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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜【書籍化進行中】  作者: しいたけ
第11章 綻びと傾き

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幕間11-1 ロッテと灯り

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

礼拝堂の奥には、子供たちの小さな声がいくつも重なっていた。

持ち込まれたいくつもの魔導灯とランプの灯りが、冷たい石造りの床を柔らかく照らしている。


「赤い札の子は、あっちの長椅子に座って。青い札の子は、井戸側の控えの方へ行くよ」


私は、キドが配った木札の色と形を一つずつ確かめながら、子供たちの手を引いて奥へと誘導していた。


王城にいた頃、私は数え切れないほどの作法や礼法を叩き込まれた。

誰にどう頭を下げるか、ドレスの裾をどう扱うか、誰とどう視線を合わせるか。

だが今、私の頭の中にあるのはそんなことではない。


赤い札の子を奥へ通すこと。不安そうな子の手を、少しだけ強く握り返してやること。今の私には、それがいちばん大切だった。


包帯や薬草の入った木箱を運び込みながら、エレノア様が声をかけてくる。


「ロッテ、赤い札の子たちは一番奥の席へお願いしますわ。怖がっている子は、無理に急かさずに」


「はい」


「大丈夫ですわ。あなたの声なら、きっと落ち着きます」


「はい!」


私は返事をして、次に来た子供へ向き直った。


「はい。……こちらへ。大丈夫です、座る場所は決まっていますからね」


私の言葉に、赤い札を下げた小さな女の子が、不安そうに見上げてきた。


「お外、こわいのくるの?」


私は一瞬だけ言葉に詰まった。

嘘はつけない。だけど、ここで余計に怖がらせて泣かせるわけにもいかない。


アシュラン様ならきっと、嘘をつかずに落ち着かせるだろう。


「少しだけ、外が騒がしくなるだけですよ。でも、ここにいれば大丈夫です」


私は女の子の背中をそっと撫でた。


「ほら、赤いお札を持ってるでしょう? そのお札がある子は、ここにいれば迷子にならない決まりなんです」


「ほんと?」


「はい」


そう言いながら、私自身もその言葉にすがっていた。



子供たちを席に座らせ、毛布を配り終えた後、私はふと冷たい石の壁に手をついて小さく息を吐いた。


静かだった。


村の外には軍勢が迫っているというのに、この礼拝堂の中には、パニックの気配がまるでなかった。


怖がって親の袖を握る子はいる。泣き出しそうな顔をしている子もいる。それでも、誰一人として行き先を失って叫び回るような者はいない。札の色があり、座る順番があり、誰がどこへ行くかが明確に決まっているからだ。


(あの夜とは……違う)


