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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜【書籍化進行中】  作者: しいたけ
第13章 王女と覚悟

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第176話 瓦礫と朝食

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

夜明けの街道には、朝霧が白く淀んでいた。


泥に半分埋まった矢じり。鉄輪が外れて道を塞ぐ荷車の車輪。洗濯竿ほどの長さで転がっている、折れた旗竿。破れた袋からこぼれ出し、泥と混じって湿った馬の飼葉。


数千の軍勢が昨日までそこにいた痕跡が、瓦礫となって散乱している。


「……静かですね」


防壁の外へ安全確認に出たロイルが、息を白く吐きながら言った。


「静かな方がいい。騒がしい戦場跡は、だいたいまだ終わってないからな」


俺は、ぬかるんだ地面を歩きながら周囲の惨状に目を配った。


「追撃は、出さなくてよかったんですか」


ロイルが、アルベールたちが逃げた北の森の方角を見ながら尋ねてくる。


「逃がせば、また来るかもしれません」


「追わなくていい」


俺は短く切った。


「連中を追えば、こっちの自警団が散る。それに怪我人が出るかもしれないだろ」


「ですが……」


「その前に、ここだ」


俺は泥に刺さっていた折れた槍の穂先を足で軽く小突いた。


「そこら中に矢じりと刃物が残ってる。村の子供が勝手に出てきて踏んだら面倒だ。逃げてる連中より、ここに残った物の方が今はよっぽど厄介なんだよ」


俺の言葉に、ロイルは少しだけ目を瞬かせ、それから納得したように小さく頷いた。


「勝った後の方が、忙しいんですね」


「勝ったら終わり、ってのは戦う側の都合だ。暮らす側は、その後を片付けなきゃならない」


俺たちが話しているところへ、ドルガンとヘイムが歩いてきた。


「おいおい、こいつは上等な鉄だぞ。王都の連中、こんなもんを泥に捨てていきやがったのか」


ドルガンが、転がっていた鎧の留め具や折れた剣を拾い上げて、職人の目で値踏みしている。


「まだ拾うな」


「あぁ?」


「今すぐ拾うなと言ったんだ。まず矢じりと刃物を集める。次に折れた車軸と、道を塞いでいる瓦礫。その後で鉄だ」


「戦利品じゃねえのか」


ドルガンが不満そうに鼻を鳴らす。


「戦利品を拾おうとして怪我人が出たら、ただの仕事増加だ。順番を守れ」


「へいへい。相変わらず面倒な理屈だな」


「面倒を減らすための理屈だ」


横でひっくり返った荷車を見ていたヘイムが、低く言った。


「……この荷車、軸は死んでるが、梁は生きてる」


「使えるか?」


「乾かして削ればな。割れてない板もある。棚か、足場材くらいにはなる」


ヘイムは太い指で泥を拭いながら、荷車の木材を確かめた。


「なら印を付けておけ。学舎の仮設棚に回せる」


「戦場の荷車が、子供の棚になるのかよ」


ドルガンが呆れたように笑う。


「使えるものは使う。壊して燃やすより、その方がまだ後味がいい」


「ちげえねえ」


ドルガンは折れた剣をいったん地面に置き、代わりに赤い布を結んだ杭を手に取った。


ヘイムも無言で頷き、使えそうな荷車に印を付けていく。瓦礫は、少しずつ「捨てるもの」と「使えるもの」に分けられていった。



防壁の内側では、共同広場の大鍋がもう湯気を上げていた。

広場には温かいスープと焼きたてのパンの匂いが漂っている。

昨日まで戦争をしていたとは思えないほど、手はよく動いていた。


「そこの椀、山にしない! 今日は夜警の見張りの連中が先だよ。夜通し起きてたんだからね!」


マルタが、大きなお玉を振り回しながら声を張り上げる。


「見張りの方からですね。では、こちらの列を先に」


エプロン姿のロッテが、手際よくスープの椀を受け取って自警団員たちへ配っていく。


「そうそう。あんた、配膳の手つきがだいぶ早くなったじゃないか」


「熱いお鍋に驚かない程度には、慣れました」


ロッテが小さく微笑んだ時、広場の奥からキドが板札の束を抱えて走ってきた。


「ロッテ! この『外へ出るな』の札、どこまで貼ればいい?」


「子供たちが通りそうな場所です。水場と広場の入口、それから西門へ続く道にも」


「西門の方まで? あっち、俺も見に行きたいんだけど」


キドが不満げに口を尖らせた。


「行くな」

戻ってきたロイルが、キドの頭に軽く手を置いた。


「今朝の西門の外は、お前が思っているよりずっと危ない」


「分かってるよ。でも、外に何が落ちてるか見ないと――」


「だから、お前に札を任せたんだ」


俺はキドの後ろから声をかけた。


「え?」


「危ないものほど、子供は見に行きたがる。お前なら、どこを塞げば引っかかるか一番よく分かるだろ」


キドは一瞬ぽかんとした後、村の抜け道や子供の導線を頭の中で思い描いたようだった。


「……分かる」


「なら行け。見に行く奴を止めるのも、片付けだ」


「分かった!」


キドはもう文句を言わなかった。


