79 半端
――時が満ちたならば、私はシオンに一緒にバルタークに来てほしいと伝えるつもりです。
その言葉にシオンは自分の耳を疑う。だが目の前で眉間に深い皺を刻み込んだクリスの様子から、それが聞き間違いではないと理解していた。
「意味が分からないんだけど」
「そのままの意味だろう」
壁から僅かに体を離し眉を寄せるシオンに、クリスは壁に耳を付けたままシオンを振り返ることなく淡々とした様子で答える。特に驚いた様子もないクリスの態度にシオンは眉間に刻む皺を深くした。
「なんで俺なの? ヴィオラはクリスの婚約者でしょ?」
「正しくは婚約者候補の一人、だ。今回は本当にヴィオラは留学に来ただけで、本人はこの機に国のためになる結婚相手をなどと考えているようだが、バルターク王は表面上はどうであれ本心ではそんなことを望んではいない。アヴァロン王も可能な限りは当人の意思を尊重する考えだ」
「…………」
「それに昔、酒の席でだがバルターク王はできるなら娘には恋愛結婚させてやりたいと泣いていた」
「……泣いていた?」
「目の幅と同じ幅の涙を流しながらな。あれは暑苦しかった」
シオンはバルターク王の姿を知らなかったが、なんとなくむさ苦しいおっさんが目の幅涙を流す姿を想像して何ともいえない微妙な気分になった。それでも納得していないシオンの視線を受けてクリスは小さく溜息をつく。
「そもそもヴィオラだって俺に恋愛感情どころか擦り寄ってくる様子すらなかっただろう? それに国のためになることは隣国の王妃になる以外にもたくさんある。例えばこの国一番の武力や魔力と繋がりを持つ、とかな」
「そういう考え方はしたくない。もちろん完全に切り離すことができないのはわかってるけど」
「まぁシオンは今はまだそれでもいいんじゃないか? だがそのうち嫌でも巻き込まれる。次男とはいえ公爵家、そして学友は有名どころばかりだしな。――ヴィオラが国のために出来ることは他にもあるということに気づいてくれればいいんだが」
くっと声を殺して笑うクリスの言葉にシオンは自身の家が国にとってどういう立場であるのかを改めて考えさせられた。
ファシール公爵家は王家の血統ではなく長年の功績によって爵位を与えられており、ユージンの家であるフィッツジェラルド家も同じ理由で侯爵の爵位を与えられた家だ。
とある事件でジオ将軍が上げた功績によって爵位を与えられたのだが、それ以前のジオ将軍は生家は伯爵家で当人は二男坊で爵位がなかったというのは有名な話だ。シオンは初めてその話を聞いた時、男版シンデレラという言葉が脳裏に浮かんだこともありよく覚えている。
「とにかく、その気がないのなら誘われてもはっきり断るんだな」
「ちょっと待って。その気っていうのは……」
「もちろんこの先ヴィオラと一緒になる気があるかどうかだ」
「なっ……! 俺が!?」
「――シオン、お前まさか……」
気づいていなかったのか? そう言いかけた言葉を飲み込んでクリスはシオンをまじまじと観察する。
頬は上気し落ち着かず宙を彷徨う視線。手も視線同様に意味もなくわたわたと動く。誰がどう見ても焦っているとわかるそんな態度だった。
「分かり易すぎてお前の将来が不安だ」
「将来俺は市井に下って、その後は魔法を駆使して一般市民として生きていくからいいんだよ!」
「……阿呆。確かにお前は今まで表に出てきていなかったから世間にはあまり顔を知られてはいないかもしれないが、お前は俺同等、もしくはそれ以上に国から重要視されている人間だ」
「何で」
「自分の属性を思い出して見ろ。珍しいどころか伝説の域の闇属性、色々と利用価値は高い。確かに世間には伏せられているがこの学園の関係者や王をはじめとした一部の人間は知っている。今は学園という閉ざされ安全な場所にいるから気づいていないのかもしれないが、お前の事を狙っている人間は少なからずいるということだ」
ぶすっとクリスを睨むシオンにクリスは溜息をつく。
シオンたちは学園内ではそこまで注目されているという感じではないがそれは学園側からの指導によるもので、実際学園外ではシオンたちは注目されている生徒たちでありその中でも特に注目されているのがシオンとクリスだ。
「とにかく、俺とお前は特に気を付ける必要がある」
「う……」
「貴族や国の情勢なんかも覚える気があるなら教える。ユージンやランスに聞いてもいい。――ああ、二人とも戻ったようだな」
言葉に詰まるシオンの頭にぽんと手を置き、クリスは壁から離れ立ち上がる。
「俺も一旦部屋に戻る。シオンも早めに用事を済ませておけ」
「あ、うん。そうだね、早く戻ったほうがいいね」
「ああ。また後で迎えに来る」
「わかった」
当初の目的を忘れかけていたシオンは慌てて立ちあがろうと腰を浮かす。その時、不意にクリスがドアノブに手をかけままの状態で足を止めた。
