第7話 南市場で会う罠師
翌朝、肩が少し痛かった。昨日、荷車が傾いた時に左腕で受けた分だ。
「……まあ、そうだろうな」
義手は鉄でできていても、肩は普通の人間のものだ。ゆっくり回すと痛むが、動く。仕事を休むほどではない。
作業台の脇には、昨日買った古い手回し式の穿孔台がある。錆と軸の減りはあるが、足踏みに作り替えれば魔力のない俺でも使える。
「油と革帯か」
油は少しあるが足りず、付いてきた革帯はひび割れていた。机には軸修理で預かった粉挽き器もある。仕事をするための道具を直すために、また材料を買う。機工師というのは大体そんなものだと思う。
朝飯に昨日の卵を一つ食べ、財布を確かめた。籠はまだない。作るつもりだけは、随分前からある。
俺は上着を羽織り、南市場へ向かった。
◇
無光街から南市場までは歩いて二十分ほどで、王都の中では近い。ただ、朝は荷車と商人、買い付けの料理屋や人夫で混み合う。その間を、荷物を載せた小型の魔導運搬台が持ち主の後ろについて走っていた。
便利そうだとは思う。俺には使えないので、眺めるだけだが。
市場の正面には魔力認証の門がある。通行証を持つ人間が魔力を流せば開くが、俺では本人確認が終わらない。なので建物沿いに回り、魚屋の搬入口と木箱の山を過ぎた先にある手動の荷受け口へ向かう。
「おはよう」
中にいた係が顔を上げた。
「ああ、キーラか。入れ」
顔を確かめると、そのまま内側の閂を外した。ぎい、と鉄扉が開く。
「いつも悪いな」
「顔を知ってりゃすぐだ。こっちも仕事だからな」
「そうか」
正面入口が魔力式になった頃は、ここで毎回事情を説明した。今は顔を覚えられたぶん楽になった。
係が意地悪なわけではない。ただ、正面から入れる人間には最初から要らない手間だ。世捨てだと、そういう手間が暮らしのあちこちに少しずつ増える。
「油か?」
「あと革帯」
「機械屋は二列目。革は奥」
「ありがとう」
中へ入ろうとすると、係が足元を指した。昨日の雨で石床が濡れている。
「キーラ。そこ滑るぞ」
「ああ。助かった」
一歩ずれて中へ入った。こういうのは、魔力がなくても教えてもらえる。
◇
朝の市場はうるさいが、嫌いではない。魚を売る声、肉を切る音、桶や荷車の音が途切れず、魚屋の奥では保冷箱が淡く光って『昨日分値下げ』の札が出ていた。魔力保冷が一晩きちんと持てば、生ものも少し安く売れる。みんな飯を食うために忙しい。俺も同じだ。
まず穿孔台の油を探した。粘りが強すぎれば重くなるし、安い灯火油ではすぐ流れる。三軒見て、一軒目は高く、二軒目は臭いが強かった。三軒目で小瓶を手に取る。
「これ、古い軸受けに使える?」
「回転速いのか?」
「人力」
「なら十分だ。もっと安いのでもいいぞ」
「雨の日に湿気る」
「じゃあこっちだな」
少し高いほうを出されたので、瓶を振って中身を見る。
「半量で売れない?」
「瓶がない」
「持ってきた」
上着から空瓶を出すと、店の男が嫌そうな顔をした。
「用意がいいな」
「金がないからな」
「自慢するなよ」
「自慢じゃないよ」
半量だけ買った。これでしばらく持つ。
次は革帯だ。穿孔台に使うなら、薄すぎれば伸び、厚すぎれば小さな滑車で曲がらない。棚を見ていると、後ろから少し掠れた低い声がした。
「それ、やめとけ」
振り返ると、ベルダ・ロウが立っていた。顎の下で雑に切った黒髪に、泥のついた厚い革脚絆。飾り気のない仕事着でも腰の位置と長い脚はわかり、痩せすぎない身体は仕事で締まっている。厚い上着でも、女らしい線まで消えるわけではない。濃い榛色の目が、俺の手元の革帯を見ていた。肩に縄を掛け、片手には蓋付きの木箱を持っている。
「久しぶり」
「三日前に見た」
「そうだったか」
「獣脂を買っただろ」
「ああ」
三日前だったらしい。
