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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜【書籍化進行中】  作者: しいたけ
第13章 王女と覚悟

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第181話 紙片とオリヴィエ

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

夜の王都。

広大な王城の一角にある執務室で、オリヴィエ・ド・ラ・ヴァレットは、分厚い避難民台帳のページを静かに閉じた。


机の上には、各地の関所から上がってきた敗残兵の記録や、街道筋の宿場町などから集められた断片的な報告書の山が積まれている。


他の貴族たちは、アルベール軍瓦解の責任を北部の諸侯に押しつけることに忙しい。その中で、オリヴィエだけが、動乱の夜から消えた名前と人の流れを追い続けていた。


机の中央には、二枚の紙片が並べて置かれている。


一方の紙片には、アルベールの名。

もう一方には、クラウスとロッテの名。

どちらにも、同じ地名が書かれていた。

ウルム村。


コンコン。


控えめなノックの後、実務を補佐する部下が入ってきた。


「オリヴィエ様。ご指示のありましたウルム村の避難民に関する噂の出所ですが……やはり、特定できませんでした。いくつもの宿場や行商人の話に紛れていて、出所が追えません。誰かが意図的に流した可能性もあります」


部下が首を振る。


「単なる噂か、誰かが意図的に混ぜた情報かもしれません。この情報を、信じられるのですか?」


「噂だけなら、私も動きません」


オリヴィエは、机上の紙片に目を落とした。


「ですが、ここにクラウス殿の名がある」


「クラウス殿……まさか」


部下が息を呑んだ。


「声に出すな」


オリヴィエは鋭く制した。


「確証が得られるまで、その名は口にするな」


ロッテという名だけであれば、ただの偶然かもしれない。だが、そこへ、クラウスという老従者が伴っているとなれば、意味は全く違ってくる。


ウルム村。


その地名を見つめるたび、オリヴィエの脳裏には、王立魔術院の重苦しい会議室の光景がよぎる。


あの日、王立魔術院で議論された論文。それを嘲笑し、切り捨てた魔術師たち。


その理論の正しさと危険性を理解していながら、最後まで声を上げなかった自分。


「……ウルム村には、アシュラン殿もおります」


部下が、声を落として言った。


「そうですね」


「オリヴィエ様は、以前にもあの村へ行かれております。もしこの情報が真実であれば、使者を出すにしても、なおさら慎重に人選を――」


「だから、私が行きます」


オリヴィエは、机の上の紙片を静かに引き出しにしまい込みながら告げた。


「オリヴィエ様ご自身が、ですか?」


部下が身を乗り出す。


「危険です。あそこは、アルベール殿の数千の軍を、まともに寄せつけなかった村なのですよ」


「知っています。だからこそ、私が行かなければならない」


オリヴィエは立ち上がり、壁に掛けられた自分の外套を手に取った。


「筋を通す相手はギード村長です。ですが、アシュラン殿を抜きにして、王国の願いを通すことはできません」


「では、ギード村長へ正式な書状を持たせた使者を?」


「それだけでは足りません」


オリヴィエは外套を羽織り、振り返った。


「あの村を動かしている仕組みの中心に、アシュラン殿がいる。王国が何かを願うなら、彼を避けて話を進めることはできません」


「アシュラン・ド・ランテーム殿を、ですか」


「彼が今、その名で呼ばれることを望んでいるかは分かりませんがね」


オリヴィエは、少しだけ口元を歪めた。


「私は一度、会議の席で彼を見捨て、追放されるのを黙って見ていました。今さら都合よく代理人を立てて、王国の願いだけを届けるような真似はできません」


オリヴィエは、机の端にあった白い布を手に取った。


「では、何を持って向かわれるのですか。まさか、その布は?」


「相手がこちらを敵と見なさないよう、敵意がないことを先に示すための合図です」


「王国旗は掲げないのですか」


「掲げません」


オリヴィエは迷わず答えた。


「王国旗を掲げれば、王国の権威を背負って命令を下しに行くことになります。今のあの村に、そんなものが通用するはずがない。今回、それでは門前で追い返されて終わります」