王城から逃げ出したあの夜のことが、ふいに胸の奥から浮かび上がってきた。

あの夜、城の廊下には怒号と悲鳴が響き渡っていた。


誰が味方で、誰が敵なのか、誰にも分からなかった。ただ走れと背中を押され、みすぼらしい服に着替えさせられ、目立つ金糸の髪を頭巾で隠された。


『今日から、あなたはただのロッテです。名前も、身分も捨てなさい』


クラウスのその言葉で、私の知っていた世界は終わった。


立派な鎧を着た近衛騎士たちが行き先を失って右往左往し、権力を誇っていた貴族たちが我先にと逃げ惑う。

あの夜の城に、私の知っていた王国はもうなかった。


それに比べれば、今のこの礼拝堂はどれほど静かで、どれほど秩序立っていることか。



「ロッテ。こっちは問題ないか」


不意に背後から声をかけられ、私はハッとして振り返った。


そこに立っていたのは、腰に剣を佩いたロイルだった。


普段の窓口に立つ時の温和な顔つきではなく、前線へ向かう自警団の指揮を執る者の、少し硬い表情をしている。


「ロイル……」


私は無意識に姿勢を正した。


「ええ。子供たちは落ち着いています。エレノア様とマルタさんたちも、奥で手当ての準備を終えました。……ロイルは、門へ?」


「ああ。これから向かう。だけど、安心しな。こっちからは打って出ねえから。門を閉ざし、村を守るだけだ」


ロイルは短く、事実だけを告げた。


私は、少しだけ躊躇ってから口を開いた。


「本当に……王国の者たちが、来るのですね」


「ああ」


ロイルはごまかさなかった。

その一言が、私の胸の奥に小さな棘のように刺さる。


私は俯き、自分のエプロンをぎゅっと握りしめた。


「……ごめんなさい」


「ロッテが呼んだわけじゃねえだろ」


ロイルは即座に言い切った。その声には迷いがなかった。


「それでも……あれは、私の国です」


王都から来た貴族と、王国の兵士たち。本来ならば、私が守るべき国の者であり、私を守るはずの剣だった。

それが今、この穏やかな村を壊すために向かってきている。その事実が、たまらなく苦しかった。


ロイルは少しの間だけ沈黙し、やがて静かな声で言った。


「なら、見ておくべきだな。奴らが何をして、ウルム村がどう守るのか。……けど、全部背負うなよ」


ロイルは軽く手を挙げると、それ以上は何も言わず、門の方へと踵を返した。


その背中が、忙しく立ち働く村人たちの流れに紛れて見えなくなるまで、私はしばらくそこから目を離せなかった。


不安とは別のものが、胸の奥で小さくざわついていた。



ロイルを見送った後、私は礼拝堂の奥にある小さな窓に近づき、そっと外を見下ろした。

窓から見えるのは、静かに準備を進めている村の姿だった。


広場の端では、キドが大人の間を走り回りながら、色の違う札を間違えないよう配り直している。

ギード村長は、足の悪い老人を休息所へと誘導している。

カイン様の操るゴーレムが、重い木箱を荷捌き場から倉庫の奥へと黙々と運んでいく。

そして、遠くに見える防壁の上。アシュラン様が、いつものように腕を組んだまま、街道の先を見据えていた。


王城にいた頃、私にとって国とは、玉座であり、王城であり、自分の体に流れる血筋のことだと思っていた。

王冠があり、貴族がひれ伏す場所。それが国なのだと、何の疑いもなく教えられてきた。

けれど今、私の目の前にあるのは、それとはまるで違うものだった。


子供たちが迷わないように札が配られる。

水場に人が詰まらないように、導線が空けられる。

怪我をしても、すぐに布と水が届く準備がある。

不安な人が、安心して座れる灯りの下がある。


そういう生活があるからこそ、人はそこに留まることができる。


(……これこそが、国なのかもしれない)


そう思った瞬間、私は自分の胸の奥が、ぎゅっと締め付けられるように痛むのを感じた。


王国の玉座には、これがなかった。上ばかりを見て、足元の水や灯りを見ていなかった。

だから、あれほど簡単に崩れたのかもしれない。



「ロッテ様」


不意に、すぐ傍から静かな声が降ってきた。


いつのまにかクラウスが、音もなく背後に立っていた。彼は私の視線の先を察したように、僅かに目を細める。


「窓辺に、立ちすぎてはなりません」


「……目立ちますか」


私は、窓の縁からそっと手を離した。


「はい。今はまだ」


クラウスの言葉は、いつも通りだった。


今はまだ。その言葉に、私は少しだけ息を止めた。

いつかは違うのだろうか。けれど、クラウスはそれ以上を言わなかった。


私は窓から一歩下がり、自らの両手を握り合わせた。


「私は……いつまで、今はまだなのでしょう」


外では、自分の国の者たちが武器を掲げて迫っている。それなのに、私はここで身を隠している。そのことが、ひどく苦しかった。


クラウスは、少しだけ答えに迷ったようだった。けれど、甘い言葉はくれなかった。


「……少なくとも、今日ではございません」


「……はい」


私は小さく頷いた。


そうだ。今日、この村を守るのは、アシュラン様やカイン様だけではない。

エレノア様の結界があり、ロイルたち自警団がいる。

私が王女だと名乗ったところで、あの軍勢が止まるはずもない。


今はただ、自分にできる目の前のことをやるしかない。



再び礼拝堂の小窓から外へ目を向けると、西の空の下、街道のずっと向こうに、土煙が長く伸びているのが見えた。


あれは、王国から来る。けれど、もう私の知っていた王国ではない。


私は胸元の布をぎゅっと握りしめた。


怖くないと言えば嘘になる。あの土煙の奥に、かつて私たちを追い詰めた刃と同じものが光っていると思うと、足がすくむ。


それでも、目を逸らしてはいけない気がした。自分の国がどう壊れ、この村がどうやってそれを跳ね返すのか。見届けなければならない。


ふと振り返ると、礼拝堂の奥で小さな魔導灯の光が揺れていた。


子供たちは、その温かな灯りの下で静かに、身を寄せ合って座っている。

外がどれだけ騒がしくなろうとも、彼らの行き先は決まっている。


村の灯りは、まだ消えていなかった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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