第160話 学舎と段取り
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ギシ、ギシと鈍い音を立てて、木造のクレーンがゆっくりと資材を持ち上げていく。
ウルム村は、今も毎日のように形を変えていた。
新しい長屋の太い骨組みが立ち上がり、その隣では個別の家屋の基礎が掘られ、少し離れた場所では共同倉庫の増築が進んでいる。荷車が絶え間なく行き交い、切ったばかりの材木の匂いと、乾いた土の匂いが風に乗って村じゅうに流れていた。
人が増えた。だから、建てるものも増えた。 まだ屋根も葺き終わっていない家もある。壁が仮の板張りのまま、寒さをしのいでいる部屋もある。今のウルムは、出来上がった村ではない。まだ、あちこちで手が入っている村だった。
「次は西の長屋だ。そのあと、炊き出し小屋の脇の隙間を詰めるぞ!」
建築組を束ねるヘイムが、額の汗を拭いながら声を張り上げる。
そのすぐ横を、字の練習に使う小さな板札を小脇に抱えた子供たちが、連れ立って広場の方へと駆けていった。
「……まだまだ、家が足りませんね」
作業の進捗を見に来たロイルが、走り去る子供たちの背中を見送りながらこぼした。
「足りねえな」
ヘイムは図面代わりの木板を片手に、短く笑った。
「足りねえから、こうして毎日建ててるんだよ」
「そりゃそうだ」
ロイルは少し間を置いてから、広場の方へ目をやった。子供たちの声が、そちらから聞こえてくる。
「それにしたって、人が増えるたびに建てて、また足りなくなって。また建てて――いつになったら追いつくんですかね」
「追いつかねえよ」
ヘイムは木板に指で線を引きながら、あっさり言った。
「……言い切りますね」
「言い切るも何も、そういうもんだ」
ヘイムは木板から目を離さないまま続けた。
「建てた分だけ、雨露しのげる人間が増える。それで十分だ。追いつくかどうかなんざは、俺の仕事じゃねえ」
◇
その日の昼下がり。
迎賓館の一階、実務を取り仕切る大きな机の上には、村全体の区画を描いた見取り図が広げられていた。
「青空教室のことなんですが」
ロイルが、図面の端を指で押さえながら切り出した。
「そろそろ、広場の端っこだけで回すのはきつくなってきました。教える内容も板札の置き場も、あのスペースでは限界です」
その場にいたヘイムが、腕を組んで渋い顔をする。
「だからって、今ある長屋を一つ潰して教室にするのは駄目だぞ。寝床が足りてない家がまだあるんだ」
「ええ、それは絶対に避けたいですわ」
エレノアも真剣な顔で同意する。
カインが眼鏡の位置を直し、冷静に口を開いた。
「住居と学びの場は、最初から分けた方がいいでしょうね。今後、外から来る子供の数はさらに増えます。生活の場と混ざると、互いに不都合が出ます」
机の奥で腕を組んでいたアシュランが、面倒そうに口を開いた。
「……つまり、教える場所はどうしても要る。だが、今ある家を学校に回すのは悪手ってことか」
◇
話がそこまで進んだ時点で、学校はもう思いつきの話ではなくなっていた。建てるかどうかではない。村のどこへ置くかという話になった時点で、それはもう今後の村の計画そのものを決める話だった。
「長屋はそのまま使う。住む場所が足りてないからな」
アシュランが図面を見下ろしたまま明言した。
「同感だ。家が先だ」
ヘイムが深く頷く。
「ですが、場所だけは押さえておくべきです」
カインが、木炭のペンで図面の一角を指し示した。
「後から空いた場所へ押し込もうとすると、必ず全体の導線に無理が出ます。用地の確保だけは、今のうちに済ませるべきです」
「長屋から子供たちが通える距離で、なおかつ市場の荷車とは動線を分けたいですね」
ロイルが実務的な視点で条件を足す。
「手洗い場や水場も、遠すぎない方がいいですわ。子供はすぐ泥だらけになりますから」