「俺も力をつける。護り、受け止めることができる力を」
振り返り、自分に真っ直ぐに向けられたクリスの視線にシオンは息を飲む。
「いつか、話してくれるだろうから」
何を、とは言わずクリスは部屋を出ると静かに扉を閉じる。
シオンは立ち上がることも出来ず、くしゃりと顔を歪ませた。
手早く風呂を済ませ、まだ少し違和感のある制服を着こむとシオンは鏡を覗き込む。
まだ水分の残る髪をタオルで押さえながら鏡に映る自分を見ていると、ふとシオンの脳裏に艶のある長い黒髪がよぎった。
「……懐かしいな」
その黒髪の持ち主は前世である紫苑の母の姿だ。紫苑の母はいつも幸せそうに笑っている人だった。何気なく思い出し、その違和感に気づく。
ぼんやりと霧がかかったようにはっきりとその姿を思い出すことができない。確かに紫苑の両親が亡くなったのは紫苑が幼い頃なのでしかたがないのかもしれない。けれど家には二人の写真が飾られていたので紫苑も臣も二人の顔はしっかりと覚えていた。覚えていたはずだった。
(どうして……)
シオンは思わずぶるりと体を震わせる。
考えてみても、何ともいえない不安が消えることはなかった。
「シオン?」
「……クリス」
「悪いな。返事がないから悪いとは思ったが入らせてもらった」
「ごめん。少し考え事をしてた」
顔を上げればそこにはいつの間にかクリスが立っていた。クリスは小ざっぱりしていてシオン同様に汗を流していたらしい。しかもシオンとは違い髪もしっかり乾かされている。
「ちゃんと乾かせ。風邪を引くぞ」
「戻ったら乾かすから。だから早く戻ろう」
自分の腕を掴んで急かすシオンにクリスは眉を寄せたが、シオンの頭に乗ったタオルでガシガシと髪をふくとタオルをシオンの首にかけたまま腕を引いて部屋を出る。戸締りだけはしっかりと確認し、二人は騎士クラスの寮へと急いだ。
シオンたちが騎士クラスの寮の部屋の前に戻った時、ちょうど風呂から戻ったユージンと鉢合わせした。
ユージンはきっちりと制服を着こんでいたが、微かに湯気が上がっていてシオンにはそれが恐ろしい色香に感じられる。そして同じ風呂上りのはずの自分と比較しても勝負にすらならないことに心の中で涙した。
ちなみにシオンに引っ張られ普段の様子からは想像できない制服を着崩した状態となっているクリスだが、呆れ気味に吐き出される息も訝しむように細められた目も、そのすべてが色香を放っているようでシオンに更なる敗北感を与えていた。
クリスと別れ、部屋へと戻るとシオンは体の中にある空気をすべて吐き出したかというほどに大きな溜息をつく。
「どうした?」
ユージンは部屋着に着替えながら、小さく苦笑して尋ねる。
シオンはぼすりと音を立ててベッドに座ると再び溜息をついてユージンを見上げた。
「自分の不甲斐なさを今更ながらに痛感した」
「貴族関係や魔法、そしてミカゲの事といったところか?」
「他にもあるけど大体そんなところ。すぐわかるなんてやっぱりジンだね」
足をぶらぶらと揺らしながら不貞腐れたように口を尖らせるシオンに、ユージンは僅かに瞬きいつもは鋭い視線をふっと和らげる。
「シオンが分かり易いだけだ」
「えー……」
「そうだな、貴族のことならクリスよりランスのほうが詳しいだろう。魔法に関してはクリスしか対処できない。剣の腕ならエミリオが一番だ」
「え?」
「そして本当の意味でミカゲの力に対抗できるのはシオンとクリスだけだ」
「ジン?」
シオンが不安げに眉を下げると、ユージンは纏う雰囲気も和らげふわりと微笑む。前世の世界でも違和感のない簡素な部屋着へと着替えていたこともあり、その姿が臣と重なって見えた。
「俺は相変わらず中途半端なまま。今度こそ守りたいのに、剣や魔法に知識、それぞれに俺よりずっと優れた友人がいる。俺は必要じゃないんじゃないか、そう思わずにはいられないんだ」
「何言ってるのさ。必要に決まってるじゃないか! それは今も昔も変わらない!」
ぶるぶると握りしめた手を震わせながら顔を真っ赤にして怒るシオンをユージンは破顔して抱きしめる。突然抱きつかれたシオンはしばらくその拘束から逃れようとバタバタと手を動かしていたが、ふっと力を抜くとあやす様にユージンの背を叩く。
「前世から続く腐れ縁なんだからね。その縁が簡単に切れるわけないし、俺がその縁を手放すはずがないじゃないか」
「ん。わかってる」
「頼りにしてる。何よりこうやって話せるのはジンだけなんだから……」
「ん。そうだね」
「はぁ。本当にわかってる?」
「――あぁ。もちろんわかってるさ」
シオンが何度目かわからない溜息をこぼした時、拘束していた腕が離された。
顔を上げればすっかり普段の表情に戻ったユージンが微かに口角を持ち上げる。ユージンの強い意志を湛えた瞳はまっすぐにシオンに向けられていた。




