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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜【書籍化進行中】  作者: しいたけ
第11章 綻びと傾き

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第169話 街道と備え

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

北部の街道に、人と荷の長い列が伸びていた。兵、荷車、馬、そしていくつもの旗。

巻き上がる土煙とともに進むその姿は、遠目には大軍に見えた。だが、近づけば足並みの乱れが目につく。


荷車が轍に足を取られて止まれば、その後ろの隊列が詰まる。

先頭が構わず進めば、列の中ほどとの間に大きな隙間が空く。

それは統率の取れた軍勢というより、一本の道に押し込められた人と荷の列だった。


「荷車の列が長すぎます。先頭と後方で、すでに半刻以上も距離が開いています」

馬を寄せてきた実務役の男が、顔をしかめて報告した。


「構わん。見た目は大きい方がいい。田舎の村人を震え上がらせるには、砂埃は高く上がるに越したことはない」

北部の使いが、手綱を握りながら冷笑する。


「見た目では飯は増えませんし、行軍速度も上がりません。このペースでは、予定の野営地に着く前に日が暮れます」

実務役が苛立ちを隠さずに返した時、豪奢な甲冑に身を包んだアルベールが、苛立たしげに馬を寄せてきた。


「遅い! なぜもっと堂々と、迅速に進ませないのだ。王国の威光をあの忌々しい村に見せつけるのだろうが」


「……道が、荷で詰まっておりますゆえ」

実務役は短く返し、それ以上は何も言わなかった。


彼が見ているのは、アルベールの威光ではない。軋む車軸と、減っていく兵糧と馬の飼葉だけだった。


先発だけで千五百。

だが、その人数を食わせ、重い鉄を運ぶための荷駄が、早くも彼ら自身の足を引っ張り始めていた。



ウルム村、迎賓館の作業部屋。

普段は実務の書類が積まれる長机の周りに、村の防衛と運営を担う者たちが集まっていた。


「見張りからです。中継地の軍勢が、こちらへ向けて動き出しました」

管理窓口から報告を受けたロイルが、息を整える間も惜しんで口を開いた。


「旗は確認できましたか?」

クラウスが鋭く問う。


「リヒテンブール家の旗が見えます。北部三家、その他多数。ですが、王国の正規軍旗は上がっていません」


「正規軍ではなく、貴族の私兵と流れ者の寄せ集めですね」

カインが、眼鏡を押し上げながら言った。


「数は」

机の奥で腕を組んでいたアシュランが、短い言葉を投げた。


「先頭の集団だけで千五百前後。後ろに後続がいる様子です」


「荷車は?」


「多いです。むしろ、歩兵の数より目立つくらいに連なっています」


その報告を聞いたアシュランは、ふう、と短く息を吐いた。


「なら、まだ速くは来ない」


傍らで板札の整理を手伝っていたキドが、思わず顔を上げた。


「兵がいっぱいいるのに?」


「人は歩く。だが、荷車は詰まる」


アシュランは、机上の地図を指先でトントンと叩いた。


「重い荷が多くて、しかも足並みが揃っていない。そういう軍は、必ず途中で息切れして遅くなる」



「迎撃の準備をしますか」

ロイルが身構える。


「する」

アシュランは頷いた。


「ただし、村を止めるな」


「村を、ですか」


「水、食事、燃料。それから、いつもの生活だ。そこを止めると、敵が来る前にこっちが乱れる」

アシュランは立ち上がり、具体的な指示を出し始めた。


「ヘイム、市場は閉じるなよ。少し端へ寄せるくらいでいい。人の流れを完全に切ると、かえって広場が詰まる」


「門を閉じるだけでは足りん、ということじゃな」

ギード村長が顎髭を撫でる。


「門は閉じる。けど、中まで固める必要はない。動かすところは動かす。カイン、ゴーレムは門前と倉庫側に分けてくれ」


「攻撃ではなく、導線の遮断と運搬の補助ですね」


「そうだ。戦わせるな。運ばせろ。詰まりを取らせるんだ」


兵の配置より先に、配給の導線と水場の話が出てくる。それが、いつものアシュランだった。


「エレノア、子供たちは礼拝堂の奥へ移してくれ」


「分かりましたわ。いつもの学びの時間に見えるように、落ち着かせて誘導します」


「怖がらせるな。でも、嘘もつくな」


アシュランはエレノアを見て言った。


「今日は外へ出ない。それだけでいい」