エレノアがそう付け加えると、アシュランは少し考えてから口を開いた。
「いや、それなら最初から水場も近くに引いた方が早いな」
アシュランはしばらく図面を睨み、やがて一本の線を引いた。長屋群から少し外れ、市場の喧騒からは離れている。だが、水場も含めて新しく整えるなら、かえって都合のいい空白区画だった。
「……じゃあ、最初にここを学校用の土地として押さえるか」
アシュランが木炭のペンを置く。
今のうちに、ここは学校を建てる場所だって分かるようにしておけば、後で家や小屋を建てようとして揉めずに済むだろ
建物はまだなくていい。だが、場所だけは先に決める。後で揉めそうなところほど、先に動く。そういう手際だけは、アシュランは妙に早かった。
◇
「だが、ちゃんとした校舎を今すぐ建てるのは無理だぜ」
ヘイムが釘を刺すように言った。
「家を建てるので手いっぱいだ。学校にまで回す余裕は、まだねえよ」
「分かってる。だから最初は仮でいい」
アシュランはあっさりと言った。
「雨風がしのげて、机が置けて、板と札がしまえればまず足りる。最初は物置に毛が生えたくらいでいい」
「本校舎は別ですね」
カインがすぐさま補足する。
「いずれ年齢や理解度ごとに組を分けるなら、最初から十分な広さの敷地を見ておいた方がいい。仮の小屋を建てつつ、横に本校舎の枠だけ取っておきましょう」
「では、今は仮の教室で始めて、少しずつちゃんとした学び舎へと移っていくのですわね!」
エレノアが嬉しそうに手を合わせた。
「そういうことだ。順番だけ決めておけば、あとは建てられる時に建てりゃいい」
アシュランはそう言って、話の区切りをつけるように息を吐いた。
◇
「あの、木炭と新しい板、足りなくなったから取りに来たんだけど……」
そこへ、キドがひょっこりと顔を出した。広場で年少の子供たちの面倒を見ていたせいで、手も鼻の頭も少し黒く汚れている。
ロイルがキドを見て、ふと思い出したように言った。
「そういえば、年長組をひとまとめに見る役も要りますね。仮の教室ができたとしても、大人がずっと付きっきりというわけにもいきませんから」
「キドが向いていると思いますわ」
エレノアがにっこりと微笑んだ。
「小さな子にもよく声をかけてくれていますし」
「……え、俺? 何?」
いきなり名指しされたキドが、目をぱちくりとさせる。
アシュランは机に肘をつき、キドを真っ直ぐに見た。
「お前だ。手が止まってるやつがいたら見てやれ。やり方が分からないことは一人で抱え込むな。すぐこっちへ上げろ。自分で勝手に答えを決めるな」
キドは少し戸惑ったように首を掻いた。
「それって、俺が先生になるってことか?」
「違う」
アシュランは即座に否定した。
「先に気づいたやつが、先に声をかけるだけだ」
別に、大げさな役目を担わせたいわけではない。ただ、誰かの手が止まりそうなら先に気づいて声をかける。それはもう、キドが広場で自然にやっていたことだった。
キドは抱えていた板札を下ろし、しばらく黙っていた。けれど、嫌そうな顔はしなかった。
教わるだけだった場所から、少しずつ手伝う側、教える側へと回り始める。たぶん、それが彼にとっての最初の一歩なのだろう。
「分かった。困ってるやつがいたら、とりあえず声かけるよ」
キドが頷くのを見て、アシュランは机上の見取り図を指先で軽く叩いた。
まだ校舎はない。しかし、土地は決まった。役目も決まった。 そうなれば、あとは建てるだけだ。
「……先に住む場所、その次に学ぶ場所だ。ヘイム、頼んだぞ」
そう言ったアシュランは、いつものように淡々としていた。だが、この部屋の誰より先に、その先のウルム村の形を見ていたのは、たぶん彼だった。
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