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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜【書籍化進行中】  作者: しいたけ
第13章 王女と覚悟

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第179話 外套と知らせ

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

ウルム村の西門外に急造された仮設救護所では、昨日から続く負傷兵の対応が、粛々と進められていた。

朝の冷たい風に、赤、黄、青、白の色札がパタパタと揺れている。

広場から運び込まれた大鍋からは温かい粥の湯気が上がり、自警団員と世話役たちが慌ただしく立ち働いていた。


「『熱』の札を下げている者は風下へ移せ! 『重』はエレノア様の前へ! 『飯』の奴らは粥を受け取ったら待機線の内側へ戻るんだ!」

ロイルが指示を飛ばし、詰まりかけた人の流れをさばいていた。


若い自警団員たちの中には、昨日まで弓を引いてきた敵兵に粥を配ることに、まだ納得しきれていない者もいる。それでも彼らは不満を飲み込み、決められた手順に従って黙々と動いていた。


「アシュラン様、これ、『証言あり』って札も作った方がいいか?」

首から下げる紐のついた木札を量産していたキドが、俺の顔を見上げて聞いてきた。


「作れ。ただし、首から下げるな。裏返して手元に置いとけ」

俺は、カインから上がってくる記録板に目を落としたまま答えた。


「なんで? 首から下げた方が分かりやすいだろ」


「人間ってのは、余計な札がぶら下がってると、つい気になって中身を聞きに行きたがる生き物なんだよ。いちいち立ち止まられて野次馬が集まったら、導線が詰まる」


俺が言うと、キドは「なるほど」と呟き、『証言あり』と書いた札をパタンと裏返して自分の手元に置いた。



「アシュラン様。街道の見回りの者たちが戻りました」

そこへ、門の警戒に当たっていたハンスが、数人の自警団員と、道案内の猟師を連れてやってきた。


「狩猟小屋の確認か。どうだった」

俺が記録板から顔を上げると、見回りの団員が、少し顔をこわばらせて報告した。


「小屋の中に、人はいませんでした」


「誰もか?」

横からロイルが尋ねる。


「はい。扉は半分開いたままで、炉には何かを燃やした跡が確認できました。あと……これが」


団員は言い淀み、手に持っていた麻袋の中から、土や枯れ葉のついた外套を取り出した。


「小屋の中に落ちていました。胸元に、リヒテンブール公爵家の紋章が残っています」


カインが眼鏡の奥の目を細め、その紋章を確認した。

「死体は?」


「小屋の中にも、周囲にもありません。ただ、森の奥へ向かって、乱れた足跡が続いていました。小屋の外には、何かを引きずったような跡も残っています」


「昨日の従者の証言とは一致しますね」


「死体がないから生きてる、とは限らないな」

俺は外套の汚れ具合を見ながら言った。


「ええ。金を巡って揉めた可能性が高い。状況から見て、外套を着ていたのはアルベール本人と考えるのが自然です」


ロイルが、複雑な顔でその外套を見下ろした。

「……あれだけ大軍を率いて騒いだ相手の終わりが、それですか」


「そんなもんだ」

俺は短く返した。


「軍の中にいるから偉く見えただけだ。森の小屋で腹を空かせれば、ただの金を持った男だ」


俺は泥のついた外套を見下ろした。


「身分で車輪は直らないし、腹も膨れない。森なら、なおさらだ」


「……もっと、何かあるものだと思っていました」

ロイルは、腑に落ちないというように小さく息を吐いた。



その時、少し離れた場所で、パシャン、と水桶が地面に置かれる音がした。

見ると、負傷兵たちに水を配って回っていたロッテが、立ち尽くしていた。


その後ろでは、クラウスが心配そうに一歩を踏み出しかけている。


「お聞きにならない方がよろしいかと存じます」

クラウスが、ロッテの耳元で静かに囁いた。


「いいえ」

ロッテは小さく首を振った。


「王国の話です。……聞かせてください」


俺とカインが視線を向けると、ロッテは真っ直ぐにこちらを見て、静かに口を開いた。


「アルベール様は……民や兵を置いて逃げたのですね」


「……そういう報告です」

ロイルが、言いづらそうに答えた。


