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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜【書籍化進行中】  作者: しいたけ
第11章 綻びと傾き

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第165話 火種と選別

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

王城の一角にある取次室では、その朝も来客名簿と会議の予定表が長机いっぱいに広げられていた。


北部三領への処分状が出されてから、まだ数日しか経っていない。だが、それで話が終わるほど政治は簡単ではなかった。


北部の反発は、表向きには抑え込まれている。だが、王都の内側でも不満は燻っていた。その手合いをどう近づけ、どう遠ざけるか。非公式の協議や面会は、連日のように組まれていた。


誰に会わせるか。誰を入れないか。そういう細かな差の方が、あとで効いてくる。


侍従長補佐が、候補者の名がびっしりと書き込まれた羊皮紙を一枚ずつめくっていく。


「北部対策の非公式協議については、ひとまずこの顔ぶれで――」


その指先が、ある一つの名前のところでぴたりと止まった。


アルベール・ド・リヒテンブール。


机の向かいで茶を飲んでいた実務官が、その名を見た途端に露骨に眉をひそめた。


「それは外してください」


「ですが、魔術院での経歴も、公爵家の血もある。王都での知名度も十分です。不満を抱えた若手貴族に見せるには――」


「だからです」


実務官は、冷めかけた茶のカップを音を立てて置いた。


「不満を抱えた連中が寄り付きやすいのは分かります。ですが、知名度があるのと、使えるのとはまったく別の話です」


侍従長補佐は紙の上の名前を見たまま、小さく息を吐いた。


「……王都の中枢では、もう使わない、と」


「使えません。本人が前へ出たがりすぎる。そのくせ、現場の機微や理屈を読み取る能力が決定的に欠けている」


「知名度はあるが、制御できないわけですか」


「ええ。担ぐには目立ちすぎるし、抱えるには雑すぎる」


少しの間を置いて、実務官はひどく淡々と付け加えた。


「今のあの方に不用意に触れれば、こちらが巻き込まれます」


侍従長補佐は何も言わず、羽根ペンにインクを浸すと、アルベールの名に一本、ためらいなく線を引いた。


それで終わるはずだった。


だが、王城で外された名前ほど、外で不満を抱える連中には都合がいい。



王都の表通りから一本入った、人気のない屋敷。


こういう話し合いに、仰々しい前置きはなかった。


暖炉の火を前に座る男たちの手つきには、まだ貴族めいた気取りが残っていた。だが、顔には隠しきれない鬱屈が出ていた。


顔ぶれは揃っていた。


公爵の敷いた実務重視の体制では上へ食い込めない、中央の傍流貴族たち。


そして、過日の通達によって手足を縛られ、事実上中央に切り捨てられた北部の縁者たち。


どちらも、王都の中心からは一歩外れた場所に追いやられた者たちだった。


「……北部の話に、全面的に乗るつもりはない。だが、今の公爵のやり方に不満がないわけでもない」


傍流貴族の一人が、葡萄酒の入ったグラスを揺らしながら低い声で言った。


「こちらも、ここへ頭を下げに来たわけではありません」


向かいに座る北部の使いが、冷ややかに返す。


「ただ、今のままでは、北部もあなた方も順に切られる。公爵の作った理屈の前に、身動きが取れなくなる。それはお互いに理解しているはずだ」


別の男が、重いため息とともに杯を置いた。


「兵はまだ要らん。今、兵を動かせば、それこそ帝国の協定の餌食になる。我々に今、必要なのは、不満を持つ人間を束ね、堂々と声を上げるための『御旗』だ」


「旗だけで、人が集まるものか」


「集まるさ。負けが込んで先の見えない連中というのは、理屈よりも『名』で動く」


北部の使いが、薄暗い部屋の中でニヤリと笑った。


「公爵家の血。魔術院におけるかつての名声。王都での知れ渡り方。……アルベール・ド・リヒテンブール。あれほど、今の我々に都合のいい旗はない」


傍流貴族たちが、顔を見合わせる。


「だが、あれは我が強すぎる。思い通りに動くか?」


「そこがいいのだ」

北部の使いは身を乗り出した。


「あのお方は、自分が担ぎ出され、選ばれる理由を、勝手に立派な英雄譚へと仕立ててくれる。我々が苦労して大義名分をでっち上げる必要すらない」

その言い方で、部屋の空気が少し冷えた。


「扱いやすいと思うなよ」

と、使いは続けた。


「だが、前へ押し出して矢面に立たせるには、これ以上ない駒だ」


彼らに必要なのは、有能な指導者ではない。人を寄せる旗だ。

その夜のうちに、彼を担ぎ出す算段はほぼ固まった。



アルベール・ド・リヒテンブールは、その日の午後になってようやく機嫌を直していた。


ここ数日の王都は、自分を正しく評価できない愚鈍な者ばかりだと、朝から二度は侍従に当たり散らしていたのだ。


父親である公爵からは遠ざけられ、実務の場に呼ばれることもない。自分ほどの才を持つ者が、なぜこんな狭い私室で燻っていなければならないのか。


そんなところへ、思いのほか丁寧な来客の案内が入ったのだ。


『王国の名だたる方々が、ぜひアルベール様にお目通りを願いたいと、私邸にてお待ちしております』

その一言だけで、アルベールの苛立ちに満ちた顔つきが、パッと明るく変わった。


「……ようやく、か」

窓際の椅子から立ち上がりながら、アルベールが口元を歪める。


「何がでございますか」

控えていた侍従が恐る恐る尋ねる。


「決まっているだろう」

アルベールは、豪奢な上着に腕を通しながら、さも当然といったふうに言い放った。


「あの愚鈍な者どもでも、いつまでも私のような天才を遊ばせておけぬと、ようやく理解したのだ。あの忌々しい奴らを叩き潰すには、王国の正統なる権威と力が必要なのだとな」