ベルダは三十八歳の罠師で、鼠や大鼠などの獣害駆除を仕事にしている。無光街の外れに住み、南市場の食料を扱う店や倉庫から仕事を受けている。俺が無光街に来た頃にはもうこの辺りで働いていて、付き合いは七年ほどになる。
「何が駄目なんだ?」
俺が持っていた革帯を見せる。
「端が乾いてる」
「……本当だ」
折ってみると、表面に細い亀裂が出た。
「危ないな」
「回転に使うなら切れる。あと二枚奥のやつ」
ベルダが指を差す。
「そっちはまだまし」
言われたものを取って曲げてみる。
柔らかい。
表面も均一だ。
「高いな」
「長く使える」
「そうなんだけどな」
値札を見る。
もう一度見る。
安くはならない。
「店主」
ベルダが呼んだ。
革屋の主人が奥から出てくる。
「何だ」
「これ、端材扱いにならない?」
「ならん」
「長さが半端」
「穿孔台なら足りるだろ」
主人が俺を見る。
「何で知ってるんだ」
「昨日、廃材屋から買ったんだろ」
「市場は話が早いな」
「狭いからな」
主人が革帯を持ち上げる。
「端が少し斜めだ。そこ込みなら銅貨二枚引く」
「三枚」
ベルダが言った。
「買うのは俺なんだが」
「二枚半」
「銅貨に半分はないよ」
「じゃあ三枚」
戻った。
主人がため息をつく。
「二枚。それ以上なら戻す」
俺は革帯を見る。
必要な長さは取れる。
「二枚でいいよ」
「弱いな」
ベルダが言った。
「俺の金だからな」
「ならいい」
革屋の主人が笑った。
「相変わらずだな、お前ら」
「何が?」
「別に」
会計を済ませる。
ベルダはそのまま自分の用事へ移った。
「麻縄ある?」
「太さは?」
「いつもの。十尋」
「値上がりしたぞ」
「また?」
「東からの荷が遅れてる」
値段を聞いたベルダが、少し黙った。
「……高い」
「俺に言うな」
「高いものは高い」
「七束なら少し引く」
「五束」
「じゃあそのまま」
「六」
「半端だな」
「今月、屋根直す金がいる」
「まだ雨漏りしてるのか」
俺が口を挟む。
ベルダがこちらを見る。
「昨日ひどかった」
「直せよ」
「言われなくても直す」
「いつ?」
「冬まで」
「ネサと同じこと言ってるな」
「誰」
「近所の店」
「知らない」
そうか。
ベルダは無光街に住んでいるが、生活圏は南側へ寄っている。
近所といっても、全部知っているわけではない。
結局、六束買うことになった。
値引きは一枚。
ベルダは納得していた。
「餌は?」
「向こう」
革屋の主人が顎をしゃくる。
「臓物、今朝から上がったぞ」
「……そっちも?」
「肉屋へ言え」
「今日は高い日だな」
「市場だからな」
よくわからない説明だった。
◇
「仕事明け?」
歩きながら聞くと、ベルダは欠伸を一つ噛み殺した。
「倉庫で夜通し。鼠と大鼠が一匹」
「穀物は?」
「食われる前に取った。これから報告」
片手の木箱を少し持ち上げる。中には駆除の証明も入っているらしい。
「見せなくていいよ」
「見せない」
「そうしてくれ」
朝飯前に大鼠の一部を見る趣味はない。
冬前は害獣が増える。ベルダも忙しいらしく、この辺りの倉庫から、しばらくまとめて見てくれという話が来ているという。
「いい話じゃないか」
「条件が合えばね。夜ごと呼ばれて一晩ずつ走るのは嫌」
「何を出してもらう?」
「ちゃんとした金と、道具を濡らさず置ける場所」
「家じゃ駄目なのか」
「昨日、雨漏りした」
「ああ。屋根直せよ」
「それはそれ」
「別なんだな」
俺も籠を作ると言ったまま後回しにしていたので、強くは言えない。
「取れるといいな」
「取るよ。駄目なら別を探す」
眠そうな声のまま、そこだけは迷わない。条件が合わなければ別を探すのは、ベルダには普通のことらしい。
「何」
「いや。寝てないのに、そこははっきりしてるなと思って」
「家賃、一回遅れたことあるよ」
「それは知らなかった」
「だから立派ではない」
「別に立派とは言ってない」
「ならいい」
ベルダはまた欠伸をした。
眠いのに、まだ報告も朝飯も残っている。




