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『ネットスキル大戦』  作者: ネコロビン


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第3話 ダイブ

第3話 ダイブ


午前九時四十七分。


神崎レンは、白い椅子に座っていた。


正確には椅子というより、医療用ベッドに近い。


身体を包み込むような形状。


頭部を覆う黒い装置。


両手両足には細いセンサー。


目の前にはガラスの壁。


その向こうに、同じ装置が四台並んでいる。


橘アヤ。


田所慎吾。


三枝ユウキ。


白石ナナ。


日本代表五人。


誰も昨日のようにふざけてはいなかった。


「心拍正常」


スピーカーから黒崎の声。


「脳波正常」


「神経接続開始」


レンの指先が少し痺れた。


何度経験しても、この瞬間だけは好きになれない。


自分の身体が少しずつ遠くなる。


指を動かす。


動いている。


だが、それが本当に自分の指なのか分からなくなってくる。


「神崎選手」


「はいはい」


「最終確認です」


「どうぞ」


「痛覚設定、国際代理戦争基準値」


「了解」


「死亡判定を受けた場合、即時強制ログアウト」


「了解」


「スキル《巻き戻し》正常接続」


「了解」


「現実身体への神経フィードバック制限、正常」


レンは目を閉じた。


「神崎さん」


ナナの声が聞こえた。


「ん?」


「痛い?」


「何が?」


「撃たれた時」


「痛いよ」


「マジ?」


「痛くなかったら撃たれてることに気づかないだろ」


「どのくらい?」


「現実よりは全然マシ」


田所が横から言う。


「初めてじゃないだろ、お前」


「国家戦は初めて」


「昨日まで七千万しか見てなかったくせに」


「今は痛いのが怖くなってきた」


アヤが溜息をつく。


「緊張感あるのかないのか、どっちなのよ」


三枝だけは目を閉じたままだった。


「あと十二分です」


「三枝?」


レンが呼ぶ。


「はい」


「緊張してる?」


「しています」


「見えないな」


「吐きそうです」


「めちゃくちゃしてるじゃん」


「だから話しかけないでください」


「ごめん」


黒崎の声が割って入る。


「通信確認」


五人の耳元で電子音が鳴る。


《TEAM CHANNEL:JAPAN》


アヤ。


『聞こえる』


田所。


『問題なし』


三枝。


『正常』


ナナ。


『聞こえてまーす』


レン。


『牛丼食いたい』


『神崎』


黒崎の低い声。


『はい』


『真面目に』


『正常です』


通信が切れた。


その頃。


世界中では、別の意味で緊張が高まっていた。


*


東京。


渋谷駅前。


巨大モニターの前に人だかりができている。


《JAPAN VS UNITED STATES》


《開戦まで 00:09:42》


スマートフォンを握った若者が叫んだ。


「日本三・二まで下がった!」


「レン効果すげえ!」


「アメリカ買い増すわ!」


「逆だろ! 今なら日本だって!」


居酒屋。


会社。


学校。


空港。


駅。


そして海外。


ニューヨークのバーではアメリカ国旗を背負った男がビールを掲げていた。


ロンドンでは巨大スクリーンにオッズが表示されている。


パリ。


ベルリン。


ローマ。


トロント。


世界各地。


それぞれが自分の国とは関係のない戦争を見ようとしていた。


《TOTAL BET》


数字が高速で増えていく。


《¥ 1,821,440,000,000》


まだ増える。


実況席では二人のアナウンサーが座っていた。


『さあ、いよいよです!』


『北太平洋海底資源区域、その今後十年間の採掘比率を決める日米代理戦争!』


画面に戦場が映る。


東京。


ただし。


誰もいない。


車も走っていない。


人も歩いていない。


