第169話 街道と備え
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北部の街道に、人と荷の長い列が伸びていた。兵、荷車、馬、そしていくつもの旗。
巻き上がる土煙とともに進むその姿は、遠目には大軍に見えた。だが、近づけば足並みの乱れが目につく。
荷車が轍に足を取られて止まれば、その後ろの隊列が詰まる。
先頭が構わず進めば、列の中ほどとの間に大きな隙間が空く。
それは統率の取れた軍勢というより、一本の道に押し込められた人と荷の列だった。
「荷車の列が長すぎます。先頭と後方で、すでに半刻以上も距離が開いています」
馬を寄せてきた実務役の男が、顔をしかめて報告した。
「構わん。見た目は大きい方がいい。田舎の村人を震え上がらせるには、砂埃は高く上がるに越したことはない」
北部の使いが、手綱を握りながら冷笑する。
「見た目では飯は増えませんし、行軍速度も上がりません。このペースでは、予定の野営地に着く前に日が暮れます」
実務役が苛立ちを隠さずに返した時、豪奢な甲冑に身を包んだアルベールが、苛立たしげに馬を寄せてきた。
「遅い! なぜもっと堂々と、迅速に進ませないのだ。王国の威光をあの忌々しい村に見せつけるのだろうが」
「……道が、荷で詰まっておりますゆえ」
実務役は短く返し、それ以上は何も言わなかった。
彼が見ているのは、アルベールの威光ではない。軋む車軸と、減っていく兵糧と馬の飼葉だけだった。
先発だけで千五百。
だが、その人数を食わせ、重い鉄を運ぶための荷駄が、早くも彼ら自身の足を引っ張り始めていた。
◇
ウルム村、迎賓館の作業部屋。
普段は実務の書類が積まれる長机の周りに、村の防衛と運営を担う者たちが集まっていた。
「見張りからです。中継地の軍勢が、こちらへ向けて動き出しました」
管理窓口から報告を受けたロイルが、息を整える間も惜しんで口を開いた。
「旗は確認できましたか?」
クラウスが鋭く問う。
「リヒテンブール家の旗が見えます。北部三家、その他多数。ですが、王国の正規軍旗は上がっていません」
「正規軍ではなく、貴族の私兵と流れ者の寄せ集めですね」
カインが、眼鏡を押し上げながら言った。
「数は」
机の奥で腕を組んでいたアシュランが、短い言葉を投げた。
「先頭の集団だけで千五百前後。後ろに後続がいる様子です」
「荷車は?」
「多いです。むしろ、歩兵の数より目立つくらいに連なっています」
その報告を聞いたアシュランは、ふう、と短く息を吐いた。
「なら、まだ速くは来ない」
傍らで板札の整理を手伝っていたキドが、思わず顔を上げた。
「兵がいっぱいいるのに?」
「人は歩く。だが、荷車は詰まる」
アシュランは、机上の地図を指先でトントンと叩いた。
「重い荷が多くて、しかも足並みが揃っていない。そういう軍は、必ず途中で息切れして遅くなる」
◇
「迎撃の準備をしますか」
ロイルが身構える。
「する」
アシュランは頷いた。
「ただし、村を止めるな」
「村を、ですか」
「水、食事、燃料。それから、いつもの生活だ。そこを止めると、敵が来る前にこっちが乱れる」
アシュランは立ち上がり、具体的な指示を出し始めた。
「ヘイム、市場は閉じるなよ。少し端へ寄せるくらいでいい。人の流れを完全に切ると、かえって広場が詰まる」
「門を閉じるだけでは足りん、ということじゃな」
ギード村長が顎髭を撫でる。
「門は閉じる。けど、中まで固める必要はない。動かすところは動かす。カイン、ゴーレムは門前と倉庫側に分けてくれ」
「攻撃ではなく、導線の遮断と運搬の補助ですね」
「そうだ。戦わせるな。運ばせろ。詰まりを取らせるんだ」
兵の配置より先に、配給の導線と水場の話が出てくる。それが、いつものアシュランだった。
「エレノア、子供たちは礼拝堂の奥へ移してくれ」
「分かりましたわ。いつもの学びの時間に見えるように、落ち着かせて誘導します」
「怖がらせるな。でも、嘘もつくな」
アシュランはエレノアを見て言った。
「今日は外へ出ない。それだけでいい」
迎撃の準備をしながら、食事も、仕事も、子供たちの時間も止めない。
指示が出ると、それぞれがすぐに自分の持ち場へ動き始めた。
◇
