れんのじゃ」


オリヴィエは、それ以上何も言えず、ただ黙って記録板を見つめていた。



夕方になっても、聞き取りの列は途切れることがなかった。


机の上には、戻る、残る、未定と記した三つの名簿が並んでいた。

最初に足りなくなったのは、残る者を記すための羊皮紙だった。


「ロッテ」

キドが、空になった箱を持ち上げた。


「残るの紙が、もうない」


「予備を出しましょう」

カインが、すぐに新しい羊皮紙の束を取り出す。


「……だから、紙は多めに用意しろと言っただろ」


「マスターは言っていません」


「思ってたんだよ」


「師匠……」


俺たちがいつものように言い合っている横で、ロッテはすぐには返事ができなかった。


キドの前に積み上げられた、残る者たちの名簿を静かに見つめていた。

そこに並んでいたのは、王国を嫌って捨てた人たちの名前ではない。

帰りたい場所を失い、それでも今日を生きるために、今ある暮らしを手放せずにいる人たちの名前だった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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