東京駅。


新宿。


池袋。


秋葉原。


六本木。


渋谷。


建物だけが存在する巨大都市。


『今回の戦場は東京二十三区完全再現フィールド!』


『広いですね』


『非常に広いです。ただし戦闘区域は時間経過とともに縮小します』


『隠れ続けることはできない』


『できません。そして復活もありません。一度死亡判定を受ければ、その選手はその時点で脱落です』


画面に十人の顔が表示される。


日本五人。


アメリカ五人。


『最後まで一人でも選手を残した国家が勝利!』


『まもなくです!』


*


「接続率百パーセント」


黒崎の声。


レンは息を吐いた。


「日本代表各員」


「ダイブを開始します」


視界が暗くなる。


音が消える。


身体の感覚が消える。


右手も。


左手も。


足も。


呼吸さえ分からなくなる。


一瞬だけ。


自分がどこにも存在しなくなったような感覚。


そして。


――光。


レンは目を開けた。


青空。


「……久しぶり」


風が吹いている。


頬に感じる。


レンは右手を開いた。


握る。


もう一度開く。


地面を踏む。


軽く跳ぶ。


着地。


現実の身体と何も変わらない。


いや。


レンにとっては――こちらの方が軽い。


「レン」


振り返る。


アヤがいた。


迷彩服。


腰には拳銃。


手にはアサルトライフル。


その後ろに田所、三枝、ナナ。


五人全員が装備を身につけている。


場所は東京駅。


丸の内側。


当然、人はいない。


「全員いるな」


田所が言った。


三枝が周囲を見る。


「アメリカ側の初期位置は不明」


「いつも通りね」


アヤが銃を確認する。


ナナが自分の身体を見ていた。


「やっぱ国家戦サーバー、感覚すごい」


レンがナナを見る。


「違う?」


「風まで分かる」


「匂いもあるぞ」


「え?」


ナナが息を吸う。


「……ほんとだ」


道路。


コンクリート。


夏の東京の匂い。


誰もいないのに。


信号だけが動いている。


赤。


青。


赤。


レンが道路へ出る。


「神崎!」


アヤが呼ぶ。


「何?」


「勝手に動かない」


「まだ始まってないよ」


レンは道路の中央まで歩いた。


空を見上げる。


高層ビル。


雲。


太陽。


全部偽物。


でも。


「相変わらず、よくできてる」


その時。


空に巨大な数字が現れた。


《10》


ナナが銃を構える。


「来る」


《9》


三枝が目を閉じる。


《8》


田所が前へ出る。


《7》


アヤがレンの横へ。


《6》


「作戦通りよ」


「了解」


《5》


「最初は固まって動く」


《4》


「スキルは?」


《3》


「敵の能力が分かるまで温存」


《2》


レンが銃を構えた。


《1》


その瞬間。


世界中の画面に同じ文字が表示された。


《WAR START》


戦争が始まった。


*


最初の五分。


何も起きなかった。


「いないな」


田所が呟く。


五人は東京駅から北西へ移動していた。


ビルからビルへ。


路地。


地下通路。


大通りは避ける。


三枝が先頭近くを歩く。


「まだ《残響》は使わないの?」


ナナが聞く。


「範囲が狭い。今使っても無駄です」


「敵も慎重ね」


アヤが言う。


レンは何も言わず、建物の窓を見ていた。


一階。


二階。


三階。


屋上。


どこから撃たれてもおかしくない。


「止まって」


三枝が突然言った。


全員が止まる。


「何?」


「……分からない」


三枝が道路を見る。


「何か変です」


レンも見る。


何もない。


「鳥?」


「え?」


「さっきまで鳥いた?」


ナナが空を見る。


「いない」


「このフィールド、鳥なんて実装されてないよな」


その瞬間だった。


レンが叫ぶ。


「伏せろ!」


銃声。


ガンッ!


