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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜  作者: しいたけ
第11章 綻びと傾き

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第161話 報告と動揺

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

王都の中央にそびえる王城。その奥まった区画にある実務棟の一室に、数日ぶりに密偵たちが戻ってきた。


怪我ひとつなく、服の乱れもない。見た目だけなら、何事もなく戻ってきたようにしか見えなかった。


しかし、公爵の側近たちは、彼らをひと目見た瞬間に嫌なものを覚えた。何かを見てきたのは分かる。だが、それをまだ自分の中で処理しきれていない。そんな落ち着かなさだけが、先に目についた。


「どうだった。村の中は見られたのか」

軍務系の役人が、苛立ちを隠さずに尋ねた。


密偵の頭目格である男は、少しだけ躊躇うように視線を泳がせ、それから頷いた。


「はい。一通りは」


「なら早い。北部の報告どおり、避難民を武力で囲い込み、酷使している証は掴めたな?」


役人が身を乗り出す。それを突きつけることさえできれば、王国側は大義名分をもってあの村を制圧できるのだ。


だが、男の返答はひどく歯切れが悪かった。


「……いえ。そうでもありませんでした」


「なんだと?」


「囲い込んでいる、というのとは……少し、違いました」


男の曖昧な言葉に、同席していた法務官や公爵の側近たちが、怪訝な顔を見合わせる。


その曖昧な返答ひとつで、部屋の空気が鈍く重くなった。



「順を追って報告しろ」


執務室の奥、上座に座るリヒテンブール公爵が、低く静かな声で促した。

静かな声だったが、それだけに逆らいにくかった。


「はっ」


密偵の男は一礼し、持参した報告書の束を開いた。


「まず、村の水場と衛生状態ですが……異常なほどに整っております。人が密集しているにも関わらず、地面のぬかるみや悪臭がほとんどありませんでした」


「悪臭がないだと?」


「はい。どうやら、石鹸と呼ばれる汚れ落としを常用しているようです。驚くべきことに、小さな子供にいたるまで、手洗いや水汲みの手順を完全に理解し、規則通りに動いていました」


軍務官が鼻を鳴らした。


「聖女の奇跡だろ。衛生面で少しばかり恵まれているからといって、それがどうした」


「いえ、それだけではありません」


男は報告書をめくる。


「市場や倉庫の前では、絶え間なく物資の運び込みが行われていました。ですが、その場で怒鳴って指図する者は見当たりません。それでも、運ぶ者たちは迷わず動き、流れが止まっていませんでした」


「怒鳴りもしないで? 一体、どうやっている」


「札、です」


男は、その光景を思い出すように言葉を区切った。


「小さな木札や荷札です。荷を運ぶ者は、ただその札を見ただけで迷わず動き、荷を分けていました。我々にはその木札の規則までは分かりませんでしたが、間違いなく、あの村は札だけで大勢の人間を滞りなく動かしています」