部下は息を呑み、沈黙した。


「私は、命じに行くのではありません」


オリヴィエは、白い布を従者に手渡した。


「願いに行くのです」



翌朝、オリヴィエの一行は王都を出立した。

護衛は最小限の数名と、実務を担う従者のみ。

それでも、一行は迷うことなく東の街道を進んでいった。


道中、彼が目にしたのは、荒れた街道の姿だった。


乗り捨てられたまま朽ちていく荷車、扉を閉ざし警戒を強める宿場町。


王国の威光は、荒れた街道の上では何の役にも立っていなかった。


「道が、ひどく荒れています」


周囲を警戒しながら進む護衛の一人が、顔をしかめて言った。


「道を保つ者が、いなくなったのでしょう」


オリヴィエは、泥にまみれた轍を見つめながら淡々と答えた。


「ウルム村まで、少し急ぎますか?」


「急ぎます。……ただし、門の前で急がせてはいけません」


「と、申しますと」


「あの村は、他人の都合で急かされて動く村ではありません。まず、手順を通す必要があります」



ウルム村。


西門の防壁の陰では、近づいてくる白い布の一団を、ロッテとクラウスが静かに見つめていた。


「王都から……ですか」

ロッテが、小さく震える声で問う。


「来た方角と、あの隊列……王都からの使者でしょう」

クラウスは目を細め、静かに答えた。


「私を、探しに?」


「その可能性は高うございます」


クラウスはそこで一度言葉を切り、ロッテの横顔を見た。


「……裏門から、逃げますか。お望みなら、すぐに手配いたしますが」


ロッテは、小さく息を吸い込み、防壁の向こうへ視線を向けたまま黙り込んだ。


やがて、彼女はゆっくりと首を振った。


「いいえ。ここは、逃げるべきではありません」


「承知いたしました」


クラウスは深く一礼した。


「では、前を向いてお迎えいたしましょう」


二人の会話が聞こえていた俺は、後ろを振り返らずに口を挟んだ。


「本当に逃げたいなら、裏口のルートは確保してあるぞ」


「アシュラン様は、そういうことを平気で仰いますね」

ロッテの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。


「選択肢は、常に多い方がいいからな」


「……逃げません」


ロッテの声音に、迷いはなかった。


「なら、それでいい」



やがて、白い布を掲げた一団がウルム村の西門、黒皇石の石碑の前までやってきた。


「止まれ」


門の上の防壁から、ロイルが通る声で警告した。


「ここから先は、村の手順に従ってもらう」


「承知しています」


先頭を進んでいた男が、静かに答えた。


「名を」


「オリヴィエ・ド・ラ・ヴァレット」


その名が響いた瞬間、俺は思わず眉をひそめた。


「……オリヴィエか」


「以前、使節団の護衛として来ていた男ですね」

カインが眼鏡越しに俺を見る。


「ああ。王立魔術院時代の、元同僚だ」


俺は、眼下の男の顔を見下ろしながら、短く答えた。


「俺が王国を追放された会議で、最後まで何も言わなかった男だ。俺の理論を、理解していたくせにな」


「師匠……」

エレノアが心配そうに俺の袖を引く。


「今さらどうこう言う話じゃない」


俺は肩をすくめ、面倒そうに首の後ろを掻いた。


「あいつが黙っててくれたおかげで、俺は今ここで快適に暮らせてるんだ。むしろ感謝したいくらいだな」


眼下では、オリヴィエが黒皇石の石碑の前で馬を止めていた。


彼はロイルに促されるより先に、自ら鞍から降りた。


後ろに控えていた従者が、槍に掲げていた白い布を静かに下ろす。


「王都より参りました。オリヴィエ・ド・ラ・ヴァレットと申します」


ロイルは手元の記録板を構えたまま、事務的な口調で問う。


「目的は」


オリヴィエは、一度だけ防壁の上――門の内側へ視線を向けた。


俺と目が合う。


ほんの一瞬だけ、オリヴィエの顔が苦く歪んだ。


「ギード村長、ならびにアシュラン殿へ、面会を願いたく参りました」


「面会の用件は」


ロイルがさらに問う。


オリヴィエは、そこで深く頭を下げた。


「お願いに参りました」


冬の冷たい風が、従者の手にある白い布を揺らした。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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