あまりにも都合のいい受け取り方だった。だが本人は、そうとしか受け取っていなかった。



アルベールが、指定された私邸の応接室に足を踏み入れると、数名の貴族たちが一斉に立ち上がり、恭しく頭を下げた。


「お久しぶりでございます、アルベール様。お出ましいただき、感謝に堪えません」

傍流貴族の一人が、恭しく歩み寄る。


相手の態度は丁寧だったが、へりくだりすぎてはいない。アルベールには、それがかえって心地よかった。


「そう畏まらずともよい。座りたまえ」


アルベールは鷹揚に頷き、上座のソファに腰を下ろした。


「ここに来て、私の力が必要になったことは理解している。王都の中枢は動くのが遅すぎる。だが、分かっている者は、最後には正しい場所へと戻ってくる。それだけのことだ」


「ええ、もちろんにございます」


頭を下げた貴族が、床に向けた視線の中で微かに冷笑を浮かべたことに、アルベールはまったく気づいていなかった。



会談が進む。しかし、アルベールが口を開くたび、部屋の空気は少しずつおかしな方向へ傾いていった。


本人は、自分の持つ価値と、これからの王国がいかにあるべきか、熱弁を振るって証明しているつもりでいる。


だが、男たちが見ていたのは中身ではない。前へ立たせた時にどれだけ目を引くか。倒れても惜しくないか。それだけだった。


「ウルムの奇蹟などと持て囃されているようだが、所詮は異端の寄せ集めが作った仮初めの秩序にすぎん」


アルベールは、グラスを傾けながら冷笑した。


「あのようなまやかしの村が、王国の威信を脅かすなどあり得ない。私が前に出れば、王国本来の権威が何たるかを、あの平民どもに思い知らせてやれる。そうだろう?」


「まったくもって、おっしゃる通りでございます」


相槌を打ちながら、傍流貴族たちは視線だけで会話を交わしていた。


(自分で前へ出る気は、十分にあるようだな)


(しかも、自分が選ばれ、期待されていると完全に思い込んでいる)


(……悪くない)


それは称賛ではなかった。品定めするような目だった。


「ただ、中央は今、帝国との協定に及び腰になっております。アルベール様のような強い御方が旗印として立っていただければ、我々も動きやすいのですが……」


北部の使いが、わざとらしくため息をついて見せる。


「案ずるな」

アルベールは胸を張った。


「臆病風に吹かれた老人どもの理屈など、私が吹き飛ばしてやる。私のもとに集え。真の王国の姿を見せてやろう」


満足げに笑うアルベールを見つめながら、傍流の一人が隠した口元で小さく呟いた。


「旗は、風向きを読まなくていい。ただ、立っていればそれで足りる」


その小さな呟きだけで、何を見ている連中なのかは十分だった。



アルベールが上機嫌で馬車に乗り込み去った後。


応接室には、しばらくの間、誰も口を開かない静寂が降りていた。


笑う者はいない。軽蔑も、声には出さない。


ただ、使えるかどうか。その判断だけは、部屋にいる全員の中で完全に済んでいた。


「どう見る」

傍流貴族の一人が、残った葡萄酒を飲み干しながら口火を切った。


「軽いな。だが、そのくらいでちょうどいい」

北部の使いが、アルベールが座っていた空のソファを見つめて答えた。


「だが、軽いからこそ前にも出るし、何より担ぎやすい」


「不満を抱えた連中には、あれくらい分かりやすくて派手な神輿の方がいい」


別の男が同意する。


「北部は乗るだろう。中央のやり方に不満を持って燻っている連中や、職にあぶれた私兵たちも、あの名を見れば確実に寄ってくる」


王国の未来や大義は、もう話の中心ではなかった。今の不遇をひっくり返せるなら、材料は何でもよかった。


「本人が、自分が英雄だというお伽噺を信じてくれているうちが、いちばん扱いやすいさ」



その夜、王都の表通りは静かだった。公爵の統制はまだ行き届いている。表から見れば、波乱の気配はない。だが、人の流れはもう別の方へ向き始めていた。


北部で切り捨てられた者。中央の制度から弾き出され、浮かび上がれぬ者。


行き場を失った不満は、まだ形を持たずに燻っていた。だが、分かりやすい旗が立てば、人は一気にそこへ寄ってくる。


その準備が、いま王都の暗がりで進んでいた。当のアルベール本人は、自分が担がれ始めていることにまだ気づいていない。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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