大勢の人間を動かすには、声と力が要る。それが彼らの常識だった。


「他はどうなんだ」


「はい……工房側では、反射炉らしき巨大な窯が稼働していました。」


「うむ。やはり報告通りだな。その工房の様子はどうだったんだ」


「工房の中もよく整っていました。物の置き場も、人の動く道もはっきりしていて、作業が詰まる様子がありませんでした」


「工房もか。他はどうなんだ」


その言葉を受け、男は、最も理解に苦しんだ光景を口にした。


「広場の端では、子供たちを集めて、文字の読み書きと、倉庫で使う札の見方を教えていました」


「子供に、文字をだと?」


法務官が、にわかには信じがたいというように眉をひそめた。平民の、それも辺境に流れ着いた難民の子供に文字を教えるなど、王都の常識からすればあり得ないことだった。


「はい。あれは、一時しのぎの難民収容などではありません。あそこは、人々が定着することを前提にして、村を動かしているように見えました」


その一言で、話の重さが変わった。



「……囲い込み、ではありませんな」


長い沈黙を破ったのは、法務官の冷ややかな声だった。

彼の手には、書き留められた報告の要約が握られている。


「どう違う」

軍務官が不機嫌そうに聞き返した。


「もし囲っているのであれば、外からの物資を絶ち、力で締め上げればいずれ内部から崩れるでしょう。人が逃げ出そうとするからです」


法務官は、薄い唇を歪めた。


「ですが、今の報告から考えるに、これは違うでしょうね。恐らく、彼らは無理やり人を閉じ込めているのではありません。暮らしていくための条件が揃いすぎている」


「つまり、なんだ」

側近の一人が問い詰める。


「ウルム村は奪っているわけではないのです。勝手に流れているのですよ」

法務官は、冷酷な事実を突きつけた。


「清潔な飲み水と、安全な仕事と、安心して住める家のある所へ」


誰もすぐには口を開かなかった。


北部の貴族たちは「人と物を奪われた」「だから強引にでも取り返せ」と言って騒いでいた。王国中央も、ウルム村が違法な手段で領民を囲い込んでいるのだという理屈で動こうとしていた。


だが、現実は違った。ウルム村は、何も奪っていない。ただ、王国よりましな暮らしの基盤を先に揃えていただけだった。


「北部の連中は、人を取られたと喚いていましたが……」


側近の一人が、ひどく乾いた声で呟いた。


「ウルム村が奪ったのではありません。向こうの方が、単に暮らしやすいというだけのことです」


軍や理屈の話ではなかった。人が生きていくのに必要なものを、ウルムの方が先に揃えていた。ただそれだけのことだ。そして、その「ただそれだけ」が、王国にはいちばん痛かった。



リヒテンブール公爵は、報告書を手に取ったまま、動きを止めていた。


「……子供にも、教えているのか」


「はい。札の見方、数の扱い、衛生の初歩まで、組織的に行っているようでした」


公爵は報告書を机の上に放り投げ、ふう、と短く息を吐いた。


「街を作っているな。北部の馬鹿共は、自分たちの領民を奪われたつもりでいたのだろうが……」


公爵は、窓の外の濁った空を見つめたまま言った。


「違うな。あれは、戻る理由がないんだ」


側近たちは誰も口を開かなかった。その通りだったからだ。


綺麗な水があり、病気が少なく、働き口があり、子供に文字まで教えてくれる場所から、泥にまみれ、税を搾り取られるだけの領地へ戻りたいと思う平民が、いったいどれほどいるというのか。


「では、やはり武力で押して、あの村自体を更地にするしか――」


軍務官が進言しようとしたが、公爵は片手でそれを制した。


「武力で押して村を焼いたところで、根っこは変わらん」

公爵の声は、静かだが苛立っていた。


「水も、住処も、仕事もある方へ人は流れる。それを焼け野原にしたところで、王国の領地が豊かになるわけではない。不満を抱えた難民が、再び国中に溢れ返るだけだ」


怒鳴りつける方が、まだ楽だったかもしれない。


北部の貴族たちのように、目に見える武力や暴言で逆らってくるのなら、首を切って軍を差し向ければ済む。


だが、報告書に並んでいるのは、もっと始末の悪い話だった。清潔な水がある。安心して住める家がある。仕事がある。子供も育てられる。そういう当たり前を先に揃えられている以上、地方貴族の失策や軍の数だけで片づく話ではない。


「……これでは、北部の連中の言い分はますます立たなくなりますね」


側近の一人が、沈鬱な声でこぼした。


「だからこそ、あちらはもっと乱暴で分かりやすい旗を求めるだろう」


公爵は、忌々しげに目を細めた。


「大義名分を失った負け犬ほど、力のある神輿を担ぎたがるものだ」


公爵は溜息をつき、窓の外を見た。

問題は、あの辺境の村そのものではない。

あれに勝てるだけの条件が、もう王国の側に残っていないことだった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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