田所の頭があった位置。


後ろの壁が砕けた。


「狙撃!」


全員が散る。


二発目。


三発目。


道路が弾ける。


アヤがビルの陰へ飛び込む。


「どこ!?」


三枝が目を閉じた。


「まだ撃たないで!」


四発目。


レンは走っていた。


一直線ではない。


右。


左。


突然止まる。


逆方向。


弾丸が一瞬前までいた場所を通過する。


ナナが叫ぶ。


「何それ!」


「狙われてる!」


「分かってる!」


レンは走りながら上を見る。


遠い。


かなり遠い。


「新宿方面じゃない」


田所が障害物の陰から顔を出す。


「距離どのくらいだ?」


「分からない!」


アヤが言う。


「神崎! 遊ばない!」


「遊んでないって!」


五発目。


レンが身体を傾ける。


弾丸が頬のすぐ横を抜けた。


一瞬遅れて銃声。


レンが笑った。


「見つけた」


「どこ?」


「あそこ」


指差す。


高層ビル。


かなり離れている。


肉眼では窓しか見えない。


アヤが目を細める。


「見えるわけないでしょ」


「光った」


「スコープ?」


「たぶん」


三枝が言う。


「距離、約千百」


田所が顔をしかめる。


「この距離で当ててんのかよ」


レンはビルを見続けた。


「デイビッドじゃない」


「分かるの?」


「こんな撃ち方しない」


「じゃあ誰?」


その答えは。


世界中の観客には見えていた。


*


『アメリカ代表、エミリー・カーター!』


実況が叫ぶ。


超高層ビルの一室。


一人の女が床に伏せている。


長い狙撃銃。


『驚異的な長距離狙撃!』


『日本代表を完全に捉えています!』


エミリーが静かに息を吐く。


照準の中。


レン。


引き金。


*


銃声。


「レン!」


弾丸が胸に入った。


衝撃。


レンの身体が後ろへ吹き飛ぶ。


視界が赤く染まる。


《DAMAGE:CRITICAL》


心臓。


即死ではない。


だが数秒。


レンは倒れながら右手を動かした。


「《巻き戻し》」


世界が――跳ねた。


音。


光。


位置。


すべてが逆流する。


三秒。


レンは立っていた。


撃たれる前の場所。


弾丸が飛んでくる。


もう知っている。


一歩だけ横へ。


弾丸が通過した。


ナナが目を見開く。


「うわ……」


アヤが叫ぶ。


「移動する!」


五人が一斉に路地へ飛び込んだ。


レンは走りながら胸を触った。


傷はない。


痛みだけが記憶に残っている。


「やっぱ撃たれると痛えな」


「当たり前でしょ!」


「心臓だったぞ」


田所が言う。


「あと一秒遅かったら?」


「ログアウトして牛丼食ってた」


「笑えない!」


三枝が叫ぶ。


「前!」


全員が止まる。


路地の先。


人影。


一人。


アメリカ代表。


男。


銃を下げたまま立っている。


アヤが即座に照準を合わせる。


田所も。


ナナも。


レンだけが銃を下げた。


金髪。


短髪。


青い目。


デイビッド・ウォーカー。


「……早いな」


レンが言った。


デイビッドが笑う。


「二年ぶりだな」


日本代表四人が一瞬だけレンを見る。


「本当に知り合いなのね」


アヤが呟く。


デイビッドは銃を持ち上げない。


レンも構えない。


距離、約三十メートル。


「お前」


レンが言う。


「狙撃手連れてきただろ」


デイビッドが肩をすくめる。


「さあ?」


「俺をここに誘導した?」


「どうだろうな」


「相変わらず性格悪いな」


「お前に言われたくない」


田所が小声で言う。


「なんだこの会話」


ナナが囁く。


「ほんとに戦争?」


その瞬間。


デイビッドの視線が変わった。


レンも同時だった。


二人が動く。


銃声。


ほぼ同時。


レンの弾丸。


デイビッドの弾丸。


互いに身体を捻る。


外れる。


二発目。


レンが壁を蹴る。


デイビッドも反対側の壁へ。


三発目。


四発目。


二人が狭い路地を異常な速度で移動する。


アヤが撃とうとして――止めた。


「速っ……」


レンがゴミ箱を踏む。


跳ぶ。


壁。


蹴る。


空中で身体を横にする。


発砲。


デイビッドはしゃがむ。


弾丸が髪を掠める。


そのまま地面に片手をつき、身体を回転。


レンへ撃つ。


レンは着地する前に壁を蹴った。


弾丸が外れる。


ナナが呆然とする。


「何あれ」


田所が笑った。


「昔からああだ」


「人間の動きじゃない」


「人間だよ」


三枝が言った。


「ただ……」


レンとデイビッド。


二人ともまだスキルを使っていない。


「ネットの身体の使い方が、僕らと違う」


デイビッドが後退する。


レンが追う。


「逃げるのか!」


「今日は五対五だ!」


デイビッドが笑う。


角を曲がる。


レンも追おうとする。


「神崎!」


アヤの声。


レンが止まった。


ほんの一瞬。


その一瞬で。


デイビッドは消えた。


静寂。


レンは銃を下ろした。


「……ちっ」


アヤが近づいてくる。


「追わない」


「分かってる」


「これはあなたたちの昔の大会じゃない」


「分かってるって」


「国家戦よ」


「だから止まっただろ」


アヤは何か言おうとして。


やめた。


その時。


世界中の画面では、別のものが動いていた。


《LIVE ODDS》


《USA 1.82》


《JAPAN 3.51》


数字が変わる。


《USA 1.74》


《JAPAN 3.68》


実況が叫ぶ。


『わずか数十秒!』


『神崎レンとデイビッド・ウォーカー! 両者スキル未使用です!』


『これがトップダイバー同士の戦闘なのでしょうか!?』


世界中で歓声が上がる。


そして。


東京の誰もいない路地で。


レンはデイビッドが消えた方向を見ていた。


「変わってないな」


小さく笑う。


その時。


三枝が突然振り返った。


「待って」


全員が見る。


三枝の顔色が変わっている。


「どうした?」


「……います」


「誰が?」


三枝がゆっくり銃を構えた。


「僕たちの後ろに」


誰もいない路地。


少なくとも。


そう見える。


三枝が息を吸う。


そして初めて、自分のスキルを発動した。


「《残響》」


世界が変わる。


三枝の視界だけに。


数秒前、この場所を通った人間の輪郭が浮かび上がった。


一人。


二人。


三人。


アメリカ代表。


そして。


その残像は――。


日本代表五人のすぐ後ろまで来ていた。


三枝が叫ぶ。


「囲まれてる!」


同時に。


ビルの窓が割れた。


屋上に人影。


路地の入口にも人影。


後方にも。


アヤが銃を構える。


田所が前へ出る。


ナナが笑った。


「やっと私たちも使っていい?」


レンが銃を握り直す。


《巻き戻し》


再使用可能まで。


あと十二秒。


「いいんじゃない?」


レンは笑った。


「向こうも、やる気みたいだし」


次の瞬間。


東京の一角で、


十人のスキルが本格的に動き始めた。

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