迎撃の準備をしながら、食事も、仕事も、子供たちの時間も止めない。


指示が出ると、それぞれがすぐに自分の持ち場へ動き始めた。



「はい、こっちは青い札な。お前は丸い印がついてるやつ」


広場の隅では、キドが年少の子供たちを集め、首から下げる紐のついた小さな板札を配っていた。


昨日までは、文字を教えるために削っていた板札だ。今日はそれに、赤や青の塗料と、丸や三角の印が書き込まれている。


「キド兄、なんで今日は外で遊んじゃ駄目なの?」

丸い印の札を受け取った小さな男の子が、不安そうに見上げてきた。


「道が混むからだよ。大人が、大きな荷物をいっぱい動かすんだ」

キドは、板札の紐を男の子の首にかけてやりながら答えた。


「……こわいこと?」


男の子の小さな手が、キドの袖をぎゅっと掴む。 少しだけ、キドは言葉に迷った。でも、アシュランの嘘はつくなという言葉を思い出す。


「ちょっとだけな」

キドはしゃがみ込み、男の子と目線を合わせた。


「でも、ここにいれば大丈夫だ。その札の色と形、覚えてるだろ?」


「赤は礼拝堂。青は、井戸の横」


「そう。丸い印は小さい子。三角は年長組だ。これがあれば迷わない。じゃあ、赤の子を連れていけ」


男の子はこくりと頷き、同じ赤い札を持った子供たちの方へ走っていった。


キドは、自分の手の中に残った板札を見下ろした。


同じ木を削って作った板だ。 けれど、昨日までの字を覚えるための札が、今日は、子供たちを迷わせないための札に変わっている。同じものでも、使い方が変わる。

そのことが、キドには少しだけ怖かった。


それでも、自分が作った札を見て、子供たちはちゃんと動いている。

キドはもう一度、手元の札を数え直し、次の組へ声をかけた。



ウルム村の正門前。

分厚い防壁の上では、すでに自警団の者たちが静かに配置についていた。


ロイルが前線の指揮を執り、ヘイムが門の閂と防壁の機構を確かめている。


カインは数体のスマートゴーレムを配置し、大型バリスタの弦の張りを確認していた。


防壁の少し後ろでは、エレノアが治療所と礼拝堂を行き来し、ギードが年配の村人たちを誘導している。


アシュランは防壁の上に立ち、腕を組んで真っ直ぐに西の街道を見据えていた。


「……こちらからは、打って出ませんね」

隣に立ったロイルが、確認するように言った。


「出ない。追い払うために、わざわざ外に出てやる必要はない」

アシュランは風向きを確かめるように、少しだけ目を細めた。


「相手が、この防壁を見て攻めてこなければ?」

カインが尋ねる。


「来ないなら、そのまま帰ってもらう。来るなら、止める。それだけだ」


その身も蓋もない返答に、下から様子を見ていたエレノアが小さく笑った。


「本当に、師匠らしいですわ。無駄に戦わず、必要なところだけを止めるのですわね」


「褒めてるのか、それ」


アシュランが呆れたように視線を落とす。


「褒めていますよ。おそらくは」


カインが真顔で応じ、防壁の上の空気が少しだけ緩んだ。


誰もが緊張はしている。それでも、持ち場を離れる者はいなかった。



「街道に土煙!」


監視塔の上にいた見張りが、鋭い声を上げた。

防壁の上の全員の視線が、一斉に西の彼方へ向けられる。


「来ました」

ロイルが、腰の剣の柄に手をかけて低く言った。


「まだだ。見えただけだ」

アシュランは、腕を組んだまま姿勢を崩さなかった。


「同じでは?」

ロイルが怪訝な顔をする。


「全然違う。ここへ届くまでに、あの人数を歩かせなきゃならないんだ」


アシュランの視線は、土煙の先頭を追ってはいない。その奥、どこまで列が伸びているかを測るように動いていた。


「……相変わらず、見る場所が違いますね」

カインが微かに息を吐く。


「兵は勝手に戦場へ湧いてくるわけじゃない」

アシュランは、彼方の土煙を見たまま言った。


「歩いて、腹を減らして、疲れる。そこを無視するから、向こうは負けるんだ」


街道の向こうに、土煙が長く、重く伸びていた。

旗も見える。荷車の列も見える。

だが、アシュランは先頭の派手な姿など見ていなかった。


列の長さ。荷車の間隔。歩く速さ。

あの軍が、どこで詰まるか。どれだけ腹を空かせるか。


王国の割れ目から生まれた軍勢が、ウルムへ向かっている。

村は門の内側で、いつもの仕事を崩さないまま、静かに備えを進めていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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