41 勇者
ランスが姉であるフィリアを苦手とするのは、幼少時から彼女にトレジャーハンターとしての技能や格闘術を叩き込まれたかららしい。
格闘術を教えられているときはほぼサンドバッグ状態だったとかで色々とトラウマがあるようだ。
「ここ数年は一人でトレハンに出ていて平和だったのになぁ」
そう窓の外を眺めて呟くランスの背中には哀愁が漂う。
シオンとクリスはそんな窓際のランスはそっとしておく事にした。そっとしておくといえば聞こえはいいが、実際は扱いに困った為の放置である。
シオンは持参していたパンをほおばり他愛もない雑談を楽しむことにした。ちなみにクリスにもパンを勧めたのだが丁重にお断りされてしまった。
「そういえば、騎士クラスは今日秋の二次入学があったんだよね。なんで騎士クラスだけ?」
「もう二百年も昔の話になるんだが……かなり優れた実力を持つ青年がいたんだ。色々と事情があって春に入学できなかったその青年を入学させる為にできた制度らしい。その後も形式として騎士クラスにだけ二次入学が残っている状態だ」
「その青年の為だけに秋の二次入学が?」
「それほどその青年は重要な人物だったんだ。今では勇者といわれている存在だな」
ぼたり、とシオンのかじっていたパンからクリームが落ちる。
「勇者? 御伽噺だけの存在じゃないの?」
「いや、ちゃんと記録に残っている」
シオンの顔がぱぁっと輝き、無残にも中のクリームが落ちてしまったパンを急いで口に詰め込む。
落としてしまったクリームは仕方がないが、意図して食べ物を粗末にするようなシオンではない。
紫苑にもファンタジーな知識は人並みにはあったし、そういったものに憧れた時期もある。
ただ実際その世界に転生してしまえば楽しんでばかりもいられず、そういった感覚はすっかりと忘れてしまっていた。
しかし突然ファンタジーの代名詞とも言える『勇者』という存在がはっきりと目の前に浮かんだのだ。
実際シオンとしても幼いころに勇者について書かれた絵本を読んだり、御伽噺のように語られたもので勇者がいたらしいということは知っていた。
だがその存在を証明するようなものはなにもなく、ただそう呼ばれた人物がいたらしいとした認識しかなかったのだ。
「勇者って人に会ってみたかったな」
勇者というのはきっとユージンのような人なのだろうとシオンは思う。
転生者で美形、騎士の家系で育ち魔術師としての才能も高い。
これ以上の王道、テンプレはそうそうないのではないだろうか。これでお姫様が横に並べば完璧だろう。
ただランスから聞いた世間での噂によると、ユージンは『王子といい関係』らしいのが残念でならなかった。
しばらく雑談をしていると、再びバタンと部屋の扉が開かれた。
その音に驚いき窓際からすばやい動きでシオンの背中に隠れるランスを再びクリスが引き剥がす。
扉に立っていたのは明日戻るはずのユージンだった。
ユージンにしては珍しく、少々焦ったような様子で額には汗も浮かんでいる。
「ここにいたのか!」
「どうしたんだ? ユージン」
やはり焦ったような声色のユージンにクリスが訝しげに問いかける。
シオンは再びプルプルしだしたランスの背中をさすって宥めながら二人の様子を見守ることにした。
「魔術師クラスにも二次入学してくる生徒がいるそうだ」
「いや、魔術師クラスには二次入学はないだろう?」
「政治的な力を使って入学してきたんだよ。しかも新入生は……女だ」
「なっ……!」
さすがにその言葉に思わずシオンも声を上げていた。
過去にこの学園、騎士クラスにも魔術師クラスにも女性の入学者はいない。
「そんなに簡単に女の子が入学できちゃうようなものなの? だったら最初から共学でもよさそうなものだけど」
「まぁ、男のみとの決まりも勇者がらみだからな。今となっては飾りに近いが……」
クリスによると、勇者が入学した当初には女生徒もいたらしい。
しかしその将来性に多くの女生徒が群がり勉学どころか勇者の生活にすら支障をきたしてしまった。
そこで勇者は学園の意味がないと学園を辞めようとしたのだが、やっと入学させた勇者をそう易々と辞めさせるわけはなく逆に女生徒をその年度で全て卒業させてしまったのだそうだ。そしてその後は女性を入学させることはなく現在に至っている。
その過程で学園の入学資格の中に男性でなければいけないという人々の認識が広まったらしい。
「つまり本来は女性も入学も問題ないってこと?」
「そうだな。実際学園の入学の資格の中には性別に関する記載はない」
暗黙の了解とされていたので入学試験を受けるような女性もいなかったらしい。
「それで、その新入生というのは?」
「クリス、お前のよく知っている人物だ。政治的な力もありそれなりに魔力も高い女性」
「イェシオン嬢か?」
クリスの言葉にユージンは脱力し、大きく溜息をついた。
「それはないよ。そんな話聞いてないし、政治的な力なんてうちには無いし」
「……シオン、それは本気で言ってるのか?」
パタパタと手を左右に振って否定するシオンを、いつの間にか立ち直ったランスが心配そうに覗き込んでいた。そしてはっと何かに気付き、よしよしとシオンの頭をなで始めた。
「とにかくクリス、覚悟しておいたほうがいい。新入生は例のお姫様だ」
ユージンの言葉にクリスの顔からさっと血の気が引いた。
例のお姫様、それはクリスの縁談相手というピンク姫のことだろう。
シオンはクリスの隣に立つ、顔も名前もしらないピンク姫を想像してみる。
微笑むクリスの隣に立つピンクのドレスに身を包んだピンクの髪の可愛らしいお姫様。
「うん、イェシオンよりはお似合いだよね」
クリスの色には黒よりピンクのほうが合うな、と一人納得するシオン。
その言葉にショックを受けて呆然とするクリスにはもちろん気付いていなかった。
「シオン、前から知ってはいたが……容赦ないな」
「違うぞユージン。変なところで鈍いだけだ」
そしてユージンとランスはそんなシオンを可哀想な子を見るような目で見ていた。