第3話 重い道具と若い荷運び
卵では、油は買えない。
当たり前の話である。
朝の共同ポンプの修理でもらった卵はありがたい。葱もありがたい。鶏肉も、少し心配ではあったが、よく火を通したら普通にうまかった。
だが、工具に塗る油や、新しい鋼索や、ねじを買おうと思えば金が要る。
なので午後は、少し真面目に金を稼ぐことにした。
「……よし」
鍋の取っ手を直して、銅貨一枚。
古い窓の留め具を直して、銅貨二枚。
手回し式の粉挽き器は、軸が減っていたので預かりになった。これは直せば、もう少しになる。
午前中の終わりから昼過ぎまで働いて、机の上に硬貨が七枚。
朝よりは機工師らしい稼ぎだった。
俺は右手で硬貨を重ねる。
七枚。
もう一度数える。
七枚。
増えなかった。
まあ、当たり前だ。
外を見ると、空が暗い。
ネサの天気予報は当たりそうだった。
無光街では、下手な天気占いよりネサのほうがよく当たる。理由を聞いたら、仕入れ値を見るとわかると言っていた。
本当かどうかは知らない。
遠くで、ごろごろ、がたがたと車輪の音がした。
随分うるさい。
こっちへ近づいてきて、やがて工房の前で止まる。
「キーラさん!」
「うん?」
「届け物です!」
返事が速い。
声も速い。
表へ出ると、痩せた若い男が大きな二輪車の横に立っていた。癖のある茶色い髪で、年は二十くらいだったと思う。
ユアン。
この辺りで荷運びや廃材回収をしている。
何度か顔を見たことはあるし、小さな道具を直したこともある。こちらから何か聞くと、大体こちらが聞き終わる前に返事をする。
「廃材屋からです! 鋳鉄台一つ、滑車二つ、鉄板四枚、雑材一袋!」
「早いな」
「返事ですか?」
「配達」
「あ、そっちですか。雨来そうなんで急ぎました!」
「そうか」
荷車を見る。
上には布をかけた大きな塊が載っていた。
布をめくる。
「……ほう」
古い穿孔台だった。
今なら、穴を開ける道具にも魔力を使う。刃を取り付け、魔力を込めれば勝手に回る。
速いし、力もある。
便利だ。
俺には使えない。
だからこれは、少し前の時代のものだった。
上に大きな手回し輪がついていて、歯車で刃を回す。工場では天井の回転軸から革帯を取って動かしていたらしい。
足踏みに作り替えれば、一人でも使える。
「思ったより状態がいいな」
「重かったですよ」
「だろうな」
「本当に重かったです」
二回言った。
よほど重かったらしい。
軸を指で回してみる。ざらつきはあるが、大きな歪みはなさそうだった。
錆を落として軸受けを替えれば使える。
こういう純粋な機械は、最近は手に入りにくい。魔力式のほうが便利なので、わざわざ作る人間が少ないからだ。
「これ、捨てる寸前だったんですよ」
「もったいないな」
「廃材屋の親父も同じこと言ってました。で、キーラさんなら買うかもって」
「買ったよ」
「ほんとに買う人いるんだなって思いました」
「目の前にいるよ」
「はい!」
いい返事だった。
褒められたと思ったらしい。
◇
「中まで運ぶか」
「やります!」
「一人で?」
「できます!」
返事が先に来る。
俺は穿孔台を見る。次にユアン。返事の速さで鋳鉄が軽くなるわけではない。
「二人でやろう」
「大丈夫ですよ」
「ああ。俺が大丈夫じゃない」
「キーラさんが?」
「買ったばかりの道具を入口で倒されたら泣くかもしれん」
「ああ」
今度の返事は少し遅かった。
ユアンは穿孔台と工房の入口を見比べ、それから綱へ手を戻した。まだ一人でいけると言いたそうではあったが、言わなかった。
買った翌日に潰されるのは、本当に困る。
工房の前に厚い板を二枚敷く。荷車から直接滑らせるためのものだ。
持ち上げるより安全である。
重いものは、持たないほうがいい。
これは冒険者をやっていた頃には、あまりわかっていなかった。若い頃は、持てるなら持ったほうが早いと思っていた。
そのせいで随分余計な怪我をした。