札の束を胸に抱え直し、今度は広場ではなく、水場の裏手へ走っていく。子供たちが抜け道に使う場所を、ちゃんと思い出したらしい。



朝食の配膳の横にある集会棟の救護所には、自警団が回収してきた怪我人が数名運び込まれていた。


「エレノア様、この男……もしかすると王国兵かもしれません。服装がそれっぽいです」


自警団の一人が、泥まみれで意識を失っている男を下ろしながら戸惑ったように言った。


「太ももから出血しています。先に強く押さえて」


エレノアは迷わずに指示を出した。


「ですが、敵かもしれないんですよ?」


「それは後ですわ。今は血を止めます」


エレノアは、手早く男の傷口を洗浄し、布を当てた。


「名前は後でいい。武器を外して、札だけ付けろ」


俺は横から自警団員に指示した。


「札、ですか」


「『未確認』『負傷』『武器預かり済み』。その三つを書いて首から下げとけ」


「師匠、こちらの人は少し熱もあります。隔離も必要ですわ」


エレノアが別の患者を見ながら言った。


「なら四つ目だ。未確認、負傷、武器、隔離。それで誰が見ても扱いが分かる」


俺はそう言い捨てて、救護所の外へ出た。



朝食の配膳をひと段落させたロッテが、手ぬぐいで額の汗を拭いながら広場の端へ出てきた。


そこには、自警団がとりあえず西門の外から回収してきた、敵の武具や旗が一箇所に積み上げられている。


その一番上には、泥と朝露に濡れた、リヒテンブール公爵家の紋章が入った本陣旗が、無惨に折れた竿とともに放り出されていた。


ロッテはしばらく黙っていた。椀を運んでいた指先に、少しだけ力が入る。


「お顔の色が優れませんな」


いつの間にか傍らに立っていたクラウスが、静かに声をかけた。


「……大丈夫です」


「お戻りになりますか」


「いいえ」


ロッテは、旗から目を逸らし、クラウスを見た。


「朝食の配膳が、まだ終わっていません」


「ロッテ様」


「分かっています。あれは、ただの布ではありません。けれど……今は、片付けの手の方が村には必要です」


クラウスは何も言わず、ただ深く一礼した。


ロッテはもう一度だけ旗を見た。それから手ぬぐいを結び直し、何も言わずに大鍋の方へ戻っていった。



「ほら、あんたも食べな。朝から何も入れてないだろ」


迎賓館に戻った俺の机に、マルタが湯気の立つスープと固焼きパンをドンと置いた。


「ようやく人間らしい時間が来たな」


俺が安堵して匙を手に取った瞬間、ドアが開いてカインが入ってきた。


「マスター、食事中に失礼します」


「失礼だと思うなら、食い終わってから来い」


「街道の回収物の一次記録です。武具、車輪、荷車、馬具、旗、飼葉袋、未確認の私物が多数」


カインは俺の文句を完全にスルーして、書類を卓に並べた。


「……朝食の味が、一気に薄くなった」


「それと、未確認の負傷者が三名。うち一名は敵兵の可能性が高いです」


「俺が行くほどじゃないな。札を付けて、武器を外して、後はエレノアの指示に従わせろ。尋問は怪我が治ってからでいい」


俺はパンを齧りながら答えた。


「了解しました」


「ちょっと、食べながら仕事するんじゃないよ」


マルタが呆れたように腰に手を当てる。


「俺もそう思う」


「だったら手を止める」


「それは困る。飯が冷める」


そんなやり取りをしていた時だった。


入り口から、ロイルがひどく硬い顔をして戻ってきた。


「アシュラン様」


「今度は何だ。まだ食べ終わってないぞ」


俺はため息をついた。


「街道沿いの古い狩猟小屋の方角から、煙が上がっています」


「敗残兵ですか?」


カインが書類から顔を上げる。


「分かりません。ただ、見回りの報告によれば……逃げた連中の一部が、街道沿いで他の敗残兵や、残された荷を襲い始めているようです」


場が静まり返った。


「野盗化したか」

ドルガンが顔をしかめる。


「早いな」

ヘイムが低く呟く。


「早くはない」


俺は匙を椀の中に置いた。


「腹が減って、金がなくて、指揮官が消えれば、人はすぐ群れから外れる。当たり前の法則だ」


ロッテは椀を持ったまま、しばらく動かなかった。スープの湯気だけが、彼女の前で細く揺れていた。


「それと……」

ロイルが、言い淀むように言葉を継いだ。


「まだあるのか」


「目撃した木こりの話では、貴族らしい身なりの男が数人の護衛と一緒に、その狩猟小屋がある森の方へ逃げ込んだそうです」


俺はしばらく黙った。


カインが眼鏡のブリッジを押し上げる。

「……アルベール、でしょうか」


「可能性はあるな」


「追いますか?」

ロイルが身を乗り出す。


「追わない」


「ですが!」


「森の中で貴族一人を探すより、街道の通行と村の安全を守る方が先だ」


俺は、冷めかけたスープに視線を落とした。


「それに、逃げた先に味方がいるとは限らない」


戦いは終わった。だが、逃げた者たちまで、きれいに消えたわけではなかった。


その頃、街道沿いの古い狩猟小屋では、泥まみれの貴族服を着た男が一人、息を潜めていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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