第167話 連名と荷駄
お読みいただき、ありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。
見た目だけは、ずいぶんと穏やかな文面だった。
『王国秩序の回復』
『流民保護の徹底』
『辺境における不当な自治の是正』
王都の静かな私邸。
長机に広げられた草案には、それらしく聞こえる言葉ばかりだった。
だが、その羊皮紙の最後に署名をしていく男たちは、皆、分かっていた。
これは中央へ差し出す書類ではない。名を連ねた者同士にだけ伝わる合図だった。
「討伐の文字は外して正解だったな。王都に目をつけられにくくなる」
傍流貴族の一人が、羽ペンを置きながら言った。
「ええ。秩序回復で十分です。読む者が読めば、それで通じますから」
北部の使いが、冷ややかに応じる。
「しかし、我らの名までこうして並べて載せる必要があるのか? 金を出すだけでは駄目か」
別の貴族が、書き連ねられた署名の列を見て不満げにこぼした。
「金だけを出す者は、後でいくらでも逃げを打てます」
北部の使いは容赦しなかった。
「逃げられない名が並んでいなければ、日和見の家は動きません。……それに、何より重要なのは先頭の名です」
実務役の商人が、一番上に大きく書かれた名前を指で叩いた。
「先頭は、アルベール様で」
「本人の了承は取ってあるのか?」
「要りませんよ」
北部の使いが、ふっ、と鼻で笑った。
「あのお方は、自分の名が先頭にあることを何よりも喜ばれる。自分が全軍の象徴として選ばれたのだと、勝手に納得してくださいます」
部屋の中に、押し殺したような嫌な笑いが漏れた。
本人のいないところで、その思い込みまで使われていた。
彼らにとってのアルベールは、金を集め、人を寄せるための名前でしかなかった。
◇
夜が明ける前の、王都近郊の荷捌き場。
吐く息が白い中、何台もの荷車が次々と出発の準備を整えていた。
帳面には、街道補修の資材、北部倉庫行きの備蓄とある。だが、荷車の沈み方を見れば、御者たちにも分かった。普段の荷ではない。
「……おい、北部倉庫行きにしちゃ、随分と干し肉が多くないか?」
御者の一人が、荷台に掛けられた帆布の隙間を覗き込んで小声で言った。
「黙って運べ。前金は出てるんだ」
荷役頭が、煙管を咥えたまま短く返す。
「王都の関所は通れるのかよ。これ、どう見ても――」
「通るように書いてある」
「書いてあるだけで通るなら、世話ねえな」
若い御者が肩をすくめる。
彼らはこれ以上、余計なことは聞かない。聞かない代わりに、互いの目だけで合図を交わした。
行き先も、使い道も、帳面通りではない。それだけは、御者たちにも分かっていた。
◇
その日の朝。
ウルム村の迎賓館一階、作業部屋の机の上には、大量の記録板が並べられていた。
ただ並べただけでは、ただの数字と文字の羅列だ。
だが、ロイル、クラウス、カイン、そしてキドが、日付ごと、荷の種類ごと、行き先ごとに分けていくと、数字の見え方が少し変わった。
アシュランはほとんど口を出さなかった。
ただ、キドが間違った束へ置こうとした荷札の写しを、無言で指先で弾いて元の場所へ戻す。それだけで、キドは自分の見方がずれていたことに気づき、眉を寄せて考え直す。
「……鉄材は、王都側から北部の倉庫方面へ流れています」
ロイルが、整理した板を指差して言った。
「干し肉も同じです。名目は別々になっていますが、行き先の中継地が重なっています」
クラウスが、来訪者や行商人の動きと照らし合わせながら補足する。
「馬飼葉もですね。量は少ないですが、同じ方向へ向かっています」
カインが数字の偏りを計算し終えて頷いた。
キドが、手元の板札を束ねながら不思議そうに顔を上げた。
「別々の荷で、別々の名目なのに、途中で同じ場所を通ってるってこと?」
「そうだ」
アシュランが、机に肘をついたまま答えた。
「荷の名前を見るんじゃない。通った場所を見るんだ」
「名前じゃなくて、通った場所……」
「人は嘘をつく。荷札も嘘をつく。だが、荷車が通った道は嘘をつかない」
アシュランの声はいつも通りだった。書類はいくらでもごまかせる。けれど、重い荷車が通った道までは消せない。キドにも、そのくらいは分かった。
◇
キドは、言われた通りに通った場所を意識しながら、再び荷札の写しを分類し始めた。
やがて、彼の手がぴたりと止まる。
「……これ、変じゃないか」
「また何か見つけたか」
ロイルが身を乗り出した。
「この二つ、同じ中継地を通ってるのに、こっちだけ記録上の到着日が一日遅い。普通なら、一緒に来るんじゃないのか?」
キドが指差したのは、鉄材と干し肉の記録だった。
クラウスが顎をさする。
「荷の積み替えがあった、ということですか」
「あるいは、途中で一部だけ抜かれたか」
カインが別の可能性を提示する。
「両方あり得る」
アシュランが短く応じた。
キドが食い下がる。
「どっち?」
「今は決めるな。決めつけると見落とす」
アシュランは、キドの目を見て言った。
「分からないなら、分からないまま置いとけ。無理に答えを作る方が危ない」
キドは一つ頷き、分からないものを保留の束へ避けた。
すぐに答えを決めない。言われてみれば簡単そうなのに、やってみると思ったより難しかった。
◇
クラウスが、壁に広げられた周辺地図の上に小さな印を打っていく。
鉄材。干し肉。馬飼葉。矢束。車軸。
名目はばらばらだ。だが、行き先をたどっていくと、どれも同じ方向へ寄っていた。
キドにも、印が一方向へ寄っているのは分かった。
ウルムへ向かうなら、まずそこに荷を溜める。そう考えると、印が集まった理由も見えてくる。
「……この中継地に集まっていますね」
ロイルが、地図の一点を指差した。
「偶然にしては、重なりすぎます」
クラウスが鋭い目で同調する。
「兵をすぐ動かすなら、ここでしょうね」
カインが眼鏡を押し上げた。
「すぐじゃない。まだ兵站を整えている段階だろうな」
「兵站?」
キドが聞き返した。
「飯、飼葉、替えの車輪、矢、薬。兵を動かすために要るものだ」
アシュランは地図から目を離さずに言った。
「それが揃わないと、軍は動けない」
少し間を置いて、アシュランはゆっくりと顔を上げた。
「ロイル。倉庫の余剰を見直せ。クラウスさんは街道の方の見張りを増やしてください。カイン、念のためゴーレムも出せるように準備しといてくれ」
キドが、たまらずに聞いた。
「……来るの?」
アシュランは何も言わず、しばらく地図の上の印を見下ろしていた。
やがて、静かな声で言った。
「来る準備をしてるのは確かだ」
軍勢の姿はまだ見えない。だが、こちらへ向かう道は、帳簿と記録の上でもう出来上がっていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
「☆☆☆☆☆」からの評価やブックマークをしていただけると、今後の創作の大きな励みになります。