「はい、こっちは青い札な。お前は丸い印がついてるやつ」
広場の隅では、キドが年少の子供たちを集め、首から下げる紐のついた小さな板札を配っていた。
昨日までは、文字を教えるために削っていた板札だ。今日はそれに、赤や青の塗料と、丸や三角の印が書き込まれている。
「キド兄、なんで今日は外で遊んじゃ駄目なの?」
丸い印の札を受け取った小さな男の子が、不安そうに見上げてきた。
「道が混むからだよ。大人が、大きな荷物をいっぱい動かすんだ」
キドは、板札の紐を男の子の首にかけてやりながら答えた。
「……こわいこと?」
男の子の小さな手が、キドの袖をぎゅっと掴む。 少しだけ、キドは言葉に迷った。でも、アシュランの嘘はつくなという言葉を思い出す。
「ちょっとだけな」
キドはしゃがみ込み、男の子と目線を合わせた。
「でも、ここにいれば大丈夫だ。その札の色と形、覚えてるだろ?」
「赤は礼拝堂。青は、井戸の横」
「そう。丸い印は小さい子。三角は年長組だ。これがあれば迷わない。じゃあ、赤の子を連れていけ」
男の子はこくりと頷き、同じ赤い札を持った子供たちの方へ走っていった。
キドは、自分の手の中に残った板札を見下ろした。
同じ木を削って作った板だ。 けれど、昨日までの字を覚えるための札が、今日は、子供たちを迷わせないための札に変わっている。同じものでも、使い方が変わる。
そのことが、キドには少しだけ怖かった。
それでも、自分が作った札を見て、子供たちはちゃんと動いている。
キドはもう一度、手元の札を数え直し、次の組へ声をかけた。
◇
ウルム村の正門前。
分厚い防壁の上では、すでに自警団の者たちが静かに配置についていた。
ロイルが前線の指揮を執り、ヘイムが門の閂と防壁の機構を確かめている。
カインは数体のスマートゴーレムを配置し、大型バリスタの弦の張りを確認していた。
防壁の少し後ろでは、エレノアが治療所と礼拝堂を行き来し、ギードが年配の村人たちを誘導している。
アシュランは防壁の上に立ち、腕を組んで真っ直ぐに西の街道を見据えていた。
「……こちらからは、打って出ませんね」
隣に立ったロイルが、確認するように言った。
「出ない。追い払うために、わざわざ外に出てやる必要はない」
アシュランは風向きを確かめるように、少しだけ目を細めた。
「相手が、この防壁を見て攻めてこなければ?」
カインが尋ねる。
「来ないなら、そのまま帰ってもらう。来るなら、止める。それだけだ」
その身も蓋もない返答に、下から様子を見ていたエレノアが小さく笑った。
「本当に、師匠らしいですわ。無駄に戦わず、必要なところだけを止めるのですわね」
「褒めてるのか、それ」
アシュランが呆れたように視線を落とす。
「褒めていますよ。おそらくは」
カインが真顔で応じ、防壁の上の空気が少しだけ緩んだ。
誰もが緊張はしている。それでも、持ち場を離れる者はいなかった。
◇
「街道に土煙!」
監視塔の上にいた見張りが、鋭い声を上げた。
防壁の上の全員の視線が、一斉に西の彼方へ向けられる。
「来ました」
ロイルが、腰の剣の柄に手をかけて低く言った。
「まだだ。見えただけだ」
アシュランは、腕を組んだまま姿勢を崩さなかった。
「同じでは?」
ロイルが怪訝な顔をする。
「全然違う。ここへ届くまでに、あの人数を歩かせなきゃならないんだ」
アシュランの視線は、土煙の先頭を追ってはいない。その奥、どこまで列が伸びているかを測るように動いていた。
「……相変わらず、見る場所が違いますね」
カインが微かに息を吐く。
「兵は勝手に戦場へ湧いてくるわけじゃない」
アシュランは、彼方の土煙を見たまま言った。
「歩いて、腹を減らして、疲れる。そこを無視するから、向こうは負けるんだ」
街道の向こうに、土煙が長く、重く伸びていた。
旗も見える。荷車の列も見える。
だが、アシュランは先頭の派手な姿など見ていなかった。
列の長さ。荷車の間隔。歩く速さ。
あの軍が、どこで詰まるか。どれだけ腹を空かせるか。
王国の割れ目から生まれた軍勢が、ウルムへ向かっている。
村は門の内側で、いつもの仕事を崩さないまま、静かに備えを進めていた。
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