第9話 昔の仲間、今の修理
工房へ帰ると、穿孔台が邪魔だった。
「……でかいな」
昨日から知っていた。
知っていたが、外から帰ってくると改めてわかる。入口から作業台までの間に鋳鉄の塊が一つあるので、避けて歩かなければならない。
寝床までは行ける。
調理台にも行ける。
なので、生活はできる。
なら、まあいいか。
南市場で買ってきた籠を机に置く。
中には革帯と油。それから、帰り道で買った安いパンが二つ入っている。
籠は中古だった。
編み目の一か所が直してあり、持ち手には革が巻かれている。左の義手でも挟みやすい。
今まで袋で困っていた時間を考えると、もっと早く買えばよかった。
こういうものは、世の中にいくらでもある。
買えば済むのに、作れるからと後回しにしているもの。
機工師というのは、案外自分の生活を直さない。
少なくとも俺はそうだ。
「さて」
まず、預かっている粉挽き器を終わらせる。
穿孔台はそのあとだ。
金になる仕事を先にする。
昨日の午後は少し稼いだ。そのあとユアンに払い、今日は市場で使った。
財布というのは、働いてもなかなか重くならない。
不思議なものだ。
粉挽き器を作業台へ置く。
手回し式で、穀物を入れて取っ手を回すと中の石臼が回る。
魔力式なら穀物を入れて起動板へ触れるだけでいい。
俺には使えない。
だが、これは俺のものではないので関係ない。
直せれば何でもいい。
軸を外し、減っているところを測る。すでに真円ではなくなっていた。
「削って、輪を入れるか」
新しい軸を作るほどではない。
薄い真鍮板を丸め、受け側へ入れればまだ使える。
材料箱を探すと、ちょうどいい厚みのものがあった。
切って、曲げて、合わせる。
左手で軸受けを固定し、右手の細いやすりで少しずつ削っていく。
昨日痛めた肩は、まだ少し重い。
痛むほど力を入れなければいい。
こういう仕事なら問題ない。
十分ほど作業したところで。
どんどん。
扉が鳴った。
「開いてるよ」
「知ってる」
遠慮のない声がして、扉が開く。
背の高い男が入ってきた。
黒い外套に、くたびれた革靴。腰には魔導剣。
こめかみには、昔はなかった白いものが少し増えている。
「おー。相変わらず狭いな」
「昨日もっと狭くなった」
「何でだ?」
俺は入口の穿孔台を指差した。
グレンが見る。
「……買ったのか、これ」
「ああ」
「何に使うんだ?」
「穴を開ける」
「見ればわかる」
「じゃあ聞くなよ」
「魔力式買えよ」
「使えないよ」
「あ」
七年経っても、たまには忘れる。
「悪い」
「いいよ」
グレン・アルバート。冒険者時代の仲間で、今も第一線にいる男だ。
俺は引退して、この辺りの冒険者事情を追わなくなった。誰が何級になったとか、どこの魔物を倒したとかはもう詳しくない。それでも、こいつとはたまに顔を合わせて話をする。
「今日は何だ?」
「仕事」
「珍しいな」
「友達の顔見に来たと言ったほうがよかったか?」
「金になるほうがいい」
「相変わらずだな」
グレンが笑い、背負っていた長い革袋を床へ下ろした。そのまま壁の鉤へ掛けようとする。
「あ、そこは駄目」
「ん?」
「別のにしてくれ」
壁には、昨日リリエラの検査鞄用につけた小さな鉄の鉤がある。
「何で?」
「検査鞄の場所だから」
「検査鞄?」
「ああ」
「……そうか」
グレンは俺を見た。
「何だよ」
「別に」
それ以上は言わなかった。こういうところで黙れる時もある男で助かる。
◇
「これだ」
革袋から出てきたのは、古い巻上げ器だった。
鋼鉄の枠に小さな巻胴。手回しの柄と、片側には逆転防止の歯車がついている。
冒険者が崖や縦穴で使う道具だ。
