第12話 彼女の仕事場
粉挽き器は、その日のうちに返した。
約束したのだから、返す。当たり前のことだ。
昔の俺は、その当たり前があまり得意ではなかったらしい。グレンに言われて少し考えたが、否定できなかった。
依頼を一つ終えた帰りに面白そうな話を聞けば、そのまま別の場所へ行く。三日後に戻って、宿の主人に怒られる。
そういうことが何度かあった。
若かった、ということにしておきたい。
今やったら、工房の前に修理品が積み上がる。何より、今日返すと言った人間が困る。
だから夕方までに軸受けを合わせ、石臼を回し、異音がないのを確かめてから持っていった。
受け取った主人は、その場で麦を一握り入れた。
ごりごりと石臼が回り、下から粉が落ちる。
「軽くなったな」
「軸が減ってたからね」
「あと何年使える?」
「それは使い方によるよ」
「十年」
「俺に決めるなよ」
主人は笑った。
修理代を受け取り、帰りに塩と小さな玉ねぎを買った。工房へ戻った時には、空が赤くなっていた。
穿孔台はまだ入口近くを塞いでいる。革帯もつけていないし、軸ももう少し調整したい。
だが、今日はもういい。
金になる仕事を一つ返した。旧友の道具も直した。十分働いた気がする。
夕飯は玉ねぎを薄く切って焼き、パンに挟んだ。肉はないので少し寂しい。
明日は何か買おう。
そう思いながら食べて、寝る前になって作業台の端に置いた包みを見つけた。
「……忘れてた」
細長い鉄の金具が三つ。
冒険者ギルド南部出張所から頼まれていた、検査台の固定金具だ。古いものが摩耗したので、同じ寸法で作り直した。
三日前に終わっている。
明日の午前中に持っていく約束だった。
忘れていたわけではない。今思い出しただけだ。
……同じか。
◇
翌朝。
南部出張所は、無光街から歩いて四半刻ほどだ。
冒険者ギルドの本部ほど大きくはない。依頼を受ける受付のほかに、冒険者へ出す魔道具を保管し、戻ってきたものを点検する部屋がある。
俺の用事はそこだった。
正面の扉は魔力認証なので、建物の横へ回って納品用の鐘を鳴らす。七年も魔力なしで暮らしていれば、使えない扉の前で毎回困ったりはしない。
中から職員が顔を出した。
「納品?」
「検査台の固定金具。三つ」
「ああ、機工師のキーラさんか。入ってくれ」
名前が通っていた。珍しい。
中へ入ると、棚には魔導灯や結界器、保冷箱、冒険者が持ち出す小さな魔道具が並んでいた。
その間を、金色の髪を後ろでまとめたリリエラが歩いている。
「キーラさん?」
「ああ。おはよう」
「おはようございます」
白いブラウスの上に灰色の作業上着。袖は肘まで上げ、胸元には職員章がある。
リリエラは冒険者ギルドの魔道具管理員だ。
俺の工房へ来る時より、ずっと職員らしい。
「今日は納品ですか?」
「うん。これ」
包みを見せると、リリエラが受け取ろうとして――横から声が飛んだ。
「リリエラ、こっち見てくれ」
「はい。今行きます」
彼女は俺へ向き直る。
「すみません。少しだけ」
「仕事してていいよ」
「はい」
ぱたぱたと駆けかけて、二歩目から普通に歩いた。
職場では走らないらしい。
俺は壁際へ寄った。急いではいない。
検査台の前では、若い冒険者が魔導灯を一本持っていた。
「ちゃんと点くんだけど、これで駄目なのか?」
リリエラが灯りを受け取り、点けて、消す。光は普通だった。
次に握りへ指を掛ける。
革巻きの下に細い亀裂があった。
「これは止めます」
「そこ?」
「はい。地下で落としたら困りますから」
「灯りは点くぞ」
「点いてても、持てなくなったら使えません」
言い切って、別の魔導灯を渡す。
若い冒険者は一度だけ不満そうな顔をしたが、亀裂を見直してから肩をすくめた。
「わかった。ありがとな」
「気をつけて行ってきてください」
それで終わりだった。
リリエラはすぐ次の道具へ手を伸ばす。
◇
「お待たせしました」
しばらくして、リリエラが戻ってきた。
「忙しいな」
「朝は少し」
「固定金具、三つ」
「はい」
包みを開くと、リリエラは古い見本へ一つ重ね、穴と爪の位置を確かめた。
「大丈夫です」
「ならよかった」
「交換はあとで職員さんにお願いします。キーラさんは――」
「俺は作るところまで?」
「はい。今日は納品です」
「そうか」
普通に線を引かれた。
それでいい。俺は機工師で、こっちは彼女の職場だ。
受け取りを頼もうとした時、入口から声がした。
「すみません、これ……!」
冒険者らしい女が、大きな魔導保冷箱を抱えている。蓋の片側が少し浮いていた。
リリエラの顔がすぐ仕事のものへ戻った。
「置いてください。中身は冷えていますか?」
「はい。冷えてはいるんですけど、蓋が閉まらなくて」
リリエラは起動板へ触れ、箱の反応を見る。次に留め具を動かした。
片方は掛かる。
もう片方は空振りする。
「冷却は生きています。蓋の金具ですね」
そこで俺を見た。
「あ」
「いるな」
「……いますね」
少しだけ、いつもの顔へ戻った。
「キーラさん。金物だけ、見てもらえますか?」
「仕事なら」
「仕事です」
「じゃあ見るよ」
箱の前へ行く。
留め具は簡単な鉄の爪だった。押すと、受けへ掛かる直前だけ外へ逃げる。蓋を少し持ち上げると真っ直ぐ噛んだ。
「ああ。軸が減ってる」
「直ります?」
「細い鉄棒があれば」
「あります」
返事が早い。
リリエラは女へ向き直った。
「冷却は止めません。このまま中身を入れておいてください。蓋だけここで直します」
「使って大丈夫なんですか?」
「直したあと、私がもう一度見ます。駄目ならその時は別の箱に替えます」
迷いは短かった。