少し遅い気もする。
「ユアン。そっちの綱、緩めてくれ」
「はい!」
「全部じゃないぞ」
「はい!」
「……本当にわかってるか?」
「半分です!」
「ならいい」
荷を固定していた綱が緩む。
俺は左手で穿孔台の脚を押さえ、右手で鉄棒を差し込んだ。
義手はこういう時には便利だ。細かなことはできないが、形の決まったものを固定するのには向いている。
鋼索を張り、肘をほとんど動かない位置で止める。
右手の鉄棒で少しずつ台をずらした。
「重いですね」
「鋳鉄だからな」
「魔力式なら浮かせられるのに」
「そうだな」
「使います?」
「誰が?」
「あ」
ユアンが俺を見る。
「そうでした」
「そうなんだよ」
悪気はない。
この世界では、重いものを動かすなら魔力を使うのが普通だ。荷運び用の浮揚具もあるし、倉庫や大きな商店なら大抵一台くらい置いてある。
俺も使えるなら使いたい。
楽そうだからな。
ただし、俺が魔力を流しても何も起きない。
なら、棒と板を使う。
それだけのことだった。
「そういえば、ユアン。荷運び組合の請負登録試験、受けるんだって?」
鉄棒を押しながら聞く。
少しだけ間があった。
珍しい。
「……誰から聞きました?」
「前に自分で言ってたよ」
「あ」
「忘れたのか」
「言ったの忘れてました!」
「そうか」
俺よりひどい。
「受験料、貯まったか?」
「あと銀貨二枚です」
「来月だっけ」
「はい。今度こそ受けたいんです。通れば、日雇いで呼ばれるだけじゃなくて、自分の名前で荷主と仕事を決められるんで」
「運賃も?」
「そこもです。だから、今月は多少きつくても稼げるのを取りたいんですよ」
「多少で済むやつにしろよ」
「またそれですか」
返事だけは素直でも、納得しているわけではなさそうだ。
俺も若い頃、大人に同じことを言われるたび、できるかどうかは自分で決めると思っていた。
「旧染工場の回収、知ってます?」
鉄棒を動かす手が止まった。
「北の外れの?」
「そうです。地下の古い設備を片づけるやつ。銅が多いから、外した分を地上へ上げて廃材屋まで運べば結構になるって」
「設備もお前が外すの?」
「そこは資格持ちに任せますよ。俺は外れた荷を上げて、運んで、売るところまでです」
「ならいい」
「でも、解体する人を待ってる時間まで俺の一日なのに、そこは金にならないでしょう」
「じゃあ、待たされる分も最初に話せばいい」
「何も運んでない時間まで取るんですか?」
「その仕事のために一日空けるなら、お前の時間だろ」
「高いって言われますよ」
「言われるだろうな」
「ほら」
「断られたくないなら、いくらまでなら下げるか自分で決めろ」
ユアンはすぐには返さなかった。穿孔台を支える綱を握ったまま、荷台と工房の入口を見比べている。
「……待ち時間は取ります」
「ああ」
「地下から上げるなら、階段の分も」
「ああ」
「急ぎなら、その分も先に言う」
「それでいい」
「雨の日は取りませんよ。濡れるくらいで金取ったら、次呼ばれなくなる」
「そこは好きにしろ」
「好きにします」
返事だけは妙に強い。さっきまで俺に聞いていた値段を、今度は自分の口で決めた。
「危ない仕事をするなとは言わない。ただ、解体が終わる前に地下へ入る必要はない」
「わかってます」
「返事が早いな」
「わかってるからです」
「先に潜って、銅だけ拾おうとか?」
ユアンの口が止まった。
「……早いほうが稼げるんで」
「考えたことはあるんだな」
「やりませんよ」
「ならいい。銀貨二枚欲しいのに、腕一本なくして帰ったら赤字だからな」
俺は左の義手を少し持ち上げた。
「俺が言うと、妙に実感がある」
ユアンが義手と俺の顔を交互に見た。
「それ、笑っていいやつですか?」
「好きにしろ」
「じゃあ笑いません」
「そうか」
ユアンは綱を引き直した。
「でも、待ち時間と階段と急ぎ代は取ります」
「もう自分で決めてるじゃないか」
「はい!」




