34 限界
「限界」
シオンがマルツェッラに滞在して三日目の朝。
普段どおりの男姿でダイニングへとやって来たシオンは一言そう告げた。
「シオン……イェシオンは?」
「昨日興奮しすぎたから知恵熱」
不貞腐れたように答えるシオンにリオルは苦笑を浮かべつつも、咎める事はせずに席につくように促す。
そして席についたシオンの目の前には次々と朝食が並べられていく。もちろんその量はシオンが普段食べている量だ。嬉々とするシオンに料理を並べながらティカが尋ねる。
「シオン様、ご友人たちが見えたらどうなさるんですか?」
「寝てるからって追い返しておいて。対処はティカにお願いするよ」
「……かしこまりました」
シオンは自分の言葉に何故かにんまりとした笑みを浮かべるティカに首をかしげつつも、目の前の食事を堪能することを優先した。
久しぶりに満足のいく量の食事を堪能したシオンは、ここ数日間出来なかった体力づくりのための鍛錬をする為に庭へ向かう。
スカートから開放されたシオンの足取りは軽く、鼻歌交じりに屋敷の外へと出れば朝独特の空気が心地よい。
「おいっちにー……」
シオンが準備運動をしていると木々の隙間から馬がこちらに向かってくるのが見えた。
友人たちが来るのはすでに恒例になりつつあるが、今日はどうやら少し様子が違い向かってくる馬は一頭だけだ。
目を凝らして見れば馬に乗っているのはクリスであるとわかる。
王子であるクリスが辺境の田舎町とはいえ一人で行動するのは無用心にもほどがある。はぁと大きく溜息をつきシオンは屋敷の入り口付近に身を隠した。
軽く脅かすつもりだった。
ちょっと魔力をクリスに向けて放って、王子なのに無用心だよと言ってやろうと思ったのに。
シオンの思惑は見事に外れ、目の前には驚いた表情でシオンの手首を掴むクリスがいた。
シオンは人体にさほど影響が出ない程度の魔力をクリスに向けて放とうと手に少しだけの魔力を集め待っていた。少々これまでの鬱憤が溜まっていて、その意趣返しがてら警告しようとタイミングを見計らっていた。
ここぞというタイミングでシオンは魔力を放とうとしたのだが、それよりも速くクリスが馬から飛び降りてシオンの手首を掴んだのだ。
「シ……オン?」
「とりあえず、手を離してくれないかな?」
「あぁ、悪い」
決して強く握られていたわけではないのだが、シオンは開放された手首をさすりながらクリスをジト目で睨みつける。
そんなシオンの視線にクリスはバツが悪そうに目を逸らした。
「で、一人でなにしてるのさ」
「もちろんイェシオン嬢に会いに」
「ユージンやランスは?一緒なんじゃなかったの?」
「ユージンは敵……じゃない、何かと煩いからランス共々撒いてきた」
当たり前のように胸を張って答えるクリスに、シオンは盛大に溜息をつく。
王子の自覚も問題なのだが、それ以前に目的地がわかっている以上撒くことに意味はあるのだろうか。
「イェシオンは今日は体調を崩しているから会えないよ」
「何!それなら尚更お見舞いに……」
「クリスが来たら気を遣って休めないって。一応王子なんだからもうちょっとその辺自覚しなよ。そもそも一人で出歩いて何かあったらどうするの」
慌てて屋敷に向かって歩き出すクリスの腕を今度はシオンが掴む形にとなって引き止める。
シオンの言葉にクリスは次第にその表情を曇らせていく。あからさまに落ち込んだ様子のクリスにシオンに多少の罪悪感が生まれた。
「ほら、クリスに何かあったら悲しむ人間はたくさんいるんだから。もちろんユージンやランス、それに俺や……イェシオンもね」
「……そうだな。イェシオン嬢に笑顔になってもらいたくて、他の事を気にする余裕がなかったな」
「本当にクリスって極端だよね。良くも悪くも真っ直ぐすぎる」
「そうだな」
くすりとシオンが笑えばクリスも同じように笑う。
その表情はいつものクリスであり、シオンにはその瞳の色も落ち着きを取り戻したように見えた。
「ほら、ユージンたちも来たみたいだよ」
再び二頭の馬が屋敷に向かって走ってきている。もちろん馬を操っているのはユージンとランスだ。
シオンは二人に向かって笑顔で大きく手を振った。
「シオン! いつ来たんだ?」
「昨日の夜だよ。ちょっと届けるものがあったから、様子見がてらね」
「そうかー、こっちは色々大変だったんだぞ。主にクリスで」
「あはは、そうみたいだねぇ」
ユージンとランスはシオンたちの近くで馬を止めて馬から下りると二人の元へと駆け寄った。
ユージンはまじまじとクリスを見て、シオンに向き直る。
「シオン、お前がなにかしたのか?」
「んー、ちょっと攻撃しようとしたらあっさり避けられた。それで、いつものクリスに戻ったみたい」
「ショック療法か」
ふむ、と顎に手を当てて何か考えている様子のユージンだったが、すぐに顔を上げてクリスの頭に拳骨を落とした。
「何するんだ」
「散々心配と迷惑をかけたからだ。自覚はあるんだろう?」
「……すまなかったな、ランス」
相当痛かったのか、クリスは涙目になりつつもランスに謝罪し、やはりランスは気にするなと笑う。
本当にランスはいい人だとシオンの中でランスの株は急上昇していた。
「ところでシオンはいつまでこっちにいるんだ?」
「え? んー、明日には戻るよ。用事はもう済んだし」
「なら今日はシオンも一緒にどうだ?」
「あーゴメン。俺は大丈夫なんだけどイェシオンが体調崩して休んでるんだ」
シオンの言葉にランスの顔色がさーっと悪くなる。
「昨日外に連れ出したからか……?」
「いや、よくあることだから。ランスたちのせいじゃないよ」
本気で心配するランスに、シオンは後ろめたさを感じつつも笑顔で否定する。
シオンの中のランスの株はさらに上昇していた。