人間を吊ることもあるし、荷を下ろす時にも使う。
今なら魔力式の巻上げ器がある。
軽くて速いし、止めたいところで止められる。
これよりずっと便利だ。
「また古いものを」
「俺のじゃない。今の連中の共同装備だ」
「まだ使ってるのか」
「予備でな」
「魔力式あるだろ」
「ある」
「じゃあ何で?」
「魔力式が壊れた時の予備」
「なるほど」
それならわかる。
冒険者というのは、壊れないと思って持っていったものから壊れる。
俺の経験ではそうだった。
道具側から見れば、こちらの使い方に問題があったんだろう。
「明後日から西?」
「北だ」
「北か」
「石灰谷の奥。古い水路の調査」
「ああ」
聞いたことがある。
王都へ水を引く前に使われていた古い導水路が、山中に残っている。
崩れているところも多いらしい。
「何日?」
「八日の予定。長くて十二日だ。崩落箇所の向こうまで見るからな。明日の昼に集合して、午後には出る」
「じゃあ今日中?」
「できれば」
「急だなあ」
「昨日気づいた」
「誰が?」
「俺」
「じゃあ仕方ないな」
自分で気づかなかったものを、人に怒るわけにもいかない。
俺もよくやる。
巻上げ器を作業台へ置き、柄を回す。
かち。
かち。
かち。
一見、問題ない。
少し負荷をかける。
左の義手で巻胴を押さえ、右手で柄を戻す。止まるはずの位置で、柄へ返る抵抗が一瞬だけ薄くなった。次の瞬間、がくっ、と滑った。
「滑るな」
「だろ」
「いつから?」
「一昨日の訓練で一回。昨日二回」
「使うなよ」
「だから持ってきたんだよ」
「そうか」
なら正しい。
側板を外す。
中へ指を入れて一度動かし、戻す。
さっき滑ったところだけ、手応えが鈍い。
「ここと、ばねだな」
「替えられる?」
「中まで見れば」
「まだ見てねえのかよ」
「今、開けたところだろ」
グレンはすぐ財布のほうを気にした。
「いくら?」
「銀貨まではいかないと思う」
「安いな」
「高くしていい?」
「駄目」
「じゃあ言うなよ」
「聞いたの俺だろ」
グレンが笑った。
野営地でもよく聞いた大きな声だが、今は油の匂いのする作業台の前で聞いている。
◇
さらに分解し、爪を外して、ばねを抜く。
「これだな」
板ばねの根元に、小さな亀裂があった。
まだ折れてはいない。
だが、このまま使えば時間の問題だ。
「危なかったか?」
「人を吊ってる時に折れればな」
「そうか」
グレンの顔から笑いが消える。
こういう時の切り替えは早い。
「予備だからって、訓練を一回で切り上げなくてよかったな」
「二回目で滑ったからな」
「一回目で持ってこいよ」
「一回なら手が滑ったかと思うだろ」
「お前の手が?」
「俺だって滑る」
「そりゃそうか」
一回なら自分のせいだと思い、二回なら道具を疑う。俺にも似た癖があったので強くは言えないが、あまりいい考え方ではない。道具も人間も、一回目から壊れる時は壊れる。
「新しいばね作るよ」
「できるか?」
「材料はある」
材料棚から薄い鋼板を出す。
板ばね用に残していたものだ。
幅を合わせて切る。
問題は穴だった。
固定ねじを通す穴を一つ開けなければならない。
今までなら、手回し錐で時間をかけて開ける。
だが。
俺は入口を見る。
穿孔台がある。
まだ足踏み機構はついていない。
革帯も買ってきたばかりで、軸へ油すら回していない。
「……使ってみるか」
「何を?」
「それ」
穿孔台を指差す。
グレンが眉を上げた。
「動くのか?」
「手で回せば」
「足踏みにするんじゃなかったのか」
「その予定」
「できてない?」
「今朝、革帯買ってきたところ」
「じゃあできてないな」
「ああ」
はっきり言われると少し寂しい。