「そして、置いていかれた者たちに追われ、持ち物を奪われた」


「その可能性が高い」

俺は事実だけを肯定した。


ロッテは、泥にまみれた紋章から目を離さなかった。


「……王国の人が、また一人、王国に殺されたのですね」


声は小さかった。だが、周囲のざわめきの中でも、不思議とはっきり聞こえた。


「もし、王国がまともな状態であれば……彼も、少しは違ったのでしょうか」

ロッテが、消え入るような声で問う。


「個人の性格までは知らん」

俺は嘘をつかずに答えた。


「ただ、歪んだ仕組みは、まともな人間も駄目にするし、駄目な人間が落ちていくのを止められない」


「……止められなかったのですね」


「止める仕組みが、初めからなかったんだろうな。威光や身分だけで人が動くと思い込んでいれば、足元の車輪が外れていることにも気づけない」


「ウルムには……ありますか」


ロッテがこちらを見た。その問いだけが、少し幼く聞こえた。


「完璧じゃないさ」

俺は肩をすくめた。


「善意や忠誠心だけで回すと、どこかで折れる。だから、仕組みを作る。できるだけ、間違えにくくするためにな」


ロッテはしばらく俺の顔を見つめていたが、やがて小さく「……はい」と頷き、再び水桶を持ち上げて、負傷兵たちの待つ列へと戻っていった。



「さて、記録はどうしますか」


ロッテの後ろ姿を見送った後、カインが仕事の顔に戻って聞いてきた。


「死亡確認ではありません。記録上は『消息不明・死亡可能性高し』とするのが妥当でしょうが」


「それでいい。現物がない以上、断定はできない」


俺は記録板に視線を戻した。


「追跡は?」

ハンスが尋ねる。


「しない。森の中で金を持った傭兵崩れをわざわざ探しに行けば、こっちの自警団に怪我人が増えるだけだ」


「街道の安全確認だけですね」

ロイルが確認を取る。


「ああ。村に向かってくる野盗や敗残兵だけを止めればいい」


俺は、ロイルとハンスの目を見て釘を刺した。


「森の奥までは行くなよ。誰かを見つけたところで、死んだなら死体の処理。生きてるなら捕まえた奴の処理。どっちに転んでも、面倒が増えるだけだ」


「承知しました」


ロイルは一度だけ森の方を見たが、すぐに踵を返した。まだ、門前には怪我人の列が残っている。



その日の夕方。南の街道沿いにある宿場町で、二つの話が別々の口から出た。


一つは、森の古い狩猟小屋で、リヒテンブール公爵家の紋章が入った外套が泥まみれで見つかったという話。そして、金貨袋を持った柄の悪い傭兵風の男たちが森を抜けていったという物騒な噂。


もう一つは、辺境のウルム村に、『クラウス』という名の老従者と、『ロッテ』と呼ばれる少女がいるという、ごくありふれた避難民の話だった。


二つの話は、交わることのない別々の雑報として、人と荷に紛れて王都へ向かった。



数日後の、王都。


夜の執務室で、オリビエは疲れ果てた目をこすりながら、机の上に山と積まれた報告書の束と向き合っていた。


周囲の貴族たちが北部への責任追及や新たな派閥作りに血道を上げている中、彼だけがただ一人、各地の関所から上がってくる敗残兵の記録と、避難民の台帳を黙々と追い続けている。


「街道筋の宿場町などから集められた報告書です」


従者が、新たな書類の束を机の空いた場所に置いた。


オリビエはため息をつきながら、一番上の紙片を手に取った。

そこには、狩猟小屋での一件が短い文字で記されている。


『リヒテンブール家嫡男、アルベール。消息不明』

『公爵家紋章入り外套のみ発見。死亡の可能性高し』


オリビエは表情を変えずにその紙片を脇に置き、机の片隅に避けてあった別の紙片に目をやった。


それは数日前、彼自身が街道雑報の中から見つけ出し、密かに手元に残しておいたものだった。


『ウルム村。武器を預けた老従者クラウス』

『子供たちの世話をする少女、ロッテ』


大軍を率いたアルベールが消息を絶った村。そして、行方不明の王女たちの条件に符合する者たちが滞在している村。


全く無関係に思えた二つの事象が、オリビエの頭の中で『ウルム村』という一つの地名を通して重なり合った。


「……やはり、あの村に」


その声は小さく、机の上の紙片だけがそれを聞いていた。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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