第182話 願いと門前
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ウルム村の西門、黒皇石の石碑の前で、オリヴィエは深く頭を下げていた。
同行する従者の手の中で、白い布が寒風に揺れている。
防壁の上に立つロイルは、それを黙って見下ろしていた。槍を下げることも、門を開ける合図を出すこともしない。
しばらく風の音だけが、門前に残った。
「頭を上げてください」
ロイルが、よく通る声で告げた。
「……はい」
オリヴィエが静かに顔を上げる。
「ここから先は、村の手順に従ってもらいます。同行者数、武器、身分を示す物、面会希望者。順番に確認します」
「承知しています」
「では、同行者数を」
「護衛二名、従者一名。私を含めて四名です」
「武器は」
「すべて預けます」
オリヴィエの返答は早かった。
ロイルの合図で、大きな門の横にある小さな通用口が開き、自警団員が近寄る。
オリヴィエが自らの帯剣を外し、自警団員に預ける。
だが、後ろに控えていた護衛の一人が渋った。
「オリヴィエ様、せめて一人だけでも……」
「預けなさい」
「ですが、このままでは、万が一の時に――」
「私は願いを聞いてもらいに来た。剣を握ったままでは、願いにはなりません」
オリヴィエの声に、護衛たちは奥歯を噛み締めながらも、渋々、帯びていた剣を外し、自警団員へと預けた。
「預かった武器は、退村時に返します。破損や紛失があれば、こちらの責任です」
ロイルが、いつも通りの事務的な手順を告げる。
「承知しました」
「早いですね」
ロイルが少しだけ目を細めると、オリヴィエは小さく頷いた。
「以前、こちらの手順を見ていますから」
「面会希望は、ギード村長とアシュラン様。ほかには」
ロイルが、手元の記録板に短く書きつけながら確認する。
オリヴィエは、そこで少しだけ間を置いた。視線が、門の内側へ向きかけて、すぐに戻る。
「……今は、控えます」
「では、その二名への面会希望として受けます」
ロイルはそれ以上聞かず、記録板に短く書きつけた。
「村長に取り次ぎます。門外でお待ちください」
ロイルは周囲の自警団員に目配せをして見張りを任せると、素早い足取りで村の中心にある迎賓館へと向かった。
◇
迎賓館の一室。
そこでは、ギード、俺、カイン、エレノアが、ロイルからの報告を受けていた。
少し離れた控えの席では、ロッテとクラウスが静かに耳を傾けている。
「王国の都合で来て、王国の都合で頭を下げる。しかも願いの中身は伏せたままか。実に面倒だな」
俺が腕を組んでため息をつくと、カインが眼鏡を押し上げた。
「明確に言われても、結局は面倒になると思いますが」
「どっちでも面倒じゃないか」
俺がぼやくと、ギードが長い白髭を撫でた。
「じゃが、今までの連中とは違う。少なくとも、強引に門をこじ開けようとはしておらん。相手は武器を預け、礼を尽くしてきておる。なら、こちらも村の礼をもって当たればよかろう」
「面会自体を拒めば、こちらが王都の情報を得る機会も失うことになりますしね」
「情報なんて拾うから、余計な仕事が増えるんだよ」
「ですが、師匠。オリヴィエ様は、お願いに来たと言っていましたわ」
「言うだけなら誰でもできる」
「でも、武器は預けると言って、実際に預けましたわ」
「だから話だけは聞く」
俺がそう返すと、ギードが深く頷いて場をまとめた。
「それでよかろう。願いを聞くことと、願いを叶えることは違う。まずは聞く。決めるのは、その後じゃ」
そのやり取りを聞きながら、ロッテは両手で小さな木札を握りしめていた。
今日、仮学舎でキドが作ってくれた、彼女のための名前札だ。
「……今日、名乗るかどうかは、ロッテ様がお決めください」
傍らに立つクラウスが、静かに声をかけた。
ロッテは木札から目を離さず、ぽつりとこぼす。
「名乗らなければ、逃げたことになりますか」
「いいえ。名を伏せることも、身を守るために必要なことです」
「でも、逃げてばかりでは、いられないのですね」
「はい。ですが、相手が求めているからといって、急いで差し出す必要もございません」
クラウスの声は、いつもと変わらず穏やかだった。
ロッテは、木札を握る指に力を込めた。
「……聞かれたら、私は何と答えればよいのでしょう」
その問いに、クラウスはすぐには答えを与えなかった。
「それを決めるために、まず相手の話を聞けばよろしいかと」
その言葉に、ロッテは小さく「はい」と頷いた。
◇
門の外では、オリヴィエが冷たい風の中で待っていた。
武器はすでに預けられ、掲げていた白い布も綺麗に畳まれている。
周囲を自警団員が警戒する中、護衛の一人が口を開いた。
「オリヴィエ様、いつまで待たされるのでしょう」
「向こうが決めることです」
オリヴィエは、前を向いたまま淡々と答える。
「ですが、いくらなんでも、このまま門の外で待たせるなど……」
「願いを聞いていただくために来ました。そのための手順なら、待ちます」
「……承知しました」
護衛が不満を飲み込んで引き下がる。
◇
「……よし。迎賓館の前室まで通せ」
ギードが、最終的な指示を出した。
「椅子は硬いやつにしておけ」
俺が横槍を入れると、ギードは呆れたように笑った。
「そこは好きにせい」
「では、面会記録を残します」
カインが記録板を手に取った。
「うむ。今回ほど、記録が必要な客もおらんじゃろう」
オリヴィエ一行を、迎賓館へ通す準備が始まった。
それを聞いたロッテは、手元の木札を両手で包み込んだ。
キドの少し歪んだ字で、ロッテ、と書かれている。
この村で呼ばれてきた名前だった。
配給の列に立った時も、子供たちに文字を教えた時も、何度も呼ばれた名前だ。
門の外の男は、きっと別の名を知っている。
それでも今、彼女が握っているのは、この木札だった。
門の方では、王都から来た男が、村の案内に従って静かに歩みを進めていた。
ロッテは、木札を握ったまま顔を上げられなかった。
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